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6-036. ベリルの願い

 先生と別れた後、俺はしばらく川沿いを歩きながら呆けていた。

 途中、クォーツの富裕層エリアを巡回している王国兵のグループとすれ違っては、あらぬ疑いを掛けられて職務質問されること数回。

 〈ジンカイト〉の記章を見せたことですぐに解放されたが、職質(それ)が何度も続くことにうんざりしたので、俺はさっさと娼館街へ戻ることにした。


「ったく。今夜はやけに警備が多いな」


 通りの中央に建つ柱時計に目をやると、時計の針は九時を回ったばかり。

 ベリルとの約束の時間は十二時だったな――まだ三時間も残っている。

 時間が来るまで娼館街を徘徊する気にはなれないし、かといってアガパンサスの娼館に客でもない人間が立ち寄るわけにもいかない。


 ……そうだ。

 先生にパーズの宿で会った時、どうして宿に泊まっているという嘘(?)をついてまで俺に接触してきたのか訊くのを忘れた。

 でも、今さらそんなことはどうでもいいか。


「どうやって時間を潰せば……」


 その時、街灯に照らされた酒場の看板が目に入った。





 ◇





 酒場に入って早々、やたらと露出度の高いウェイトレスに寄り添われた。

 さすが娼館街近くの酒場なだけあるが、ウェイトレスの肩に腕を回して奥の部屋へ消えていく男達を目にして、そういう(・・・・)酒場なんだと察した。


「いらっしゃいませぇ~。どうぞこちらへぇ」


 猫なで声で迎えられ、俺はカウンター席に案内された。

 椅子に座った俺に胸が見えるように屈んだウェイトレスは、息がかかるほど近くまで顔を寄せてくる。


「何にいたしますか? 当店では年代物のヴェルフェゴールを取り揃えてございますよ」


 ……注文確認かよ!

 顔がやたら近いから何かと思った。


「もっと気楽に飲めるものがいいな」

「では、こちらからお選びください」


 そう言うと、ウェイトレスが急に胸を張った。

 なんと彼女の着るドレスの胸にはメニュー表が縫い付けられている。

 ……何なんだこの店は?


「えぇと、ヴォティスの140年もので」

「……かしこまりました」


 安物を注文したからだろうか。

 ウェイトレスの表情が途端に冷たくなった。


 しばらくして彼女は葡萄酒(ワイン)の入ったジョッキを持ってきてくれたが、無表情のままさっさと(きびす)を返してしまった。

 そして、彼女は新たに店に入ってきた男の元へと駆け寄っていく。


「くそっ。なんだか不愉快だな」


 俺は一気にジョッキをあおいだ。

 安物だけあって、悪酔いしそうなほど不味い酒だった。


 周りではウェイトレスが隣に座って談笑している客ばかり。

 そんな中、俺はいつもの癖で周囲の会話に聞き耳を立ててしまっていた。

 毒にも薬にもなりそうもない会話を聞き入るうち、唐突に興味を引く話題が聞こえてくる。


「それ、本当?」

「本当だよ! 銀行の貸金庫から金目のものがごっそり()られたんだってよ!」

「嘘ぉ~。ぜんぜん騒ぎになってませんよぉ?」

「そりゃそうさ! そんなことが知られたら、銀行のお偉いさんは懲罰ものだからな。必死に隠してんのさ」

「お兄さん、どうしてそんなこと知ってらっしゃるのぉ?」

「それはな――」

「それはな?」

「――俺がその銀行の警備隊にいたからよ!!」

「えぇ~。マジですかぁ?」


 ……事実なら、その銀行もとんでもないアホを雇ったもんだな。

 酒場でウェイトレスにそんなことをしゃべっちまうなんて。


「でもぉ、その泥棒さんはどうやって盗んだんですかぁ? 銀行ってとっても厳重なんでしょぉ~?」

「わからん! 警備隊(俺達)が気付いた時には、いつの間にか眠っちまってたんだ」

「あら。お疲れだったんじゃないのぉ~?」

「体調は万全だったさ! 気が付いたら警備してた連中は全員眠らされてたのさ」

「それって不思議ぃ~。まるで魔法みたい~」

「気に入らねぇのは、盗まれた事実を揉み消すために俺達を解雇(クビ)にしやがった警備主任だ! 飲まなきゃやってらんねぇよっ!!」

「そうそう、飲んで飲んでぇ~。いっぱい飲んで嫌なこと忘れましょっ。ヴェルフェゴールなんていかがかしらぁ~?」


 話を聞いていると男の懐具合が心配になってくるが、まぁそれはいいだろう。


 クォーツの銀行は、町の発展に伴って厳重な警備が敷かれていると聞く。

 そんな場所の貸金庫からまんまと盗みだすなんて、〈ハイエナ〉並みの盗賊なのだろうかと興味が湧く。

 その時――


「お客さん。これはウチからのサービスだ」


 ――テーブルの上をガラス瓶に入った酒が滑ってきた。

 横に向くと、酒場の店主らしき男が俺を冷めた目で見つめている。


「いいのか?」


 店主がこくりと頷く。


 瓶を手に取ると、中身が緑色に濁った酒だと気が付いた。

 これ、お茶っ葉入りの酒(グリーンエール)か。

 エル・ロワの酒場でこの酒が出されるのは、場違いな客に対して店側から送られるメッセージだ。

 つまり、そのメッセージとは……。


「これを飲んだらさっさと出てけ、か」





 ◇





 約束の十二時にはまだ早いが、俺は娼館〈ゼフィランサス〉まで戻った。

 しかし、玄関前に立ってあることに気付く。


「……娼館裏の犬小屋ってどうやって行くんだ?」


 考えてみれば、ベリルから詳しい位置を聞いていない。

 娼館裏と言うのだから、建物の裏側に犬小屋のある庭でもあるのだろうけど、どこからそこへ行けるのか……。


「キュウゥッ!」


 突然、通りの上からフォインセティアの鳴き声が聞こえた。

 見上げると、俺の頭上をフォインセティアが翼を広げながら滑空している。

 彼女はギョロリと俺を見下ろしながら、娼館とすぐ隣の建物の間へとその身を滑り込ませていった。

 それが道案内なのだと俺にはすぐにわかった。


「ついてこいってか?」


 フォインセティアを追って、俺もまた路地の隙間へと飛び込んだ。

 娼館側の鎧戸からわずかに漏れる明かりを頼りに、俺は狭い路地を突き進む。


「どこまで行くんだ! おいっ」


 案内係は路地の隙間を縫うように飛んでいき、路地を塞ぐ鉄格子の先の暗がりへと溶け込んでいってしまう。

 俺が鉄格子の前までたどり着いた時には、その姿はもう見えなかった。


「この先に行けってのか……」


 鉄格子は壁と壁の間にはめ込まれていて、開く類のものではなかった。

 どうやら建物間の予期せぬ道を封鎖するために設置された仕切りのようなものらしい。


 鉄格子を乗り越えた先は行き止まり――否。四方を高い建物に囲われた空間があった。

 そこは10m四方ほどの庭で、手入れは一切されていない様子。

 雑草が伸びて荒れ放題の中、まばらに小さな木箱が置かれている。

 どうやらその箱こそが犬小屋のようだ。


「確かに犬小屋だ。でも、これは……」


 小屋に繋がれている犬の姿は一匹も見えない。

 それどころか、視界に映る小屋は一様にボロボロで、伸びきった雑草に埋もれているものすらある。

 とても犬が飼われているとは思えないな。

 しかも、小屋に紛れて鉄格子の檻まで置かれている。


『――裏の犬小屋にでも閉じ込めておくつもりだったさ』


 不意に、アガパンサスの言葉が思い出される。

 もしや犬小屋というのは娼館街特有の隠語なのでは?

 例えば、虐待された娼婦を閉じ込める檻を意味するとか――


「もうすぐだからね。待っててね」


 ――なんてことを考えた矢先、聞き覚えのある声が聞こえた。

 声のした方に向き直ると、他よりも一回りほど大きな犬小屋の前で屈んでいる子供の姿を見つけた。

 背格好と髪型からして、ベリルで間違いない。


 何をしているのか?

 否。誰と話しているのか?

 息を潜めて様子をうかがっていると、すぐに答えがわかった。


 ベリルに向かって、小屋の中から黒くて細長いものがゆっくりと伸びていく。

 この暗がりの中わかりにくいが……あれはどうやら犬の尻尾だ。

 それがベリルの鼻先でゆっくりと揺れ動いている。


「辛いかもだけど我慢してね。もうすぐ替えの宝石が届くから」


 ベリルが尻尾に触れようとすると、それは小屋の中へ引っ込んでしまった。

 一体どんな犬なのだろう。

 姿が見えないことで、かえって興味をそそられてしまう。


「それはきみの犬かい?」

「きゃあっ!?」


 俺が声を掛けると、ベリルは跳び上がるほど驚いた。

 まぁ、暗がりから声を掛ければそりゃ驚くよな……。


「だ、誰っ!?」

「俺だよ」

「あっ。……ジルコお兄さん」

「悪いな。別に驚かすつもりはなかったんだ」


 ベリルは俺のことをジトリと睨んできた。

 驚かせたことが不満だったらしい。


「約束の時間まで早いじゃん! どっから入ってきたの!?」

「路地の隙間から」

「マジで? お兄さんて覗きとか泥棒とかやってそう」

「そんなことやるかよっ!」


 ベリルは俺の前まで歩いてくるや、唐突に手のひらを差し出してきた。


「ちょうだいよ!」

「……あ。宝石のことか?」

「そう。持ってきてんでしょ?」

「そりゃまぁ」

「ほら。早く」

「少しはありがたそうにしろよな……」


 ダイヤを二つとも受け取ったベリルは、しばらくそれらを交互に眺めていた。

 今、手にしている宝石の価値が娼婦の少女に果たしてわかるものなのか――


「うん。すっごく綺麗な色だね。これ何の宝石?」


 ――わかるうんぬん以前の話だった。


「ダイヤモンドだよ」

「だいあもんど? それって凄い宝石なの?」

「ダイヤモンドを知らないのか」

「聞いたことあるような気がする」

「あそう……」


 しょせんは子供。

 まだまだ世間知らずだな。


「これで依頼は達成だろう?」

「そだね」

「で、それを使って何をするのか教えてくれるのかい?」

「んー……」


 ベリルは先ほど覗き込んでいた犬小屋に視線を向けながら、何やら考え込んだ。

 少しして答えが出たのか、彼女は俺に笑いかけると庭を走り出した。


「こっち!」


 ベリルは壁の手前で止まると俺を手招きする。

 俺が歩き出す一方で、彼女は庭の土を掘り返し始めた。


「何をしているんだ?」

「古いのを取り換えるのっ」


 ベリルが土の中から掘り出したのは、汚れた石ころだった。

 否。どうやらくすんで色褪せた宝石のようだ。


 彼女はそれを俺に投げ渡すや、代わりにダイヤのひとつを同じ場所へと埋めてしまった。


「おいおい。せっかくのダイヤを何するんだよ!?」

「いいのっ」


 ベリルは俺の横をすり抜けて、また別の場所で土を掘り返し始めた。

 そして、さっきと同じように宝石らしき物を掘り出して、代わりにもうひとつのダイヤを埋めてしまう。


「これもあげる」


 再び彼女から石ころが投げ渡された。

 やはりそれもくすんで色褪せた宝石だった。


「こんな物もらっても使えないぞ」

「あげたんじゃないよ。処分しといてってこと」

「……処分ね。承知しましたよ」


 高価なダイヤモンドふたつの代わりに、屑石(くずいし)同然の宝石を受け取るとは……。

 泣けてくるね。


「どうせ隠すなら、もっと深く掘れよ」

「隠したんじゃないよ」

「だったら何で地面に埋めたんだ?」

「あー。この暗さじゃわかんないか」

「?」


 ベリルは足元にあったランタンを持ち、マッチで油に火をつけた。

 瞬間、庭を小さな灯りが照らしだす。

 その時になって、俺はようやく足元の様子に気が付いた。


「これは!?」


 俺とベリルがいる庭には、複雑怪奇な模様が描かれていた。

 それは魔導士(ウィザード)が空中に描き出す魔法陣の円陣構築模様(エルフィンコード)に似る。


「これはね、死神除けの結界なの」

「結界? ……死神除け!?」

「そう。この子(・・・)に長生きしてもらうためのお(まじな)い」

「この子って……」


 ベリルが犬小屋のひとつを指さした。

 それは、彼女が先ほどまで覗き込んでいた小屋だ。


「サルビアっていうの。あたしが物心ついた時から一緒に育ってきた、ブラックハウンド」

「ブラックハウンドって、犬種のひとつだったか。確か大型の」

「そう。でも、すっかり歳を取っちゃって、今はもう満足に動けないんだ」

「つまり結界っていうのは、その犬の死期を遠ざけるための?」

「だよ」


 ……マジかよ。

 死神を寄せ付けない――つまり延命のために、それっぽい魔法陣を描いて結界で守っていることにしているのか。

 なんだか怪我の治療に誤った民間療法を試す連中みたいなことしているな。

 一体誰がこんなことを吹き込んだんだ?


「そんなことしても――」

「サルビアはね。赤ん坊のあたしが娼館街に捨てられた時からずっと一緒だったの」

「……」

「その頃は()っこい犬だったんだけど、野良犬なんかからあたしを守ってくれてたって寮長から聞いてる」

「……」

「だからサルビアはあたしの兄妹みたいなものなの。でも、人間と犬じゃ寿命が違うから、サルビアはもうおじいちゃん。それに、昔は番犬として働いていたから怪我も多くて――」


 ベリルの真剣な眼差しを見て、俺は喉まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。

 少女の健気な希望を打ち砕くような言動は慎むべきと思ったから。


「――あたしがいつか娼館街(ここ)を出る時、サルビアにも一緒についてきてもらいたいの。どこか静かな土地で、この子と一緒に暮らすのがあたしの願い」

「どこか静かな土地、か」

「うん。お仕事は羊飼いとかいいかな~なんて思ってるよ」


 再び俺に向き直ったベリルは、天真爛漫な笑みを浮かべていた。

 今の俺には真っすぐ向き合えないほど眩しい笑顔だ。


 ……願い、か。

 目先の不安に捉われず、躊躇(ためら)いなく願望(それ)を口にできるのは子供だからか?

 否。そんなんじゃない――


「叶うといいな、その願い」

「ありがと」


 ――叶うと信じているから、なのだろう。

 どうやらベリルは俺なんかよりもよっぽど前向きだ。

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