6-033. 娼館の事情
「さて、ジルコ。あんたはムシリカみたいに馬鹿はしないと思うけど、これからどうするつもりなのかしら」
「どうするつもり、とは?」
「このまま大人しく娼館街から出て行ってくれると助かるわ。そして、リドット様のことは当分放っておいてちょうだい」
アガパンサスの目がジトリと俺を見据えてくる。
せっかくリドットが居そうな娼館に入ることができたんだ。
このまま何もせずに出ていく手はない。
なんとか彼女の信頼を得られないものか……?
「俺はリドットに会いたいだけです。余計なことはしませんよ」
「何が目的なの?」
「リドットとジェリカの間を取り持ちたいんです」
「さっき言ったわよね。部外者が首を突っ込むなって」
「部外者じゃない。俺もリドットも〈ジンカイト〉の冒険者――ある意味で親兄弟よりも深い絆で結ばれているんです」
……我ながらよくこんなことが言えたものだ。
ギルド存続のために仲間を切ろうとしている奴の言葉じゃないな。
「大層なお言葉だこと。なんだかあんたを見ていると、後ろめたい事実を隠して大層な理想を掲げるお偉いさんと重なるよ」
図星を突かれて思わず顔に出そうになった。
この人、娼館の経営者だけあって、よく人を見ている。
「……はぁ。わかったよ、そこまで言うなら会わせてやってもいい」
「本当ですか!?」
「ただし――」
アガパンサスの目が鋭くなった。
「――あの人の存在は、今の娼館街にとって生命線だ。彼がいるからこの町の娼婦達はなんとかやっていけてるってことを覚えておいてほしいね」
「どういうことです?」
「復興の時代になってもうすぐ一年。お偉いさんの理想に共鳴した連中が、いよいよ娼館街を排除しようって動きを見せてきてね」
「……」
「闇の時代の人間の心は酷く荒んだものだったけど、だからこそ娼婦の商売は潤ってたんだ。戦いに明け暮れる冒険者は心の安らぎを求めていたし、生活に行き詰った女達はごまんといたからね」
「娼館はそういう人達の需要に応えていたと?」
「その結果が今のクォーツに表れてるじゃないか。かつては温泉だけが売りだったこの町も、裏通りに娼館が立ち並んで欲望を受け止める器が整うと、急激に発展していった。ほんの二十年前までは片田舎の農村に過ぎなかったのに、今ではここまで大きな町になったんだ。にもかかわらず、だよ?」
「……そういうことか」
魔物が跋扈する闇の時代、エル・ロワでも他の国でも、生き残るために表立って口にできないことが散々行われてきた。
そのうちの代表的なものが売春の黙認だ。
事件や事故が多発する中でも、娼館や売春宿が国に摘発されなかったのは、裏方として彼女達の役割が重要だったから。
世界の半分は男なわけだから、あの荒んだ時代にあれば栄えるわけだ。
そして魔物の脅威がなくなった今、為政者側から国の暗部を隠そうとする動きが起こるのも必然か……。
「町長のモリオンは、昔から真っ当な温泉経営を推進してきた男でね。復興の時代をいいことに、クォーツをクリーン化しようって腹積もりなのさ」
「あなた達からすれば、たまったものじゃないな」
「まったくだよ。それが実現した日にゃ、この町に娼婦の居場所はないよ。ベッドの上でしか戦い方を知らない女が外に放り出されたら、どんな悲惨な末路をたどるか想像に難くないだろ?」
「正直、復興の時代にそんな悲惨な光景は見たくないです」
「この街は私達にとって掛け替えのない場所なんだ。絶対に潰させやしない!」
リドットが娼婦達に慕われる本当の理由がわかった。
トロルの襲撃から助けてくれた恩人なんてのは建前で、リドットが娼館街にいるという事実こそが彼女達にとっての生命線になるからだ。
娼館街――ひいてはクォーツを救ったリドットの存在は、モリオン町長のような反娼館街の派閥にとっても無視できない。
そのリドットが彼女達の傍にいる以上、強硬策は取れないってわけだ。
リドットを捜して娼館街に留まり続ければ、否が応でもこの問題に巻き込まれることになるだろうな。
俺はもともとクォーツに休暇で来るはずだったのに、なんでこんな面倒なことに関わろうとしているんだか……。
「察したって顔してるけど、あんたはどっち側に着くの?」
「俺は――」
ここでアガパンサスの望む答えを出せば、リドットに会わせてくれるだろう。
それはクォーツの内輪揉めに加わるのも同義。
そして、俺の目的はリドットとジェリカの関係改善だ。
ならばもう覚悟するしかない。
「――あなた達に不利益になるような真似はしません。それだけは約束します」
「どっちつかずにはいられないよ。まだリドット様に絡むつもりなら、是が非でもこっち側についてもらう」
「いいでしょう」
「言質取ったよ。裏切りは許さないからね」
「わかっています。もう女性に恨まれるのはたくさんですから」
「……あんた、顔に似合わず何人も女を泣かしてきたわけ?」
「どちらかと言えば、泣かされているのは俺かな……」
「はぁ?」
娼館街側につくと言った以上、絶対に下手打てないな。
事を荒立てることなくリドットとジェリカの仲を取り持って、宝石回収を済ませ次第さっさとクォーツから出ていきたい。
あ。それだとせっかくの温泉宿が無駄になっちまう。
……くそぅ。
改めて何をやっているんだ俺は、と思わざるを得ないな。
◇
客間を出た俺は、娼館の薄暗い廊下をアガパンサスについて歩いていた。
しかも、眠ったままのムシリカを背負って。
「まずはその子を空き部屋に放り込んでおくかね」
「その子って……ムシリカのこと?」
「そうだよ」
「子供扱いしたことが知られたら、こいつ怒りますよ」
「だって子供だろう」
「え?」
「そいつ、15かそこらだろうからね」
「えぇっ!?」
15……!?
ムシリカが15歳!?
俺より身長が高くてガッシリとした体型なのに!?
「おや。気付かなかったのかい。オオカミ族の男子は、十代も半ばになるともう大人と区別つかない体格になるから」
「よくご存じで……」
「ウチはセリアンのお客さんも来るからね」
意外な豆知識を得た後、廊下の角にある空き部屋へとたどり着いた。
そこは空き部屋というよりも物置小屋のようで、アガパンサスが扉を開くと埃がぶわっと飛び出してきた。
「けほっけほっ! ……やれやれ。ここもそろそろ掃除させないと」
アガパンサスの合図を受けて、俺は埃だらけの物置小屋にムシリカを寝かせた。
そして口には猿轡、両手は後ろ手に縛り、足にも縄を巻きつけた。
芋虫のようで申し訳ないが、暴れられると面倒なのでこうするより他ない。
「見張りは?」
「いらないよ。あの睡眠薬は大の男でも丸一日は目が覚めないはずだからね」
俺は奴から大弓と矢筒を取り上げて、扉を閉めた。
こんなところに閉じ込めて、ムシリカが目を覚ました後で揉めるのは確実だな。
その後、俺はアガパンサスにいよいよリドットのもとへと案内された。
途中、武装した強面の男達――用心棒っぽい――が見張る通路を通り、隣の建物に通じる渡り廊下を渡った。
隣の棟に入ってからは、下着姿の女性達とすれ違うようになった。
どうやらこの棟は娼婦達の住居となっているらしい。
俺に肌を見られても笑顔で手を振ってくる者もいれば、壁に引っ付いたり屈んだりして肌を隠そうとする者もいる。
後者は若い子が多いな。
見られて恥ずかしがるくらいなら、下着姿で歩くなよ!
……と言いたいところだが、本来は部外者が現れるはずのない場所なのだから驚くのも当然か。
「気に入った子がいたら指名していいよ」
「やめておきます……」
女性達の刺すような視線を受け続けて数分。
今度は十歳ちょっとくらいの女の子の姿を見かけるようになった。
彼女達は下着姿ではないものの、みすぼらしいワンピースを着ている。
首にはチョーカーを巻いているので、この子達も娼婦のようだ。
「こんな子供がどうして娼館に?」
「みんな闇の時代の混乱で親を亡くした孤児さ。特別な才能もなければ、男のように力仕事もできない。そんな子達が生きていくには、この世は選択肢が限られ過ぎてる」
「……同意します」
「娼館をやってる私から言わせれば、人材に困らなくて嬉しい限りだけどね」
「そういうこと、この子達の前で言います?」
廊下の突き当たりにあるドアの前で、アガパンサスは足を止めた。
ドアの向こうからは何やら大勢が話すような声が聞こえてくる。
「この先にリドット様はいる」
「ここが彼の寝床ですか?」
「違う。けど、入ればきっと驚くよ。とんでもないことになってるからね」
「え……」
とんでもないことになってるって……どういう意味だ?
まさかリドットが女に溺れて――いやいや。そんなことあるわけがない。
あの聖人に限って、女遊びとかまったく相容れない事柄だし。
「リドット様には頭が下がるよ。毎日毎日、よくぞまぁやるよねって感じさ」
「やるよねって……な、何を?」
「そりゃもうあれしかないだろ?」
「あれじゃわかりませんよっ」
「男と女が部屋に閉じこもっていたら、決まってるじゃないか」
「う、嘘だ! リドットに限ってそんな……!!」
「この先の光景を見たら、きっとリドット様の奥さんも感激するんじゃないかしら」
「そんな馬鹿な……!」
アガパンサスは俺の反応を面白がっているのか、薄ら笑いを浮かべながらドアノブに手を掛けた。
ガチャリとドアノブが回り、ドアが開かれていく。
中から漏れていた声は、ドアの隙間からより明瞭に聞こえ始めた。
「あぁん! また失敗しちゃったぁ」
「ちょっと強すぎたね。次はもう少しゆっくり、優しくやってごらん」
「ねぇねぇ、あたしのも見てぇ!」
「うん。綺麗だね。ここをこうすると、もっと形がよくなる」
「あっ。あぁぁっ! わ、私もうダメェッ」
「大丈夫。ちゃんと膨らんできたよ。熱いだろうけど、もう少しだけ我慢するんだ」
……リドットの声だ。
しかも、彼の周りには何人もの女の子がいるらしい。
それにしても今聞こえてきた卑猥な発言の数々は……まさか!?
開かれたドアの先で俺が見たもの。
それは――
「なん……だと……っ」
――薪に火のついた石窯と粘土だらけのテーブルとを行ったり来たりしているリドットに、その周りで騒いでいる女の子達の姿だった。
しかも、みんなエプロンを着ている。
「ここは厨房……なのか?」
卑猥に聞こえた声も、目の前に広がる光景を目にするとまったく別の意味に捉えることができた――
粘土だと思ったのはパン生地で、女の子が額に汗しながら懸命にこねている。
別の子が手のひらに乗せたパン生地をリドットに見せて、彼がその形を指先でつまんで修正している。
石窯の前では恐る恐る焼き皿を取り出す子がいて、そこに乗っているパンはすべて焼け焦げている。
――さながら講師が子供達にパン作りを指導する教室のよう。
「ね。驚いたろ?」
「驚きました……」
まさかリドットがパンの作り方を教えているなんて。
というか、エプロン姿で子供達に囲まれる彼の姿があまりにも様になっていて、この場所が娼館の中であることを忘れてしまいそうになった。
「おや? アガパンサスさん。それに……ジルコ!?」
リドットが部屋を覗く俺達に気付いた。
彼がこちらに向き直るのと同時に、周りの女の子達も一斉に顔を向けてくる。
楽しそうだった彼女達の表情は一変し、途端に強張っていった。
「邪魔するよ。この人がリドット様と話したいっていうからさ」
「……そうですか」
「少し時間もらっていいかしら? リドット様」
「わかりました」
リドットは手慣れた手つきでエプロンを外すと、傍にいた女の子にそれを渡した。
彼がこちらに足を踏み出した瞬間、周りの子達が追いすがり始める。
「待ってよ、お父さん! まだ夕飯の支度は途中なんですよ!」
「次はあたしが石窯を使う番なのに、お父さんが行っちゃったら誰が教えてくれるの!?」
「お父さん、出ていく前にせめてレシピのチェックお願いっ」
……なんだこれは。
この場の女の子全員がリドットのことをお父さんと呼んでいるのか?
てっきりベリルだけが特別慕ってそう呼んでいるものと思っていたのに……。
困惑している俺にアガパンサスが話しかけてくる。
「リドット様はね、私達にとって本当に救世主なんだ。彼の存在があるから、不安ばかりの今を笑って生きていける」
「……」
「そこに何の事情も知らずに踏み込んでくるムシリカみたいな奴もいる。あんたはどうかしら、ジルコ・ブレドウィナー」
「……」
「私達にはリドット様が必要なの。どんな事情があれ、彼をこの町から連れ出すことだけは――どうかやめてほしい」
複雑すぎる娼館の事情に、俺は閉口するばかり。
職種も性別も年齢も関係ない。
リドットは相手が何者であれ、本気で救いの手を差し伸べられる真の聖人だった。




