5-042. 甘い言葉
〈バベルの塔〉の外観は何の飾り気もなく、剥き出しになった石壁がさらされているだけだった。
その入り口部分――作りかけで放置されたアーチ――をくぐった先、一階ホールには七つの死体が転がっている。
フローラの石つぶてで顔面を撃ち抜かれた憐れな連中のなれの果てだ。
「投石で顔面に穴が空くかね普通……」
俺はホールに飛び込んで早々、二階から降りてくるかもしれない援軍、もしくは伏兵を警戒して身構えたが、それは杞憂だった。
デズモンドの言う通り一階に配置されていた見張りは七人だけのようだ。
それよりも気に掛かるのは、視界に映る無数の砕けた岩石片だ。
「いくら作りかけで放置されたとはいえ、ずいぶん石の破片が多いな。まるで鉱山の発掘現場だ」
「その理由は上を見ればわかりますわよ」
フローラが天井を見上げながら言うので、俺もつられて視線を上げてみた。
すると、そこには天井などなかった。
「なんだよ、これは……」
外観も酷かったが内部はその比じゃない。
二階から四階までの床がすべて抜け落ちていて、一階からは五階の天井が丸見えとなっている。
しかも、各階の窓穴から生じた亀裂は内側の壁に大きく拡がっている。
老朽化のせいなのだろうが、今にも倒壊しそうな危うさだ。
「よく何十年も倒れずにいますわね」
「当時の建築士がよほどの腕だったってことだろう」
幸いなことに、どの階も壁際には大人一人が通れる程度の足場は残されている。
階段は内壁に沿って作られているので、なんとか五階まで登っていくことはできそうだ。
まるで手すりのない螺旋階段を登るような不安さはあるが……。
俺は階段に向かいがてらリュックの中身をチェックした。
ジニアスから提供されたポーショングミが9粒。
いざという時の切り札としてゾンビポーションが1個。
ガブリエル戦を想定して準備してきた魔封帯の切れ端が四つ。
そのうちポーショングミは仲間同士で分け合っておくべきだと考えて、フローラに声をかける。
「今のうちにポーショングミを分けておこう」
「なんですのこれ?」
「開発されたばかりの新種のポーションだ。商人ギルドから提供してもらった」
「飴玉? にしてはグニグニしてますのね。……粘土?」
手渡したグミをフローラが興味深そうにつついている。
「これ食べて大丈夫なんですの?」
「ポーションだから口に含んでも問題ないだろう」
「なんだか気持ち悪い。いりませんわ!」
……突っ返されてしまった。
まぁこんな怪しいものを回復剤だと言って渡されても困るよな。
実際にどれほどの効果があるのかも試していないし。
「そもそも聖職者の私にポーションなんていりませんわ」
「それもそうだ」
ほぼ不死身のフローラには余計な気遣いだったか。
ゾイサイトは……今頃せっせと外壁をよじ登っているところだから、渡すこともできない。
俺はポーショングミの入った皮袋をそっと懐に戻した。
「さぁ。行きますわよ」
「ああ」
階段へと向かうフローラに俺も続いた。
その際、魔封帯を一切れだけ取り出し、左手へと巻き付ける。
いざという時の切り札として、だ。
魔封帯はアンチエーテル鋼で作られているから、こいつで手足を絡め取れば魔導士や精霊奏者は無力化できる。
ガブリエルは俺が魔封帯を持っているなんて知らないから、近づきさえすれば確実に巻き付けられる。
奴がいかに優れた精霊奏者であっても効果絶大のはずだ。
◇
階段を登りきって五階にたどり着くと、そこは真っ暗で冷たい空気が漂っていた。
窓もなく、障害物どころか仕切りすらない大部屋。
わずかに壁の亀裂から差し込んでくる太陽光が室内をうっすらと照らしてくれているが、部屋を見通せるほどの明かりじゃない。
一見、人の気配は感じられないが……確実にいる。
「見張りはいないようですわね」
「いや。いるぞ」
「え?」
「俺達の対角線上23m先、階段の手前に二人」
俺の目には暗闇に潜む何者かの姿が見えていた。
俺達の立ち位置からちょうど対角線上に六階へ通じる階段があり、その手前に静かにたたずんでいる影がふたつ。
その内のひとつが誰なのか俺はすぐにわかった。
「きみは夜目が利くなぁ。ジルコ・ブレドウィナー」
……やはりこの声。
忘れもしない。
クチバシ男――ティタニィト・ガブリエル・プラチナムの声だ。
影の正体を確信した俺は、ただちにミスリル銃の銃口を向けた。
「この暗がりの中、こちらに銃口を向けるのは良くない。万が一、誤射する可能性もある」
「何ぃっ!?」
「きみの大切なものがこちらの手の内ということを忘れてしまっては困る」
ガブリエルの手元にランプの灯りがともった。
奴の不気味な仮面が暗闇の中に浮き上がり、さらにその隣に立つ小柄な人物の姿も露わになる。
その人物は体格に合わないフードローブを頭から被せられていて……。
待てよ。まさか……!?
「このエルフ娘を傷つけることは本意ではないだろう」
ガブリエルがフードを脱がして露わになったのは――
「んんーっ! んーんーっ!!」
「ネフラッ!!」
――猿轡をくわえさせられ、青ざめた表情で俺に助けを求めているネフラだった。
彼女は後ろ手に縄で縛られ、その縄はガブリエルの手にある。
見る限り傷つけられた様子はない。
安堵するのと同時に、ガブリエルに対する怒りがいよいよ高ぶってくる。
最上階にでも閉じ込めていると思ったら、こんなところに連れてきていたとは。
ネフラを直接人質にして俺達の動きを封じるつもりか!?
「指定の時間より早く来るとは思っていたが、想像していたよりも判断が早いな」
「見損なうなよ。これでも一ギルドを任されている身なんだ」
……その選択がフローラのおかげとは言えない。
「もう少し時間があれば、きみ達を完璧な態勢で迎えることができたんだが」
「爆弾を仕掛けてか? 俺達ごと塔を倒壊させようって腹だろうが、なんでも思い通りになると思うなよ」
「そうだな。物事は時に思うようにいかない。しかしそれもまた一興」
何だ、こいつの余裕は?
そもそも部下を一人も連れずに俺達を待っていたようだが、一体何が狙いなんだ。
「その仮面……あなたがクチバシ男ですの?」
「彼にはそう呼ばれている」
「女の子を連れ去るなんて、ずいぶん姑息な真似をする殿方ですのね」
「せめて手段を選ばないと言ってくれ」
「男として最低ですわ。虫唾が走る。この私が制裁を加えてあげます!」
「逸るなよフローラ・ヴェヌス。きみが暴れれば時計塔が倒壊しかねん」
部屋の中にわずかながら風の流れが生じたような気がした。
いつ暴発するかしれないフローラを警戒して、ガブリエルが風の精霊を操っているのか?
「一度だけ言う。ネフラを離して投降しろ」
「その顔色から察するに冷静じゃないな、ジルコ・ブレドウィナー。この娘をさらわれたことがそんなに不安だったか?」
「黙れ。撃ち殺すぞ」
口が勝手に毒づいてしまう。
引き金を引きたい感情が今にも俺の理性を飲み込んでしまいそうだ。
「見損なうなよ。こんな高値で売れそうなエルフをうかつに傷つけるわけがない」
「……っ!」
……落ち着け。
ここで冷静さを欠けばネフラを助けることもままならない。
「とはいえ、貞操まで無事だとは言っていないがな」
「貴様!!」
瞬間、体内の血が沸騰するような感覚に襲われた。
指先が引き金に触れようとした時――
「んんーっ!!」
――ガブリエルの横っ面へネフラが頭突きをかました。
それを目にして、俺はとっさに引き金を引くことを思い止まることができた。
「んーっ! んんーっ!!」
「くっ。よせっ」
その後もネフラはガブリエルを蹴りまくっていた。
非力な少女の蹴りなどダメージにはなるまいが、俺はその滑稽さに思わず口元が緩んでしまった。
「わ、わかった。よせ! 貞操うんぬんは嘘だっ」
「んーっ」
……ガブリエルが前言を撤回した。
意外な反撃をしてきたネフラの気迫に驚いたのか?
手段を選ばない男の意外な一面だな。
「やれやれ。どうやらこの娘、急にじゃじゃ馬になることがあるらしい」
「んー」
ネフラが落ち着いたのと同じくして、俺の心にも冷静さが戻った。
こちらから仕掛ければ彼女も無傷では済まない。
なんとかガブリエルの油断を誘い、ネフラを引き離すことはできないだろうか。
そもそも奴はなぜ俺をこの塔に誘い出したんだ?
「俺をこんなところまで呼びつけて、一体何が目的なんだ」
「我々はきみと取引をしたいと考えている」
「我々、ね。地下組織〈バロック〉が俺に何を望むんだ」
「……」
ガブリエルからの返答はない。
俺に〈バロック〉の一味だと看破されたからか?
それとも時間稼ぎか何かか?
「我々は強い駒を求めている。その点きみは合格だ、ジルコ・ブレドウィナー」
「それはどうも」
「きみは機転も利くし、運もある。銃士としての経験や戦闘力は言わずもがな」
「何が言いたい」
「そんなきみを消してしまうのは惜しい、という話になってね。どうかな、我々と共にこの世界に新たな秩序を築かないか?」
……こいつ正気か?
盗賊ふぜいが――地下組織の悪人如きが、新たな秩序を築くだなんて。
奴の目的は俺の勧誘だということはわかったが、今さら俺がそんな話に乗ると本気で思っているのか。
否。侯爵邸で俺を殺しにかかってきた男が、本気だとは考えられない。
この会話も俺の隙をつくためのブラフと考えるのが妥当だろう。
「お前らのような姑息極まる地下組織に加わったところで、無秩序な闇の世界以外の何があるって言うんだ!」
「まぁそれが現在、表に出ている〈バロック〉の評価というのは確かだな」
「お前も〈バロック〉の一味だと認めるんだな!?」
「きみはこう思ったことはないか?――」
ガブリエルは俺の問いを無視して、話を続ける。
「――復興の時代、冒険者ギルドはどうなっていくのか。自分に冒険者としての未来はあるのか。闇の時代が終わった今、自分は今後必要とされないのではないか」
「……」
「ずっと思っていたはずだ。名声ある冒険者ほどこの時代の過渡期において、時勢に不満を持たぬわけがない。現に、王都での冒険者ギルドへの締め付けを不服に思っているだろう?」
「黙れ」
「我々がその時勢を変えてやる。我々にはその力があり、資格がある。我々が見込んだきみもその資格を持つ一人だ」
「大した妄言だ。組織に都合のいい捨て駒を集めるのに考えたのか?」
「なかなか転ばないな」
ガブリエルが溜め息をついたのが目に見えてわかった。
このまま話していても、奴が隙を見せることはないだろう。
俺やフローラが動けば即座に戦闘になる。
そうなっては、奴の傍にいるネフラが無事には済まない。
なんとかこの状況を打開しなければ……。
「フローラ。お前はどう思う?」
「そんなくだらない質問、答える価値もありませんわ」
「つまりお前も突っぱねるってことだよな」
「当然! 我らが教皇庁を差し置いて、犯罪者如きが新しい秩序などと……不愉快極まる絵空事に呆れ果てますわ!」
実にフローラらしい回答だ。
「……仕方ないな。取引が無理となれば、きみは消されるしかない」
「こっちは二人がかりだぞ。それとも女の子を盾にして恥の上塗りをするか?」
「無駄だ。挑発には乗らないよ」
キャスリーンやシャーウッドのように上手くはいかないか。
冷静な敵ほど厄介な相手はいないな。
その時、突然フローラが地団駄を踏み始めた。
床に亀裂が走り、天井の隙間からは小石や砂利が落ちてくる。
いきなり何をするんだフローラ!
床が崩れたら全員揃って一階まで真っ逆さまだぞ!?
「いつまでごちゃごちゃとしゃべっていますの!?」
「落ち着け! 床が抜けるっ」
「どうせそこの仮面をぶちのめさないことには私の気は収まりませんの! さっさと戦闘に入りましょう!!」
「馬鹿! ネフラが人質に取られてるのに何をっ」
「生きてさえいればこの私が完璧に治療してあげますわ! このまま不毛な会話を続けていても時の無駄でしょうがっ!!」
フローラの言う通りだ。
しかし、このまま二人がかりでガブリエルに挑んだとして、ネフラが大怪我を負う前に仕留めることができるだろうか。
奴の精霊魔法はいつでもネフラを即死させることができるほどの威力。
戦闘が始まれば実質三対一の状況になる以上、ネフラの死は高確率で避けられないように思う。
戦闘がクレバーな判断と言えるのか?
「愚かな男だ。せっかく先生の気まぐれで命を拾えるところだったのに」
「先生……」
「まぁいい。嫌だと言うなら、きみにはこの場で死んでもらう」
ガブリエルが言った瞬間、周囲に淀んでいた空気が流れる気配がした。
奴め、風の精霊を操り始めたな。
「んんっ!?」
「手始めにこの娘を血まみれに――」
ネフラの髪をガブリエルが掴むのと同時に、俺は引き金を――
「ここかぁぁぁっ!!」
――引く前に、壁をブチ破って巨大な影が飛び込んできた。
その影はゾイサイト!
彼はガブリエルの真後ろから現れ、見事にその背後を取っていた。
「何っ!?」
「見覚えあるぞその仮面!!」
ゾイサイトの完璧な不意打ち。
しかし、彼の太い腕は豪快な風切り音と共に空を切った。
「ちぃっ! 姿が見えないと思ったが外からとはっ」
ガブリエルが宙に浮かび上がりながら、大部屋の中央へと滑っていく。
その間も髪を引っ張られていたネフラは必死に抵抗して奴の手から脱し、俺の元へと走ってきた。
「んんんんんっ」
「ネフラ!」
俺は転びかけたネフラをとっさに抱きとめた。
「無事でよかった。本当に……!」
「んんっ!?」
思わずネフラの体を力強く抱きしめてしまった。
視界に入るネフラの耳が先まで真っ赤になっていくのが見える。
「あなた達、そんなことしてる場合じゃなくてよっ!?」
フローラの声で我に返った俺は、慌ててネフラを解放した。
そして、すぐさま猿轡と手を縛る縄を解いてやる。
「ジルコくん!」
「もう何も心配はいらない。俺の背中に隠れていろ、ネフラ!」
「……はい」
ネフラが頬を染めた顔で俺に微笑む。
二度とこんな不手際は起こさないと俺に誓わせる笑顔。
もう怒りを抑える必要はない。
俺はミスリル銃を構え直し、ゾイサイトの猛攻から宙を滑るように逃げるガブリエルへ照準を合わせた。
「ガブリエル! 貴様を捕える!!」
そして、引き金を引いた。




