D-008. 誕生
……うっすらと目を開けた時、知らない天井が目に入った。
ここはどこ?
体が重い。動かない。
視界はぼやけていて、何かが聞こえてくるけれど耳も遠い。
これは人の話し声……?
『――を連れてきたという少年はどうなったのかな?』
『瀕死の重傷とのことです。今は医療院で癒し手の治癒を受けております』
『猛火の中、命懸けでこの子を救うとは大した少年じゃないか』
『はい。それゆえに手厚い看護を命じてあります』
……何の話をしているのだろう。
この声はリッソコーラ様?
もう一人の声は……知らない人だ。
『! 目が覚めたのか!?』
『聞こえちゃいないよ。私の投与した薬で夢うつつだろうさ』
『……そのようですな』
リッソコーラ様が私の心配を……?
こんな期待外れの私の身を案じていらっしゃるの……?
『しかし、あなたが近くに居てくれて幸いでした』
『頼ってくれて嬉しいよリッソ。私の知己はもう数少ないからね』
『長らくドラゴグの地にいらっしゃったのに、どうしてこちらに?』
『最近、最後の弟子が私の下を巣立ってね。それを機に研究を再開しようと、研究材料を集めてエル・ロワを回っているところだったのだよ』
『研究ですか』
『そう。そして、今回の執刀も研究材料のひとつとなる』
『……』
『不安そうな顔をしているね』
『……あなたに手術を頼むべきか迷いがあるのです』
『強制はしない。でも、今さらその選択はクレバーじゃないな。このまま目覚めてもこの子はまた自死に走るだろう。この子の未来はきみが決めるのだよ、リッソ』
執刀?
手術?
彼らは一体何の話を……?
『……お願いします』
『本当にいいのだね? 一度術式を施せば、二度と元には戻せないが』
『欠点を克服できるのならば……この子もきっとそれを望むでしょう』
欠点……。
克服……。
わからない。
話が見えない。
『ふふふ。ザナイトよりも私に頼ったのは正解だよ、リッソ』
『これもこの子の未来のためです』
『それと自分の、だろう?』
『……』
……眠い。
まどろみが私を飲み込んでいく。
意識が……途絶える……。
◇
『――の容態は?』
『術式は成功した。剥した頭皮の治癒はきみに任せるよ』
『は』
……頭がぐわんぐわんする。
私は一体何をされたの?
目がますますぼやけてしまって、もう何も見えない。
『この子、意識が?』
『薬でまどろみの中だよ。何も聞こえちゃいないし、見えてもいない』
『……』
『心配せずとも、自死を試みた前後の記憶は忘れているよ。いや、正しくは記憶を切り分けたと言うべきか』
『どういうことです?』
『頭の中を区切った。この子の暴力性の原因は、どうやらストレスを感じやすい繊細な精神にあるようだからね。負荷を分散するため、頭の中にもうひとつの座席を用意した』
『もうひとつの座席とは……?』
『今、この子の頭の中では二人の人間が共存していると考えてくれ。もっとも、もう一人の存在をこの子自身が知ることはない。あくまでも負荷を軽減してくれる影の存在だ』
『……私には理解し難い話ですな』
『心配せずとも、目覚めた後はこの子の理性が暴力性を上回るようになっているよ。感情的になっても、頭の中は冷静に物事を判断できるはずさ』
『本当にこの子はこの子のままなのですな?』
『わずかに性質の変化はあるかもしれないが、本質は変わってはいないはずだ。この子はきみを崇拝し、これからもその身を捧げることだろう』
『……安心するべきなのでしょうな』
誰かの手が私の頬に触れた。
この指先の温もり……覚えがある。
『そうそう。この子の影は、きみの計画にもある意味で打って付けだよ』
『それはどういう?』
『影はすべてを知るが、表に影の見聞きした情報は伝わらない。気を利かせて、そういう回路をこしらえておいた』
『影とは……もう一人の方、ということですな』
『そう。しかもこの子の影なのだから、性能はこの子と同じ。いや……切り分けの時に感情を割かなかったから、無慈悲冷徹という意味では純粋な戦闘力は影の方が上かもしれないね』
『つまり、意図して影の方を表に引き出せると?』
『スイッチも刷り込んである』
『……酷いお人だ。初めからご自分の都合に巻き込むつもりで執刀したのですね』
『怒らないでくれリッソ。約束通り、私はきみの計画に助力する。だから、きみも私を助けてほしい』
『助けとなるのはこの子の影では?』
『さすが察しがいい。この子の影はぜひとも私の組織に加えたい。構わないね?』
『断れる立場ではありませんよ』
『心配するな。あくまで臨時要員――影が表に替わるのはほんのひと時のことだ』
『承知しました。この子に私の負の側面を知られないのなら、それに越したことはありませんから』
『親の顔になったねリッソ。だけど、情が湧きすぎるのは悪い傾向だ。いざという時に判断が鈍るからね』
声が遠のいていく。
また意識が沈んでいく。
……。
…………。
………………。
『おやすみ、私』
誰?
頭の中に響くのは誰の声?
『私だよ。私は私のことなんて知らないだろうけれど、私はここにいるんだよ』
わからない。
あなたは……誰なの?
『名前か。確かに区別は必要ね』
区別……?
『ならば私はこう名乗ろう。私を呼ぶ人がいればこう名乗ろう――』
その名前は……?
『――ペルソナ、と』
◇
私は全身の激痛に悲鳴を上げながら目を覚ました。
「あ”あ”っ……ぎゃあああっ」
手足が熱い。
胸が苦しい。
喉が渇く。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
ここはどこ……?
私は長い夢を見ていたみたい。
遠い過去の記憶。
私が生まれた時の記憶。
まるで走馬灯のような……。
「おい。大丈夫か、しっかりしろ!」
「今、近場の医療院に向かってますぜ。お気を確かに、フローラ姐さん」
私の顔を覗き込んでくるこの男達は……。
そうだ、思い出した。
「確か、ユージーンに……デズモンド……」
「俺達の名前覚えてたのか」
「ここはどこです? 私は一体……?」
「あんた、崩れる時計塔の上階から降ってきたんだよ」
「降ってきた?」
「覚えてないのか。まぁ、そんな傷じゃ無理もないが……」
私は……ジルコに敗れた。
四肢を斬り裂かれ、アンティゴナ・ルビーごと胸を貫かれて、死んだものと思っていたけれど。
「ここは馬車の荷台でさぁ。ちっと揺れますがご容赦を」
「医療院に向かってると言ったわね。……ここは海峡都市?」
「そうですけど……姐さん大丈夫ですかい?」
「あなた達、逃げたんじゃなかったの」
「さっさとずらかるつもりだったんですがね。相棒の気が変わっちまったようで――」
ユージーンがデズモンドの顔をうかがう。
「――デズのやつがこのまま逃げ帰ったんじゃ男が廃るなんて言うもんで、時計塔に戻ったんでさぁ」
「おいユージーン! 余計なことまで言うなっ」
「んで、リーダーに一泡吹かせてやろうと塔を登り始めたら、なんと崩れ始めるじゃありやせんか。その時偶然、姐さんが上から降ってきたんですよ」
「俺達がいなかったら、あんた確実に死んでたぜ」
……なんて無様な。
私ともあろう者が、こんな連中に命を救われていたなんて。
惨めすぎる。
「ジルコやエルフの女の子は一緒じゃないのか?」
「ゾイサイトの姿も見当たりやせんでしたが……もしかしてみんなリーダーにやられちまったんですかい」
「時計塔の周りには王国兵が集まってたし、一体何があったんだ?」
「連中、何かに気を取られていたなぁ。おかげで、オイラ達は見つからずにあの場を離れられたけど」
何も知らない捨て駒ども。
本来の計画では、ゲオルギオスどもと一緒に塔で始末するはずだったけれど、まさかこんなことで役に立つなんて。
私が生き残ったのも、使命を続行せよという神のお告げに違いない。
……そう。
〈ジンカイト〉の冒険者抹殺――ジルコを殺すという使命を。
「あ、あなた達、宝石は……宝石は持っていないの?」
「宝石? そういや、あんた聖職者だったな」
「早く宝石を……っ」
「いくらなんでもこの傷を一人で治すのは無理だって! 死んでないとおかしいくらいの重症なんだぜ?」
「い、いいから、早くなさい……。お、お願い……」
「……わーったよ」
デズモンドは懐からくすんだ宝石を取り出して、私の胸の上に置いた。
……なんて汚い屑石なの。
この私がこんな宝石に頼ることになるなんて。
でも、背に腹は代えられない。
「う……うぅ……癒しの……奇跡!」
胸の上で屑石が輝き始める。
内包されたエーテル量が少ないせいで、傷の治りが遅い。
でも、だいぶ楽になった。
これで死なずに済みそうだわ。
「もっと。もっと宝石をちょうだいっ」
「えっ。そう言われても……」
「あ、あなた達を海峡都市から逃がしてあげる。それで十分な取引になるでしょう……?」
「……確かにな。〈バロック〉の後ろ盾もなくなっちまった以上、あんたを頼るしかなさそうだ」
「早く……! 傷が痛むの……っ」
デズモンドは懐から小さな袋を取り出した。
そして、中身をすべて私の胸元へとぶちまけた。
それらはすべて宝石だった。
どれもこれもエーテル量の少ない安物だったけれど、私の傷を癒すには十分な量がある。
「はぁ……あぁぁぁ……!!」
宝石群が一斉に輝き始める。
全身を駆け巡っていた激痛が少しずつ和らいでいく。
手足の感覚が……戻ってきた……!
「げげっ! 嘘だろう……!?」
「て、手足が……切断された手足が生えてってる……」
「あんたトカゲかよ!?」
トカゲと言われて殺意を覚えたけれど、今は許してあげる。
私には、お前達に構っている暇なんてないのだから。
「ふううぅぅ……っ!」
胸の穴も塞がり。
骨折した骨や破裂した臓器も治り。
手足も指先まで生えそろった。
私の体は、全身の打撲や擦り傷を除いておおよそ元通りに再生した。
「……ふぅっ」
痛みが消えて、ようやく頭が冷静に回り始める。
身を起こして馬車の周囲を見渡すと、確かにここは海峡都市に違いなかった。
すでに時計塔のあった区画からはずいぶん離れているようで、状況の確認はできない。
……時計塔が崩れたということは、ティタニィトの計画が実行に移されたということ?
いいえ。海峡都市の人々が平然としているところを見ると、計画は失敗したと考えた方がよさそうね。
きっとジルコは生きている。
傷は負っているだろうけれど、私も頼れる宝石が手元にない。
今は退いて、確実にあの男を殺せるタイミングを待つのが無難か。
「ありがとう、あなた達」
「礼はいらねぇよ。それより約束をしっかり果たしてくれよな」
「約束?」
「俺達を海峡都市から逃がしてくれるって言ったじゃねぇか!」
「ああ、そうでしたわね。その約束、今すぐ果たしてあげますわ」
「今すぐって――」
私はデズモンドの喉元へと手刀を見舞った。
「――あがっ」
荷台の板をぶち抜いて、彼は路上に落ちていった。
喉を潰れるくらいに叩いたつもりだけれど、病み上がりの私の力なら運が良ければ生きているでしょう。
「な、何を……っ」
ユージーンがナイフを取り出し、こちらへと向けようとした瞬間。
私は彼の足を払った。
「ぐがっ」
小柄なユージーンの体は揺れる荷台をバウンドし、一瞬宙に浮き上がる。
それを見計らって、私は彼を蹴りつけて路上へと叩き落した。
「ぎゃああぁっ――」
ユージーンの悲鳴が遠ざかっていく。
「さようなら。死ねば追手を恐れることはないでしょう?」
「ちょ、ちょっとお客さん!? 一体何をして――」
「お黙りなさい」
慌てふためく御者の言葉を遮り、私は命じた。
「死にたくなければ、このまま私の言う場所まで馬を走らせなさい」
「は、はいぃ~!」
まずは〈バロック〉のアジトに戻り、宝石を手に入れなければ。
それと……服。
今の私はほとんど半裸の状態。
仮にも聖女であるこの私が、こんな恥知らずな恰好を続けるわけにはいかない。
リッソコーラ様の名を汚さぬためにも、私は私らしく襟を正さなければ。
「ジルコ。今ひと時だけ勝利の愉悦を味わうがいいわ。数日の後、あなたは確実に死を迎えるのだから」
この私――ペルソナの手によって。




