6-006. 故郷
翌日、早朝。
街道を走るさなか、俺は御者台にいるジェリカに声を掛けた。
「すまないなジェリカ。寄り道してもらうことになって」
「構わぬよ! 近くに魔物が出たとなれば、故郷を心配する気持ちもわかる。パーズへ向かう通り道には違いないしな!」
ミルトンの酒場でガーネットから魔物の話を聞いた後、俺なりに調べてみた。
確かにグロリア火山周辺では、魔物とおぼしき存在の目撃情報が報告されていた。
それは四つ足歩行の動物のようで、全身が黒く燃え盛っていたという。
紛れもなく魔物の特徴だ。
しかし、奇妙なのはそいつが目撃者を襲った例がないという点。
それに、目撃された場所の近くには農場もあったというが、農場の牛や羊には何の被害もなかったらしい。
本能的に生物を襲うとされている魔物にしては不自然なことだ。
「心配?」
「ん。……うん、まぁね」
幌馬車の中で本を広げていたネフラから声が掛けられた。
見れば、彼女は本に顔を隠すようにして、俺の様子をうかがっている。
魔物の話を聞いて、俺の故郷に被害がないかどうか心配してくれているのだろう。
「まさかこっちの方まで魔物が現れるようになっていたなんて……」
「驚きだよな。一体どこから流れてきたんだか」
「位置関係から推測すると、西方からワイバーン山脈を越えてきたのかも。でも、目撃証言では常に一匹だったんだよね?」
「ああ。それも妙だよな。魔物が単独でうろついているなんて――」
魔物に襲われた生物は低確率で魔物化する。
そうやって魔物は同類を増やしていき、いつしか群れとなり、その果てに大海嘯が発生することになる。
火山付近には家畜以外にもたくさんの動物が生息しているから、もっとたくさんの魔物が発生していてもおかしくないのに、なぜだろう。
「――なんだか気持ちが悪い。ドラゴグ東部の件といい、海峡都市の件といい、あちこちで魔物が出過ぎだよ」
ドラゴグ東部と海峡都市の魔物は、ティタニィトとクランク――イスタリの正体?――絡みで間違いない。
ならば、グロリア火山付近に現れた魔物も奴らと関りがあるのか?
クランクが捕まった今、近いうちにその真相も明らかになるのだろうが、このまま魔物を放置することはできない。
実家のある町にまで被害が及んだらたまったもんじゃないからな。
「……」
「どうしたネフラ。なんだか落ち着きがないみたいだけど」
「……ううん。別に、なんでもない」
そう言うと、ネフラは本を立てて顔を隠してしまった。
う~ん。……たまにこの子の情緒がわからない。
幌の外に顔を出すと、馬車は凄まじい速度で街道を走っている。
さすがユルール・スーホの末裔リアトリス。
この速度なら夕方までには故郷につけるだろう。
「久しぶりだな、サンストン。みんな元気にしているだろうか」
◇
サンストンと呼ばれる町は、かつて商人ギルドのバックアップで地域興しを目指した町だった。
しかし、闇の時代の不安定な経済状況もあって、ギルドの計画していた地域興しはその目玉――百貨店の開店が頓挫したことで失敗。
ギルドの話に乗った多くの地域商店は、身の丈を越えた無理な宣伝や仕入れが災いして借金を作り生活が破綻した。
俺の家族も……そのうちのひとつだった。
「サンストン。帰ってきたぞ」
前に帰郷してから三ヵ月ぶりだろうか。
復興の時代になってから帰るのは二度目だけど、相変わらず小さな町だ。
「ここがジルコの故郷か。のどかで静かな町だな」
「本当」
「あのな二人とも。これは閑散としているって言うんだよ」
リアトリスと一緒に幌馬車を厩舎へと預けて、俺はネフラとジェリカを連れて実家へと向かった。
今さら思ったけど、俺はこの二人のことをなんて説明すればいいんだ?
片やハーフエルフの少女。
片やセリアンの人妻。
……いやいや。
同じギルドの冒険者仲間と答えれば十分じゃないか。
シンと静まり返った通りを抜けて、中央広場へ入ると――
「ん? なんだ?」
――広場の一部に人だかりが出来ているのが見えた。
全員この町の人間じゃないようだ。
何かに群がっているようだけど、一体何に?
「じ、ジルコくん。あれ……っ」
ネフラが驚いた様子で人だかりの向こうを指さした。
その方向に目を向けてみると、なんと――
「サンストン出身の英雄像……ジルコ……ブレドウィナァァァッッ!?」
――目を引く派手な看板と共に、俺の彫像が建っていた。
「なんだよありゃあっ!?」
「ほう、故郷の町に彫像か。なかなかどうして……面白い趣向だな」
「いやいや! 何も聞いてないからっ」
「いいではないか。お前の家族も自慢になるのではないか?」
「いやいやいや! おかしいって!!」
うっかり大声を出してしまい、像の周りにいる人達が何人かこちらに振り返る。
俺はとっさにフードを被って顔を隠してしまった。
「……っ」
「何をやってるんだジルコ」
「あの像の実物がこんなところにいたら、絶対まずいだろう」
「まずい? むしろ彼らは会いたがっているのではないか。英雄だぞ?」
「俺は会いたくない! そもそも英雄だなんて、周りが勝手に騒いでいるだけだし」
「英雄とはそういうものだろう。自ら英雄と名乗る者など信用に足らんしな」
「いいからもう行こう! いつまでもここに居たらダメだっ」
俺はネフラとジェリカの手を掴んで、二人を広場の外まで引っ張っていった。
◇
その後、広場を通れなかったために遠回りで実家へ戻ることになった。
そして、ようやくたどり着いた実家は――
「……マジかよ」
――玄関にやっぱり人だかりが出来ていた。
「あっはっは! すっかり有名人だなジルコ」
「名前を呼ばないでくれっ」
「しかし、実家まで押しかけられてはさすがに迷惑だろうな」
「迷惑だよ! ただでさえ俺ん家は借金していて肩身が狭いってのに!」
「ああ。ギルドの報奨金で毎月少しずつ返していると言っていたな。まだ返し終わっていなかったのか」
「法外な額を請求されたんだよ……! クソ忌々しい商人ギルドにっ」
思い出しただけで腹が立ってくる。
ジニアスなどと知り合ってその怒りはしばらく収まっていたが、今になって再燃してきたぞ。
「ジルコくん。このまま家に入ろうとしても、きっと騒ぎが増すばかり。どうする?」
「どうするも何も、人の姿が消えるまで待つしか……」
「この町に図書館てある?」
「こんな片田舎の町にそんな小洒落た場所なんてない」
「……そう」
ネフラが露骨にがっかりした顔を見せる。
この子につまらない故郷だと思われるのは嫌だけど、事実なんだから仕方ない。
「興行施設はないのか?」
「そんなもんあるかよ」
「商店街の類は?」
「昔はあったけど、今はもうない」
「このサンストンという町は何が名産なんだ?」
「名産なんて何もないよ!」
サンストンは特筆すべきものが何もない、農耕地の数ある町のひとつに過ぎない。
だから当時、躍起になって地域興しが企画されたんだ。
闇の時代の影響で名産品のない町は経済が滞り、魔物に襲われたわけでもなく人知れず滅びていく。
地域興しこそ、その滅亡を回避する手段として渾身の一手だったはずなのに……。
「でも、今ではジルコくんが名産になった」
「やめてくれぇ……っ」
そんな町で俺が名産と化しているとか、家族に対して気まず過ぎるだろう!
一体誰がそんなふざけた話を持ち出したんだ!?
商人ギルドはもうこの町から手を引いたはずだが、もしや海峡都市の件があってまた干渉しているんじゃないだろうな……。
「お兄ちゃん?」
「え」
突然、背後から声をかけられた。
今の声は……もしや……。
「やっぱりお兄ちゃん! ジルコお兄ちゃんだっ」
「ラチア!?」
振り向くや、背の小さな女の子が抱き着いてきた。
目の前で揺れる赤茶色の髪の毛。
額にある花模様に見える小さな傷跡。
そして――
「いててててっ! 噛むなっ!!」
――実家に帰るたび、抱き着くのと同時に首筋を噛んでくる悪い癖。
間違いなく妹のラチア・ブレドウィナーだ。
「お帰りなさいっ」
「ただいま……」
ラチアはそばかすのある顔を赤らめながら、俺から離れた。
次に、傍にいるネフラとジェリカを交互に見渡す。
「ふぅん」
妹は二人を見るや、何やら意味深な顔で俺を見入る。
「で、どっちが恋人?」
「はぁっ!?」
「こんな時期に英雄の凱旋。あたし、てっきり新しい家族を紹介に来たんだと」
「ち、違……!」
とんでもない誤解だ。
妹の無礼な発言に、当の二人は――
「……っ」
「あっはっはっは!」
――片や顔を真っ赤にして本で隠し、片や楽しそうに笑った。




