5-034. 剣と拳 セバスVSゾイサイト①
ゾイサイトが一瞬にしてセバスとの距離を詰めた。
続けざま、巨大な拳がその顔面へと繰り出された時――
「甘い!」
「ぬっ!?」
――セバスは涼しい顔で強打を躱し、すれ違いざまにゾイサイトへと一太刀斬り返していた。
「……やるな」
今の交差によって、ゾイサイトの胸元には切り傷が出来上がっていた。
彼はテールコートのジャケットとシャツを破り捨てると、胸筋へと力を込める。
すると、傷が塞がって流れ出ていた血も止まってしまった。
「ゲオルギオスといったか。久方ぶりに気合を入れねばならぬ相手と見た」
「あなたほどの強者にそう言われるとは光栄ですな」
「この数ヵ月、つまらん相手とばかり相対してきた。ようやくその不満から解放されそうだ」
「斬り捨てられる結末となろうとも、ですかな?」
「面白い! このわしを斬り捨てると言うか!!」
セバスの挑発にゾイサイトは嬉しそうに笑う。
その笑顔はまるで子供だ。
「行くぞ、ゲオルギオス。わしを十全に楽しませてくれっ!!」
ゾイサイトは二足獣を彷彿とさせる前傾姿勢に身構え、全身の筋肉を隆起させた。
ただでさえ巨躯の大男が、さらにもう一回り大きくなったように見える。
気合を入れると言っていたが、ゾイサイトは全力戦闘をするに足る相手だとセバスを認めたようだ。
「来賓の皆々様、すぐに舞踏場の外へ避難を! 衛兵とメイドはお客様の安全を最優先させよ!!」
静まり返っていた会場にプラチナム侯爵の声が響き渡った。
それをきっかけとして、固まったように身動きを取れずにいた貴族達が一斉に動き始める。
彼らは我先にと入り口へ駆け出すものだから、瓦礫につまづいたり、互いにぶつかって転倒したり、踏みつけられたり、惨憺たる状況だ。
俺はいかにして侯爵へ近づくかを考えていたが、この混乱の中じゃそれも難しくなってしまった。
「おい、ソーダ――じゃなかった。シャーウッド、聞け」
悲鳴と怒号が飛び交う中、モルダバが話しかけてきた。
シャーウッドと呼ばれて一瞬困惑したが、そういえばこいつらには〈ハイエナ〉の一員を装っていたのだった。
偽名がふたつにもなるとややこしいな……。
「二階にはちょうど執務室があったはずだ。お前、執務室から落ちてきたんじゃないのか?」
さすがは盗賊。
こんな状況であっても、冷静に獲物のことだけを考えているわけか。
「もしそうなら、執務室で例の肖像画を見なかったか?」
「……」
「教えてくれれば見逃してやるよ」
「……」
見逃してやる、か……。
モルダバの言う通り、俺は執務室で件の肖像画と思わしき絵を見つけた。
その事実を伝えれば、モルダバとムアッカは優先して肖像画を盗み出そうとするだろう。
そうなれば俺にも侯爵を確保する余地が生まれる。
ここは正直に教えた方が都合がいい。
「……ああ、あったよ。確かに家族の描かれた肖像画だった」
「マジか?」
「マジだ」
「この場を取り繕うための嘘じゃないよな?」
「身分を偽って侯爵邸には潜入したが、取引で嘘つくほど堕ちちゃいない」
「〈ハイエナ〉の分際で偉そうに言うな」
酷い言われよう……。
きっとこいつらと〈ハイエナ〉では流儀が違い過ぎるのが原因なんだろうな。
力ずくで宝を奪う〈ハイエナ〉に対して、モルダバ達は事前調査まで行った上で慎重に事を運ぼうとしている。
それが都会の盗賊と裏社会の飼い犬との違いか。
……って、関心している場合じゃない。
「目当ての肖像画は部屋の一番奥だ。今は床が抜けているから、当面は盗み出すなんて不可能だぞ」
「場所がわかればやりようがあるってもんよ」
モルダバが俺に向けていた槍を下げた。
銃口を向けていたムアッカもそれにならう。
「行きな。そして俺達のことは固く口を閉ざし、墓まで持っていくんだな」
「お前達のことは侯爵邸を出たら忘れるよ」
俺の言葉にモルダバが訝しそうに顔をしかめた時――
「邪魔だどけぃっ!!」
――ゾイサイトの怒声が聞こえて、思わず振り返ってしまった。
見れば、ゾイサイトはセバスへと執拗に攻撃を繰り返している。
しかしその拳はいずれも空を切り、セバスにかすりもしていない。
それもそのはず。
ゾイサイト達の周辺には逃げ遅れた貴族達がへたり込んでおり、彼が全力で踏み込めない状況となっていた。
セバスはそんなゾイサイトの隙を逃さない。
「お優しいことですな」
「ぬうっ!」
セバスの剣閃が再びゾイサイトを捉えた。
ゾイサイトは両腕を交差して斬撃を受け止めたものの、鋼のように強靭な肉体も超一流の剣士の剣を食らってはただでは済まない。
より深く斬り刻まれたゾイサイトの両腕は、隆起した筋肉でも止めようのない傷が開き、血が噴き出し始めている。
「くっくっく……」
「この状況、笑うことですか?」
「嬉しいのだ。貴様のような強い男と出会えたことがな!」
「こちらには迷惑なことですが……光栄だと申し上げておきましょう」
余裕ぶっているが、ゾイサイトの攻撃は一度も当たっていない。
そして、その理由ははたから見ても明白だった。
「惜しむらくは、邪魔する輩がいることだが――」
ゾイサイトが視線を落とした先には、床に尻もちをついて震えている貴族の姿。
来賓の多くはすでに入り口へと殺到しているが、逃げ損なっていまだに舞踏場の中央付近に取り残された者達もいる。
セバスは巧みに彼らの傍を移動し、ゾイサイトの攻撃範囲に含まれるようにしているのだ。
相手に本気で打たせないようにすることで、セバスはこの戦闘で有利に立っている。
「――やれやれ。別に巻き込んでしまっても構わんのだがな」
一瞬、ゾイサイトがこちらに視線を送ったのを俺は見逃さなかった。
あいつ、もしかして俺に気を利かせて余計な犠牲を出さないようにしているのか?
だとしたら、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。
舞踏場の現状は次の通りだ。
ゾイサイトとセバスは中央付近で対峙。
その周辺には逃げ遅れた貴族達。
二人の戦いをやや離れた位置から見守っている侯爵。
その侯爵を守るために傍らについている武装メイドが二人。
……侯爵にいつの間にか護衛がついてしまっていたのは誤算だった。
さっさと侯爵を連れて屋敷から離脱したいが、武装メイドが二人もいては、武器もなく深手を負った今の俺では困難。
こうなれば、不本意だが協力を仰ぐしかない。
「モルダバ。ムアッカ。ひとつ取引しないか?」
盗賊二人に真実を話して、なんとか共同戦線を図る。
そのつもりで話しかけたのだが――
「……あれ!?」
――すでに二人の姿はなかった。
肖像画を盗むため、とっくに行動を開始していたらしい。
「くそぅ。俺一人でやるしかないのか……」
モルダバにやられた傷が痛む中、俺は近くに落ちていた剣を手に取った。
衛兵の誰かが落としたのだろうが、せめて雷管式ライフル銃だったなら……とは言うまい。
俺は剣を鞘から抜くや、瓦礫に身を潜ませながら侯爵のもとへと向かった。
彼もメイドも、ゾイサイト達の戦闘に意識が向いていて周りへの警戒が疎かになっている。
今なら不意打ちでメイド二人を倒し、侯爵を気絶させることも可能だ。
俺がこの場から去れば、ゾイサイトが舞踏場での戦いにこだわる理由もなくなるだろう。
その時、舞踏場に巨大な破壊音が響き渡った。
「な、なんだ!?」
音のした先に向き直ると、ゾイサイトが床に拳を打ち付けている姿が見えた。
その一撃は床に深い穴を穿ち、周囲に亀裂を走らせている。
一方で、標的であるセバスは宙を舞うようにしてゾイサイトの頭上を飛び越え、着地する際にその背中を斬りつけていた。
「ぬぐっ! ちょこまかと!!」
ゾイサイトは振り返って早々、セバスへと飛び掛かる。
しかし、セバスは貴族の後ろに回り込むことでゾイサイトを躊躇させ、またもその隙をついて反撃に転じる。
「ちぃっ」
……これはいけないな。
セバスは、ゾイサイトが貴族を巻き込んで攻撃できないことを見抜いている。
ゾイサイトの本気の一撃は、その風圧だけでもかすめた人間を打ち殺せるほどの威力がある。
周りに無防備な人間が散らばっていては、ゾイサイトはいつまで経っても全力を発揮できない。
ましてや相手は伝説の男〈音速のゲオルグ〉。
ゾイサイトとはいえ、手加減して勝てる相手とは思えない。
「真っ向勝負では私に勝ち目は薄い様子。不本意ですが、姑息な手段を取ってでもこの場を収めさせていただきます」
「貴様がどんな戦り方をしようとも構わん。真の強者ならば、いかなる状況であっても勝利を手にするものだからな」
「それを聞いて安心しました。これもあなたの流儀の範疇ということですな」
「ああ。貴様にこういう時の勝ち方というものを教えてやろう」
そう言うなり、ゾイサイトは足元に倒れていたテーブルの天板を持ち上げた。
天板を投擲してセバスの隙をつくつもりか?
そんな小手先の攻撃が通用する相手とも思えないが――
「はあああぁぁぁぁっ!!」
――違った。
ゾイサイトは両手で天板の端を持つと、その場で回転し始めた。
否。天板をぶん回すように周囲を扇いでいるのだ。
「うわぁぁっ」
「きゃああっ」
直後、舞踏場に突風が吹き荒れた。
その風はテーブルの残骸や積み上がった瓦礫はもちろん、腰を抜かしていた貴族達までも一斉に壁際へと吹き飛ばしてしまう。
それは離れた場所から様子をうかがっていた俺も例外じゃない。
かろうじてその風圧に耐えられたのは、舞踏場ではセバスだけだった。
「な……!?」
「邪魔なものは排除する! これで戦りやすくなったわ!!」
……な、なんて奴!
ゾイサイトは邪魔な貴族達を一掃するために、天板を扇いで隅へと追いやったのか。
幸い、吹き飛ばされた貴族達は全員生きている様子。
こんな真似、ゾイサイトの怪力がなければ思いつきもしないぞ。
「さぁ、ゲオルギオスよ。仕切りなおすとしよう!」
「……大した御仁ですな」
今まで余裕の表情を崩さなかったセバスが、初めて困惑の色を示した。
邪魔者が消えた今、ゾイサイトは全力の拳を振るってくるのだから強張るのもわかる。
「はぁっ!」
セバスはレイピアを構えたままゾイサイトの周囲を回り始めた。
彼の動きは尋常ではなく、その軌跡に残像が残るほどの速度だった。
一方、ゾイサイトは敵を目で追うこともなく、笑みを浮かべたまま微動だにしない。
まるで斬りつけてこいと誘っているかのようだ。
「甘く見るなっ!!」
セバスが叫んだ直後、輪になってゾイサイトを囲んでいた残像が消え去った。
俺の目はなんとかセバスを追えているが、一方向しか見据えていないゾイサイトがこの攻撃を防御できるとは思えない。
現に、セバスはゾイサイトの背中から斬りかかっているのだ。
「貴様がな」
刹那、ゾイサイトが上半身を捻って背後へと裏拳を放った。
その拳は見事にセバスの顔面を捉え、風を切るような豪快な素振りと共に彼の体を吹き飛ばした。
「目に見えずとも、殺気がわしに教えてくれるわ。貴様の位置をな」




