5-039. もうひとつの時計塔
ガブリエルから脅迫状が届いてすぐ、俺達は隠れ家を放棄して最寄りにあるコーフィーハウスへと移った。
予約なしの飛び込みだったが、ジニアスのおかげですぐさま個室へと案内されることになった。
今この場にいるのは俺、ゾイサイト、ジニアス、ソーダの四人だ。
「ふわあぁ~」
これから作戦会議だというのに、口火を切ったのはゾイサイトの大きなあくびだった。
「眠いのなら突っ立っていないで座ったらどうだ?」
「そんなか細い椅子になど座れるか」
……確かにゾイサイトの巨体を支えられる椅子はこの場にはないな。
こいつにはこのまま立っていてもらおう。
「あれだけ眠ってまだ寝足りないのか?」
「眠りたらん。そもそもわしの眠りを妨げてまで仮宿を移動するなど、一体何があった?」
「……ネフラがさらわれた。クチバシ男にだ」
「ほう」
興味なさげにゾイサイトが相槌を打った。
それどころか、うつらうつらしながら話を聞いている有り様だ。
戦闘中には怖いくらいに鋭い逆三角形の三白眼が、今は力の抜けた楕円形の目へと戻っている。
この男、やる気のある時とない時の落差が激しすぎる。
個室のテーブルにジニアスが海峡都市の地図を広げた。
「手紙にあった竜の落ちた時計塔とは、海峡都市の北端にある時計塔のことでしょう」
言いながら、ジニアスは地図を指さした。
指し示す先は言葉の通り海峡都市北端の小区画。
そんな味気ない場所に時計塔が存在するのか?
そもそも海峡都市に時計塔がふたつあるなんて聞いたことがない。
「時計塔がもうひとつあるのか?」
「今から45年前――当時の都市計画では、時計塔が建てられる場所はここだったそうです。しかし、運の悪いことに近くに隕石が落ち、北側の橋げたが倒壊してしまったために建設を断念せざる得なくなったとか」
「つまり建設途中だった時計塔は放置され、新たに中央区画で時計塔が建てられたわけか」
「まさしく」
海峡都市に隕石が落ちたなんて初耳だ。
しかも建造途中の区画に落ちたとなれば、想像を絶する被害になっていただろう。
当時、エル・ロワとドラゴグは友好の証として互いに金と人材を出し合って海峡都市の建造を進めていたはずだ。
両国の一大事業に汚点を残したくなかった時の為政者が、印象の悪い情報を揉み消したってところか。
それにしても竜の落ちた時計塔とは、ずいぶん皮肉がきいている。
「この出来損ないの時計塔は、通称〈バベルの塔〉と呼ばれています」
「バベル?」
「古代魔法言語で、混乱を意味する言葉です」
「混乱ねぇ……。当時の状況が察せられるな」
「この塔のある区画は、橋げたの強度が脆くなっていることもあってずっと放置されています。今後10年ほどで隣接区画の倉庫街も移転する予定ですし、王国兵が管理していて人の出入りだってありません」
「〈バベルの塔〉の内部は巡回されているのか?」
「まさか。いつ橋げたごと倒壊するかわからない区画ですからね。定期的に冒険者ギルドへ依頼して、精霊奏者が塔内部に不法居住者がいないか捜索しているはずですよ」
「それって風の精霊奏者?」
「ええ。低コストで広範囲捜索を実現できるのが風の精霊だそうですから」
捜索に風の精霊を使うとは考えたな。
それなら万が一に倒壊しても人的被害はなくて済む。
しかし、もしもガブリエルが〈バベルの塔〉に居たならば……。
おそらく世界最高峰であろう風の精霊奏者である奴に掛かれば、並みの精霊奏者が動かす風の精霊なんていくらでも対処されてしまう。
「ガブリエルが〈バベルの塔〉に居るのは間違いなさそうだな」
「もしかしたらプラチナム侯爵も一緒なのかもしれませんね。父親の立場を危ぶんで息子が連れ出したのかも」
「それは……どうかな」
あの親子の間には明らかな確執があった。
執務室に家族の肖像画を飾り続ける父親。
父親よりも恩師とやらに固執する息子。
二人の奇妙な関係に付け入る隙があれば、こちらの有利になるかも……。
「ジルコさん。今夜十二時まであと十時間ほどあります。これをどう思いますか?」
「場所を指定してある割には、時間があり過ぎる点か」
「はい。これだけ猶予があれば、今からでも商人ギルドで雇っている傭兵を集めて時計塔の周辺を取り囲むことだってできます」
「それは無意味かもな。あいつはいざとなれば空を飛んで逃げられる」
「そうでしたね……」
「でも、今の俺ならヴィジョンホールの時のようにまんまと取り逃がすようなことはない。……絶対に」
「では武装した傭兵を手配しましょう。危険ではありますが、〈バベルの塔〉の区画にも水路のための地下通路はありますし、倉庫街はいい隠れ蓑になります」
「頼む」
〈バベルの塔〉には、ガブリエル以外に〈バロック〉の構成員か、あるいは奴の息のかかった手下どもがいるはず。
脅迫状には俺一人で来いと書かれていたが、馬鹿正直に従う理由はない。
可能な限りバックアップを受けた上で時計塔には乗り込むべきだ。
「なぜ指定の時間まで待つ? 今からさっさと突っ込んでしまえばよかろう!」
「そ、それは……」
ゾイサイトが急に割り込んできたと思ったら、考え足らずなことを言い出した。
〈バベルの塔〉は十中八九ガブリエルの隠れ家だ。
何の準備もなしにうかつに飛び込んでは、飛んで火にいる夏の虫になりかねない。
「何か罠があるからこその時間指定だろう。せっかく猶予を与えてくれているんだから、こっちも十分に準備を整えてから飛び込むべきだ」
「つまらんな。つまらんからわしは寝る。話が終わったら起こせ」
そう言うや、ゾイサイトは個室の壁に寄りかかりながら眠り始めてしまった。
相変わらず身勝手な奴……。
「とりあえずフローラさんと合流して、デュプーリクさんを通して兵士長の協力をあおぎましょう」
「そうだな……」
「どうかしましたか、ジルコさん?」
俺にはひとつ懸念があった。
それは、なぜ仮宿に俺達が居ることを敵に知られたか、だ。
「ジニアス。商人ギルドのどのくらいの人間が、仮宿のことを知っている?」
「それは……侯爵邸への潜入の件と同様、僕と父、それに信頼できる一部の側近だけです。十名にも満たないですよ」
「それと、この場に居合わせているソーダか」
「そうですね」
その中の誰かが〈バロック〉の間者だとしたら、俺達の所在が漏れていたのも納得がいく。
むしろ時間に猶予を与えたのも、間者から俺達の行動を把握するための作戦だとしたら……。
綿密な準備が墓穴を掘ることになるかもしれない。
「……ジルコさん」
「なんだ?」
「どうやらここで商人ギルドとあなた方は別れた方がいいようです」
「ジニアス……」
よほど渋い顔をしていたのか、ジニアスに心中を察せられてしまったようだ。
「商人ギルドに〈バロック〉の息のかかった者がいるかもしれない、と考えていたのでしょう。確かに現状、僕にそれを否定する術はありません」
「そうだ……な」
「僕はギルドに戻って父と相談した上で、〈バベルの塔〉の対策を進めます。侯爵がいる可能性があるのなら、王国軍の協力も得られるでしょうから」
「わかった。ここまでしておいてもらって、すまないなジニアス」
「いいえ。稀代の英雄ジルコ・ブレドウィナーの助力になれるのであれば、いくらでも骨を折りますよ」
「ありがとう」
商人ギルドは敵に回すと恐ろしいが、味方であればここまで頼もしい存在はない。
ジニアスには申し訳ないが、ここは俺の都合で別行動を取らせてもらおう。
「私からひとついいだろうか」
今まで黙っていたソーダが挙手と共に口を開いた。
「ソーダ。何か気になることでも?」
「今回、仮宿の場所を漏らした容疑者は何も商人ギルドの者達だけじゃない」
ソーダが俺の顔をじっと見つめながら言った。
……彼の言わんとすることはわかる。
「フローラ嬢とサントリナ上等兵。この二人も容疑をかけるには十分だと思う」
「ソーダ! 二人はジルコさんの仲間なんだよ。それが……」
「しかしジニアス様。その二人が仮宿を離れてから脅迫状が届いたのも事実です。警戒はするべきかと」
「そ、それはそうだけど……」
ジニアスが困っているな。
俺のせいで、彼と部下の関係がこじれてしまっては心苦しい。
ソーダの指摘は俺も容認するべきだな。
「ソーダの言いたいことはわかる。状況証拠とはいえ、フローラとデュプーリクにも間者の疑いはあると思う」
「ジルコさん……」
「俺としては二人が間者だとは考え難いけど、可能性がゼロじゃない以上は注意するべきだよな」
フローラ……。
あいつが間者だったら、俺とゾイサイトがボロボロの状態で仮宿にたどり着いた時点で何かしら行動を起こしているはず。
それに、なんだかんだ付き合いの長いフローラが今になって俺達と敵対するような動機があるのか……という疑問もある。
デュプーリク……。
思えば、あいつとは出会ってまだ二ヵ月も経っていない短い付き合いだ。
それでも、態度こそ軽薄だけど仲間を裏切るような奴かと問われれば、首を横に振れるくらいの信用はある。
そもそも王都でフローラの看破の奇跡を受けて、こいつが敵じゃないことはわかっているしな。
「フローラは俺の方で対応する。デュプーリクの方は、ジニアスに任せたい」
「構いませんよ。兵士長との連携の都合上、デュプーリクさんとは今後も密なやり取りがあるでしょうから」
少々、場が気まずくなったが、これでソーダも納得するだろう。
「ぐごぉおぉぉ~」
「「「……」」」
呑気にいびきなんてかきやがって、ゾイサイト。
一番の懸念は、こいつが暴走して勝手に〈バベルの塔〉へ乗り込まないかだ。
俺とフローラだけじゃ本気になったこいつを止められないからな……。
◇
フローラを見つけるのには時間がかかった。
仮宿から近い教会をいくつ覗いても見つからないので、危険を冒して表通りにまで出てみれば――
「あら。こんなところで会うなんて、どうしましたのジルコ?」
――呑気に氷菓子のシャルバートを舐めながら商店街をうろうろしていた。
この女、〈ジンカイト〉に所属している自覚はあるのか?
「フローラ! お前、今〈ジンカイト〉がどんな立場かわかっているのか?」
「立場って……別に手配書も出ていませんわよ? 兵士とすれ違っても何も言われませんし」
「あのなぁ、俺達を狙っているのは裏社会の――」
って、この場でその名前を口にするのは憚られるな。
さっさとフローラを連れて人気のない場所へ引っ込もう。
「いいからさっさと来いっ」
「ちょ! 触らないでくださるっ!?」
俺がフローラの手を掴もうとしたら、手刀ではたかれた。
……腕が折れるかと思った。
「フローラ。貴様、これ以上わしの時間を無駄にさせる気か?」
「……! わ、わかりましたわよっ」
ゾイサイトがついてきてくれて助かった。
フローラは俺の頼みは聞いてくれなくとも、ゾイサイトの脅しは効くからな。
俺とゾイサイトの間に挟まる形で、フローラが歩き出した。
とはいえ、シャルバートを頬張っているのは変わらない。
「で、そんな血相を変えてどうしましたの?」
「ネフラがさらわれた」
「……それ本当?」
「ああ。そのことについて、お前にも話を聞きたい」
その後、適当な路地に入って俺達は話を続けた。
といっても、話すのは俺とフローラ。
ゾイサイトには周囲に俺達を監視する者がいないか、念入りに警戒を続けてもらっている。
「……なるほど。私が出て行ってから、そんな脅迫状が届いたのですの」
「ああ。商人ギルドに〈バロック〉の間者がいる可能性があるので、今はジニアス達とは別行動ということになった」
話がややこしくなるだろうから、フローラが疑われたってことは黙っていよう。
それよりも聞きたいのはネフラのことだ。
「お前、侯爵邸で最後に会った時、ネフラは先に外に出たって言っていたよな。あの子とどこで別れたんだ?」
「どこでって……庭に出るまで一緒でしたわ。離れ離れになったのは、あなたを助けるために私だけで舞踏場へ戻った時で……」
確かに武装メイドに襲われた時、俺はフローラに助けてもらっている。
その時まではネフラは無事だったってことか。
となると、彼女がガブリエルにさらわれたのは庭に出た後……?
「あの子がさらわれたのなら、私の手を煩わせたあなたのせいということになりますわね!?」
「うっ……! そ、それは……そうなるけど……」
そう言われると耳が痛い。
「まったく。女一人守れない男が次期ギルドマスターだなんて、〈ジンカイト〉の未来も危ういのではなくて?」
「それは言わないでくれ……」
「で? まさか今夜十二時まで女を待たせるわけじゃありませんわよね!?」
「そ、それは……」
やっぱりフローラもゾイサイトと根は変わらない脳筋。
善は急げで考えるのは同じだったか。
「どこの馬の骨ともわからない男にさらわれて、ネフラがどんな酷い目に遭わされるかわかったものじゃないんですのよ! 今すぐ助けたいとは思わないの!?」
「そりゃあぐえっ」
俺が同意しようとした瞬間、フローラに胸倉を掴み上げられた。
間近で見るフローラのこめかみには青筋が浮き出ていて、俺の首を折らんばかりの腕力で締め上げてくる。
両足が地面から浮いていくので、俺は本気で殺されるかと思った。
「お、俺だってなぁっ!!」
俺は壁を蹴ってフローラの怪力から脱した。
地面に着地するや、とっさにホルスターから抜いた銃を彼女に向けて構える。
と同時に、本音が自然と口から出てしまった。
「俺だってネフラを今すぐ助けたいよ! 一秒だってあの子の不安な顔を想像すると気が気じゃないよっ!!」
「ふぅん」
フローラは俺を一瞥するなり、髪をたくし上げた。
俺が一瞬、彼女の金色の髪が踊るのに意識が向いた瞬間――
「ごはっ」
――右頬に痛烈な拳骨を食らった。
俺は地面を一度バウンドした後、反対側の壁へと叩きつけられ、そのままの姿勢で尻もちをついてしまった。
頬骨が軋んで、唇もすこぶる痛い。
手加減された一撃だとはわかるが、それでも目が回るほどの衝撃だった。
フローラはそんな俺を見下ろしながら、怒気をはらんだ表情で言う。
「だったら今すぐ助けに行くのが男でしょうっ!!」
そう言われた瞬間、俺はごちゃごちゃ考えていた頭がすっとした。
フローラの一言で余計なことがすべて吹っ飛んだのだ。
「……そうだよな。何を待つ必要があるんだ」
「そうよ。復興の時代にもなって女を泣かせるような男はクズ! あなたも曲りなりにも男なら、女に涙を流させない生き方をするべきですのよっ!!」
まさかフローラに励まされるなんてな。
今まで自称聖女だなんて揶揄してきたけど、きっと今この瞬間はフローラの言い分が正しい。
四の五の言っている場合じゃなかった。
今すぐネフラを助けに行かなきゃ……!
「ネフラを助けに〈バベルの塔〉に乗り込む! 頼む。フローラ、ゾイサイト。俺に力を貸してくれ!!」
いつの間にか俺の前にたたずむ二人の男女。
彼らは俺のその言葉を待っていたかのように、二人並んで満面の笑みを浮かべた。
「その命令なら喜んで聞き入れよう! たっぷりと楽しませてもらうぞぉっ!!」
「私達を舐めた輩は全殺しですわぁぁぁ!!」
悪魔のような表情を浮かべる二匹の獣が俺を見下ろしている。
その様子は頼もしくもあり、恐ろしくもあり……。
……あれ。
俺、選択を誤っていないよな?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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