6-035. 天使との遭遇
子供にうまく乗せられた結果、俺は宝石を二つ手に入れるハメになった。
とは言え、一応宝石の余りなら手元にある。
エーテル密度の濃い薄いなんてはっきりとわからないが、一般に輝きの強い宝石ほどエーテル密度が濃いというのが定説。
俺も宝飾銃の弾に使う宝石は大抵それで選んでいる。
「ほら、これやるよ」
「えっ。お兄さん、宝石持ってるの?」
「冒険者なんだから当然だろう」
「冒険者だと宝石持ってるのが当然なの?」
「それは……人によるかもな」
闇の時代に冒険者をやっていた者なら、魔物対策に必ず宝石、あるいは宝飾武具を常備していると思うが……。
そう言えばムシリカの武装にはなかったな。
ベリルは俺から宝石を二つ受け取ると、マジマジと眺め始めた。
青い宝石に、赤い宝石。
くすんでいる上に傷物のサファイヤとルビーだが、子供が持つには十分な代物だろう。
「これ、安物じゃないの?」
「そんなことないよ。サファイヤとルビーだぞ? 聞いたことあるだろう」
「うん。高そうな宝石だよね。でも……」
ベリルは気に入らないのか、二つの宝石を見比べて地団駄を踏んでいる。
「なんかヤダ。もっと綺麗なのがいい」
「我儘言うなよ……」
俺はベリルに宝石を突っ返されてしまった。
真っ当な宝石が欲しいってことは、何か切羽詰まった事情があるのか?
「なぁ。何で宝石がいるのか教えてくれないか。事情によっては俺が仲介に入るから」
「別に誰かと揉めてるわけじゃないから、いらないよ」
「だったら何で宝石が欲しいんだ? アクセサリにするにはちょっと早いぞ」
「身を飾るつもりなんてない。ただ必要なのっ」
彼女の口から答えは出なさそうだな。
事情についてはアガパンサスなら知っているかもしれないが、この子の様子からして角が立ちそうだし、どうしたもんかな。
「ねぇ。依頼受けてくれないなら、そう言ってよ」
「そんなこと言ったら体売るとか言い出すんだろう?」
「そんなの方便に決まってるでしょ。あたしだって初めてを捧げるなら好きな人がいいし」
「……」
こいつ、ムシリカにあんなことを言っておいて……。
「ねぇ。どうするの?」
どうするのと言われても、今手元にある宝石で彼女にあげられる物はない。
だからって新たに調達する金なんてない。
でも、このままスルーすれば何かしでかしそうで心配だ。
「はぁ。わかったわかった! 必ず納得いく宝石を持ってきてやるから、お前は娼館で待ってろよ!?」
「絶対だよ?」
「絶対だ!」
「うししし。ありがと、お兄さん!」
ベリルが悪戯っぽく笑う。
この笑顔だけ見れば普通の女の子なのになぁ。
「それじゃ今日の十二時に娼館裏の犬小屋に来て。そこで受け渡しね」
「えっ。今日の十二時って――」
通りにある柱時計に目をやると、今は七時過ぎを指していた。
十二時まであと五時間弱しかない。
「――今日中に手に入れろって言うのか!?」
「どうしても必要なの」
「せめて明日いっぱいにしてくれよ。こんな時間に空いている宝石店なんてないだろう!」
「ダメ。絶対に今日中に必要なの」
「無理難題だな……」
「お兄さん、冒険者なんでしょ? あたしの知ってる冒険者ならきっとその無理難題もこなしてくれるよ」
「……誰のことを言っているのかわかるよ」
リドットと比べているんだろうが、さすがのあいつでも俺と同じ条件で要望通りの宝石を手に入れるのは至難だぞ……。
「依頼成立ね。そんじゃよろしく!」
「ちょっと待て! 報酬はあるんだろうな」
「報酬? ……うわ。お兄さん、ロリコン?」
「違う!」
露骨に軽蔑するような視線を向けられても困る。
何か誤解をされたようだが、それだけは断じて否定せねば……!
「仮にも冒険者への依頼なんだ。口頭のみの非正規な手続きとはいえ、こっちもプロ。正当な対価を要求して当然だろう」
「ん~。でも、あたしお金なんて持ってないよ」
「金じゃなくていいよ」
「何さ。やっぱりあたしの体が目当てなんだっ」
「違うっ!!」
「じゃあどうすればいいの?」
この子はリドットのことを父親のように尊敬している。
なら、夫婦喧嘩の仲裁に十分役立ってくれるはず。
「リドットとある人との仲裁を手伝ってほしい」
「ある人って誰?」
「詳しいことは後で説明する。きみも宝石の用途を明かさないんだから、これでお相子だろう」
「……なんか大人ってズルい」
お前が言うか!
……とは言わないでおこう。
「どうする? これ以上駄々をこねても俺は聞かないからな」
「わかったよ。お父さんと喧嘩してる友達がいるってことでしょ。仲良くさせるの手伝ったげる」
「よし。これで契約成立だ」
喧嘩しているのは友達じゃなくて、妻なんだけどな。
ややこしくなりそうだから今は言わないでおこう。
「それじゃ十二時に犬小屋へよろ!」
「どこへ行くんだ?」
「お買い物! お使い頼まれた時にしか外、出られないからさっ」
ベリルは俺の横を通り抜けていき、人混みへと消えていった。
今だっていい時間なのに、娼館街を女の子一人で買い物に行かせるとか、娼婦界隈って凄い世界だな。
◇
日も暮れて、娼館街はすっかり夜になった。
フォインセティアはベリルを追うように飛び立ったかと思うと、そのまま闇夜の空へ紛れて姿を消してしまった。
きっとベリルが心配で、上空から見守るつもりなのだろう。
目つきの悪い鳥が離れてくれて、俺はホッとした気持ちだ。
街灯の照らす光が弱いため、通りには広く明かりが届かない。
しかし、夜目の利く俺には周囲の暗がりもよく見える。
そう。路地の隙間で事に及ぶ男女の姿までもがくっきりと。
「……目の毒だ」
金のない奴は安く外で済ませるのか?
それとも娼館に属していないフリーの娼婦が客を引っかけているのか?
事情は定かではないが、そういうのが視界に入ると困ってしまう。
「はぁい♪ お兄さん、うちのお店いかがかしらん?」
さらに、半裸に近い娼婦が店の前で呼び込みをしている。
いけないとわかっていても、ついつい目が行ってしまうのは男の性か。
いよいよ娼館街も賑やかになってきたな。
「冒険者ギルドにでも行ってみるか」
この時間にもなると、娼館や酒場を除いた店はすべて閉まっている。
もちろん宝石店も同様だ。
こうなったら、ギルドにたむろしている冒険者を拝み倒して宝石を借りるくらいしか手がない。
他人頼みとは実に情けないが……。
表通りに出ると、一転して人の気配はなくなった。
野良犬が道の脇に眠っているくらいで、通りは静けさが漂うばかり。
……心なしか肌寒くもある。
「このまま宿に戻って一休みしたい……」
ネフラに相談すれば妙案が出るか?
でも、これ以上彼女に余計な手間をかけさせて負担を重くしたくない。
ただでさえ休暇の旅程がめちゃくちゃになって機嫌を損ねているのに、やっぱり俺一人でなんとかするしかないか――
「ん?」
――と思った矢先、正面からキラキラと光る車輪が近づいてくるのが見えた。
「なんだ……?」
目を凝らしてみると、その車輪は人の頭上に浮かんでいた。
それはまるで天使の輪のようで――
「!? まさか……っ」
――その下にくっきりと浮かび上がっている姿は、俺のよく知る人物だった。
「アイオラ先生!?」
「ジルコくん?」
間違いなく、その人はアイオラ先生だ。
光輪の灯りが照らす顔がよく見える――見間違えるはずがない。
「まさか、どうして先生がクォーツに!?」
「私も驚きました」
暗闇の中、まるで天使のように光に包まれた――ように見える――アイオラ先生が俺に近づいてくる。
彼女は俺の傍までくると、顎を上げて顔を覗き込んできた。
……近い。
「せ、先生はてっきりドラゴグへ行ったものと……」
「そうですね。その予定でしたが、事情があって少し先延ばしになりました」
「そう、ですか……」
「そうです」
俺の視線の先には、ちょうど先生の胸の谷間が見えている。
娼館街で余計なものを見てきた手前、色々と気持ちが高ぶってしまう。
「いや、まさか、こんなところで再会するなんて凄い偶然ですね」
言いながら、俺は先生から視線を逸らした。
しかし、彼女は俺の視線を追って再び視界に入り込んでくる。
「そうですね。ジルコくんはクォーツで何を?」
「えぇと、それは……なんというか……」
「あの子も一緒なのですよね?」
「え? えぇ、まぁ」
あの子とは、ネフラのことだろう。
ネフラと先生がパーズの宿で行ったロウ・カード勝負を思い出してしまう。
今思い返しても、あの勝負は凄かった。
「なぜあの子と別行動を? しかもこんな時間に、こんな場所で」
「それは……」
「この区画には娼館街への入り口がありましたね。もしや――」
「違いますっ!!」
思わず先生の言葉を遮ってしまった。
よりにもよって、この人に妙な誤解を抱かれるのは嫌だ。
「ジルコくん」
「は、はい?」
先生の表情はいつの間にか真剣なものに変わっていた。
そして、俺の手を取って言う。
「もし吐き出したいものがあるのなら、私が受け止めてあげますよ?」
上目遣いで見上げてくる先生の表情に、俺は思わず息を飲んだ。
視界に収まるうなじや胸元を目が泳いでしまい、彼女の瑞々しい唇には色っぽさまで感じてしまう。
かつて師弟時代に抱いていた恋慕の情が蘇ってくるかのようだ。
「ジルコくん」
「!? 先生……っ!?」
「そう。私はあなたの先生ですから、なんでも相談してくださいね」
先生が俺の手を握ったまま胸に寄せていく。
手の甲がワンピースの胸元に当たった瞬間、ぞわりとした。
……まずい。
このままだと理性が振り切れてしまう。
「ちょ、先生!」
「どんな相談でも乗りますよ? 人生相談でも、心の相談でも、体の――」
「先生!!」
「はい?」
「宝石を貸してください!!」
「……は?」
俺の理性は辛うじて平静を留めた。
◇
「――そういうことですか」
俺は先生と共に街中を流れる川を見下ろしていた。
街灯のない場所も、先生の頭上に浮かぶ光輪のおかげで足元に不安はない。
「はい。なので、二人の間を取り持つのにベリルの力が必要になると思って、彼女の信頼を得たいんです」
「ジルコくんは本当にお人好しですね」
「そうですか?」
「でも、きっとそれが魅力なのでしょう。人を惹きつける力ほど素晴らしいものはありません。あなたにはそれがある」
「そう……ですかね」
「だからこそ次期ギルドマスターに指名されたのでしょう」
「さぁ。そこらへんの理由は結局マスターから聞いていないんで」
「そうですよ。きっとそう――」
俺の隣で先生が嬉しそうに笑っている。
そして、光輪の裏側に指先を当てると、何かを取り外した。
「――だから私も力になります」
彼女が俺に差し出したのは、透明度が素晴らしいダイヤモンドだった。
しかも二つも。
「いいんですか!?」
「ええ。教え子が困っているのなら、師が手を貸してしかるべきでしょう?」
「あ、ありがとうございます!!」
思わず宝石を持つ先生の手を握り締めてしまった。
ハッとしてすぐに手を離すも、先生は優しいほほ笑みのまま俺を見つめている。
「どうぞ受け取ってください。あなたの力になれば幸いです」
「感謝します。先生」
受け取った宝石は素晴らしい輝きを放っている。
宝飾銃の弾としても十分使えるほどの質だ。
正直、これらをベリルに渡してしまうのは勿体ないくらい。
「あ。でも、いいんですか先生。その光輪……」
「大丈夫。予備の宝石もありますから」
先生は頭上に浮かぶ光輪を撫でながら言った。
この光輪は、彼女が魔法を使う際にサポートを行う支援型魔法武装だ。
天使の輪に似せた車輪には等間隔に十三個のダイヤモンドがはめ込まれていて、魔法陣を描いた際に宝石群が連動してその威力を倍増させる。
昔、何度か先生の戦闘を見学したことがあったけど、たった一発の熱殺火槍が光輪の支援で十体以上の魔物を焼き尽くす威力を発揮するのを見た。
支援型魔法武装自体、取り扱いが難しい武装なので滅多に使っている魔導士を見ないが、先生は当時から完璧に使いこなしていた。
「ジルコくんはいつまでこの町に?」
「……どうだろう。ちょっとわからないです」
「そう」
「先生こそいつまでの滞在です?」
「私はちょっとしたお仕事の途中ですから、町に長居をするつもりはありません」
「依頼ですか」
「ええ。なかなか面倒なお仕事で、町から町を行ったり来たり……」
「大変ですね」
「でも、あなたにまた会えて嬉しかったです」
「それは……俺も、です」
不意に、俺の手の甲が先生のそれに触れた。
一瞬緊張したけど、だからと言って何かあるわけでもない。
「私はそろそろ行きます。明日は早いですから」
「そうですか。先生は……その、どちらに?」
もしかして、先生も〈火竜の癒し亭〉だったりして……?
「クォーツの端にある冒険者向けの安宿ですよ。魔導士は武装にお金がかかるから、少しでも節約しないと」
先生は窪みの開いた光輪を指さして笑っている。
指先の二つの窪みは、俺が受け取ったダイヤモンドが収まっていた場所だ。
「本当にすみません。俺なんかのために……」
「それは言いっこなしです。元とは言え、師弟だった仲なのですから」
「先生……」
「それではジルコくん、お元気で。またどこかで会いましょう」
先生は笑顔を絶やさないまま、光輪と共にクォーツの暗闇へと消えていった。
元弟子が困っているからって、大事な宝石をホイと差し出してしまう度が過ぎた優しさ――先生はあの頃と変わっていない。
その慈悲深い心はまさしく天使だ。




