D-009. 五人目
エル・ロワに戻って早々、私はジルコの動向を探った。
彼はすでに王都に戻ってきているらしい。
なぜなら、王都はあちこちジルコの噂で持ちきりだったから。
「あのブレドウィナーがとうとう頭角を現してきたな」
「〈ジンカイト〉のギルドマスターになるって噂だよ」
「商人ギルドが総力をあげてバックアップしてるらしい。ヤバくね?」
「彼が教皇様の命を救ったって話、本当なの?」
……道行く連中がジルコの話ばかりしている。
私は殺意を募らせながら、王都の通りを〈ジンカイト〉のギルドへ向かって歩いていた。
私自身、フード付きのローブを羽織って顔を隠すことも忘れてはいない。
おそらく私が死んだという話も直に知れ渡るはず。
いいえ。もしかしたら、すでに耳ざとい者は聞きつけているかもしれない。
できるだけ早くジルコを始末して王都を出なければ……。
◇
〈ジンカイト〉のギルドは大勢の市民によって取り囲まれていた。
それは四六時中のことで、夜になっても一向に人気がなくなる気配がない。
軍の兵士が何人も見張りについているし、これではギルドに忍び込むなんて不可能に等しい。
「外に出てくるのを待つしかないわね」
……それから、私がギルドの張り込みを始めて二日。
途中、ゾイサイトがギルドを訪れて肝が冷えた。
時計塔から突き落としたはずなのに、どうして生きているのあの男……。
奴に見つかればジルコを殺すどころではなくなる。
暗殺を実行するなら、最低でもゾイサイトがジルコの傍にいないタイミングを見計らわないと。
「……! 出てきた!!」
待つのにも飽きてきた頃、ようやくジルコが庭先に現れた。
彼は一度厩舎へと引っ込んだものの、しばらくしてギルドの柵を乗り越えて外へ出ていく。
いよいよ暗殺を実行するチャンスが巡ってきた。
◇
ジルコは北門を抜け出た後、街道を外れて小森林へと向かっていた。
何の用があるのか知らないけれど、わざわざ人気のない場所に向かってくれるなんて好都合だわ。
私はローブを脱ぎ捨てるや、北門の壁から飛び降りた。
ジルコはまさか私が生きていて、命を狙っていることなど知る由もない。
しかも、今の彼は何の武装もない様子。
この条件下でジルコ抹殺など赤子の手をひねるようなものだ。
ジルコの後を早足で追いかけていると――
「あなたは行ってはダメ」
――突然、背後から声を掛けられた。
振り向いた時、私の視界に映ったのは……。
「ネフラ!?」
「生きていると思ってた」
「なぜここに……!」
私はとっさに周囲を見渡した。
他にも〈ジンカイト〉の冒険者がいるのではと思ったから。
「……誰もいない。もしかして一人で?」
その場には確かにネフラ一人しかいなかった。
「それを返してもらいに来た」
「それ?」
「それ」
ネフラが私を指さしてきた。
その指が差しているのは、私の首元――冒険者タグだった。
「ああ。ギルド記章のこと?」
「そう。あなたはジルコくんから解雇を言い渡されてる。もうそれを付けていることは許されない」
「わざわざそんなことを言いに私の前に?」
「それだけじゃない」
「他の用事は何かしら?」
「あなたの始末をつけに来た」
私はネフラの正気を疑った。
他に戦える者を引きつれているのならいざ知らず、防御一辺倒の魔法使いが私を始末するだなんて。
「笑えない冗談だこと」
「笑わなくていい。事実だから」
「そう。いいでしょう。ならば私も身を守るために迎え撃つだけ」
「あなたにはもうジルコくんと会ってほしくない。彼は、あなたを殺したと思って苦しんでる」
「殺されかけたのは事実ですから」
「あなたから仕掛けてきたことでしょう。ちゃんとその責任を取ってもらう」
ネフラがミスリルカバーの本を開いた。
その本、いつの間に商人ギルドから取り寄せたのかしら。
でも、今さら彼女の魔法など何の脅威もない。
いくら奇跡を無効化されようとも、純粋な身体能力だけでネフラの首をへし折ることは造作もないのだから。
「本番の前の準備運動になればよいけれど」
「先のことを考える必要なんてない」
「あら、そうっ!?」
私は地面を蹴ってネフラへと突撃した。
小細工など必要ない。
一直線に懐へと飛び込んで、心臓を貫いてお終いよ!
その時、ネフラが本のページを破る不審な行動を見せた。
「事象解放・熱殺火槍!!」
彼女が口にするのと同時に、宙に舞うページから突然炎が発生した。
それは炎の槍となって私のもとへ飛んでくる。
「なっ!?」
間一髪、私は身を転がして炎を躱した。
生身のまま直撃を受けていたら危ないところだった。
でも……なぜネフラが属性魔法を!?
「あなた今、何をしたの!?」
「抑留していた魔法を解放した」
「なんですって」
「私の事象抑留を知る人はみんな誤解しているけれど、この魔法の真価は魔法を抑留することじゃないの」
「!?」
「抑え留めることができるのならば、それを解放することもできるのが道理」
「まさか……!」
「今まで抑留してきた魔法はすべて私の手札になる」
馬鹿げてる!
そんなことがあり得るの!?
他人の放った魔法や奇跡を自分の力として自在に扱えると言うのなら、それはもう魔効失効の奇跡よりも遥かに反則的な力!
人間には分不相応にも甚だしい神の領域!!
「この……猫かぶりがっ」
「これはつい最近ようやく習得できた魔法。ジルコくんにも秘密」
「研磨の奇跡!!」
「本当は私だって使いたくないの」
「魔効失効の奇跡!!」
「でも、使わなければならないのなら私も覚悟を決める」
「死ねぇっ!!」
相手が攻撃魔法を使えるのであれば、簡単にはいかない。
とは言え、ネフラは身体能力的には一般人と大差ない。
どんな強力な魔法を使おうと、こちらの奇跡を無効化しようと、ひとたび懐に入り込みさえすれば簡単に殺せる。
奥の手があるからといって、一人きりで私に挑む愚を思い知らせてあげる!
広範囲を高速で駆けまわりながら、フェイントも織り交ぜつつネフラとの距離を詰めていく。
すると、ほら――
「事象解放・激震槌!!」
――予想通り、ネフラがまた一枚ページを切り取って魔法を放った。
彼女の正面にぶ厚い石柱が現れたのを皮切りに、私に向かって同様の石柱が地面の上をいくつも突き出てくる。
そんな雑魚向けの魔法など私に通用するものですか!
私は次々に突き出てくる石柱を踏み台にしながら、ネフラとの距離を縮めていった。
石柱は魔法が込められているので、私が触れた瞬間に塵へと戻っていく。
もっとも大きな石柱を飛び越えた先で――
「事象解放・炎蛇の鞭舌!!」
――三枚目のページを破り捨てるネフラを視界に捉えた。
いかなる魔法攻撃も魔効失効の奇跡をまとった私には無意味なのに、無駄な努力ご苦労様。
空中で炎蛇の鞭舌の炎を浴びて無効化し、ネフラの目の前へと無事着地。
あと一息で彼女に必殺の一撃をぶちかませる――
「え!?」
――と思ったのに、急激に奇跡の効能が消えていく感覚に襲われた。
「まさかっ」
とっさに視線を落とすと、私の足は白紙のページを踏んでいた。
魔効失効の奇跡の光を剥ぎ取るようにページへと光が吸い込まれていく。
なんたる失態。四枚目――しかも白紙――を破り捨てていたなんて!
激震槌と炎蛇の鞭舌の連携は、事象抑留のための陽動だったの!?
「事象解放・熱殺火槍×2!!」
ネフラはさらに二枚同時にページを切り取った。
発生した二本の炎の槍に衝突した私は、体を焼かれながら弧を描くようにして地面へと落ちることに。
「ぐううぅぅ……っ!」
幸い胸元の宝石は無事だった。
私はすぐに癒しの奇跡と魔効失効の奇跡を重ね掛けして――
「っ!?」
――そこへ突然、何かが私の頭へと飛んできた。
それは紙を折りたたんで作られた大翼鳥だった。
それが額にぶつかった瞬間、私の体から再び奇跡の効能が失われていく。
「ま、また小細工を……っ」
私は大翼鳥を掴むや、すぐさま細切れに破り捨てた。
その後、改めて宝石に意識を集中しようとした時――
「事象解放・火輪より出でる神の熱!!」
――やや離れた場所から、ネフラが新たなページを切り取るのが見えた。
しかも、今口にした魔名は……まさか……!
「死ぬ気なの!? こんなだだっ広い場所でそんな魔法を使えば、あなたまで――」
「事象解放・螺旋土牢!!」
「え」
真っ白な光球が私とネフラの間に浮かび上がる。
それとほぼ同時に、地面が揺れて私の周囲に土が盛り上がり始めた。
土は螺旋状に私を包み込むように押し上がっていき、私と光球だけを半球の土牢の中に閉じ込めてしまった。
「そんな!!」
真昼のように明るい土牢の中、光球がカッと弾けるように閃光を放った。
刹那、想像を絶する熱が私の全身を焼きつける。
肉は蒸発し、骨は溶け出し、臓器すらも干上がる地獄の中――
「お前、なんか、に……っ」
――私は倒れた。
◇
「……はぁ……うぅ……」
……目が覚めた。
全身を激烈な痛みが苛んでいるということは、私はまだ生きているということか。
でも、手足どころか指先すらもまともに動かせない。
視界は光が見えるだけで、ほとんど視力は失われている。
息をしようにも空気が喉の奥まで入ってこず、とても苦しい。
「……ぅ」
一切のエーテルを感じられない。
首から下げていた冒険者タグも、念のために懐に隠し持っていた宝石も、先ほどの魔法ですべて破壊されてしまったらしい。
まさかこんなところで終わるなんて……。
私は、ネフラなんてジルコの腰巾着に過ぎないと思っていたのに……。
……小さな足音が近づいてくる。
閉じる瞼すらも失われた私の目には、黒い影が迫ってくるようにしか見えない。
「ごめんね。まずあなたを動けなくする必要があったから」
ネフラの声だった。
こんな状態になっても耳だけは生きているなんて。
最期に仇敵の勝ち名乗りを聞くだけだなんて、あまりにも惨い仕打ち……。
「あなたは名前に強い力が宿るって信じる?」
「……?」
「もしもこの世のすべての存在から名前を忘れられてしまったら、この世に存在できなくなるって言ったらどう?」
「……」
「あなたの存在を消すわ、ペルソナ」
何を言っているのこの女。
私を殺す、の間違いじゃないの……?
「そのあとで、体の傷は無かったことにしてあげる」
「……ぅ」
「そのふたつを書き換えるだけで五年。五年も捧げることになるの」
「な、に、を……?」
「あなただから――友達だから捧げるの」
「何、を、言って……?」
どうやらネフラが本を開いた。
「さよならペルソナ。フローラを返して」
「な……」
ぼやけた視界に、太陽のようにまばゆい光が現れた。
その光にネフラが包み込まれていく。
そして――
「レコード・イレイサー。そして、オーサー・ドライヴ」
――私も光に。
◇
……うっすらと目を開けた時、知らない天井が目に入った。
ここはどこ?
体が重い。動かない。
視界はぼやけていて、何かが聞こえてくるけれど耳も遠い。
これは人の話し声……?
「――無茶するよ。全部あの坊やのためなのかい?」
「ごめんなさい。でも、これは私のためでもあるの」
「習得したばかりで満足に使いこなせていないのに、二つも同時に使うなんて無茶し過ぎだよ。失敗してたらどうなっていたか!」
「どうしても救いたかったから……」
……何の話をしているのだろう。
話してるのは若い女性と老婆……かしら。
女性の声は知っているような気がするけど、誰だか思い出せない。
「あっ。目が覚めてる!?」
「書き替わった直後だから、記憶が混濁してるようだね。たぶんお前のこともわかっちゃいないよ」
「そう……」
私の顔を女性――いいえ。少女と言うべき?――が覗きこんできた。
とても可愛らしい顔。
耳が尖っているからエルフかしら。
それにしても、なんて美しい碧眼だろう。
……どうして泣いているの?
「よかった……! よかったぁ……っ!!」
泣いてるのに笑ってる。
変な子ね。
「それじゃ、この子はあたしが預かって身を隠すよ」
「はい。彼女の生存が知られたら、命を狙われるかもしれませんから」
「副作用で元の記憶が戻らない可能性もある。そしたらどうする?」
「その時は、彼女にはまったく新しい人生を」
「……そうかい。わかったよ」
話が見えてこない。
記憶? 命が狙われる?
それって私に関係ある話なのかしら。
「記章、ちゃんと返してもらったからね」
少女がまた私の顔を覗き込んでいる。
目には涙を溜めているけど、今度は満面の笑顔で。
彼女は私に向かって、端が焦げ付いた布のようなものを見せている。
……その布には、なんだかとても懐かしい気持ちになる紋章が縫われていた。
「あとはよろしくお願いします、シリマ」
「ああ。お前もあまり心配させるんじゃないよ?」
少女の声が遠ざかっていく。
……それに、なんだかまた眠くなってきた。
「またね、フローラ」
そう聞こえたのを最後に、私はまどろみへと落ちていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回で追憶Ⅲは終わりです。
次話より第六章の開始となります。
魔物の謎が。勇者の謎が。
そしてジルコとネフラの関係までもが。
大きく展開していく章となります。
「おもしろい」「続きが気になる」と思った方は、
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