6-010. 余計なお世話
サンストンに朝日が昇った。
俺は部屋で出発の準備を整え、一階の広間へと下っていった。
広間には、円卓の椅子に腰かけて本を読んでいるネフラと、箒で床を掃いているラチアの姿があった。
「おはよ! よく眠れた?」
「まぁね」
最初に声を掛けてきたのはラチアだった。
我が妹は朝っぱらから声がでかい。
否。元気がいい。
「お兄ちゃんてめちゃ紳士だね」
「紳士って……何が?」
「いやさぁ。あんなことがあったんだし、夜這いでもするかなーと思ってずっと見張ってたんだけど、お兄ちゃん部屋から出てこないんだもん」
「何やってんだお前……」
「実家じゃやりにくかったのかな? まぁ旅はまだ続くそうだし、今後は思う存分にね!」
そう言うと、ラチアは台所へと駆け込んでいった。
夜這いって……なんてことを言うんだ。
「はっ」
不意にネフラと目が合った瞬間、彼女は気まずそうに俺から視線を逸らした。
もしかして、この子もそれを期待していたのか……?
いやまさか……真面目なネフラに限ってそんなことは……だがしかし……。
「おはよう! 今日も良い天気だな!」
もう一人、広間に元気な女が降りてきた。ジェリカだ。
彼女は腕にフォインセティアを留まらせたまま、円卓の席についた。
「して、昨晩はどうだった?」
「ど、どうって――」
しかも、早々にネフラを問いただしている。
「――別に何も」
「何も!?」
「何も……なかった」
「ジルコ、お前それでも男かっ!!」
突然、ジェリカが円卓を叩いて怒り始めた。
ラチアといい、ジェリカといい、そんなに俺とネフラをくっつけたいのか?
そういうのはこっちのタイミングで進めるから、お節介は焼かずに黙っていてほしい。
「リドットだったらもっと大胆に……っ」
ジェリカはリドットの名前を出した途端、ハッとして黙り込んだ。
夫のことを思い出して気を揉んでしまったのだろうか。
急にしおらしくなって、傍にいるフォインセティアを切なげな表情で撫で始めた。
勝手に盛り上がって勝手に落ち込まないでくれよな……。
その時、彼女の腕に留まっていたフォインセティアが俺に飛び掛かってきた。
足の爪を向けられて、俺は一目散に広間から逃げ出したが――
「ぎゃあああ!!」
――背中に飛びつかれて、思わず悲鳴をあげた。
防刃コートを羽織っていたにもかかわらず、フォインセティアの鉤爪が背中まで食い込んできたのだ。
マジで痛い!!
「キュウゥゥ」
床に倒れた俺の頭を、フォインセティアが尖ったクチバシで突っついてくる。
穴でも開ける気か?
こいつ、やっぱり俺のこと嫌いだろう……。
◇
朝食を済ませた後、俺達は実家――というか仮住まいの隠れ家だけど――を出発することになった。
砦の前で待っていると、あぜ道を馬車が駆けてきた。
御者台には誰もいない。
馬車馬の意思だけで俺達のもとへやってきたのだ。
「よしよし。いい子だ、迷わず来れたな」
足を止めたリアトリスの首をジェリカが撫でる。
サンストンは複雑な町ではないけど、馬車馬だけでよく砦まで来れたものだと関心してしまう。
ジェリカは自分の愛馬を呼ぶための角笛を持ち歩いている。
今回、彼女はそれを吹き鳴らしてリアトリスをここまで呼びつけたのだ。
もちろん馬車も一緒に運んできてくれた。
馬の世話係は、いきなり厩舎を出ていくリアトリスにさぞや驚いたことだろう。
「お兄ちゃん、いってらっしゃい! ネフラちゃん、ジェリカさん、絶対にまた来てね!」
ラチアの言葉に、ネフラもジェリカも笑顔で応えた。
俺は少々気恥ずかしかったこともあり、表情は緩めずに妹の頭を軽く撫でる形で返事をしてやった。
「それと、ネフラちゃんと結婚の日取りが決まったら教えてね!」
「なっ! 何を言い出すんだお前はっ!?」
突然そんなことを言うものだから、俺は慌ててしまった。
隣にいるネフラをチラリと見やると、彼女は持っていたミスリルカバーの本に顔をうずめてしまっている。
耳の先まで真っ赤になっていて、その心情は手に取るようにわかる。
「そ、そういうの、まだ気が早いっ」
「うふふ。頑張ってねネフラちゃん!」
「が、がん、ばる……っ」
真っ赤にした顔を本の奥から覗かせるネフラ。
頑張るのか……頑張ってくれるのか……。
この先のことを想像して、ちょっとドキドキしてしまう。
「あたし、妹が欲しかったんだぁ~。ネフラちゃんみたいな超かわいいエルフっ娘が妹になると思うと感激しちゃう!」
「妹ってお前……」
「ネフラちゃんくらいしっかりした子なら、安心してお兄ちゃんを任せられるしね」
「あのなぁ! ネフラは十七だからお前よりひとつ上なんだぞ!?」
「そうなの!?」
俺達の掛け合いを見て、馬車の方からジェリカの笑い声が聞こえてくる。
「そろそろ行くぞお前達! 挨拶は済ませたか!?」
振り向くと、御者台に座っているジェリカの姿が見えた。
名残惜しいがそろそろ出発だ。
「お前も宝石職人の修行、頑張れよラチア」
「うん。ありがとう!」
ラチアは宝石職人を目指している。
今、妹はサンストンの宝石職人の下で基礎を学んでいるという。
将来的には王都へと上り、名の知れた宝石職人に弟子入りすることを望んでいた。
「ちょうど来週、サンストンの先生が王都の工房を紹介してくれることになってるの。試験に合格すれば、王都で働けるかもって!」
「そうなのか? 凄いじゃないか!」
「うん。あたしも夢を叶えるために頑張るから応援してね!」
「応援するよ。頑張れ」
「宝石職人になったら、二人の結婚指輪作ったげるからっ」
「……そりゃどうも」
いちいち俺とネフラのことを引き合いに出すのはやめてくれ。
気まずいから。
「あ、でも、母さんを一人にしちまっていいのか?」
妹が実家を出るとなると、母が一人になってしまう。
まだよぼよぼな歳じゃないけど、親が一人きりになると思うとどうしても心配になる。
しかし、俺の心配をよそに母さんは笑っていた。
「子供が夢を追って旅立つのなら、止めはしませんよ」
「母さん……」
「急にいなくなられるよりもずっといいから。ねぇ、ジルコ?」
「い、今は反省してるよ。勝手に出てったこと……」
十年ほど前、冒険者になることを告げないまま実家を出たことを思い出した。
初めて実家に戻った時、母さんに引っぱたかれたことも……。
「あなたも冒険者としての暮らしは大変でしょうけれど、頑張って。こんな時代なんだし、冒険者から足を洗って帰ってきてもいいんだからね」
「はは。今の俺にはサンストンはちょっと狭すぎるかな」
「ネフラちゃんも一緒なんだから、危ないことはしないでね」
「大丈夫。ネフラだって一流の冒険者だし、俺達なら何があったって乗り越えられるよ」
「そうね。二人でまた帰ってきてね」
会話の流れとはいえ、俺は何を言っているんだと思った。
今の口ぶりだと、俺とネフラがさもそういう関係のように聞こえるじゃないか。
「必ず帰ります。ジルコくんの帰る場所なら、私にとっても……同じ……だから」
ネフラがそう受け応えたので、俺は顔が熱くなった。
「……それじゃ行くよ」
「ええ。いってらっしゃい」
「「いってきます!」」
こうして俺達はサンストンを発ち、パーズへの旅を再開した。
◇
サンストンを出て街道を走っていると、ちょうど馬車の前方にワイバーン山脈が見えてきた。
山脈の一部――グロリア火山からは今も黒い煙が空に昇っている。
「リアトリスの足なら、パーズまで一日ほどかな! 明日の朝には着くはずだ」
「速いな。さすがだ」
「途中の町で今夜も休むことになるが、わらわはもう邪魔はせん。しっかりやれよジルコ!」
「な、何言ってんだ!」
ジェリカがまた余計なことを言う。
恐る恐る後ろに振り向いてみると、ネフラは本を読むのに夢中で今の話は聞いていなかったようだ。
ホッとする反面、変に意識してしまう自分に困惑する。
その一方で、荷台では俺をじっと睨みつけたまま微動だにしない奴がいる。
ネフラの傍にちょこんと座っているフォインセティアだ。
こいつ、なんでずっと俺のことを睨んでいるんだ?
過去を振り返っても、こいつに嫌われるような心当たりはまったくない。
謎過ぎる……。
目を合わせると襲い掛かってきそうなので、俺はそそくさと視線を切った。
「ジェリカ。そういう世話は焼かなくていいから」
「なぜ? 可愛い弟分の世話焼きがいけないことなのか」
「俺のペースでやらせてほしいの!」
「そんなんでは先が思いやられるな! さっさとくっついてしまえばいいものを」
「そう簡単じゃないだろっ」
「だってお前達、どこからどう見ても相思相愛ではないか」
「そ、そうかな?」
「……常に隣にネフラを置いているくせに、自覚がないとは言わせんぞ」
ジェリカが呆れた顔をしている。
確かに、俺の隣にはほとんどいつもと言っていいほどにネフラがいるな。
なんだかそれが当たり前になり過ぎて、深く考えたこともなかった。
俺もいよいよ自分の心にけじめをつける頃合いかもしれない。
否。それが必要な時期に来たんだ。
過去は忘れて、今隣にいる者に目を向けなければ、それこそ甲斐性なしってものだ。
「あっ」
「どうした?」
急にネフラが声をあげたので、俺はとっさに振り返った。
見れば、彼女は本を開いたままじっと一点を凝視している。
……どこを見ているんだ?
「どうかしたのか、ネフラ?」
「ここ」
「んん?」
「ハエがいる」
ネフラが指をさしたことで、開かれた本の縁にハエが止まっていることに気が付いた。
そのハエは馬車が揺れてもなお飛び立つことなく、本に止まったままでいる。
死んでいるのかと思い、手を伸ばしてみると――
「あっ。飛んだ」
――ハエが羽根をはためかせて、本から離れた。
その直後、御者台の方から吹いてきた風に流されて、ハエは外へ飛ばされて行ってしまった。
「……いっちゃった」
「ずいぶん図々しいハエだったな」
ハエで思い出すのは、クリスタの盗聴魔法(仮)だ。
彼女は俺の行く先々でハエを操っては情報を盗み聞いていた。
凄い魔法ではあるが、冷静に考えるとハエを操る魔法なんてよくぞ編み出したものだと呆れてしまう。
だけど、そんなはた迷惑な天才魔導士のクリスタはもういない。
そう思うと、どうにも寂しい気持ちになる。
「ジルコくん、どうかした?」
「……いや。どうも昔のことばかり思い出しちゃってな」
「ぷっ。何それ。年寄りみたい」
「そうかな。……そうだな」
俺も彼女に釣られてついつい笑ってしまう。
「ネフラ。約束はしっかりと果たすからな」
「約束?」
「温泉街に行くって話。元々そのための旅だったわけだしな」
「うん!」
ネフラの笑顔が眩しい。
この場に二人きりだったら、彼女を抱きしめているところだ。
そう思っていると――
「キュウゥ」
――突然、フォインセティアが荷台を横切って俺の前に立ち止まった。
おかげでネフラの眩しい笑顔が見えないじゃないか。
「お前なぁ、そこどけよっ!」
押し退けようと手を伸ばした瞬間、フォインセティアのクチバシに突っつかれた。
手の甲から血が出て、俺は思わず悲鳴を上げた。




