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D-002. 血まみれの聖女②

 私と兄の出自は誰も知らない。

 なぜなら、私と兄はアルカンの孤児院の前に捨てられていたのだから。


 兄は生後半年ほど。

 私は(へそ)の緒さえついたままだった。

 一緒に置かれていた古臭い宝石箱の中には、私と兄の生年月日が羊皮紙に書かれて収められていた。

 そして、兄は日長石(ヘリオライト)を。私は蛍石(フローライト)を。その小さな手に握っていたという。


 当時の院長が修道女(シスター)達と母親捜しをしたそうだけど、町にお腹が大きくなっていた妊婦はいなかった。

 その頃のアルカンは私達と同じ金の髪と蒼い瞳を持つ男女もいなかったので、町に立ち寄った目的地なき放浪者(ストレンジャー)が邪魔になった子供を捨てていったのだろうと結論付けられた。


 私と兄は、それぞれ握っていた宝石から名を取られた。

 そして、ジエル教の聖人として名高い博愛と慈愛の聖女に(なら)って姓を授かった。

 名前を得たことで、私――フローラ・ヴェヌスの人生は始まったのだ。





 ◇





 私が伝道師に連れてこられたのは、墓地からしばらく離れた場所にある路地裏の小さな教会。

 この辺りは旧区画と呼ばれている。

 毛織物の産業で町が潤うようになってから多くの人々は新区画――教区や商業区のある中央街――へと移り、旧区画は寂れてしまって人気もない。

 いまだにこの辺りに残っている人間は、世捨て人か世間のはみ出し者くらいだと修道女(シスター)が揶揄していたのを思いだす。

 そんなところにある教会なのだから――


『廃墟なんだけど』

『よそ者に――しかも異教徒に与えられる居場所なんて、こんなもんさ』


 ――とても人が暮らせるような場所じゃなかった。


『でもね。あたしは気に入ってるんだ』

『どうして? 虫とか出そうで気持ち悪いのに』

風の精霊(シルフ)が踊る空間。歩くたびに音をなすステンドグラスの海。そして、祈るべき神なき瓦礫の墓標。死の欲動(デストルドー)をそそられてたまらないね!』


 つまりは――

 窓ガラスが全部割れているせいで風雨にさらされる屋内。

 床一面を埋め尽くしたステンドグラスの残骸。

 崩落した天井の瓦礫に圧し潰されている無残な祭壇。

 ――ということね。


『こんな場所を気に入るなんて理解できない』

『あたしとは趣味が違ったかな? 残念』


 そう言うと、伝道師は私を置いて祭壇の方へと歩いていった。

 床を踏むたびにガラスの割れる音が聞こえたけど、伝道師は気にせず身廊(しんろう)を突っきり、祭壇のあった場所に積もる瓦礫の山へと腰を下ろした。

 そこには童話の挿絵に描かれているような宝箱が置かれていて、伝道師はその中からリンゴをひとつ取り出した。


『ほら。約束の北方産白糖リンゴ(ノーザン・メーラ)


 私はリンゴを見るや、それを掲げる伝道師の元まで走っていった。

 途中、靴の裏でステンドグラスを踏み砕くことになったけど、幸いなことに私の足は傷つくことはなかった。


『ちょうだい!』

『ほい』


 目の前に差し出されたリンゴを取り上げ、私はさっそく一口かじりついた。

 ……この時に口にしたリンゴの味、今でも忘れない。


『甘い! こんなリンゴ、どこで?』

『先日、あたしの故郷からお客様がいらしてね。その人からもらったの』

『ああ。ドラゴグの名士?』

『知ってるの? ……まぁ、その名士が堅物で面倒くさい人物でね。宿を紹介したらそこで揉めちゃったらしくて、即刻あたしにクレームよ。面倒くさいったらありゃしない!』


 伝道師は肩をすくめて愚痴をこぼし始めた。

 その名士について伝道師はあれこれ悪口を言っていたけど、何をしゃべっていたのかはほとんど覚えていない。


『……それで、その名士はもう帰ったの?』

『本国にはそう伝えてあるよ』

『ふぅん』


 話の間、伝道師はリンゴにかじりつく私をじっと見つめていたように思う。


『リンゴをあげたんだから、お嬢ちゃんも今日から竜信仰(ドラゴン・ロウ)ね』

『……それは()だ』

『酷いなぁ。そういう約束だったじゃない』

『そうだっけ? ……そんな約束してない!』

『あはは。冗談だよ』


 私は伝道師が本気で竜信仰(ドラゴン・ロウ)の布教に来たのか疑り始めていた。

 異教徒が布教をする姿は何度か見たことがあるけど、この人とはまったく熱意が違ったから。


『実はね。お嬢ちゃんにお願いがあるんだけど』

『私、布教を手伝うつもりないけど』

『そんなんじゃないよ。このリンゴをお嬢ちゃんの孤児院にいる大人達に渡してほしいんだ』


 そう言って、伝道師は宝箱を私の目の前で開いて見せた。

 箱の中には私がかじっているのと同じリンゴがたくさん入っていたので、思わず見惚れてしまったほど。


『これを修道女(シスター)達に?』

『そう。ただ、あたしからとは言わないで渡してほしいの』

『なんで?』

『私はこの町では嫌われ者だから。私からの贈り物だと言ったら、突っ返してこいって言われちゃうよ』

『……そっか』

『この箱には一個余分にリンゴが入ってるから、修道女(シスター)に一通り渡した後に残りを食べていいよ』

『本当!? わかった!』


 私はリンゴを芯まで食べ終えると、果汁で塗れた手のまま伝道師から宝箱を奪い取った。

 目の前のリンゴの山を見ているとついつまみ食いしてしまいそうだったので、すぐに蓋を閉めて心を落ち着かせた。

 間もなくして、お腹がぐぅと鳴った。


『お腹空いてるの?』

『……うん』


 私は、孤児院では乱暴者ということで修道女(シスター)達から厄介者扱いされていた。

 そのためしょっちゅう懲罰を受けていた。

 今朝だって、他の孤児を怪我させた罰として朝食を抜かれたばかり。

 リンゴが必要以上に美味しく感じたのもそれが原因だったのかもしれない。


『なら、早く戻って修道女(シスター)達にリンゴを配って、残ったリンゴを食べるといい。くれぐれも自分の分は最後に食べるんだよ?』

『うん。ちゃんと修道女(シスター)達に渡すし、自分の分は最後に食べる』

『それでいい。約束を果たしたら教会(ここ)に来なよ。またリンゴをあげるから』

『約束ね!』

『約束だ』


 私は(きびす)を返し、再びステンドグラスに埋もれた床を走っていった。

 身廊(しんろう)を渡り切って入り口に差し掛かった時、私は思い立って足を止めた。

 そして――


『私はフローラ! フローラ・ヴェヌス! あなたの名前は?』


 ――遅まきながら自己紹介を告げた。

 それは伝道師の名前を聞くためだったのだけど……。


『ひ・み・つ♪』

『なんで!?』

『隠してた方がミステリアスな感じしない?』


 伝道師は名を明かしてはくれなかった。


『ケチ!』

『またの機会にね、フローラ・ヴェヌス。……あれ? ヴェヌスってたしか』

『博愛と慈愛の聖女! 私が憧れている聖人様から姓をいただいたの!』

『へぇ。それは――』


 伝道師の言葉は声が小さくて最後まで聞き取れなかった。

 私は早くリンゴが食べたかったので、すぐにでも孤児院に戻りたかった。

 だからそれ以上伝道師と話を続ける気はなく、宝箱を抱えたまま跳ぶようにして教会を出ていった。





 ◇





 その日の夕方。

 孤児達が夕食の準備に厨房(ちゅうぼう)へと集まる中、私は一人それを抜け出して修道女(シスター)達にリンゴを配って回った。

 北方産白糖リンゴ(ノーザン・メーラ)なんてどこで手に入れたのか聞かれたけど、巡業中の司祭様の一団にもらったとそれらしい嘘をつき、疑われることなく大人達全員にリンゴを渡すことができた。

 約束を果たした私は、さっそく箱にひとつだけ残ったリンゴを頬張ろうとしたけど――


『フローラ! 何サボってるんだよ!?』

『ヘリオ』

『来いってば。サボりは許さないからなっ』

『ちょっと待ってってばっ』


 急にヘリオに引っ張られたものだから、私はリンゴを取り落としてしまった。

 リンゴは床を転がっていき、板戸の裏に隠れてしまった。


『わかったから! 行くからっ!!』


 ヘリオの手を振り払い、私は渋々彼の後をついて厨房(ちゅうぼう)に向かった。

 板戸の裏にリンゴがあるなんて誰もわからない。

 そう考えて、後で回収しようと今はリンゴを我慢することにした。


 夕食の準備を終えて孤児()達は食堂に集まり、配膳を続けていた。

 そのうち孤児の一人が、いつまで経っても修道女(シスター)が食堂にやってこないことを(いぶか)しんで、様子を見に席を立った。

 私は配膳している間も、リンゴのことが気になって仕方なかった。

 たった今出ていった子が、私のリンゴを見つけてしまうかもしれない。

 見つかったら食べられてしまうかもしれない。

 そう思うと、気が気ではなかった。

 でも、そんな落ち着かない気持ちは――


『きゃあああ~~~っ!!』


 ――その子の上げた悲鳴で吹っ飛んでしまった。


 ヘリオが一番に食堂の外へと飛び出して、それに他の子達も続いた。

 私が食堂を出てみんなを捜していると、講堂にヘリオ達が集まっていることがわかった。

 私が講堂に入ると孤児達は酷く動揺していた。

 泣きだしている子もいた。


『ヘリオ? どうしたの』

『……息をしてない』


 屈んでいるヘリオの前には、修道女(シスター)が一人倒れていた。

 ……いいえ。一人だけじゃない。

 講堂には何人もの修道女(シスター)達が倒れていた。

 彼女達は共通して、その傍らにかじられたリンゴが転がっていた。





 ◇





 今だからこそ疑問に思える。

 なぜ、伝道師は私が孤児院の子供だと知っていたのか。

 なぜ、孤児院にいる修道女(シスター)の数を一人のずれもなく把握していたのか。

 なぜ、私などに話しかけてきたのか。


 私の手はこの時に初めて血に塗れた。

 拭い落とすことのできない、呪われた血に……。

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