5-051. 凍てつく心
フローラを倒した。
しかし、その代償は大きい。
ガブリエルの精霊魔法に対抗するために持ってきた魔封帯を失い。
鏡光反射撃に必須な鏡の短剣も失い。
全身ボロボロで肉体は限界を超えている。
ゾンビポーションの効果はあと何分もつ?
効果が切れれば、おそらく意識を保ってはいられないぞ。
「そうだ。ネフラを……」
ガブリエルの企みを打破するのは大事だが、ネフラの安否も大事。
フローラにやられたあの子の容態が気になる。
すぐに戻って介抱してやらないと。
動きが鈍くなってきた体を押して、俺はネフラの倒れている八階へと急いだ。
◇
「やはり生きていましたか」
「お前ら……!」
八階に戻って俺を待っていたのは――
「動けばこの娘を焼き殺します」
――ガブリエルの取り巻きだった。
その数は三人。
一人が床に横たわっているネフラに宝飾杖を向け、その先端にメラメラと炎を灯している。
他の二人もそれぞれ宝飾杖を持ち、俺へと向けていつでも魔法陣を描けるような姿勢を取っている。
ガブリエルのやつ、フローラがやられることを想定して取り巻きをよこしていたとは……。
つくづく抜け目のない男だ。
否。言い換えれば、フローラのことを信用していなかったということ。
「女の子を人質に取って恥ずかしくないのか」
「あなたと議論はしません。大人しく武装を解除し、ひざまずきなさい」
「……」
「ティタニィト様は、この娘には利用価値があるとお考えです。この場で殺すのはあなたのみ。しかし、抵抗するなら二人とも殺すようにとのこと。悪い話ではないのでは?」
素直に俺が死ねばネフラだけは助けてくれるのか。
しかしここで生き残ったとしても、奴らに囚われたネフラが今後ろくな人生を歩めないことは明白。
かと言って、今の俺にはこの状況で三人の魔導士を相手取り、ネフラを無事なまま事を済ませる余力はない。
「さぁ、宝飾銃を床に置いてひざまずきなさい!」
「……」
「今から5秒間だけ猶予を与えます。1――」
「待て!」
こうなったら、騙し討ちをしてでも活路を見出さなければならない。
この場にはもう俺一人しか残っていないんだ。
俺がやるしかない。
「時間稼ぎは無意味ですよ。2――」
「わかった。銃を置く」
「言葉ではなく、行動で示してもらいたいですね」
「置くからその子だけは傷つけないでくれ」
ネフラは小さく肩で息をしている。
彼女は鼻血で顔が真っ赤になっていたが、思ったより軽傷のようだ。
これ以上、ネフラに傷ひとつ増やしたくないのが本心だが……。
すまないネフラ。
きみを危険な目に遭わせることになるが、俺にも最後の抵抗をさせてくれ。
「3――」
「今置く!」
俺はミスリル銃を足元へと置いた。
「こちらへ蹴りなさい」
「ミスリル銃を回収しろって命令も出ているんだな?」
「余計なおしゃべりはいい!」
俺は銃を蹴って奴らの方へと滑らせた。
それによって敵方の三人は緊張が解けた様子。
よっぽどミスリル銃を警戒していたのだろう。
だが、銃身には今もワイヤーを結んであるから、いざとなればいつでも手元に引き寄せることはできる。
反撃のチャンスは、奴らの誰かが銃を拾い上げた瞬間になるだろう。
「妙な真似はするなよ?」
三人のうち、一番銃に近い男が動いた。
絶対優位の立場なのに、その男は俺に杖を突きつけたままゆっくりと近づいてくる。
ずいぶん警戒しているな。
一方で、ネフラに杖を向けている男は今も俺の一挙手一投足を監視している。
フローラを倒した俺を必要以上に危険視しているのか。
ゾンビポーションを服用しているから澄ました顔をしていられるだけで、実際にはもう戦えないくらい疲弊しているんだけどな。
……そして、男が銃を拾い上げようとした時。
「うっ」
「どうした!?」
「……いや。この銃、思いのほか重くて」
「驚かせるな。早く拾い上げるんだ」
一瞬、黒ローブ達に緊張が走ったものの、仲間が銃を拾い上げたことですぐに張り詰めた空気は緩んだ。
ネフラに杖を向けていた男も安堵からかその杖を下げてくれた。
……チャンスが巡ってきた。
「せめてもの情け。お前の武器で殺してやるよ」
男がミスリル銃を俺に向けてきた。
「魔導士のお前に引き金が引けるのか?」
「馬鹿にするなよ。宝飾銃ってのは、雷管式ライフル銃と違って引き金を引くだけでまっすぐ弾が飛ぶんだろ?」
「……何もわかっていないな」
「仕組みさえ理解すれば誰にでも扱える単純兵装だ。これを量産できれば、ろくに訓練を受けていない女子供ですら最強の兵団になり得る」
「量産?」
「鬼才ブラドに注目しているのは、何も商人ギルドだけじゃない。我々とてあの腕は欲しい」
「親方は俺と違って頑固だぞ」
「だが、奴にもアキレス腱はあるだろう?」
「……クズどもめ」
こいつら、親方を脅して宝飾銃を作らせる気なのか。
……待てよ?
まさかアンにトラウマを植え付けたのは……その布石!?
「てめぇら〈バロック〉はどこまで……!!」
フローラを倒して落ち着いていた殺意が急激に肥大化し始めた。
その一方で、何か暖かいものが凍てついていく……そんな気がする。
しかし、その不安もすぐに霧散してしまう。
俺を駆り立てるのは〈バロック〉に対する怒り、憎しみ、恨み、なのだろう。
自分達の利益のため、他者に犠牲を強いる性根……腐っている。
何より、俺が心血注いで親方と共に作り上げたミスリル銃を軽く見られていることが気に入らない。
「お前は死んでも、死体は我々の実験に貢献させてやる。安心して死ね!」
男が引き金に指を当てた瞬間――
「貴様が死ね!!」
――俺は右手を引いて、男の手からミスリル銃を引き剥がした。
瞬間、銃身が回転。
銃口から光線が射出されたのはコンマ一秒程度だったが、その光は引き金に触れた男と、さらに後ろに居たもう二人の上半身を水平に薙いだ。
「えっ」
「な……!?」
「今、何を――」
三人の男は揃って腰から上を床に落とした。
切断面は光線に焼かれて血は出ないものの、床に這った彼らは状況が理解できずにジタバタともがいている。
「うぎゃあああっ!!」
「がっ……がああぁっ!!」
「う、嘘だ! 私の体が……嘘だぁぁぁっ」
状況を理解して、三人とも恐怖が込み上げてきたらしい。
普段の俺ならば同情くらいしただろう。
しかし、今の俺は彼らに冷めた眼差しを向けることしかできない。
「ティタ、ニィト、様……」
「あう……うぅ」
「誰か、助け……」
……三人とも静かになった。
まだ生きてはいるようだが、低くうなるだけで会話もままならない様子。
もう間もなく死ぬだろう。
俺はミスリル銃をホルスターに収め、床に寝ていたネフラを抱き上げた。
そして、彼女が巻いていたストールで血まみれの顔を拭ってやる。
せっかく教皇様からいただいたストールだが、今の俺には罪悪感のような気持ちは湧いてこない。
「……ん。ジルコ、くん?」
「ネフラ。大丈夫か」
「うん」
「痛いところはあるか?」
「鼻が……お、折れてるかも」
「全部終わったら教会で癒してもらおう」
「うん」
「立てるか?」
「も、もちろん」
ネフラは俺に寄りかかりながらも、なんとか立ち上がることができた。
彼女が顔を上げた時――
「ひっ!?」
――目の前に上半身と下半身が切り分かれた男達がいることに気付いて、小さく悲鳴を上げた。
「ガブリエルの取り巻きだ。三人倒したが、まだ上に四、五人いるはず」
「と、取り巻きは全部で七人だったから、あと四人。……あっ」
鼻からまた血が垂れてきたので、ネフラはストールで鼻を押さえた。
「もう少し頑張れるか?」
「当然。私の居場所はあなたの隣だから、どこまでも一緒に行く」
……隣、か。
その言葉を聞いて、俺の脳裏にあいつの姿が思い起こされる。
ダメだ。今は忘れよう。
でないとこの子の覚悟に失礼だ。
「行こう」
「はい」
ふらつくネフラの腰を支えながら、俺は――
「「決着をつけに」」
――俺達は、ガブリエルの元へと向かった。




