5-046. 虚像 ジルコVSフローラ①
「何考えてんだフローラッ!!」
思わず腹の底から出た怒声。
しかし、フローラは口元の微笑を崩さない。
「ここから地上までおよそ42m。いかにあの男といえども即死は免れませんわ」
「な……っ」
涼しい顔で何を言っている?
なぜフローラが味方のゾイサイトを蹴落とす必要があるんだ?
「なんでだ? なんでっ!? なぜゾイサイトをっ!!」
「今が好機と判断したからです。ジルコ様」
……様?
フローラが俺を様付けで呼ぶなんて悪い冗談だ。
「どうして今、そんなよそよそしい呼び方をする!?」
「よそよそしいも何も、私は市井の方々を呼び捨てになどしません」
フローラが何を言っているのか理解できない。
心なしか、彼女の言葉からは棘が抜け、所作の端々からも洗練されたような印象を受けるようになった。
品のある容姿にわずかな粗野を感じさせた今までのフローラとは違う。
まるで別人のよう。
「お前、誰だ? フローラじゃない……のか?」
「厳密に言うのならば違うと答えざるを得ません。私はフローラであってフローラではない。私を呼ぶのならペルソナとお呼びください」
「ふざけるなっ!!」
俺はとっさにフローラへと銃を構えた。
表情も声色もすべてが俺の知るフローラ・ヴェヌスそのもの。
しかし、ゾイサイトが落ちる前まで俺が話していたフローラとは別人のように感じられる。
この違和感は何なんだ……!?
「困惑しているようだな――」
俺達の会話にガブリエルが割り込んできた。
「――お前は二重人格というものを知っているか?」
「二重人格ぅ!?」
「一人の人間の中にまったく異なる二つの人格が現れることがある。それが俗に二重人格と呼ばれている」
「なんだよそれ……」
「人間は裏表があるものだが、そういうことを言っているわけじゃない。文字通り、二つの人格が一人の人間に内包されているんだ」
一人の人間に二つの人格?
フローラの中に別のフローラがいるってことか?
理解し難い……。
「じゃあ何か? 今俺の前に居るフローラは、俺のことを様付けで呼ぶような礼儀正しいもう一人のフローラだって言うのか!?」
「理屈の上ではそういうことになるな」
「そんな馬鹿なっ!」
意味がわからない。
そんなことをいきなり言われて、納得いくわけがない。
「種明かしをしようか。人格を入れ替える条件はこれ――」
ガブリエルが手元にある歪んだ真珠の首飾りを掲げた。
「――首飾りの宝石にフローラの意識が向いた時、立て板の表裏を入れ替えるように人格が切り替わるよう訓練してある」
「なんだって……?」
「元の人格に戻す条件もあるが、それは語るまい」
「嘘だろ……」
あんなくすんだ宝石を見ただけで人格の入れ替えが起こるだと?
しかも、そうなるように訓練した……?
何のために……!?
「二重人格とは諜報活動に色々と便利でね。闇の時代、勇者と共に世界を旅したペルソナは大いに役立ってくれた」
「あの勇者様には、私もほとほと困らされましたけれどね」
「しかし、その苦労が復興の時代において報われている。もはやきみの要求をむげなく突っぱねられる組織も人間も皆無となった」
「ええ。そういう意味では〈ジンカイト〉は素晴らしいギルドでした」
ガブリエルと親しげに話すフローラには違和感しかない。
まさか最初から〈バロック〉と繋がりがあったのか?
……とても受け入れられない。
闇の時代から今まで、何年間も一緒に命懸けで戦ってきた仲間が実は裏切り者だったなんて、信じたくない。
〈ジンカイト〉に間者が入り込んでいたなんて――
「ジルコくん、全部わかった」
――ネフラの声が聞こえて俺は我に返った。
彼女はゾイサイトが塔の外に落ちたのを見て、ずっと床にへたり込んでいた。
しかし、今は立ち上がってフローラを睨みつけている。
「フローラ。つまりあなたの本当の仲間が、必要な時に首飾りを使ってあなたに諜報活動をさせていた、ということ」
「ご明察です」
「私達が教皇領に向かう時、賊をけしかけたのもあなたね。目的は〈ジンカイト〉の冒険者を殺すこと?」
「それもご明察。さすがネフラ様、よく勉強しておられますね」
「あなたが連れて行ってくれた図書館で読んだ本に書いてあった」
「ああ。あなた達が教皇領にいらした時だったかしら」
「あの時のフローラは間違いなく私の知っているフローラだった。本来、異なる人格の記憶はお互いに知り得ないはず」
「その通りです。ですが――」
「支配的な人格は従属的な人格の記憶までも保有することができる」
「さすが本の虫。なんでもよく知っていらっしゃる」
フローラはガブリエルに目配せした。
奴が首を横に振るのを見て、フローラは再び口を動かし始める。
「せっかく直にお会いすることができたのに残念ですが、そろそろお二人には死んでいただかなくてはなりません」
「本気で言っているのかフローラ!?」
「今の私はペルソナです」
「黙れ!」
「ジルコ様。もう一人の私は、あなた様のことをまんざらでもなく思っていましたよ」
「は?」
「でも、私はそれを理解した上であなたを殺せます。なぜなら、私は仮初めの仲間よりも大切な使命を帯びているのだから」
フローラの表情が変わった。
相変わらずその口元には薄い笑みをたたえてはいたが、冷めた眼差しが殺意のこもった視線で俺を突き刺してくる。
この殺気も、過去にフローラが苛立ちや癇癪から俺に向けてきたものとは違う。
本気で殺すと決めた時に発する漆黒の殺意だ。
「フローラやめて! 本当のあなたはそんなこと望んでないっ」
「……本当の私とはどちらなのでしょうね」
「え?」
「何も知らずに〈ジンカイト〉の一員として過ごすもう一人の私。大いなる使命を与えられ、それを誰にも悟られまいと遂行している今の私。本当の私がどちらなのかは、きっと私が死ぬ時にわかるのでしょう」
フローラらしくない哲学的なセリフ。
確かに今のこいつは俺の知るフローラではないらしい。
「ペルソナ。戦るなら他の場所でやってくれ」
「もちろんです。あなた方の邪魔するような真似はいたしません」
フローラは俺に向き直ると、颯爽と歩き始めた。
まるで街の通りを歩くような彼女に、銃を向けている俺の方が狼狽してしまっている。
「止まれフローラ!」
「ジルコ様。私はあなたの弱点を熟知しています」
「撃つぞ!?」
「仲間は撃てない。撃ちたくない。敵だと確信しているにもかかわらず、その迷いを断てない精神……惰弱に過ぎます」
そんなこと言われたって、やっぱりどこからどう見てもフローラなんだ。
違和感はあっても彼女を本気で撃つことなんて……っ。
「迷いがあるなら戦ってはいけません。きっと後悔するに違いありませんから」
「!!」
フローラが床を蹴って舞い上がった。
一瞬で俺の頭より高い位置に跳び上がったフローラは――
「聖女のふりはしませんよ」
――一言皮肉を漏らした後、俺の頭上に踵落としを見舞ってきた。
間一髪でその一撃を躱すも、彼女の踵はそのまま床へと突き刺さった。
「うおっ」
地面に亀裂が入った次の瞬間、俺とフローラの足元が同時に崩れた。
亀裂はあっという間に穴となって地面を穿ち、階下の床が丸見えとなる。
ガブリエルの言っていた他の場所――階下へ俺を落とす気か!
「そう思い通りに……っ!」
崩れ落ちる床石から飛び退こうとしたところ、フローラに足首を掴まれた。
彼女は床に開いた穴へとその身を投じていた。
必然、足首を掴まれた俺もその穴へと引きずり込まれていく。
「ジルコくん!」
「ネフラ!!」
穴に引きずり込まれる瞬間、ネフラが俺の手を掴んだ。
しかし、ネフラに俺を引き上げるような力はなく――
「きゃあああっ!」
「うわあああっ!!」
――俺とネフラはフローラによって階下へと引きずり込まれた。
俺は空中でネフラを抱きかかえ、積み上げられた木棺の上へとなんとか着地。
しかし、着地の衝撃で木棺の山は崩れてしまい、俺もネフラも木棺の上を滑って床に背中を叩きつけられた。
「ぐっ。くそ……っ」
不運にも俺は、蓋が割れて木棺から転がり出てきた死体に下敷きにされて身動きが取れない。
さらに、俺達の落ちてきた穴は早々に麻布で塞がれてしまっている。
これでは上階の様子がまったくわからない。
ガブリエルは何かを企んでいる。
肝となるのは、きっとあのガラス張りの水槽だ。
嫌な胸騒ぎがする……。
だが、今は上階を気にかけている余裕はない。
「フローラは!?」
先に起き上がったネフラがフローラの姿を捜し始める。
しかし、八階は階段付近にしか灯りがないため、フロアの半分以上は真っ暗だ。
加えて、山積みにされた木棺の山で死角はたくさん。
ネフラにフローラの位置を見つける術はない。
「ネフラ逃げろ!」
「私だってジルコくんの役に――」
突然、暗闇から出てきたフローラがネフラの横っ面を殴りつけた。
……フローラならば考えられない行為だ。
女性の――よりにもよってネフラの顔を殴りつけるなんて!
「ネフラ様。私はフローラではなくペルソナなのです。情など期待しないでくださいね?」
言いながら、フローラが床に伸びているネフラへと近づいていく。
このままじゃネフラが殺される!
「フローラッ!!」
なんとか死体を押し退けて照準を定めようとするも――
「どうぞ撃てるものならっ」
――瞬く間にフローラの姿が消えた。
この暗闇の中、積み上げられた木棺のせいで死角が多いため俺の目でも追いきれない。
だが、ネフラへの追撃を阻止できたことは大きい。
「ネフラ! 意識はあるか!?」
「う……ぐぅ……」
ネフラが寝返りを打った。
なんとか意識が残っているようでよかった。
「すぐに階段まで走れ! フローラは俺が牽制する!!」
「誰が誰を?」
「えっ」
耳元から聞こえてきたフローラの声に全身総毛立つ。
身を捻って後ろにミスリル銃を向けようとした刹那、銃身が動かなくなった。
……フローラにがっしりと掴まれていたからだ。
「私が本気で殺しに掛からないと思います?」
「う」
「残念。私はペルソナですから、あなた達を殺せます」
「よせ――」
俺の顔面にフローラの拳が突き刺さった。
床と天井が逆転を繰り返し、俺は隣の木棺の山へと激突。
崩れ落ちる木棺と死体に再び下敷きにされた。
「……はっ! ミスリル銃は!?」
さらに、俺はうかつにもミスリル銃から手を離してしまっていた。
「あなたの相棒ならここです」
声のした方に目を向けると、フローラと、その足元にミスリル銃が転がっているのが見えた。
フローラはミスリル銃を蹴とばし、暗がりの奥へと滑らせていってしまう。
「これでジルコ様は無力――」
フローラはそう言うと、起き上がろうとしているネフラへ向かって歩き出した。
「――私にとっての脅威は、奇跡無用のネフラ様だけとなりました」
……ヤバい!
ネフラの事象抑留は聖職者の奇跡すら無効化することができる。
だからフローラは俺より優先してネフラを殺す気なんだ。
そんなことさせてたまるか!
「うぐおおおおっ……おおおっ!!」
俺は全身の力を振り絞り、圧し掛かる死体どもを押し退けた。
そして、右手の手袋から伸びるワイヤーを手繰ってミスリル銃を手元まで引き戻す。
「やめろぉーーっ!!」
フローラがネフラへと手を伸ばした瞬間、二人の間に光線を放つのがギリギリで間に合った。
光線に阻まれたフローラはその場を飛び退き、俺から距離を取った。
木棺の山から離れた俺は、暗闇の中フローラと向かい合う。
ビリビリと当てられる殺気に俺の肌が泡立っていく。
……本気だ。
本気でフローラは俺を――俺達を殺す気なんだ。
「……最後にひとつ聞かせてくれないか」
「なんでしょう」
「お前は〈バロック〉の一員で、俺達の敵。これで間違いないんだな?」
「私はそうです」
私は、か。
あくまで今の自分はフローラとは別人――なんとかという別人格だと言うわけだな。
でも、それならそれで構わない。
「安心したよフローラ」
「はい?」
「俺の方から裏切らなくて済んだんだから、とてもホッとしている」
「何を言っているのかわからないのですが」
わからなくていい。
むしろ、フローラにはこれから起こることも知ってほしくない。
「フローラ・ヴェヌス。お前は解雇だ!!」
疎まれながらも肩を並べて戦ってきた聖職者の美しい顔。
俺はその顔に向けて、初めて躊躇いなく引き金を引いた。




