6-019. 怖い女
ホテルを出た俺達は、馬車を取りに駅逓館へと向かっていた。
その道すがら、ジェリカがご機嫌そうに尻尾を振っている。
「いやぁ、いい湯だった! さすがは五つ星ホテル、満喫させてもらったぞ」
彼女はずいぶんとホテルを楽しんだようだ。
こっちは昨晩、尻に汗まで掻くほど大変な出来事があったっていうのに……。
「ネフラもホテルの浴場は使ったのだろう? どうだった!?」
「とても気持ちよかった。毎日でも入りたいくらい」
「うむ。わらわもそう思う。次があれば、今度は三人で湯に浸かるか?」
「……」
「冗談だ! そう睨むなネフラ。二人の邪魔はせんよ」
ジェリカはネフラの頭を撫でた後、今度は俺の傍に寄ってきた。
腕に留まっているフォインセティアは相変わらず俺を睨みつけていて、ジェリカが隣に来た瞬間に襲い掛かってこないか不安になる。
「して、ジルコよ。しっかり男を見せたのであろうな?」
「は?」
「まさか……また何もなかったなどとは言わんだろうな?」
ジェリカの目が急に鋭くなった。
もしかしてこの人、またそういう展開を期待していたのか?
「昨晩はその……疲れていて……」
「それでも男かっ!!」
ジェリカに胸倉を掴み上げられた。
加えて、フォインセティアのクチバシが俺の頭をつつく。
頭皮がへっこんだんじゃないかと思うくらいの衝撃が俺を襲って、あわや意識が飛びそうになった。
「この甲斐性なしが! 貴様、ネフラの気持ちをわかって嬲っているのか!?」
「ち、違うっ! そんなわけあるかよっ」
「これで二度目! わらわが気を利かせてやっているのに、何が気に食わんのだ!?」
「ちょっと待てって! 落ち着こう!」
急にジェリカが騒ぎ始めたため、道行く人達が足を止めて俺達に注目している。
「ジェリカ待って、落ち着いてっ」
慌てたネフラが俺からジェリカを引き剥がしてくれた。
しかし、その顔は真っ赤だ。
「ネフラ! おおネフラ、可哀そうに……。優柔不断な男ほど女を傷つけている自覚がないのは許せんよなぁ」
「いや、別に、私は……っ」
「言うなネフラ! お前の気持ちはわかっている」
「わ、私の気持ちって!?」
ジェリカがネフラを抱きしめ、頭を撫で始めた。
世話焼きもここまでくると厄介極まる。
彼女には悪気がない分、余計に始末が悪い。
「こんなうら若き乙女をないがしろにするとは。よもやジルコ……貴様、他に女がいるのではあるまいな!?」
「はぁっ!? いきなり何言うんだよジェリカ!!」
「女を裏切るような外道は万死に値する。もしもネフラを裏切るようなことがあれば――」
ジェリカが厚い革布を巻いた腕を上げると同時に、腕に留まっていたフォインセティアが空高く飛翔した。
奴は空に弧を描いて俺へと舞い降りてくる。
しかも、足の爪を立てて。
「うわあぁっ!」
とっさに身を躱したものの、フォインセティアは空中で軌道を変えて、俺が体を躱した先へと突っ込んできた。
俺は両肩を押さえつけられて地面に押し倒された。
「キュウゥゥッッ!!」
フォインセティアの口が開き、俺を威嚇してくる。
鼻先でそんなことをされるものだから、鼻を食いちぎられるかと思った。
「それくらいでいい。戻れ、フォインセティア」
ジェリカが命じるや、フォインセティアは俺の胸を踏み台にして空へと舞い上がった。
あの鳥、下手すればアバラが折れるほどの勢いで飛び立ちやがった……っ。
「これに懲りたら、次こそはネフラに恥をかかせる真似をするでないぞ?」
「な、なんだよそれぇ……っ」
「するでないぞ!?」
「……はい」
ジェリカは腕に戻ってきたフォインセティアをにこやかに迎えると、何事もなかったかのように通りを歩き始めた。
周りでは、事情を理解していない通行人が彼女に拍手を送っている。
大道芸じゃないんだぞ……。
「だ、大丈夫ジルコくん?」
「なんとか……」
ネフラの手を借りて身を起こした俺は、自分の間違いに気付いた。
……ジェリカ・ゴールデンアップル。
ゴブリン仮面の報告書にも素行に懸念なしと書かれていたが、闇の時代にまで遡れば懸念がないわけはなかった。
女性を族長とする遊牧民出身の特異性と言うべきか、彼女には女性を抑圧しようとする男を許さないという信念がある。
西方の国々では男性有利の社会が多いため、向こうで依頼をこなしていた時にはトラブルを招くことがあったことを思い出した。
そして、その信念は例え身内であっても牙を剥く。
……にしたって、勝手に世話を焼いておいて、なんで俺が脅されなくちゃならないんだ!?
「やっぱり〈ジンカイト〉には怖い女しかいない……」
「それって私も含めて?」
「ネフラは別だ」
「ふふっ」
ネフラの笑顔。
はぁ。癒される……。
「行くぞ二人とも!」
ジェリカに向き直ると、彼女は離れたところから俺達を見ながら満足そうな笑みを浮かべている。
それに気付いたネフラは、とっさに俺を突き飛ばして身を離した。
おかげで俺は地面に背中を打ちつけてしまった。
恥ずかしがって離れるにしても、思いきり突き飛ばさないでくれ……。
◇
駅逓館の厩舎から馬車とリアトリスを引き取った後、俺達はすぐにパーズを発った。
外郭門を出てすぐの街道には、王国兵達が待機していた。
彼らの傍には、手枷をつけられたトロルが一人胡坐をかいている。
「お待ちしておりました。ジルコ殿」
「それが案内役のトロルかい?」
「はい。今回捕らえた三匹のトロルのうち、この者がリーダーのようです。暴れる様子はありませんが、念のため手枷はつけたままにしてあります」
「ご苦労様」
トロルは俺達に気付くと、急にビクついて身を伏せてしまった。
まるで何かに祈りでも捧げるように、頭の後ろで手を合わせてガタガタと震えている。
「……ど、どうしたのでしょうか」
「ずいぶん怯えているな。まさか拷問でもしたんじゃ」
「誤解です! 我々は大陸法に則り、適切な尋問しかしておりません!」
「だったらなんでこんなに怯えて……」
俺はチラリとジェリカを見た。
否。彼女の腕に留まっているフォインセティアを見た。
……目が合ったので、俺はさっと視線を逸らす。
トロルが怯えているのは、間違いなくこの鳥に違いない。
「こほんっ。とりあえずきみ達の仕事は終わりだ。トロルは俺達で引き取る」
「は、はい。よろしくお願いします」
「あとの二人もちゃんと無事なんだよな?」
「もちろんです。監獄には入れられないので、獣使い部隊の飼育檻に押し込めてありますが……」
「わかった。もう戻っていい」
王国兵は敬礼するや、馬車へと戻っていく。
その折、ジェリカが彼に話しかけた。
「もし。少しよろしいか?」
「えっ。は、はいっ!」
ジェリカに声を掛けられて、彼はあからさまに緊張している。
彼女はセリアンだが、ヒトの視点から見てもえらく美人だからな。
王国兵が思わず見惚れるのもわかる。
「ひとつだけ言っておきたいことがある」
「はいっ!!」
「トロルも人間だ。匹ではなく、人で数えよ」
「……は、はぃぃぃっ」
王国兵は顔が真っ青になり、その場でガタガタと震え始めた。
ジェリカの顔は俺の位置からは見えないが、どんな顔で話しかけたのかはおおよそ想像がつく。
……やっぱりこの女も怖い。
逃げるように走っていく馬車を見送り、俺達はさっそくトロルとコミュニケーションを図ることにした。
しかし、奴はいまだにひれ伏したまま身を震えさせている。
「さて。おぬしには、さっそくグロリア火山の集落まで道案内をしてもらおうか」
「ユ、許シテ……ッ」
「おぬし、大陸共通言語が使えるのか」
「少シダケ……。オレ、抵抗シナイ、殺サナイデッ」
「何を怯える必要がある? わらわとおぬしはもう仲間。傷つけあう理由などあるまい」
「仲間……?」
「そう。仲間だ。友と言い換えてもいい」
「友……」
ジェリカの顔を見るトロルは、次第に体の震えがなくなっていく。
「わらわ達は何もおぬしの同胞を成敗しに行くわけではない。今回の件を穏便に収めたいだけだ。そのためにはおぬしの力が欠かせぬ。わかるな?」
「……ワカッタ。オレ、協力スル」
「うん。よろしく頼む」
さすが獣使いと言うべきか。
わずかな会話で、あれだけ怯えていたトロルの恐怖を拭い去ってしまった。
……まぁトロルは人間だから獣とは違うんだけど。
「名前を聞かせてくれないか? おぬしらにも名はあるだろう」
「オレ、ヘロス。グロリア・ヴォルカノヲピダムノ長、パテルノ子」
……グロリアなんたらのオピタムのパテ子?
聞き取りにくいな。
トロルに流暢に大陸共通言語を喋れと言うのも無茶な話だが、もう少しわかりやすい喋り方をしてほしい。
まぁ、意思疎通できるだけマシと考えるべきか。
「彼はグロリア火山のヲピダムという村の長、パテルの子供だと言ってる」
「ああ、そういうことか」
ネフラの翻訳で色々と納得がいった。
ところどころ古代語が混じっていることもあって、聞き取りにくいわけだ。
「わらわはジェリカ。この子はフォインセティアという。あっちの馬車の馬はリアトリスだ」
「ゼリカ……ホインセテア……リアトリス」
「ジェリカだ」
「ゼリカ」
「う~ん。まぁいいだろう」
自分達の紹介を終えたジェリカは、次に俺達を指さして話を続けた。
「あっちのコートのヒトはジルコ。銃を扱うが、山を荒らすような輩ではない」
「ジルコ……」
「隣にいるエルフはネフラ。魔導士だ」
「ネフラ……」
トロルにじっと見つめられ、ネフラが俺の背中に隠れた。
敵意がなくとも、あの強面に凝視されたらそりゃ隠れたくもなるよな。
「ちなみにつがいだ」
「ワカッタ」
わざわざトロルにまでそんな説明しなくてもいいだろう!
……とは言えない。
「では行くか、ヘロス。その前に手枷を外してやろう」
「イイノカ?」
「言っただろう、おぬしは友だ。いつまでも枷がついているのはおかしい」
ジェリカはフォインセティアを放ち、その鋭い爪で手枷を真っ二つに斬り裂いてしまった。
「……アリガトウ、ゼリカ」
「よい。それでは行こうか」
ヘロスは頷き、おもむろに立ち上がった。
……高い。見上げるほどの大きさだ。
身長はおよそ10mほどだろうが、改めて間近で見るとその大きさには驚いてしまう。
「おぬし、傷が残っているな。治癒はしてもらえなかったのか」
「大丈夫。コノクライスグニ治ル」
立ち上がってわかったが、ヘロスには傷があった。
その傷は昨日、フォインセティアにつけられたものに違いない。
あれだけの裂傷が一夜でほとんど塞がりかけているところを見ると、噂通りトロルは大した回復力を持っているようだ。
「ふふっ。なんとも頼りがいのある言葉だ。いい男じゃないか」
男……?
考えたことも無かったけど、確かにトロルにも性別はあるだろう。
女は一体どんな姿なのか気になるな。
その時、ネフラがジェリカに声を掛けた。
「ジェリカ」
「どうしたネフラ?」
「街道だと、事情を知らない巡回兵や冒険者にヘロスが攻撃されるかも」
「確かにそうだな。まぁ、その時は――」
ジェリカが悪い顔になる。
「――我が友を傷つけた報いに、その不届き者を成敗しよう」
「……私に考えがある」
ジェリカは冗談のつもりで言ったのだろうけど、付き合いの長い俺とネフラにはそんな状況になったらマジで相手を殺りかねないことはわかる。
誤解と犠牲者を増やさないためにも、ネフラにはせひとも妙案をいただきたい。
「ヒトが使う街道をヘロス達がたどってきたとは思えない。きっと彼らはグロリア火山からパーズまで姿を見られずに済むルートを知っているはず」
「さすがネフラ! ……で、どうなのだヘロス?」
ジェリカはヘロスに向き直って意見を求める。
と言うか、ヘロスは今のネフラの話を理解しているのか?
「大丈夫。ネフラノ言ウ通リ、オレ達、秘密ノ道ヲ通ッテココマデ来タ」
……理解していた。
あながち侮れないなトロル。
「よし。それではその秘密の道とやらの案内を頼むとしよう!」
「ワカッタ。三人トモ、オレニツイテクル」
トロルがのそのそと歩き始めた。
まるで大木が動いているようだな。
「わらわ達も続くぞ。荷台に乗れ、ジルコ、ネフラ!」
そう言って、ジェリカは御者台へと駆けて行った。
俺とネフラも彼女を追って荷台に向かう。
荷台の直前で、俺は不意にパーズへと振り返った。
「どうしたの、ジルコくん?」
「いや……」
パーズではわからないことだらけだった――
リドットの行方。
ブラックダイヤを提供した謎の人物。
そのダイヤに保護魔法を掛けた魔導士スフェン。
そして、俺をドラゴグへ連れて行きたがったアイオラ先生。
――いざパーズを発つ今になって未解決のそれらが気になり、胸騒ぎすら感じるのはなぜだろう。
何事もなければいいが、こういう時はいつだって何かが起こる。
「ジルコくん、早く」
「ああ!」
だが、何が起ころうともこの子だけは――ネフラだけは命に代えても守ってみせる。
そう自分に誓いを立てて、俺は荷台へと飛び乗った。




