D-005. 理想の果て②
教皇領で聖職者の修業を始めて四年――私が15歳になった年のこと。
私はリッソコーラ様に聖堂宮の執務室へと呼び出されていた。
『このたびはいかなるご用でしょうか、リッソコーラ様』
『よくきてくれたね、フローラ。今日はお前に頼みたいことがあるのだ』
『なんでしょうか?』
『その話をする前に、お前に贈りたい物がある』
そう言うと、リッソコーラ様は執務机の引き出しから真っ赤な宝石を取り出した。
『それは……』
『お前も先月で15歳を迎えた。成人したからには、私のもとから巣立つ時。これはその餞だ』
私は机上に置かれた宝石に目が釘付けとなった。
今まで見たこともないほどに美しい輝きを放っている宝石だったから。
『素敵! まるで煌めく樹液が結晶化したようなっ』
『かつて私が、私の師より譲り受けた紅玉――アンティゴナ・ルビーだ。ダイヤモンドにも引けを取らないエーテルが内包されている』
『そんなものを私に!? なんと畏れ多い……!』
『これを首飾りとして、常にお前の傍に置きなさい。ジエルの神が常にお前を見守ってくださるように』
『はい!!』
私はリッソコーラ様からルビーを受け取るや、手の内に握り締めた。
まるで太陽のように暖かいエーテルを感じた。
『さて、本題だが――』
次に、リッソコーラ様は別の引き出しから何枚かの羊皮紙を取り出して、それを眺め始めた。
『――成人したお前は教皇領の外へ出ることが許される。そこで、お前の知見を広めるために特務冒険者としてあるギルドに派遣したいと考えている』
『特務冒険者ですか! つまり私は、そのギルド専属の癒し手となるのですね』
『そうだ。外の世界では多くのことを学べよう。それにお前の奇跡ならば、必ずや魔物に虐げられる多くの人々を救うことができる』
特務冒険者としてギルドに派遣されるということは、聖職者として教皇庁から大きな期待をかけられているということ。
ましてや大恩あるリッソコーラ様直々の申し出なら、私に断る理由はない。
『その使命、謹んで拝命いたします!!』
『……』
『リッソコーラ様?』
決意表明した私を、リッソコーラ様が渋い顔で見つめていた。
何か言いにくそうな……そんなお顔で。
『フローラ。〈ジンカイト〉という冒険者ギルドを知っているかね?』
『〈ジンカイト》ですか。初めて聞きますが、それが私の派遣先のギルドなのでしょうか』
『そうだ。去年設立されたばかりだが、破竹の勢いで活躍中のギルドだよ』
『まぁ。そんなギルドに派遣していただけるなんて光栄です』
『その〈ジンカイト〉だが、教皇聖下の勅命により、ある団体の壊滅依頼を出すことになっているのだ』
『ある団体、とは……?』
『アニマ教原理主義団体――〈ワン・トゥルース〉。つい先日、エル・ロワ国内に潜伏しているその団体の隠れ家が明らかになったのだ』
『〈ワン・トゥルース〉……!』
それは、数年前からその名が知られ始めたアニマ教の悪名高い一派。
闇の時代の混乱に乗じて、ジエル教と竜信仰の影響力を削ごうと数々の破壊活動に殉じてきた奴らは、今や手配書の常連。
かつて私を騙して修道女達を殺させたあの人物も在籍していると目されている。
『気を落ち着かせなさい』
『あっ。も、申し訳……』
私は気付かぬうちに、血が滲み出るほど拳を握り込んでいた。
全身の血が沸騰し、髪の毛が逆立つような激情が私の内側を駆け巡るような感覚――それは抑えがたい破壊衝動となって、私の理性を蝕もうとする。
でも、そんな私をリッソコーラ様の声が正気に戻してくれた。
『まだ激情が理性に勝るか』
『……』
私の欠点――感情の暴走をいまだ私は克服できずにいた。
いかに教理の理解が早くとも、感情的な振る舞いが多い私に懸念を持つ司教の方々も多い。
それは、私が抱く理想の聖女には程遠いことを示していた。
リッソコーラ様は、そんな私を見つめながら静かに口を開く。
『これはお前への試練でもある』
『試練?』
『お前は教皇領で教理を学び、感情の抑制を覚えた。しかし、完璧ではない』
『う……』
リッソコーラ様は冷徹に私の欠点を突きつけてきた。
……そう。
私は聖職者になって、感情の制御を徹底しようと心掛けてきた。
でも、この頃の私は自分を完璧には操れなかった。
感情が溢れて暴力的に振る舞ってしまうことがあったのだ。
そんな私をリッソコーラ様が憂いていることは知っていた。
けれど、その感情だけはどうにもならなかった。
『〈ワン・トゥルース〉には、お前と因縁深いあの人物もいる』
『……承知しています』
『〈ジンカイト〉と共に、お前は奴と今一度相まみえることになるだろう。だが、決して奴を殺してはいけない。殺さずに生かしたまま捕らえるのだ』
『なぜですっ!?』
私は再び熱い衝動に駆られて、声を荒げてしまった。
リッソコーラ様の前でなんてはしたない……。
『奴は数々の要人暗殺の実行犯だ。エル・ロワ国内で勢いづいている〈ワン・トゥルース〉を抑えるためにも、奴を公正な裁判の場に引きずり出したい』
『そんなことっ! 団体のリーダーさえ生かしておけば十分では!?』
『〈ワン・トゥルース〉のリーダーはすでにドラゴグで処刑されている。エル・ロワ国内に落ち伸びてきた連中の実質的リーダーが奴なのだ』
『私に……奴を殺すなとおっしゃるので……っ!?』
『それがお前にとっての心の修行でもある』
『心の修行……』
『聖職者は奇跡の地上代行者だ。私情に心揺さぶられては、曇りなき眼で物事を見通すことも危うくなろう』
『……』
『フローラ。お前は天才だが、感情に振り回されるきらいがある。それを今回の使命で克服するのだ。その時こそ、お前は真の聖職者として開花するだろう』
『……わかりました』
『我が愛弟子の真価に期待している』
この時の私は、理性と激情が交錯した感情に酷く当惑していた。
無事にリッソコーラ様のご期待に応えられるのだろうかと、不安もあった。
彼に失望されることは、私にとって死にすら勝る耐えがたい苦痛なのだ。
◇
旅立ちの日、虹の都の正門にて。
立ち並ぶ天使像と共に、私の出発を見届けるために集まった聖職者達。
そんな中、場違いな服装の男の子が一人だけ混じっていた。
彼は私のもとへ歩いてくると、私の手を取り――
『フローラ。気を付けて行ってくるんだよ』
――と言って微笑みかけてきた。
『あなたに守ると言われて四年経ったかしら? ちっとも守ってくれませんでしたね』
『ご、ごめん。僕なりに頑張ってはいるんだけど、神聖騎士団への道はなかなか険しくて……っ』
兄のヘリオが顔を赤くして釈明を始めた。
彼が私の後を追うようにして教皇領にやってきたのは一年ほど前のこと。
この頃は二等衛兵として虹の都の警備に当たっていたけど、私との約束を果たすために神聖騎士団の正団員を目指して懸命に努力しているのを知っていた。
気恥ずかしくてからかうように言ってしまったけど、私は兄に感謝していた。
彼の顔を見るたび、自分が暖かく見守られているという事実を確信できたから。
『私、外で聖女として認められるように努めます。だからあなたも――』
『頑張るよ。そして、神聖騎士団の一員として、きみの――聖女の騎士になる』
『期待してます。ヘリオ兄さん』
私はヘリオの頬に口づけをした。
それが兄には思いもよらないことだったらしく、驚いた顔で私を見入っていた。
その一方で、きっと私は耳まで顔が真っ赤になっていただろうと思う。
それから逃げるように馬車へと乗り込むと、さっさと扉を閉めてしまった。
『フローラ様、頑張ってーーっ!!』
『未来の聖女様に光あれ!!』
『闇の時代にどうか希望をっ!!』
虹の都の人々に見送られて、私を乗せた馬車は門をくぐり外の世界へ――
『フローラ、頑張れよーーーっ!!』
――大勢の歓声の中、兄の声だけがはっきりと聞こえた。
◇
その後、〈ジンカイト〉と合流した私は、さっそく彼らに同行して衛星都市にある〈ワン・トゥルース〉の隠れ家に潜入した。
と言っても、早々に私達のことはバレてしまって、パーティーもふたつに分断されてしまったのだけど。
私は仲間と共に倉庫とおぼしき暗い部屋に逃げ込み、敵の兵隊から身を隠していた。
この時に私と一緒だったのは二人。
『フローラさん。どうやら敵が近づいてきたから、物音を立てないでくれ』
『わかりました。私のことは呼び捨てでいいですよ、ジルコさん』
『そう? だったら俺のことも呼び捨てでいいよ、フローラ』
一人は、まだどこかよそよそしいジルコ。
当時の彼は宝飾銃を持たず、雷管式ライフル銃を主武装として戦っていた。
そのためか、抜きんでた才能を持たない平凡な冒険者という印象だった。
『イチャイチャしてんじゃねーよ、てめぇらっ!!』
『いっ……イチャイチャなんてしてねーよっ』
『んなことより、敵が来たらフローラを囮に出す! 敵が気を取られた瞬間にあたしとてめぇでぶっ殺すぞ!!』
『フローラを囮にって……正気か!? 彼女は聖職者だぞ!』
『敵の刃物を避けることくらいならできるだろ。それに傷つけられたってすぐに治るじゃねーか』
『彼女をお前みたいな無法者と一緒にするな!』
『あぁっ!?』
もう一人は、当時から粗暴極まるジャスファ。
歯に衣着せぬ物言いで誰に対しても物怖じしない性格に、会って間もない私はわずかながら尊敬の念を抱いていた。
でも、その気持ちは間もなくして正反対のものへと変わるのだけど。
二人の口論が続く中、外の通路から足音が聞こえてきた。
『しーっ!』
『うわっ。ジルコてめ――』
ジルコがジャスファの口を押さえて倉庫の奥へと引きずっていったので、敵に気付かれることはなかった。
通路で足音が止むと、倉庫の中をランプの灯りが覗いた。
『いたか!?』
『いや。物音が聞こえた気がしたんだが……』
〈ワン・トゥルース〉の兵隊だった。
奴らは灯りでひとしきり倉庫内を照らすと、誰の姿もないと思って通路を駆けて行った。
私達は柱の後ろに隠れることで、なんとか奴らをやり過ごすことができた。
『離せよっ』
『ごめん』
外の足音が消えた頃、ジャスファがジルコを突き飛ばした。
『気安く触れやがって! 気持ち悪ぃ』
『謝ってるだろうが!』
『死ね、ばーか!』
『なんだとっ』
二人とも互いに胸倉を掴み上げて睨み合いを始めたので、私は呆れた。
なんという幼稚な喧嘩なのか……。
私は二人を諫めて、倉庫から出ようと提言したのだけど――
『指図すんなよ! 石ころ信者が!!』
『……は?』
『何ガンくれてんだ、こら。その目ん玉、ナイフでほじくられてぇのか?』
『口だけならなんとでも言えますね』
『あぁ!?』
『やれるものならやってみては?』
――石ころ、というジエル教徒を揶揄する典型的な悪口を言われたことで、私の中でジャスファへの嫌悪と敵意が確固たるものとなった。
『ふ、二人とも喧嘩している場合じゃないだろっ』
『てめぇが言うか!?』『あなたが言います!?』
……そして、頼りないジルコへの苛立ちも。




