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6-034. 後悔のない選択を

 俺とリドットは、アガパンサスに連れられて談話室へと向かった。

 談話室は狭い部屋ながら壁際に本棚が置かれており、古びた本ばかりが並んでいた。

 背表紙を見る限り童話の類が置かれているようだが、娼館に童話の本とはなんともミスマッチな気がしてならない。

 他にも手作りっぽい小冊子が何冊か置かれていたので、何とはなしに手に取って開いてみると――


「……っ!!」


 ――紙面を見て思わず目を丸くしてしまった。

 性行為――特に体位――について、絵と文章で説明されている内容だったのだ。

 しかも、男女の行為を表現した絵が思いのほか上手い――というかエロい。


「ちょっとジルコ! それは殿方が見るような本じゃないわよ!」

「あっ。すみません……」


 アガパンサスに怒られて、俺はいそいそと冊子を棚に戻した。

 思いがけない内容だったのでちょっと興味をそそられてしまったが、今はこんなものを見ている場合じゃなかった。


 リドットとアガパンサスは、すでに机の前に並んだ椅子へと腰かけていた。

 俺が慌てて空いている椅子に腰を下ろすと、アガパンサスが俺にほほ笑んでいることに気付いた。


「何です?」

「あの本の挿絵、なかなか上手だったでしょ?」

「え……。まぁ、そうですね」

「あれ、私が描いたのよ」

「えぇっ!?」

「これでも若い頃の夢は画家になることだったの。色々あって、こんなことになっちゃってるけど」

「夢、ですか」

「娼婦が夢を持っていたらおかしい?」

「そんなことは……」

「娼館街はね、夢や帰る場所を失った女達が漂着する最後の砦なの。ここよりさらに(・・・)下へ(・・)と落ちてしまわないよう、みんな必死で踏み留まってるのよ」

「娼館街が最後の砦? ここより悪い場所なんてあるんですか」

「奈落の底よ。一度落ちたらどうやっても這い上がってこれない場所。あの世と言い換えてもいいわね」

「……っ」


 彼女達にとっての最悪は、死か……。

 確かにいくら頑張って生きようとしたところで、死ねば終わり。

 娼館街で働く者達にはその恐怖が常に付きまとっているのかもしれない。


「さて、私はもう黙るわ。本題をどうぞ」


 彼女は手振り(ジェスチャー)で俺とリドットに会話を促す。

 これはこれで少々気まずい。


「リドット。俺は何も、今すぐジェリカに会えとか言いに来たわけじゃない」

「……話を聞こう」

「ジェリカは今、ネフラが捜している。見つけ次第、当面の間は俺と同じ宿に泊まらせておくよ。彼女にも休息が必要そうだし」

「そうか」

「ただ、そう長くはクォーツに留まっていられない。ジェリカは新大陸の調査団に加わろうとしていることは話しただろう?」

「ああ」

「彼女がクォーツに留まっている間に、お前にはけじめをつけてほしい。この意味わかるよな?」

「……ああ」


 リドットの顔色が曇ってきた。 


「俺が言うのもなんだけど、この機会を逃したらきっと後悔すると思う。だから……どんな形であれ、けじめだけはつけてほしい」

「……」

「俺の話はそれだけだ」


 リドットは頭を垂れたまま、俺への返事はない。

 だけど、それでも構わない。

 俺の伝えるべきことは伝えたのだから、あとはリドットの選択だ。


「これで俺の用は済んだ。帰らせてもらうよ」


 俺が椅子から立ち上がっても、リドットは下を向いたまま。

 悩んでいるんだろうけど、後悔のない選択を頼むぜ……?


「ジルコ――」


 俺が談話室のドアノブに手を掛けた時、リドットから声が掛かった。

 振り返ってみると、リドットは彼らしくもなく戸惑いの表れた表情で俺を見据えていた。


「――ひとつ聞かせてくれないか」

「なんだ?」

「どうしてそこまで僕達のことを?」


 リドットの問いに、俺は胸が激しくざわつく。

 今から俺は、本心でありながら目的と矛盾した言葉を返さねばならないから――


「同じギルドの仲間じゃないか!」


 ――こんな言葉をうそぶく自分自身に反吐が出そうだ。


「……ありがとう。ジルコ」


 暗かったリドットの顔がわずかに緩んだ。

 それを見て、ますます自己嫌悪に駆られる。


 俺はいたたまれなくなって談話室を飛び出した。


「くそっ。俺はなんだ? クソ野郎じゃないかっ」


 廊下を歩きながら、自分自身に毒づく。

 道すがら、娼婦達が俺に怯えて身を避ける様子が目に付く。

 今の俺はよほど怖い顔をしているんだろうな。


 その時――


「このクソ野郎っ!!」


 ――罵声と共に、横っ面を殴りつけられた。


「キャーーッ!!」

「うるせぇぞ女ァッ!!」


 悲鳴を上げる娼婦。

 それを即座に怒鳴りつける男の声。

 ……この声、まさか。


「あのおばさんと一緒に俺をハメやがったなジルコォッ!!」

「ムシリカ……!」


 こいつ、睡眠薬を盛られていたはずなのにもう目が覚めたのか。

 それどころか縄まで解いているじゃないか。


「俺の弓と矢をどこにやった!?」


 まるで噛みついてきそうな形相で胸倉を掴み上げられた。

 凄まじい腕力だ。

 セリアンは総じてヒトよりも身体能力が高いと聞くが、オオカミ族の腕力も相当なものだな。

 ちなみに、弓と矢は厨房に向かう途中で娼婦に預けたきり、俺はその行方を知らない。


「さぁな。アガパンサスに聞けっ」

「てめぇぇぇぇ~~~っ!!」


 ますます力を込めて締め付けてきやがる。

 そろそろ反撃しないと、さすがに意識が飛びそうだ。


「!?」


 しかし、唐突にムシリカが俺を突き飛ばした。

 俺は壁に背中を打ち付けたが、一方で奴は怯えた顔のまま俺の隣(・・・)を見入っている。

 一体何を見ているんだ?

 (そこ)には窓くらいしかないのに――


「キュゥゥ」


 ――否。窓の向こうにフォインセティアが留まっていた。

 その鋭い眼光は、俺ではなく、ムシリカへと向けられている。


「ひぃっ! ま、待ってくれよ、俺は何も悪いことしてないぞっ!?」

「キュゥ」

「わかった! わかったから、もう引っ掻かないでくれよぉっ」


 奴は急に弱腰になり、その場にひざまずいてしまった。

 娼館前でのことといい、フォインセティアに相当の恐怖を抱いているみたいだ。


「またお前に助けられるなんてな」


 俺がフォインセティアに向き直った時、彼女はコンコンとクチバシで窓ガラスをつつき始めた。

 中に入りたいのか?


 窓を開けてやると、翼をはためかせて廊下に飛び込んできた。

 暴れるようなことはなく、天井の下を旋回した後に俺の腕へと留まる。

 防刃コートだから怪我はないけど、爪を立てられていると思うと気が気じゃないな……。

 というか、なんでこいつ俺の腕に留まったんだ?


「お前、なんでそんなにフォインセティアと親しげなんだよ!?」

「え? そう見えるか?」

「姉貴以外にフォインセティアが留まるの見たことねぇよ! 俺にすら見向きもしねぇのに!!」

「そうなのか……」

「なんで!?」

「それは俺が聞きたい」


 チラリとフォインセティアの顔を覗くと、彼女がギョロリと俺を睨みつけてきたので、びっくりして目を逸らしてしまった。

 この表情がムシリカには親しげに映るのか?


「と、とにかく娼館で騒ぎはご法度だ。続きをやるなら外へ出てからにしよう」

「……続きなんてしねぇよ。できるわけねぇ……」


 ムシリカはすっかり意気消沈している。

 フォインセティアのおかげで、ムシリカが大人しくなってくれて助かった。

 ……間近に感じる目力は怖いけどな。





 ◇





 幸い、ムシリカとの揉め事はアガパンサスに知られることはなかった。

 俺達は外に出た後、互いに気まずい顔で向かい合った。


「キュゥ」

「べ、別に突っかかろうってわけじゃねぇってば!」


 フォインセティアに睨まれたムシリカは相変わらずビクビクしている。

 昔、よっぽどの目に遭わされたんだろうな。


「チィ。結局リドットは見つからず終いかよ!」

「……」

「なんだよ? 何見てんだコラッ」

「いや、何でも」


 そう言えば、ムシリカが来ていることをリドットに伝え忘れた。

 代わりにアガパンサスが伝えてくれるかな?

 とりあえずこいつにはクォーツを出て行ってもらうように促したいところだが、どう言えば納得するだろうか。


「クソがっ」


 ムシリカが不貞腐れた様子で通りを歩き始めた。


「帰るのか?」

「帰らねぇよ! 宿に戻るだけだ!!」

「弓と矢はいいのか?」

「ああっ! そうだ、まだ取り戻してねぇっ!!」

「大事な武装を忘れていたのかよ……」


 ムシリカが(きびす)を返して戻ってくる。

 しかし、フォインセティアに睨まれるやピタリと動きを止めてしまう。

 ……ちょっと面白い。


「くっ!」

「ただ見られているだけだよ。なんでそんなにビビるんだ?」

「う、うるせっ」


 悪態をついて強がるのもいいが、足が震えているぞ。


「おいジルコ! お前のせいで手放すハメになったんだから、お前が探して俺に届けろよな!?」

「弓と矢のことか」

「そうに決まってんだろうが! わかったなっ」

「届けるったって、お前どこに泊まっているんだよ」

「〈火竜の癒し亭〉だ! クォーツで有名な宿だから知ってるだろ!?」

「……知ってる」


 マジかよ。

 こいつも俺達と同じ宿に泊まっているだと……。


「あの大弓と矢筒は親父から受け継いだ大事なものなんだ。もし見つからなかったら、お前のことを許さねぇ――」

「キュウゥゥッ!!」

「――ひいっ!!」


 凄んで早々、情けない声を上げるなよな。

 フォインセティアもこれ以上脅さなくていいぞ。


「俺はもう帰る。そんな大事な弓と矢なら、お前が自分で探せよ」


 玄関前からどこうとした時、娼館の扉が開いた。

 中から出てきたのは橙色(オレンジ)の髪の女の子――ベリルだった。


「あっ」


 彼女は俺と目が合った瞬間、露骨に嫌そうな顔を見せた。

 しかし、すぐ隣にあるフォインセティアを見るや、(ひるがえ)って笑顔になる。


「可愛い~」


 ベリルは怖がる様子もなくフォインセティアを撫で始めた。

 羽、腹、顔――彼女が平然と体を撫でさせてやっているのが少し意外だ。

 ベリルを見下ろしている目も心なしか優しく感じる。


「この子、お兄さんの子?」

「いや、知り合いの子を借りているだけだよ」

「そうなんだ。えぇと――」

「俺はジルコ」

「そう。ジルコって言うんだ。さっきは怖い人って言ってごめんなさい」

「それは別に……」


 衣装屋で俺と会った時のことを覚えていたのか。


「おいジルコ。何だこのガキ?」

「ガキだなんて酷い! あたし、もう11歳ですから」

「11なんてガキだろうが! 俺より三つも下じゃねぇか!!」


 えっ!

 ベリルが11歳だとして、三つ上ってことは……14歳?

 ムシリカって14歳だったの!?


「……二人とも、冒険者だよね。ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」

「あぁ? 金は払えるんだろうな?」

「そんなの無いよ」

「あぁっ!? 無一文のガキ手伝って何の得があるってんだぁ!?」

娼館(ここ)のお姉様達に口利きしてあげるよ。エッチの時ちょっとお安くなるの」

「ふざけんな! 俺は初めては好きな女とって決めてんだ!!」

「……あっそ。人前でそういうこと言う人、引くんだけど」


 ベリルが呆れた眼差しを向けるのもわかる。

 俺も今、猛烈に呆れている。


「お前はもう帰れ。弓矢は俺が探して届けてやるから!」

「……チィ。絶対だぞ」


 ムシリカは通りを行くさなか、何度かこちらを振り返る素振りを見せながら雑踏の中へと消えていった。

 まったく体ばかりでっかく育ちやがって……。


「あの狼の人、天然過ぎてウケるね」

「ああいうのは馬鹿って言うんだ」

「ふぅん。……でも、なんだかほわほわ(・・・・)する人だったな」


 ほわほわ?

 なんだ、ほわほわって……?


「ジルコお兄さんはまた一段とドロドロしてるね」

「悪かったな」

「嫌なこと続けてると、本当に嫌な奴になっちゃうよ?」

「え」


 なんだこの子。

 まるで俺のしていることを見透かしたような……。

 そう言えば、リドットがこの子は人の心を見通す力があるって言っていたっけ。

 本当にそんな力を持っているのか?


「で、あたしのお願い聞いてくれるの?」

「……何をすればいいんだ?」

「宝石を二つほど手に入れてほしいの。それもエーテル密度の濃いやつ!」

「宝石なんてどうするんだよ」

「こんな単純な依頼で、依頼者の事情を事細かく説明しなきゃならないの?」

「それはそうだけど‥…」


 娼婦とはいえ、こんな子供が宝石を何に使うんだ?

 しかも、エーテル密度が濃い宝石なんて注文まで付けて。

 そもそも冒険者や宝石職人でもなければ、エーテル密度の濃い薄いなんて言葉を使うことは普通ないだろうに……。


「ジルコお兄ちゃんて、お人好しだよね?」

「え? それは……どうかな」

「もしここでお兄ちゃんが依頼を断ったら、あたし体売ってでも宝石を手に入れるつもりだよ」

「はぁ?」

「あたし、不器用だからまだ仕事はさせてもらえてないの。だから処女」

「……」

「お兄ちゃんが断ったら、あたしの大事な(みさお)が失われちゃう! これは大変だぞっ」


 こ、このガキ……!

 自分が何を言っているかわかっているのか!?


「お人好しなら、こういう時はやれやれって感じで助けてくれるもんでしょ?」

「う……ぐ……」

「あ~もう、即断できない人は信用できないっ。体売ってこよっと!」


 ベリルはするりと俺の横を抜けていくと、夜の町へと歩き出した。

 本気かどうかわからないが、この状況で彼女を放っておくのは良識ある大人として許されることじゃないな。


「わかったよ! 依頼を受ける!」


 俺が言うと、ベリルは足を止めてゆらりと振り返った。

 その顔は――


言質(げんち)取ったり! 裏切りは許さないよ?」


 ――悪い顔をしていやがる。

 しかも、どこかの誰かとそっくりな言葉まで。


 さすが娼館街の女と言うべきか、まったくしたたかな女の子だ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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