6-012. 奇襲
冒険者ギルドを出た俺は、ネフラと共に中央広場へと向かった。
ジェリカと落ち合う時間にはまだ早いが、ギルドではリドットの情報が得られなかったし、他に行く当てもない。
時間を持て余すよりは、ということで足を向けたのだった。
「……」
「……」
隣を歩くネフラが心なしか不機嫌に見える。
こんな時は、彼女の得意分野に会話を誘導して気を紛らわせるのが吉だ。
「見ろよネフラ。パーズの名産品、黄金竜のゆで卵が売っているぞ」
「……」
「黄金竜と謳っておきながら、実はちょっと大きめな鶏の卵を茹でただけなのに。あんな詐欺まがいの商品をここまで流行らせるなんて、商人ギルドの商魂には頭が下がるよ」
「……」
「実物のドラゴンの卵ならきっと建物くらいでかいだろうに。なぁ?」
「……ドラゴンが卵生というのは、アステリズム時代の創作というのが定説」
「そうなのか。詳しく知りたいな」
「そもそもドラゴンとは大自然の畏れそのもので、精霊達の長とも言われている超常的存在なの。それをゆで卵の名前に使うなんて不敬の極み」
「至高の存在の代名詞なんだ。その名前にあやかりたい気持ちはわかるけどな」
「結果、大衆化したその概念は偉大な存在から酷く矮小化してしまった。ドラゴグでは翼の生えたトカゲのような姿に解釈されてるし、竜聖庁の教義では都合のいい恩寵が付加されて為政者の権威に利用されてるし――」
ネフラの得意分野――それは余りある知識による解説。
ほら。機嫌の悪さも、解説に夢中になることで緩和されてきた。
「さすがネフラ。詳しいな」
「……本に書いてあった」
褒めると恥ずかしがって本に顔をうずめるのも、見慣れた光景だな。
「通りの人が増えてきたな。広場までもうすぐだ」
「うん」
ドラゴン解説と一緒に苛立ちも吐き出してくれたのか、ネフラは元通り澄ました表情に戻ってくれている。
もういつも通りの彼女だな。
それからしばらく通りを歩き、大勢の人で込み合う中央広場へと出た。
件のアルマス殿の周りには、市民に混じってよその町から訪れたであろう見物人が一様に豪勢な建造物を眺めていた。
アルマス殿は四角錐状の大きな祭壇だった。
階段を登った先――頂上には、青水晶で彫刻されたアルマスの像が立っている。
鎧をまとい、マントをはためかせ、剣を空に掲げているその凛々しい姿は、在りし日の勇者本人を思わせる。
風にそよぐ髪、天に向かう凛々しい表情は、まるで生きているようだ。
サンストンにあった俺の彫像とはその出来に天と地ほどの差がある。
「とてもいい出来。あの人そっくり」
「ああ。腕利きの彫刻士の技だな」
一目で勇者の貫禄を感じさせる造形だ。
素人目にも、彫刻士が凄まじい情熱を注いだことが伝わってくる。
闇の時代を終焉に導いた救世主の記念像なのだから、当然と言えば当然か。
「勇者の聖剣の再現も凄いな」
「彫刻師がわざわざ虹の都まで実物を見に行ったんだって。他にも面白い逸話があって――」
ネフラの解説を聞きながら、俺は彫像の一部分に目が留まった。
剣の鍔――その中央に黒い宝石が収まっていたのだ。
全身が青水晶で造られる中、あれではそこだけ色違いで嫌でも目立つ。
「あれは……ブラックダイヤかな。本物に倣って宝石をはめ込んであるのか」
「でも、どうして黒いダイヤなのかな。〈ザ・ワン〉に似せて無色透明の宝石にすればよかったのに」
「彫像に金を掛け過ぎて、上質な宝石を用意できなかったとか」
「あはは。まさか――」
不意に、ネフラが顔を強張らせた。
「――!? あれは……あの宝石は……何か、変」
「変? 見た目の統一感に欠けるってことか?」
「違う。あの宝石、おかしいの」
ネフラが眉をひそめている。
俺は改めてアルマス像の剣を見てみたが、何がおかしいのかわからなかった。
「あの宝石、とても嫌な感じがする。エーテルが……淀んでる」
ネフラはクラスこそ魔導士ではないもののエーテルの扱いには長けている。
そんな彼女が言うからにはきっとその通りなのだろうが……。
「淀んでいるって……そんな表現、初めて聞くな」
「まるで魔物を目にしているかのように嫌悪感すら感じるの」
「物騒なこと言うな……」
「本当なの! あの宝石、気味が悪いっ」
ネフラが不安げな表情を浮かべて、俺の腕にくっついてきた。
この子がここまで過敏な反応をするなんて、ちょっとただ事じゃない。
「そんなに気になるなら確かめてみるか」
俺はアルマス殿を眺める連中の間を縫って、階段の前まで向かった。
階段の前はロープで仕切られていて、王国兵が見張り番をしている。
「ちょっと確認したいことがあるんだけど」
「何かね? 言っておくが、登頂はご遠慮いただいているよ」
「そうじゃなくて、記念像の持っている剣について聞きたい」
「勇者の聖剣を知らんのかね?」
「知っているよ。俺が聞きたいのは、鍔にはめ込まれている黒い宝石のことだ」
「ああ。あれのことか……」
宝石のことを聞いた途端、王国兵は眉をひそめた。
その反応を見て、何か問題があったのだとピンときた。
「きみ、よそから来た観光客かね」
「……まぁそんなとこかな」
「ならば知らんのは無理もない。実は、少し前にアルマス像の剣から宝石が盗まれてしまってね」
「盗まれた?」
「うむ。元々は教皇様から贈られたダイヤモンドがはめ込まれていたのだが、どこかの馬鹿者に盗まれてしまったのだ」
「警備が疎かだったのか?」
「まさか! 我々が二十四時間、常にアルマス殿には目を光らせている!!」
「じゃあなんで盗まれたんだよ」
「そ、それが……誰も気づかぬうちにな……」
厳重警戒の中、王国兵の目を盗んでダイヤを持ち去ったのか。
大した泥棒だな。
「で、その代わりがあの黒いダイヤかい?」
「うむ。しばらく空っぽだった宝石穴を不憫に思ったのか、あの黒いダイヤが匿名で寄贈されたのだよ」
「匿名で? ……あのダイヤ、それなりに値の張る物だろう」
「鑑定士に依頼したところ、価値としては1000万グロウは下らんとのことだ。何せ重量は40カラット強、聖剣に装飾される〈ザ・ワン〉と変わらんそうだしな」
「1000万……」
マジかよ。
見張りがいるとはいえ、そんな価値の宝石が野ざらしなのか?
「ちなみに、今は盗難防止と風雨避けのために高名な魔導士の先生に保護魔法を掛けていただいている。馬鹿な考えは起こさんことだ」
「俺が盗むとでも? そっちこそ馬鹿なこと言わないでくれ」
「ふん。あまり怪しい素振りを見せるとしょっぴくぞ?」
釘を刺したつもりか?
まさか宝石泥棒と疑われるなんて心外だな。
「もうひとつ聞きたいんだけど」
「そんなに気になるなら、向かいにある案内所にでも行けばよかろう!」
「保護魔法を掛けた魔導士は、あの宝石について何か言っていなかったか?」
「何か?」
「あまりいい宝石じゃない、とか」
「さっきから何を言ってるんだ貴様!?」
王国兵が武器を構えて詰め寄ってきた。
こんなことで頭に血が上るなんて沸点が低すぎやしないか?
「どうした!」
げっ。
周りにいた王国兵まで集まってきたぞ。
「この男が妙なことを言うんだ!」
「まさか先日の宝石盗難と関りある者か?」
「そうかもしれん!」
「ならば放ってはおけんぞ」
他の兵達も武器を構えて俺に突きつけてきた。
……しまったな。
思いのほか、兵達は気が立っている。
一度宝石を盗まれているからだろうが、ここで騒ぎを起こすのは上手くない。
「待ってくれ。俺は〈ジンカイト〉の――」
仕方なく素性を明かそうとした矢先。
広場の西側から、俺や兵達の声を掻き消すほどの破壊音が聞こえてきた。
「――な、なんだっ!?」
直後、西にある建物の屋根が弾け飛び、広場へと瓦礫が降り注いできた。
幸い誰も瓦礫に打たれることはなかったが、見物人からは次々と悲鳴が上がる。
「何が起こった!?」
「わからんが警戒しろ!」
兵達は俺のことなど忘れたかのように、血相を変えて持ち場へと戻っていく。
その間にも破壊音は続き、地響きまで起こり始めた。
否。これは足音……?
まさか巨大な何かが近づいてきているのか?
「うわぁぁぁーーーっ」
「助けてぇ~~~!!」
西側の通りから、大勢の市民が悲鳴を上げて走ってくる。
押し寄せてくる人波に広場の見物人は騒然となり、アルマス殿の周辺はたちまち混乱の渦に飲み込まれた。
「ジルコくん、一体何事!?」
ネフラが逃げ惑う人々を躱し、俺のもとまで駆け寄ってきた。
俺にも何が起きているかわからないので、彼女の質問に答えられないことが歯がゆい。
しかし、危険が迫っているということだけは理解できた。
「気を付けろネフラ! 何かが来る!!」
「何かって!?」
「何かだ!」
俺が二丁の宝飾銃を構えると、ネフラもミスリルカバーの本を開いた。
ちょうどその時、通りの向こうから大きな影が姿を現した。
「あれは――」
それは、身の丈10mはあろうかという人間の姿をしていた。
緑色の肌の上に黄土色の体毛を生やし、全身は筋骨隆々。
腰回りにぼろきれをまとうだけでほとんど全裸だが、片手には巨木を粗削りしただけの棍棒を握っている。
牙を剥き出しにした醜悪な顔には、知性の色は見えない。
「――トロル!?」
この世界に存在する八種類の人間。
そのうちのひとつ――巨人族のトロルが、なぜ街中で暴れているんだ!?
「ば、化け物め!」
「ヒトの築いた町で好き勝手を許すな!!」
兵達が武器を構えてトロルへと突撃していく。
あの巨体を相手に長剣ひとつで突っ込んでいくなんて無茶だ。
「逃げろ!!」
俺の忠告も空しく、兵達は闇雲にトロルへと突っ込んでいってしまう。
結果、彼らは棍棒の一振りで軒並み吹き飛ばされた。
なんて重い一撃。
たったの一撃で数人をまとめて――しかも、おそらくそのすべてが即死。
無惨にも手足がバラバラになって飛び散っていく者もいる。
「あれを食らったら無事じゃ済まないな……」
「ジルコくん、あっち!」
ネフラが通りとは別の方向を指さした。
そちらへ視線を向けると、また別のトロルが建物を這い上がって姿を現した。
「二人目!?」
「違う。三人っ!」
建物に登るトロルの後ろで、さらに別のトロルが顔を覗かせている。
視認できるだけで三人。
山間の村落ならいざ知らず、衛星都市にまでトロルが現れるなんて聞いたことがない。
「なんでトロルがこんなところに!?」
「わからない! こんな例、どんな本にも書いてなかった!!」
ネフラでも匙を投げるほどの異常事態。
広場では混乱が極まり、逃げ惑う人々が揉みくちゃになって怪我人まで出している。
王国兵が懸命に彼らを誘導しようと努めるものの、恐怖でタガの外れた市民の耳には届いていない。
こんな状況でトロルが広場に飛び込んできたら、大惨事になるぞ!
俺がどうしようか考えあぐねていると、突然ネフラが本のページを破り捨てた。
「事象解放・熱殺火槍!!」
直後、宙を舞うページから炎の槍が空へと撃ち上げられていく。
そのまばゆい灯りに照らされて、広場を逃げ惑っていた人々の視線が大空に昇る炎の柱へと釘付けとなる。
それはトロル達も同様。
「ネフラ、何を……」
「私の言葉を聞きなさいっ!!」
ネフラは声を張り上げるや、俺が羽織っていたローブを剥ぎ取った。
そのせいで首元の冒険者タグが〈ジンカイト〉の記章と共に露わになる。
「もう大丈夫! この場は〈ジンカイト〉の英雄ジルコ・ブレドウィナーが与ります!!」
ネフラの声が広場に響き渡り、人々の視線が一斉に俺達へと向く。
トロルの視線もまた然りだ。
「かの勇者アルマスと肩を並べた英雄を前に、トロルなど何するものぞ! すぐに終わるからみんな静かに見届けて!!」
ネフラの声は静まり返った広場に響き渡り、恐怖におののいていた人々の顔に冷静さが戻っていく。
そして……。
「ジルコ!」
「英雄ジルコだっ」
「ジルコ様ーっ!!」
「あの怪物をやっつけてぇーーっ!!」
さっきまでの狼狽はどこへやら。
一転して、俺に対する声援ばかりが聞こえるようになった。
「これでこの場を収めるしかなくなったね。ジルコくん」
ネフラが笑顔でウインクしてくる。
できるだけ目立つまいと思っていたけど、こりゃもうダメだ。
トロルもどうやら俺達に狙いを定めたようで、棍棒を振り上げて迫ってきた。
事態の収拾にはもう戦う他ない。
「仕方ない。戦るぞネフラ!」
「はい!」




