6-008. ブレドウィナー家の事情
サンストンの南側には田園地帯が広がっている。
快晴の下、俺はネフラとジェリカを追って田んぼのあぜ道を進んでいた。
途中、田畑の手入れや収穫をしている町の人達とすれ違いながら、俺は昔を懐かしんでいた。
畑に立つカカシなど、昔はよく悪戯をしたものだ。
あぜ道の正面に目を戻すと、先を進んでいたジェリカとネフラが西の方を向いたまま立ち止まっていた。
おかげで二人に追いつくことができたけど、彼女達は一体何を見ているのだろうか。
「どうした?」
声を掛けた俺に最初に向き直ったのは、ネフラでもジェリカでもなく、鋭い睨みを利かせるフォインセティアだった。
今はジェリカの腕に大人しく留まっているが、いつ飛び掛かってきてもおかしくなさそうな表情をしている。怖っ!
「……何やら騒がしいな」
「え?」
「鳥達のことだ」
気付けば、俺達の頭上を小鳥が飛んでいた。
それも二、三羽ではなく、十羽ほどの大所帯でだ。
……しかし、別段珍しい光景とも思えない。
「何かおかしいのか?」
「彼らは怯えている。西の方が怖い、危ない、逃げよう、と言っているな」
ジェリカは動物の言葉がわかる特異な人間だ。
それはセリアンの特別な能力でもなく、獣使いとしての特殊技能でもない。
彼女だけの異能とでも言うべき力なのだ。
「西っていうと……グロリア火山か」
あぜ道から西に目を向けると、地平線の彼方にワイバーン山脈が見られた。
グロリア火山はその山脈に連なる山のひとつで、ほとんど毎日と言っていいほどに黒い噴煙を上げている。
俺の視界には、今も黒い煙が上がっている様子が見えている。
「もしかしてドラゴンが暴れていたりして」
ネフラが冗談めかしてそんなことを言うものだから、俺は思わず彼女の顔を見入ってしまった。
俺と目が合うと、彼女は恥ずかしそうにジェリカの陰へと隠れる。
「ドラゴンか。グロリア火山は昔からドラゴンが棲むという伝説があるし、あながち間違ってはいないかもな」
「……でも、ドラゴンの姿を見た奴なんていないんだぜ」
「そうかな。見た者が黙っているだけかもしれん」
ジェリカに言われて、俺はドキリとした。
「ま、まぁ確かにそういうこともあるかもな。そんなものを見た日には、夢か幻かと思う奴だっているだろうから」
「わらわなら、そんな体験をしたら生涯忘れぬだろうがな」
「……ジェリカはドラゴンが実在すると思うか?」
「さぁなぁ。闇の時代に滅んだとか、もともと架空の存在だったなど、様々な説を聞くが……実在するなら非常に興味深い。それに――」
ジェリカは腰に吊るした鞭に触れながら続ける。
「――わらわのこの鞭も、竜の髭で作られたという曰くがあるしな」
「それ、前も聞いたけど本当なのか?」
「わからん。ルスの王族から譲り受けたものだから、それなりに由緒あるものだとは思うがな」
彼女の鞭は、緑色のごわごわとした手触りの一本鞭だ。
非常にしなりが良い上に、軽くて頑丈。
宝石が加工されていないにもかかわらず、魔物に絡みつかせても一切ダメージを受けない。
それだけに材質が竜の髭というのも頷けるが、本当にドラゴンの体の素材で作られたかと言えば、俺は疑っている。
……なぜなら、あれはそういう生物じゃないからな。
「考えても仕方ない。隠れ家とやらへ急ごう」
「……ああ」
ジェリカがフォインセティアを撫でながら歩き始めた。
一方、ネフラは俺のことをじっと見上げたまま。
「ジルコくん、ドラゴンに興味あるの?」
「え? なんで?」
「だって以前、私にドラゴンについて訊いてきたことがあったから」
「そうだっけ」
「覚えてないの? 凱旋パレードのすぐあと、血相を変えて訊ねてきたことあったでしょう」
「そ、そうだっけ」
「……」
ネフラの訝しむような視線が痛い。
確かに当時、彼女にそんなことをしつこく聞いた覚えがある。
あの時はちょっと俺も動転していたからな……。
「……あの人が消えたのも、その時期だったよね」
「え」
「まぁ、別に私には関係ないことだけどっ」
そう言うと、ネフラはジェリカを追って駆けて行ってしまった。
「う~ん。なんだか後ろめたいなぁ」
心から信頼する相手に、ずっと隠し事をしていると思うと気が咎める。
でも、仕方がないんだ。
あのことは俺の心の内だけに留めておくと決めたのだから……。
◇
あぜ道を通った先には、大昔に作られた砦の跡地があった。
闇の時代よりも昔、まだ人間の国同士で戦争が絶えなかった頃の時代に作られたとされる遺跡だが、なんと今は――
「ここが隠れ家か……」
――砦の窓から伸びた物干しざおに、洗濯物が干されていた。
「大昔の砦を人が住めるように手を加えたんだね。あれを見て」
ネフラが指さした先を見ると、小川には小さな水車が回っている。
しかも、粗末ではあるが川には橋が架けられており、入り口の下には明らかに最近取り付けられたと思わしき綺麗な扉がある。
「あっ! お兄ちゃんっ!!」
上からラチアの声が聞こえてきた。
見上げてみると、二階の窓からラチアが身を乗り出して手を振っている。
「よっと!」
突然、ラチアが窓の外に身を投げ出した。
彼女は空中で一回転するや、地面に綺麗に着地してみせる。
「待ってたよぉ~!」
「お前なぁ! 驚かせるなよっ」
ラチアは俺に飛びついてくるや、再び首筋に噛みついてきた。
「ぐあっ、痛いって!」
「んぐぐっ」
「この――」
俺はラチアの両頬をつねって、無理やり引き剥がした。
「――じゃじゃ馬めっ」
「ごめんごめん。久しぶりだったもんでつい!」
実家に帰ってきて毎回噛みつかれるとか、勘弁してくれ。
ただでさえラチアは顎が強いんだ。
「仲のいい兄妹だね」
「……まぁな」
ネフラがジト目で俺を睨んでくる一方で、ラチアは何事も無かったかのように入り口に駆けて行ってしまった。
「ようこそ! ブレドウィナー家の別荘へ!!」
そう言って、妹は扉を押し開いた。
砦の中に招かれた俺達を出迎えてくれたのは、母さんだった。
わずかに白髪の混じった赤茶色の髪の毛。
細身なのは相変わらずだけど、血色のよさそうな顔。
その姿を見て俺はホッとした。
「おかえりなさいジルコ」
「ただいま母さん」
母さんは俺を抱きしめた後、傍に居た女性陣に目を留める。
「あら。ジルコったら、こんな綺麗な人達を連れてくるなんて」
「色々あってね……」
「エルフさんに、セリアンさん。〈ジンカイト〉の冒険者さんかしら?」
「そうだよ。ネフラに、ジェリカだ」
俺が順に紹介すると、二人は各々の挨拶を母と交わした。
挨拶の際、フォインセティアまでが礼儀正しく母に頭を下げたのが衝撃だった。
「記念像のこと、驚いたでしょう?」
「ああ。まさか街中に自分の像が立っているなんて思いもしなかったよ」
「あれね、あなたの人相書きを探すのが一番大変だったそうよ」
「……確かに思いのほか顔が似ていたな」
「さぁどうぞ。皆さんこちらでおくつろぎになられて」
母は広間の机へと俺達を促した。
その机は岩づくりの砦には似つかわしくない木製の円卓で、卓上には燭台と銀の皿が並べられていた。
どれもうちの家財とは思えないが、どこで手に入れた物なんだ?
まさか砦に放置されていた物を使っているわけじゃないだろうし。
「お食事は済んだ? 今朝の余りでよければパンくらいなら出せるけれど」
「気を利かせなくていいよ」
「そう。……ラチア、お水だけ用意してくれないかしら」
母さんに言われて、ラチアが奥の部屋へと引っ込んでいった。
「それより、こんな状況になった話を聞かせてほしい」
「わかったわ」
母さんは俺達が椅子に座るのを待って、口を開いた。
「私達にここを提供してくれたのは、領主様なの」
「領主が?」
サンストンの領主は、子爵の爵位を持った下級貴族だ。
名産のないこの町では領主も資金繰りが大変なので、都で暮らす貴族達に比べれば苦労人で農民との距離も近い。
しかし、臆病でケチという少々面倒くさい人物なのだ。
そんな奴が俺の家族に財産の一部を提供する理由なんて、ひとつしか思いつかない。
「……わかったぞ。家族を特別扱いする代わりに、もしもの時は俺に魔物を何とかしろってわけか」
「そうなのよ。西の方から魔物の噂が届いてから、領主様はずっとお屋敷に閉じこもりっきりなの」
「相変わらずだなぁ。あのオッサン、十年経ってもちっとも変わりゃしない。きっとまだ奥さんもいないんだろう」
「そうね。いまだに独り身で、何でもかんでもご自分でされているらしいわ」
「雇っている召使いも年寄りばかりだろうしなぁ。結婚相手どころか、新しい召使いも寄り付かないんじゃないか?」
領主に悪態をつく俺に、母さんが苦笑いを浮かべる。
一応、母からすれば恩人になるだろうから、あまり悪口を言うのはよくないかな?
「でも、私達の生活の助けになってくれたのは領主様よりもアイオラ様なの」
「先生が?」
「彼女、今サンストンにいらしているのよ」
「……知っているよ。墓地で会った」
「そう」
先生が生活の助けになっているとはどういうことだろう。
そもそも、あの人がサンストンにいること自体が意外だったのに……。
「アイオラ様にはね、生活するお金を援助してもらっているの」
「えぇっ!?」
「ときどきだけれどね。数ヵ月に一度ふらりと現れては、お金を置いていってくれるのよ。感謝してもし足りないわ」
「そんなことが……。でも、どうして?」
かつての教え子である俺の家族だからか?
でも、弟子だった期間なんて半年程度だし、最終的に破門されたし、どうして先生がそこまでしてくれたんだ?
「実はね、あなたのお父さんとアイオラ様は知り合いだったの」
「父さんと先生が? ……初耳だな」
「もう十数年も昔のことだけれど、パーズの冒険者ギルドでよく護衛依頼を請け負ってもらっていたのよ」
「そうだったのか」
「当時、アイオラ様は魔導士の修業を終えて間もない頃で、冒険者としては難しい時期だったそうなの。そこでお父さんが後援者となる代わりに、優先的に依頼を受けてもらっていたと聞いてるわ」
「後援者て……うちにそんな金あったの?」
「あの頃は商人ギルドが助成してくれていたから」
……そうだった。
その頃は、商人ギルドがサンストンで地域興しを計画していたんだっけ。
父さんはその援助を受けて、店で扱っていた薬剤類の素材集めに先生を雇っていたわけか。
……もしかして、先生はその礼も兼ねて俺の弟子入りを認めてくれたのか?
思い起こせば、確かに弟子入りを懇願した時に家族についての問答があったように思う。
俺が父の息子と気づいて、その借りを返す意味もあったのだとしたら……。
「はぁ」
「どうしたのジルコ?」
「いや。先生に申し訳なくって……」
「どうして?」
「だって俺、先生の貴重な半年間を無駄にしちまったから……。俺に魔導士の素質があれば、少しでも先生に借りを返せたのに。自分が情けないよ」
そう考えると、溜め息が尽きない。
「でも、あの方はそうは思っていないわよ」
「え?」
「時折訪ねていらした時、いつもあなたの話題になるの。あなたが活躍する話をする時のアイオラ様の顔、とても嬉しそうだったわ」
「……そう」
そう言われて、俺は顔の強張りが緩んでいくのを感じた。
「さぁ、堅苦しいお話はこれでお終い! 次は、あなた達のお話を聞かせてちょうだい」
「俺達の?」
「そう。それに、お二人からしっかり選ばなければね」
「選ぶ?」
「だってそうでしょう。ジエル教徒の身としては、一夫多妻は認められませんもの」
「はぁっ!?」
俺は思わず円卓に身を乗り出してしまった。
突然何を言い出すんだこの人?
と言うか、誰からそんなこと……あ。ラチアかぁ~~~!!
「ネフラさんとジェリカさんの気持ちも大事。お二人も交えて、ブレドウィナー家の未来のためにしっかりと話をつけましょう!」
口では笑っているものの、目が笑っていないよ……母さん。
「お待たせ~! サンストンの自然の恵み、汲みたてほやほやの井戸のお水で~す!!」
扉を開けて現れたのは、トレイに銀の盃を並べたラチアだった。
部屋の雰囲気がおかしいことを感じ取ったのか、妹は不思議そうな顔で俺達を見回している。
「ん? どったの?」
こいつ、俺の気も知らないで呑気なもんだ。
この後、母さんの誤解を解くのに夜までかかったせいで、泊まるつもりもなかったサンストンに一泊するはめになってしまった。
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