5-054. 蒼穹の下で
爆発は真っ黒な粒子を周囲にばら撒いた。
それは時計塔の上空を傘のように覆い、俺達の頭上へと降りそそぐ
「あれは……まさか!?」
魔物が身にまとう黒い炎は、本来なら発生源である魔物が死ねば消え去る。
しかし、この黒い粒子は違う。
本体が死んでも消えることなく空中を漂っている。
その動きはまるで花粉だ。
魔物の種子が、風に乗って寄生先を探して空中を蠢いているんだ。
傾きつつある塔から外を見下ろすと、市街地から千人は下らない兵団が塔へと向かってきていた。
もしもその千人が一斉に魔物の種子を浴びたら、取り返しのつかない事態になり得る。
大多数は死ぬが、ほんの一握りの者は魔物化するだろうからだ。
人間の姿をした魔物――魔人。
その脅威は、俺がドラゴグで戦った〈双頭〉を凌ぐかもしれない。
動物が魔物化したケースと違って厄介なのは、その人物の培ってきた経験や技術を残したまま人間を襲う化け物となるからだ。
剣士なら剣技を扱い、魔導士なら魔法を扱う。
歴戦の猛者が魔物化したら、それはもう手の付けられない災害となる。
「なんとかして、ばら撒かれた粒子を排除しないと」
俺は無造作に空中を漂う黒い粒子へと光線を撃ち込んだ。
射線上に漂う粒子は、光に触れた途端立ちどころに霧散していく。
……イケる。
ミスリル銃の光線で十分に粒子を掻き消すことはできる。
だが――
「この数だもんなぁ……」
――降りそそぐ粒子を俺一人ですべて対応するのは厳しい。
せめて魔導士でも隣にいれば手分けすることもできるが……。
何発か光線を撃ってみたが、空中を無数に漂う粒子は消しきれない。
しかも、粒子は風に流されて市街地へと向かい始めている。
モタモタしていたら、兵士達だけでなく市民まで侵蝕の被害に遭ってしまう。
こうなったら斬り撃ちを空一面に走らせて、片っ端から粒子を消し飛ばしていくしかない。
だけど、今まで十秒以上連続して斬り撃ちを行ったことはない。
エーテル光をそんな長時間放出させて、ミスリル銃はもつのか?
そもそも、今手元にある宝石で足りるのか?
……やるしかないな 。
俺が所持している宝石でもっともエーテル内包量が多いのは、ファンシービビッドオレンジダイヤモンド。
すでに七秒分のエーテルを斬り撃ちで消費しているが、エーテルはまだ大量に残っているはず。
これで空を光で塗りつぶしてやる!
「もってくれよ! ミスリル銃!!」
引き金を引いてまばゆい橙光が射出された瞬間、俺は粒子の落ちていく方向へと銃口をなぞる。
空色のキャンバスに筆を走らせるように、橙色のまばゆい光で空を縦横無尽に書きなぐっていった。
……五秒、六秒。
銃口から放たれる光は順調に空を舞う粒子を掻き消していく。
……八秒、九秒。
射出される光線が少し細くなった。
……十二秒、十三秒。
装填口の中からピキピキと宝石の軋む音が聞こえてくる。
……十六秒、十七秒。
銃身がわずかに震え始めた。
装填口から漏れる鈍い音は一層大きくなり、光線は針のように細くなっていく。
「限界、か。だけどもう少し――」
市街地の方へと向かっていく粒子の群れのうち、およそ三分の二は消し去った。
風向きから読むに、残り三分の一を消せれば、兵達や市民に被害が及ぶことはなくなる。
別の方向に流れていった粒子は、壁や床に付着したり、塩湖に落ちて直に消えてくれるだろう。
「――あと一秒! もってくれ!!」
……二十秒ジャスト。
装填口が破裂し、その直後に銃口がどろりと溶け出した。
直後、銃身を支える左手とグリップを握る右手が焼けるような熱を感じ、俺はたまらず手を離した。
銃身は床に落ち、触れた石材を超高熱で溶かして沈んでいく。
斬り撃ちの限界時間は二十秒か。
結果、ミスリルすら溶かすほどの熱暴走を起こし、ミスリル銃は完全に大破してしまった。
すまない、相棒……。
「くそっ」
同時に、俺は両の手のひらに重度の火傷を負った。
とても指先を握れないほどの激痛が襲ってくる。
……激痛?
そうか、もうゾンビポーションの効果も切れる寸前なんだ。
「痛みが遅れてやってくる……」
顔、胸、腹、手足。
塔に来てから負った全身のダメージが、今になって鈍痛として表れてきた。
意識はまだ保っていられるが、ゾンビポーションの効果が完全に切れれば理性を保っていられないほどの痛みが俺を襲うだろう。
……すでに足の踏ん張りも利かない。
傾きつつある足場に立っている余力すらない。
「ダメ、だ……力、が……」
勝手に膝が曲がり、体がぐらりと傾いていく。
その時――
「ジルコくんっ!!」
――ネフラの声が聞こえて、俺はギリギリで両足に踏ん張りを利かせた。
「やったのか、ジルコォッ!?」
ゾイサイトの声が聞こえると同時に、俺のすぐ後ろで床が割れる音が聞こえた。
振り返ると、ゾイサイトが両肩にネフラと侯爵を抱えながら着地したところだった。
塔が倒壊する中、わずかな足場を跳んでここまでやってきたのか?
無茶をするな、この男は……。
「……っとぉ! 危ない危ない。いよいよこの塔は倒れるようだなぁ!!」
「ネフラ、ゾイサイト。侯爵は……」
「頭を打って寝ておるわ!」
ゾイサイトが乱暴に侯爵を投げ落とす傍ら、ネフラはひょいと床に飛び降りた。
そして、脇目も振らずに俺の元へと駆け寄ってくる。
「ジルコくん大丈夫っ!? ゾンビポーションの効果はまだ!?」
「……」
……ヤバい。
口を動かすことすらしんどくなってきた。
俺はとうに肉体の限界を超えて、ネフラへの見栄だけで立っているようなものだ。
「なんだ、まだあの黒い粒のようなものが残っているではないか!」
「……」
「なぜ途中で撃つのを止めた? あれらは直に兵士どもの頭上へ落ちるぞ」
「……」
俺は無言のまま、足元で煙を吐いているミスリル銃を指さした。
「嘘っ! ミスリル銃が!?」
「……ふむ。そういうわけか」
ゾイサイトもネフラも、ガタガタになった俺の相棒を目にしてすぐに状況を理解してくれたようだ。
魔導士か精霊奏者がいれば粒子の対処はできただろうが、俺達のパーティーにはもう粒子に対処できる術を持つ者はいない。
……手遅れだった。
粒子の数は減らしたが、あの量でも被害の規模は変わらない。
なぜなら、一人でも魔物化すればそこから芋づる式に周りの者達に侵蝕が及ぶだろうから。
あの粒子は一粒たりとも人間に触れさせてはいけなかったのに。
「見ろ!」
ゾイサイトが空を指さした。
釣られてその方向に目を向けると、ワイバーンが滑空しているのが見えた。
「奴ら、高みの見物とはいい身分だなぁ!」
ワイバーンの背にはふたつの影――ガブリエルと雷震子の姿がある。
あの二人は粒子が兵達に降りそそぐ惨事を見届けるつもりか。
そもそも粒子を押し流す風すら、ガブリエルに操られた風の精霊の仕業だったのかもしれない。
「あれはガブリエルとワイバーンの人? ……悔しい! 何もできないなんて」
「それより、わしらも無事に地上へと降りることを考えるべきだぞ」
ゾイサイトが言ったそばから、傾いていた塔がさらに傾度を増した。
時計塔は今、かろうじて縁の部分にだけ足場が残っている状態だ。
この足場も間もなく無くなる。
兵達の心配ばかりしていられないな。
「万が一にも魔人が現れたら酷いことに……」
「心配いらん。即座にわしが滅ぼしてくれるわ」
「でも、その時には王国軍に多大な犠牲が出てしまう!」
「仕方あるまい。ジルコの銃が失われた今、犠牲なき解決は不可能だ」
「わかってるけど、なんとかしなきゃ!」
「それ以上はジルコを侮辱することになるぞ」
「……ごめんなさい」
ネフラとゾイサイトが口論するなど珍しい。
今にも卒倒しそうな中、俺はそんなことを考えていた。
「ジルコくんもミスリル銃も頑張ったのに……」
「しかしジルコ。貴様、相棒が潰れてしまってこれからどうするのだ?」
「ゾイサイト! そんな言い方――」
その時、俺は不意に思い出したことがあった。
……まだある。
宝飾銃はまだひとつだけ存在する。
あいつが――雷震子が持っている物があるじゃないか!
「ぐううっ」
俺は足を引きずるようにしてゾイサイトへと掴みかかった。
「なんだジルコ?」
「……お、……を、……!」
息をするのも辛くて、声が出ない。
全身が熱い。
完全に痛みが蘇る直前の兆候。
……気力を絞り出せ。
最後の最後の気力まで絞り出して、声を上げろ。
「俺を! 奴らのもとへ! 飛ばせっ!!」
「ほう」
「ジルコくん? それって……まさか……」
ゾイサイトは笑い、ネフラが顔を青くした。
今の一言で、すでに二人には俺の意図が伝わっただろう。
もはや一刻の猶予もならない。
だからこその最終手段――
「俺がすべてを終わらせる……っ」
――ワイバーンに乗り込んで宝飾銃を奪い、残りの粒子を消滅させる。
「今度ばかりは着地の援護はできんぞ!?」
「いい」
「ならばよい! 貴様を確実に送り届けてやろう!!」
言うが早いか、ゾイサイトが俺の体を担ぎ上げた。
ワイバーンの飛行する方角へと狙いを定め、ゾイサイトは砲丸投げの要領で俺の体を手のひらで持ち上げる。
恐怖はない。
戻りつつある激痛で、もはや思考もおぼろげだ。
「目的は騎乗者。ならば、後ろの客はいらんな?」
「……ああ。ぶつけて、くれっ」
ゾイサイトが身を捻って俺を振りかぶった瞬間。
「待って!」
ネフラが跳んで、俺の両頬に手を触れた。
そのあと一瞬だけ唇を重ね――
「幸福を招くおまじない。帰ってくるって信じてる」
――着地して早々、そっぽを向かれてしまった。
彼女の耳は先まで赤かった。
「行くぞぉっ!!」
そして、俺の体は弾丸のように空へと放たれた。
◇
凄まじい風圧。
以前もワイバーンに向かって空へと投げられたが、今回はわけが違う。
まさしく特攻――俺の体はひとつの巨大な弾丸となり、ワイバーンへと向かっているのだ。
しかし、着弾先はワイバーンではなく――
「ガブリエルゥゥゥーーッ!!」
――因縁ある〈ハイエナ〉のリーダーだ。
「なっ!?」
ワイバーンの背中に乗るガブリエルが俺に気付いた。
しかし、時すでに遅し。
俺とガブリエルの目が合ったのは、すでに互いの距離が1mもない瞬間のことだった。
「貴様――」
ガブリエルが口を動かした瞬間。
俺の頭は奴の体に突き刺さるようにして衝突した。
耳元でバキボキと鈍い音が聞こえた刹那――
「~~~~~っ!!」
――奴は声にならない声を上げ、ワイバーンから落ちていった。
一方、俺の体はその接触がブレーキとなったことで、かろうじてワイバーンの背中に留まることができた。
ガブリエルは口から大量に吐血し、白目を剥いて落下していく。
奴の体は途中で浮き上がるようなこともなく、重力に従って地上へと墜落し――
「……安らかに」
――高いところから落としたトマトのようにぐちゃりと潰れた。
「な、なんだぁぁぁっ!?」
ワイバーンの頭の方から声が聞こえてきた。
……聞き覚えのある声が。
「お前、ジルコ・ブレドウィナーじゃねぇか!」
「久しぶりだな」
「ティタニィトは!? まさか……」
「トマトのように潰れたよ」
ワイバーンの飛行速度が遅いおかげで、かろうじて立っていられる。
しかし、雷震子が速度を速めたり、ワイバーンを回転させたりすれば、俺には対応する余力が残っていない。
ましてや奴の周囲に浮かぶ何十丁もの雷管式ライフル銃に一斉放射されれば、蜂の巣は免れない。
いくつもある選択肢の中から雷震子が選んだのは――
「てめぇ~~~っ!!」
――騎乗席から腰を上げ、手元に抱えている宝飾銃を俺へと向けることだった。
しかも、その銃は。
「それって」
俺が帝都で失くした試作宝飾銃じゃないか。
「てめぇの銃だよぉぉぉ! 俺が代わりに使ってやってんだから、死ねぇっ!!」
雷震子が試作宝飾銃の引き金を引いた。
その時――
「グギャッ!!」
――ワイバーンが悲鳴を上げて体を傾かせた。
おかげで試作宝飾銃の初撃は、俺の左肩をわずかばかりかするだけで済んだ。
「こ、今度はなんだよっ!?」
雷震子が振り向いて事態を確認した時、俺の目にもその原因が映っていた。
ワイバーンの首に何かが突き刺さっていたのだ。
「なんだこりゃああぁぁーーーっ!?」
それはミスリル銃だった。
驚く雷震子の一方で、俺はそこにそれがある理由を察する。
「助かる。ゾイサイト」
窮地にはいつも助けてくれる。
俺は頼りになる兄貴分――ゾイサイトに心から感謝を捧げた。
「くそっ! またしてもてめぇなんかに……っ」
俺がホルスターから改造コルク銃を抜いた時、雷震子の持つ試作宝飾銃の装填口がひとりでに開いた。
さらに、彼女の腰に巻かれたポーチから宝石が飛び出し、装填口へと飛び込んでいく。
以前、街中で狙撃された時にどうやって光線を連射したのかと思ったが、試作宝飾銃の再装填まで風の精霊にやらせていたのか。
「相変わらず贅沢な風の精霊の使い方だな」
俺がコルク銃の銃口を雷震子に向けるのと同時に、奴の指が試作宝飾銃の引き金を引いた。
真っ白な光線が俺の頬を焼く。
しかし、あくまで頬を焼いただけで命には届かない。
「えっ!? なんで……」
この至近距離で的を外したことに雷震子が動揺している。
答えは簡単。
銃口の向きと引き金を引くタイミングさえ見えていれば、どんなに弾速の速い銃だろうと避けるのは容易い。
真っ当な銃士なら、こんなことは経験則で理解している。
「ちくしょうっ!」
だが、お前は真っ当な銃士じゃなかったな。
再び試作宝飾銃の装填口が開かれた時、俺はコルク銃の引き金を引いた。
雷震子のポーチから飛び出した宝石が装填口に収まるより早く、射出されたコルク栓が奴の眉間へと衝突する。
「げぇっ!!」
倒れ込んだ雷震子はワイバーンの後頭部に自らの頭をぶつけ、弾かれるようにして転落した。
傍で浮遊していた雷管式ライフル銃もまた、投げ出された彼女の後を追うようにして空中へと飛散していく。
その一方、雷震子が持っていた試作宝飾銃はワイバーンの背中を滑って俺の足元で止まった。
久しぶりに握るグリップの感触。
間違いなく、俺のもうひとつの相棒だ。
「やぁ。久しぶり」
……ワイバーンの高度が落ちている気がする。
見れば、ワイバーンは全身を脱力させ、翼を広げることもやめてしまっている。
どうやら死んでいる様子。
おそらくミスリル銃が首に突き刺さった時にショック死したのだろう。
ちょうどその時、俺の視界に空を舞う黒い粒子の群れが映った。
ありがたいことに、ワイバーンが突っ切る先にそれらは浮かんでいる。
これ以上ない狙撃チャンスだ。
俺はコートの内ポケットから最後に残ったダイヤモンドを取り出した。
これは、もう一人の兄貴分――クロードの遺してくれた希望。
それを開いたままの装填口へと納めるや――
「これで最後」
――俺は指先に精一杯の力を込めた。
試作宝飾銃から放たれる白光。
すべての粒子は、空中に描かれた光の軌跡に飲み込まれて霧散していく。
もはや俺の視界に映るのは美しい蒼穹のみだ。
……終わった。
これで兵士も市民も、誰一人あの黒い粒子と接触することはないだろう。
視界が狭まり、息が詰まる。
全身から力が抜けていく。
手足の感覚が消えていく。
思考が、意識が閉じていく。
わかるのは耳元の風切り音のみ。
最後の最後、俺の瞼の裏に映ったのは――
『帰ってくるって信じてる』




