5-035. 剣と拳 セバスVSゾイサイト②
セバスは防御が間に合わず、壁際に積み上がった瓦礫へと突っ込んでいた。
顔面へとまともにゾイサイトの一撃が入ったのだ。
いくらセバスでも、さすがに起き上がってくることはできないだろう。
「ふん。主人の見ている前で、いつまでだらしのない姿をさらしている?」
ゾイサイトがセバスの方を向いたまま、警戒を解かない。
まさか奴はまだ動けるって言うのか!?
「ぐっうぅ」
……セバスが瓦礫の山から這い出してきた。
ゾイサイトの拳を顔面に受けて、立ち上がれる人間がいるなんて信じられない。
「くっくっく。男前になったのぉ」
「はぁっ、はぁっ……」
セバスの顔は見るも無残になり果てていた。
裏拳で打たれた右頬が陥没し、顔半分が赤黒く変色している。
右目の周辺も腫れ上がっていて、開いていられない状態のようだ。
今の一撃で相当のダメージを負ったのは確実だが、足取りは確かで闘志はいささかも衰えていない様子。
「いいぞゲオルギオス! せっかく出会えた好敵手だ。お互いもっと楽しもうではないか!!」
「……はは。それもいいですな」
セバスは苦笑いを浮かべながらもレイピアを構え直した。
ゾイサイトも両腕を開いた構えを取り、今にも飛び掛からん体勢でじわじわとセバスへと近づいていく。
両者の距離はおよそ10mほど。
この二人の実力なら、互いに一息で攻撃に至る距離だ。
「旦那様、ご避難下さい。この場は少々荒れましょう」
セバスが侯爵へと避難を促す。
それを受けて侯爵の傍に付き添うメイド達が主人を連れ出そうとするも、当人は頑としてその場を動こうとしない。
「セバスよ。腹心の部下の戦いを最後まで見届けるという主人の義務、まさか奪うつもりではなかろうな?」
「しかし……」
「その不届き者の処理、私が見届ける中でしかとやり遂げよ!」
「……承知!!」
セバスの目つきが変わった。
侯爵からの激励を受けて、その闘志はさらに高まったような気さえする。
これは主人への忠誠心が成せる業なのか?
ゾイサイトの圧勝かと思っていたけど、まだ勝負はわからない……!
「待たせてしまいましたな」
「構わん! 貴様が全力で戦えるのであれば、いくらでも待ってやろう」
「十分です。これより全身全霊を以て、あなたを斬りましょう」
「来いゲオルギオス! わしも全力で貴様を迎え撃とうではないか!!」
会話が止んだ後、セバスの構えは奇妙なものへと変化した。
上半身を大きく捻り、レイピアを両手持ちにして頭上高くへと掲げている。
剣士が斬りかかるような構えにはとても見えない。
……待てよ。まさかあの構えは!?
「私がかつて音速と呼ばれた意味、今こそ教えて差し上げる!!」
静まり返った舞踏場に、ミシミシと何かが軋む音が聞こえてくる。
その音はセバスの握るレイピア――その柄から聞こえている。
柄を握りつぶさんとするほどの握力が込められているのか?
「届け、我が音速の牙よ!!」
セバスはその場から踏み出すことなく、全力でレイピアを振り下ろした。
刹那、耳をつんざくような音が響き渡る――
「ぐあっ!!」
――と同時に、ゾイサイトの左肩から胸部にかけて血しぶきが舞い上がった。
しかも、その傷は直接斬りつけられた時よりも深い。
「ぬうっ……。貴様、これは!?」
「あなたのような強者とて、真空の刃は初めてでしょう」
「真空の刃だと」
「我が奥義、その身に味わっていただく!!」
セバスが再びレイピアを振り下ろす。
すると、やはり鋭い音と共にゾイサイトの体が血を吹き出した。
彼の体に刻まれた傷は剣によるものに見える。
セバスの素振りが、10mも離れた位置のゾイサイトを斬り裂いたのか!?
「むうぅ。受けも避けもできぬとは……っ」
「我が剣は速度を追求し続けた流派。その極致こそ、たった今お見せした音速を超えし剣――言うなれば音速剣なのです」
「音速剣とは大仰な。魔法を用いることなく、己の膂力のみでこれほどの領域に達するとは、素晴らしいぞゲオルギオス」
「お褒めに預かり光栄至極」
ゾイサイトが一歩踏み出した瞬間、セバスが三度を空を斬った。
しかも一太刀ではなく、二太刀、三太刀と、連続で斬り続けていく。
それらはすべて見えない斬撃となってゾイサイトへ届き、その巨躯を無惨に斬り裂いていった。
とても剣術の域に収まっているとは思えない技だが、その一振り一振りは確実にゾイサイトの命へと届きつつあるように感じる。
現に、ゾイサイトの顔には脂汗が浮かんでいるじゃないか。
「ぐぬぅっ! がああぁっ!!」
見えない斬撃が次々とゾイサイトの体を削っていく。
比喩ではなく、言葉通りに彼の肉を抉り取っているのだ。
防御に徹しているゾイサイトの守りが、ことごとく突破されていく光景なんて初めて見る。
「ちぃっ!」
さらに追撃が来たところで、ゾイサイトは床を横へ蹴って斬撃を躱した。
見えない斬撃は遥か後方の壁を貫き、床と天井を繋げるほどの大きな亀裂を作り出してしまった。
その威力は驚嘆すべきものだが、それ以上に俺はゾイサイトが攻撃を避けたことに驚きが隠せなかった。
戦場で猪突猛進の限りを尽くして蛮勇を振るっていたあの男が、人間相手の攻撃を避けるなんて……。
しかも――
「どちらへおいでかっ!?」
――セバスは続く斬撃をゾイサイトの進行方向へ飛ばした。
その一太刀も、目にも止まらぬ速度でゾイサイトの体を斬り裂いてしまう。
セバスの音速剣はゾイサイトが避けることを選択するほどの威力……加えて、彼の鋼鉄以上の筋肉でも防御しきれない恐るべき技だ。
あの人、俺と戦った時はぜんぜん本気じゃなかったんだ……。
「ぬううぅぅ~~」
ゾイサイトの全身はすでに真っ赤な血に塗れていた。
並々ならぬ出血に、ゾイサイトの額からは脂汗がしたたり落ちている。
「横に避けるも跳んで避けるも無駄のようだな」
「左様。我が視界はすべて間合いでありますれば……」
「つまらぬ小細工を弄したことを謝罪しよう。男の戦いは、やはり正面突破に限るわ!!」
ゾイサイトのやつ、この期に及んで正面から突撃する気か!?
盾衛士くらいの重武装をしているのならまだしも、生身であんな斬撃を受け止め続けられるわけがない!
「行くぞぉぉ!!」
「いざ!!」
ゾイサイトが床を蹴った。
宣言通り真っ向から突っ込んだ彼は、同時にレイピアを振り下ろしたセバスの斬撃が直撃する。
しかし、それでもゾイサイトは突進を止めない。
一方のセバスも、休むことなくゾイサイトへ音速の剣を繰り出し続ける。
ヒトならとっくに絶命しているであろう大量の血液を撒き散らしながら、ゾイサイトはセバスとの距離を縮めていく。
だが、その突進力は見る見るうちに衰えていった。
「うぐぅ!」
その足が止まったのは、片方の太ももを斬撃が捉えた瞬間だった。
傷を負った足がゾイサイトの巨躯を支えきれずに大きく傾く。
あわや片膝をつきそうになるのを堪えて、なんとか体勢を立て直そうとするゾイサイトだったが――
「勝機!」
――その瞬間こそセバスの待ち望んでいた隙だった。
セバスはレイピアを上段に構えて、一瞬のうちにゾイサイトの眼前へと迫った。
「お命ちょうだい!!」
体勢を崩したゾイサイトに反撃の余地はなく、セバスは構えていたレイピアをゾイサイトの後頭部へと振り下ろした。
素振りが真空波を起こすほどの剣を頭に受ければ、いくらゾイサイトでも無事には済まない――否。確実に死ぬ。
「逃げろゾイサイトッ!!」
思わず声を張り上げてしまった。
隠れ忍んで侯爵をさらうつもりだったのに、仲間の死を確信した瞬間、黙っていることなどできなかった。
俺はゾイサイトの頭に振り下ろされた剣を前に――
「うるっさいのぉ」
――当人が平然と口を開くものだから固まってしまった。
「次期ギルドマスターともあろう者が、どんと構えておれんのか」
「……えぇっ!?」
ゾイサイトが生きている!?
セバスのレイピアはあいつの頭上に振り下ろされたのに、なぜ?
「確実にわしを殺るつもりなら、狙ってくる場所はひとつよ!」
……数瞬遅れて俺は状況を理解した。
ゾイサイトは、セバスの剣を両の手のひらで受け止めていたのだ。
以前、ルリから聞いたことがある。
真剣を無手で受け止める捨て身の技があると。
その技の名を確か――真剣白刃取りとか。
「何ぃっ!?」
「ぬかったなゲオルギオス。いかに速かろうが、狙いがわかればこの通りよ!!」
「よろめいたのは私を誘って……!」
「わしの足腰は、頭が割れようと大地に立ったまま倒れはせんわっ!!」
ゾイサイトは挟み取った剣身をてこの原理でへし折るや、片膝を軸にして強烈な蹴りをセバスへと見舞った。
セバスの胴体はバキボキと嫌な音を立てて10m以上吹き飛び、壁へと激突した。
その後、床に倒れたセバスが起き上がることはなかった。
……今度こそゾイサイトの勝利だ。
「ふぅっ。こんな血沸き肉躍る勝負は久々よ! 実に満足のいくものだった。礼を言うぞゲオルギオス!!」
勝ち誇るのはいいが、全身の傷口から流れ出る血が止まっていないぞ。
あんな状態で平然としていられるなんて、クマ族のタフネスには賞賛しかないな。
「だ、大丈夫なのかゾイサイト?」
「この程度の傷、闇の時代には日常茶飯事ではないか。長い都会暮らしでつくづく平和ボケしたようだなジルコォ!?」
……確かにあの時代はそうだった。
前にクロードやクリスタにも言われた通り、復興の時代になって俺はすっかりあの頃の意識が薄れてしまったようだ。
「さぁて、邪魔者は消えた。あとはわかるなジルコォ?」
「……ああ」
俺は侯爵へと向き直った。
侯爵はいまだ舞踏場に留まっており、彼を守る戦力は傍らにいる武装メイド二人のみ。
ゾイサイトがいる今、侯爵を拉致することは造作もない。
しかし――
「見事だった。さすがは〈ジンカイト〉の冒険者といったところか」
――侯爵の目には敗北の色など微塵も見えない。
「あなたに問いただしたいことがあります。プラチナム侯爵」
「……用件はおおよそわかっている」
「仮にもエル・ロワの英雄であるあなたを傷つけたくはありません。どうか抵抗せずに俺についてきてください」
「ゾイサイトがいては、もはや首を縦に振るしかあるまいな……」
侯爵を守るようにメイド達が前に出る。
しかし侯爵に一瞥された途端、彼女達は武器を置いてその場にひざまずいた。
どうやら侯爵は観念してくれたようだな。
「それでは、今のうちにここから――」
侯爵を誘導しようとすると、手元に抱えていた剣が突然俺の手から離れていった。
傷のせいで取り落としたのかと思ったが、違う。
剣は宙に浮いていたからだ。
「こ、これは!?」
浮遊する剣を見上げるさなか、俺の耳に拍手が聞こえてきた。
広い舞踏場でたった一人の拍手が響いている……誰だ?
否。俺はすでにそれが誰なのかを察していた。
拍手が聞こえてくる方向に振り向くと、その人物は会場の隅――ただひとつだけ無事だったテーブル席に悠然と座っていた。
「セバスチャンを倒すとは見事と言うほかないな。さすがはゾイサイト・ピズリィ。〈蓋世の闘神〉と呼ばれている等級Sの冒険者だ」
「お前は……!」
その人物は黒い宮廷衣装を身にまとい、異彩を放つマスクで顔を隠していた。
マスクには目を覗かせる丸い二つ穴が空いており、クチバシの形状をした円錐状の筒が口元から伸びている。
あまりに異様なその姿、見間違うはずがない。
「よくぞここまでたどり着いた。その執念に敬意を表し、名乗ろうじゃないか」
拍手が止まるのと同時に、俺の傍に浮かんでいた剣が床へと落ちた。
しかし、俺は足元に落ちた剣に視線を向けることができなかった。
視界に入るクチバシ男から視線を切ることができなかった。
「ティタニィト・ガブリエル・プラチナム。これが、きみがこれまで追ってきたクチバシ男の名前だよ」
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