6-002. 彼女の素敵な毛並み
ギルドを半月ほど不在にすることが決まり、俺は留守中の管理をピドナ婆さんに任せて旅程の準備を進めていた。
本来ならギルドに籍のない彼女にそんなことを頼むなんて筋違いだけど、親方もアンの件があって負担を掛けられないので仕方がない。
それに、ピドナ婆さんほど信頼できる人は他にいないしな。
「これがギルドの鍵だ」
「責任もって留守を務めさせてもらいますね」
「大工の作業は予定通りに進んでいるから指示を出す必要はないし、ギルド管理局に休業届けも出してあるから依頼書が来ることもない」
「わかったわ」
「……」
「どうかしたの? ジルコさん」
ピドナ婆さんがあまりにも優しくしてくれるから、こんなに頼っていいものかと思ってしまう。
俺が口ごもっていると、彼女がまるで俺の心を読んだようなことを言う。
「困った時は頼ってくれていいのよ。長い間、一緒に頑張ってきた仲なのだから」
「……ありがとう」
俺にはその言葉が身に染みる。
一方で、そんな仲間達を一方的に切っているのだと思うと、やるせなくなる。
でも、今さらやめることなんてできない。
〈ジンカイト〉存続のためには、このまま解雇任務をやり遂げるしかないのだ。
「気を付けてね。いってらっしゃい」
「行ってきます、ピドナ婆さん」
「ネフラちゃんも」
「はい。行ってきます」
ピドナ婆さんに挨拶を終えた俺とネフラは、パーズ方面行きの駅馬車に乗るために西門の停留所へと向かった。
隣を歩くネフラは楽しげな表情になっている。
その横顔を見ていると、俺も自然と表情が柔らかくなってしまうから不思議だ。
これから少しの間だけでも辛いことは忘れよう。
アンとのけじめはその後しっかりつける。
それを心に誓い、俺はほんのひと時だけ次期ギルドマスターの重荷を下ろすことにした。
◇
この日に限って停留所は混雑していた。
「……バレないかな」
「大丈夫だろう」
俺とネフラは、それぞれ足元まで隠れる大きなマントを羽織り、頭にはフードを深々と被っていた。
こうでもしないと、道すがらいろんな人に声をかけられて大変なのだ。
現に、ネフラも多くのファンが宿舎に押し寄せてきて大変だったらしい。
〈バロック〉壊滅の影響は、そんな形で俺達を困らせてくれた。
「いいかネフラ。王都を出るまでは絶対に正体を知られちゃいけないぞ」
「わかってる。そのためにこんな怪しい旅人を装っているんだものね」
怪しいって……まぁ、怪しいよな。
けれど、こんな格好も駅馬車に乗って王都を出るまでの辛抱だ。
手前の駅馬車が出発したのを見送り、ようやく次の馬車に乗れそうになった頃合いに――
「おい。あれ〈ジンカイト〉の冒険者だぞ!」
「本当だ、間違いない!」
――そんな声が聞こえて、俺はフードの下でギョッとなった。
こんな格好をしていてもバレるとは、一体どんな目利きなんだと思って振り返ると……。
「退けっ! 気安くわらわに触れるな!!」
刺々しいセリフと共に、寄ってくる人々を乱暴に押し退ける人物が目に入った。
その姿を見て俺は目を丸くした。
「ジェリカ!?」
……間違いない。
それは、俺もよく知る人物――ジェリカ・ゴールデンアップル。
〈ジンカイト〉の冒険者の一人にして、世界最高峰の獣使いだ。
加えてセリアンのオオカミ族でもあり、その界隈では屈指の美女として有名な人物でもある。
「な、なんであの人がここに……!」
「よかった。ジェリカさん、何も変わってないね」
ジェリカとは凱旋式以来、九ヵ月ほども顔を合わせていない。
無事であることがわかったのはいいが、何もこのタイミングで鉢合わせすることはないだろうに……!
「ジェリカ様! あなたのおかげでウチのムギはすっかり体調も回復しました!」
「そうか。それはよかった」
「ジェリカさん、またペットフードの開発にご協力を!」
「また今度だ。火急の用があるでな」
「ああ、ジェリカ様! 俺をあなたのペットにしてくださいっ」
「間に合っている。他を当たれ!」
相変わらず凛々しい人だ。
久しぶりに王都に帰ってきたのだから、ここで捕まえて解雇通告と行きたいところだが……場所もタイミングもすべてが悪い。
「ん? この臭いは……」
突然、ジェリカが足を止めて周囲を見渡し始めた。
大きな鼻を動かし、どうやら臭いを探っている様子。
……ヤバい。
彼女はめちゃくちゃ鼻が利くのだ。
「そこな者!」
ジェリカから声を掛けられて、俺は思わず顔をそむけてしまった。
「忘れもせぬ、懐かしい臭いだ」
ジェリカが人混みを掻き分けてこちらへ向かってくる。
……ダメだ。バレた。
「なぜそっぽを向いておる? ジルコ・ブレドウィナー! それにネフラ!!」
彼女が叫んだ瞬間、その場の人々がざわめいた。
大声で名前を呼ぶことはないだろう……。
「ジルコ?」
「ジルコ!?」
「英雄ジルコ!」
「ネフラちゃんだ~!」
正体が露見し、瞬く間に停留所は大騒ぎになった。
フードを剥ぎ取られ、寄ってくる市民達に俺もネフラも当惑する。
その時――
「退けっ! 我が友に気安く触れること許さぬ!!」
――ジェリカが一喝すると、興奮した人々が一斉に静まり返ってしまった。
彼女くらいの獣使いになると、人間すら操れるのか?
ジェリカが意気揚々と俺の前までやってくる。
改めて見ると、彼女の薄灰色の毛並みは美しい。
それに鼻筋が通ったスリムな顔立ちは、ヒトの俺でも見惚れるほどの美人顔だ。
ルス地方の遊牧民出身である彼女は独特な民族衣装を着ていて、利き腕には厚い革布を巻いている。
いつも一緒の相棒は姿が見えないが、どこにいるのだろう。
「久しいな! 捜していたぞ我が友ジルコ。そしてネフラ」
「あ、ああ。久しぶ――」
俺が言い終える間もなく、ジェリカが抱き着いてきた。
さらに、毛深い顔をこすりつけてくる。
……ちくちくして頬が痛い。
「ネフラも大人になったな。たった数ヵ月会わないだけで、ずいぶんと艶が出た」
「えっ。そ、そうかな?」
「大人の女の香りが強く出ている。それでは周りの男が放っておくまい!」
「……っ」
ネフラが顔を赤くして、フードを被ってしまった。
ジェリカ、こんなところでそんなことを言うもんじゃないぞ……。
「さて、と――」
ジェリカが俺から離れるや、彼女は尖った鼻先を俺に近づけてきた。
面と向かってその釣り上がった双眸に見つめられると、何もやましいことがないのにたじろいでしまう。
「――場所を変えようか。お前に相談したいことがある」
仲間との久しぶりの再会。
本来なら喜ばしいことのはずだが、今の俺にとっては色んな意味で歯がゆい。
一方、俺の気持ちなど露知らず、彼女は再会の喜びでお尻から伸びる尻尾を元気よく振っていた。
◇
俺達は停留所からほど近いコーフィーハウスへと入店した。
個室へと案内され、狭い室内でジェリカと向かい合うことになって、俺は解雇の話を切り出すべきか迷っていた。
まぁその話をするにしても、彼女の相談を聞いた後でも遅くはないだろう。
「顔を合わせて早々、こちらの勝手に付き合わせて申し訳ない」
「いや、いいよ。久しぶりに会えて嬉しいのは俺も同じだし」
「そうか! 九ヵ月ぶりだものな。ジルコも英雄と呼ばれるだけあって、精悍な顔立ちになった。見違えたぞ!」
「ど、どうも」
俺の噂は王都の外まで届いているらしいな。
もしかして、パーズに行っても顔を隠さないとダメな感じか……?
「さっそく本題に入っていいか?」
「もちろん」
「まずはこれを見てほしい」
そう言うと、ジェリカは膝の上に置いていたリュックから一枚の紙を取り出し、俺に差し出してきた。
受け取って最初に目に留まったのは、海を走る船の挿絵だった。
文章の見出しには調査団員の募集要項、と書かれている。
「なんだこれ、調査団員?」
「そうだ」
「三ヵ月ほど前に新大陸が発見されたことは知ってるか? これはその調査団員を募る瓦版だ」
「新大陸? ……初耳だな」
新大陸発見とは凄いニュースだ。
そんな大事なら、たまに新聞に目を通す程度の俺でも知っていそうなものだけど。
「ネフラは知っていたか?」
「私も知らない」
ネフラが知らないのなら、俺が知っているはずもない。
だが、それはつまり世間的には公表されていない事実ということになる。
それなのに、こんな紙が発行されているなんてどういうわけだ?
俺とネフラが同時にジェリカへと向き直る。
彼女はコーフィーカップを一口あおった後、口を開いた。
「その探検家、少々性格に難があるようでな。帰還早々、後援者となった貴族達と揉めたらしく、新大陸発見の功績が有耶無耶にされてしまったらしい」
マジかよ。
そんなことがあり得るのか……。
「国は今復興に注力しているし、大陸の外の探検にまで金を出してくれるのは国の派閥に属していない酔狂な篤志家くらいだ。そんな連中の不評を買えば、孤立無援となるのも致し方ない」
「性格に難があるのは損だよな」
「うむ。ゆえに今回、私財を投げうってこんな瓦版まで発行し、新たな支援者と同行者を募っているというわけだ」
「そこはちょっと共感できるかも」
……ん?
待てよ。新大陸の発見ということは、もしやその同行者って。
まだ読んでいる途中で、ジェリカに紙をひったくられてしまった。
「紙に書かれているように、発見された新大陸はあまりに広大。あまりに未知。素人の探索では高い確率で死がつきまとうことだろう。ゆえに、本格的な新大陸探索のために冒険者が求められている」
新大陸の探索だって!?
それはまさに未知への挑戦!
冒険者として心惹かれる謳い文句じゃないか!!
「ジルコと昔よく話したな。魔物退治ばかり依頼される自分達は、冒険者とは言い難い。かつてのように、命懸けで未知を探求する者こそが真の冒険者だと」
「……ああ」
「新大陸の冒険こそ、まさに真の冒険者と呼ぶに相応しいと思わないか?」
……思う。思うぞ!
俺もその冒険に同行したい。
誰も知らない海の向こうで発見された未知の大陸……!
アムアシア大陸からは消えてしまった古のモンスター達が、その大陸には今も生き残っているかもしれない。
かつて存在した冒険者の本懐――それを遂げられる場所が、新大陸に見出せそうな気がする。
その時、隣に座るネフラに片肘で小突かれた。
じとりと俺を見上げている彼女は、何やら冷めた眼差しをしている。
……この子、冒険者なのに今の話で気持ちが上がらないのか?
「ジェリカはその航海に俺を誘いにきたのか?」
「違う」
……違うのかよっ!
「じゃ、じゃあ何しに俺を訪ねてきたんだよっ」
「……わらわも色々あったからな。なんだかんだギルドのおかげでそれなりの名声を得ることはできたが、今もしがらみから抜け出せそうにない」
「そのしがらみって……」
「なればこそ、これを機に新大陸への旅に出ることで、無理やりそれを断とうと思う次第だ」
ジェリカの言うしがらみ。
それが何なのか、言われなくても俺にはわかる。
同時に、どうしてそんなしがらみを抱えることになってしまったのか、独り身の俺には到底わかり得ないことだった。
「で、俺を訪ねてきたわけは?」
「募集要項にも書かれているのだが、探検家は資金難のようで、新たな船を用立てるために募集条件に5万グロウの寄付とある」
「金を取るのかよ! しかも5万グロウだと!?」
「大海原を旅する船だしな。それに財産の多寡も採用の材料とするのだろう」
というか、もしや俺を訪ねたのはその金をギルドで用意しろってことか!?
久しぶりに顔を出しておいて、そりゃないんじゃないか……。
「この数ヵ月ギルドを離れてはいたが、よその土地で個人的に依頼はこなしてきた。報奨金を受け取る余地はあるだろう?」
「そ、そりゃまぁ……規定に則ってはいるから……」
「ゆえに今回、未支給の分を受け取りに来たのだ。どうかギルドマスターに掛け合ってくれないか」
「えぇと……」
「サブマスターのお前にしか頼めないことだ」
「うぅんと……」
ネフラに視線を向けても、彼女は黙ってコーフィーをすすっているばかり。
……助けてくれそうにない。
「ギルド所属の冒険者として正当な要求だ。断る理由はあるまい!?」
「~~~~ッ!!」
なんでこのタイミングでそんな面倒な話を持ってくるんだ、この人は!
これじゃまだしばらく次期ギルドマスターの重荷を下ろせそうにないな……。




