D-003. 運命の出会い
孤児院で大量服毒死が起こったことは、すぐに誰もが知るところとなった。
事件の翌日には、王国軍に保護されていた孤児達をアルカンにある教会の司祭様が引き取りに来た。
でも、その中には一人だけ仲間外れがいた。
『なんで!? なんでフローラはダメなんですか!』
『……教会にも事情があります。残念ですが、フローラは連れていくことはできません』
『そんな! 司祭様まで妹が毒を盛ったと考えてるんですか!?』
封鎖された孤児院の前で、ヘリオが司祭様に訴えていた。
私はそれを院の軒下から黙って見つめるばかり。
『真実より大事なのは、皆がどう思うかです』
『どうって……』
『ヘリオ。きみが妹を守りたい気持ちはわかります。しかし、周りを見てごらんなさい』
司祭様に言われて周りを見渡したヘリオが、唖然とした顔をする。
同じ孤児院で育った子供達。
騒ぎを見守る広場の大人達。
さらに、孤児院の調査を続ける王国兵達。
……みんなが私だけを怖がるような目で見ていたのだから。
『話は兵士さんから聞きました。あの子は例の伝道師から毒リンゴをもらい、それを修道女達に配っただけだと』
『だからフローラが毒を盛ったんじゃないんです! 毒の入ってたリンゴを渡しただけで……っ』
『しかし、あの子が災いを運んできたのは事実。しかも異教徒から施しを受けるなんて。あまつさえ、それによって我が信徒が亡くなるなどっ!!』
それまで静かに喋っていた司祭様が急に声を荒げた。
ヘリオに他の孤児達、そして離れて見ていた私すらもびっくりしてしまった。
『……ごめんね。あまりにも大きな悲劇だったので、少々取り乱してしまった』
『で、でもフローラは――』
『誰もがフローラなら、と思う現実が問題なのです。あの子の素行の悪さは私にも聞こえていました。子供を疑うのは悲しいけれど、教会に厄災を招くわけにはいかないのですよ』
『そんな……!』
『わかっておくれヘリオ。私としても苦しい判断なのです』
司祭様は決して私を見ようとはしない。
まるで私が存在しないかのよう。
私はここに居るのに……あの人は手を差し伸べてはくれないんだ。
『さぁ、行くよみんな』
司祭様がヘリオから視線を外して、孤児達を連れて歩き出した。
でも、なぜかヘリオだけはその場に残ったまま動こうとしない。
しばらくすると、彼は私の元へ走ってきた。
『ヘリオ?』
『行こう、フローラ!』
ヘリオは私の手を掴んで、強引に引っ張ろうとしてきた。
私はとっさに腕を引き戻してしまった。
そのせいで、ヘリオが顔から地面に倒れ込んでしまう。
『あっ……!』
それを見た周りの大人達が、改めて私に視線を向けてくる。
まるで怪物でも見るかのような嫌な目を。
『いてて……』
『ご、ごめんねヘリオ』
『大丈夫。妹の粗相には慣れてるから!』
『……』
ヘリオは土の付いた服を払うや、再び私の手を握った。
『行こう』
『……でも、私』
『関係ないよ。フローラだって孤児院の一員なんだから、一緒じゃなきゃおかしい』
『……』
ヘリオは笑いかけてくれていた。
でも、その後ろでは、孤児院のみんなが私を不安の眼差しで見つめていた。
中には泣いている子すらいた。
当時、子供だった私でも一緒にはいられないのだとわかった。
『ごめんっ』
私はヘリオの手を振り払って走り出した。
孤児院の前を走り抜けて。
兄と駆け回った広場を突っ切って。
逃げるように人気のない路地へと入り込んで。
『はぁっ、はぁっ』
息を切らしながらも、私はある場所に向かって走り続けた。
伝道師に理由を問いただそう。
どうしてあんなことを私にさせたの?
人殺しの手伝いなんてしたくなかった。
この罪をどうすれば償えるのか、どうすれば地獄に落ちずに済むのか、答えが欲しかった。
例え異教の司祭でも、あの人ならきっと答えをくれると思った。
なのに――
『嘘』
――あの人が居るはずの教会は倒壊してしまっていた。
まるで山のように積み上がっている瓦礫を、大人達がせっせと片付けていたのだ。
呆然としていた私に、作業をしていた大人の一人が話しかけてきた。
『お嬢ちゃん。こんなところにどしたい?』
『……この教会、いつこんなことに?』
『つい今朝方だよ。前々から老朽化で危ない危ない言われてたから、とうとう限界が来たんだろな』
『誰か人は?』
『いやしないさ。誰も引き取り手のいない廃教会にやってくる物好きなんているかい?』
『……』
『早くお家に帰りなよ。こんなとこに女の子が一人でいるもんじゃねぇから』
作業場に戻っていく彼を見送りながら、私は困惑した。
おかしい。
今の人、誰も引き取り手がないと言った。
でも、伝道師はこの教会が自分に与えられたと言っていた。
あれは嘘だったの?
じゃあ、あの人は一体何?
……そんな考えが頭の中をぐるぐるしていた。
『ああ。とうとう崩れましたか』
その時、私の後ろからまた別の大人の声が聞こえた。
振り返ると、そこには――
『片付けご苦労様です、皆さん』
――薄緑色の司祭服を着た人が立っていた。
一瞬、私の知る伝道師かと思ったけど違う。
薄緑色の司祭服。
マフラーのように首に巻かれた赤と黒のストール。
竜の模様が描かれた円柱形の帽子。
間違いなく竜聖庁の人だとわかる。
だけど、その顔はヴェールで覆われてもいないし、何の特徴もない男の人だった。
『なんだあんたか、トカゲの人』
『トカゲは酷いなぁ。これでも僕も頑張って布教してるつもりなんですよ?』
竜聖庁の人は、作業場の大人達と話しながら私の横を通り過ぎていく。
『ま~た布教に来たのかい? 誰も聞きゃしねぇって』
『旧区画の方がジエル教信者が少ないもので』
『しかし運が良かったな。もしあんたがこの教会を引き取ってたら、今頃は天国だったよ』
『ですねぇ。って、こうなることを見越して断ったんですよっ』
『で、何。今は〈風来亭〉を間借りしてるんだって? ついこないだ揉め事起こしたくせに、よく許されたもんだ』
『店主さんが理解ある人で。いやまぁ、大人しくしてるのが条件だとは言われてますけど』
『じゃあ宿に居られるのは今日までだ』
『なぜです?』
『さっき王国軍が来てな。お前さんのこと捜してたぞ。何やらかした?』
『えぇっ!? 僕をですか!?』
竜聖庁の人はとても困惑していた。
でも、それは私も同じ。
大人達の話を聞いて理解できたのは、目の前の人が本物の伝道師だということ。
私が出会ったあの人は、竜聖庁とはまったく関係ない人物だった。
正体も目的もわからないけど、孤児院の修道女達に毒を盛るために私に近づいてきたのだ。
『許せない……!』
私は目の前がぼやけて、頬に熱いものが伝うのを感じた。
悔しい。
人殺しの道具にされたことが悔しい。
汚された。
聖女様に憧れた私の手を汚された。
許さない。
こんなに腹立たしいのは生まれて初めて。
『殺す……見つけ出して殺してやる……っ』
この時の気持ちは、今でも鮮明に思い出すことができる。
私が初めて他人に殺意を抱いた瞬間だったから。
◇
雪が降る白昼。
私はあれからずっと偽物の伝道師を捜していた。
たったの数日、外で過ごしただけで布地の服がもうぼろぼろ。
何度も転んで顔も手足も擦り傷だらけ。
そうまでしてアルカンを探索したのに、あの人の姿はどこにもなかった。
私は復讐を誓っておきながら、結局何もできずに無駄骨を折っただけだった。
『おい。あの子……』
『ええ。噂の子よね』
道ですれ違う夫婦らしき男女に、ひそひそと陰口を叩かれた。
この二人だけじゃない。
今ではもう、この町の人達は誰もが私とすれ違う時にそんな態度を取る。
それを見るたび、私はこの世に独りぼっちなんだと思えた。
『ヘリオ……』
道すがら、不意に兄の名を口に出してしまう。
ついこの間までは、しつこく話しかけてきて鬱陶しい奴だと思っていたけど、いざ独りぼっちになってみると恋しくて仕方がない。
ただ一人の肉親で、ただ一人私を大事にしてくれた兄。
離れ離れになってようやくそれがわかるなんて、私は愚かな妹だった。
『うぅ……っ』
心がいっぱいいっぱいだったのだろう。
とうとう私は道の真ん中でしゃがみ込んでしまった。
頬を伝う涙が止まらなかった。
寒いよ。悲しいよ。そんな気持ちが私の心を支配していた。
『どうしてこんなことにぃ……うっうっ』
私は過去の粗暴な態度を後悔していた。
でも、今さらもう遅い。
すでに独りぼっちの私は、この寒空の下、きっとたった独りで消えていく。
そう思って涙を流すばかりだった。
……心底変わりたいと思ったのは、この時だった。
暴力的で攻撃的で、そのくせ素直じゃなくて独りよがり。
こんな自分を変えられるものなら変えたい。
でも、今さらそんな願いは叶わない――私はそう思い込んでいた。
『もう遅いんだ……』
口から絶望の言葉がこぼれ落ちた。
その時――
『何が、遅いのかね?』
――私の前に背の高い男の人が立っていた。
その人は、糸のように細い目で私を見下ろしていた。
身に着けているのは、白と赤の鮮やかなローブ。
首周りには、雪のように真っ白な襟飾りをつけている。
私に向けられる穏やかな表情を見て、なぜか安心してしまった。
こんな優しい視線を向けられたのは初めてだったから。
『ちょっときみ。端に退けなさい! 失礼だぞ』
『申し訳ありません、リッソコーラ卿。すぐにどかしますので』
リッソコーラと呼ばれた人の周りに居た大人達が、私の腕を掴み上げる。
私は抵抗する余地もなく、道の端へと追いやられてしまった。
『さぁ、教会はこの通りの先にございます』
『……? リッソコーラ卿、何か?』
その人は、道の端に居る私をじっと見つめたまま動かずにいた。
周りの人達はそれを見て不思議がっている。
どうしたんだろう、と私が思っていると――
『きみ、怪我をしているね』
――彼が歩み寄ってきた。
『あっ。ご、ごめんなさいっ』
『何を謝ることがある。謝るのはむしろこちらだよ。不躾に道を開けさせてしまってすまないね』
『……』
『さ、顔を見せて。……おや、手足にも擦り傷があるね』
彼は私の頬に触れると、目をつむって祈り始めた。
すると彼の指輪が輝き、私の感じていた傷の痛みが徐々に消えていく。
私はそれが奇跡だとすぐにわかった。
『もう大丈夫。走る時は転ばないように注意なさい』
『……!』
わずか数秒で全身の傷が癒えた。
こんな強い癒しの奇跡は初めてだった。
『では』
『あっ。待って!』
私はしっかりと礼を言いたくて、背を向けた彼の手を掴んだ。
その時――
『うっ!?』
『えっ』
――彼の指にはまっていた指輪の宝石がまばゆく輝いた。
そして、弾けるように割れてしまった。
『な、なんと……!』
彼は驚いた様子で宝石の割れた指輪を見やる。
その一方で――
『この小娘、何をしたっ!?』
――私は周りの大人達に組み伏せられた。
『その子を離せ!』
『し、しかしっ』
『二度言わせる気か?』
『も、申し訳ございません!』
解放された私の前に彼が屈んだ。
身分の高い方だろうにこんな私の前に片膝までついて、畏れ多いと思った。
『素晴らしい!』
『え?』
『きみのような素晴らしい素質の持ち主を、私はずっと捜していたのだ』
『素質……』
『私と共に来て、聖職者にならないか?』
まさに奇跡だった。
この時、私は私を変えるきっかけを与えられたのだから。
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