5-033. 侯爵邸、大乱戦!
とんだ誤算だ。
運が俺に味方してくれたと思ったら、セバスが想像もしない方法でせっかくの幸運を無にしてくれた。
まさか肖像画に火が移るのを防ぐために、執務室の床をまるごとくり抜くなんて……。
「うわあぁぁぁっ」
執務室の床が轟音と共に舞踏場へと墜落した。
その衝撃で床は砕け、高級な絨毯をビリビリに破いていく。
パーティー会場に来賓の悲鳴が響く中、俺は次の一手を考えた。
……逃げるしかない。
同じく砕けた足場に乗っていたセバスは、生じた亀裂に足を取られている。
体勢を立て直して俺に斬りかかってくるまでには四、五秒は掛かるだろう。
ならば、その数秒の間に俺がすべきことは――
「逃げろっ!!」
――ネフラとフローラへのメッセージを叫ぶこと。
そして。
「何事だぁぁぁっ!?」
ひときわ大きな怒声を上げた声の主――プラチナム侯爵を拉致することだ。
セバスを倒せずに一階で身を晒してしまった以上、俺の正体は露見したも同然。
ならば侯爵がクロかシロかの判断は二の次。
彼をさらってこの場から撤退するのが次善の策だ。
クロなら〈バロック〉の情報を引き出せるし、シロならドゲザでも何でもして〈バロック〉との戦いに協力してもらう!
この一瞬では、もうそれしか思いつかない!!
「旦那様、火竜です!!」
俺が侯爵の方へと足を踏み出そうとした瞬間、セバスが叫んだ。
斬りかかるのが無理でも声は届く。
おそらく今の言葉で侯爵に侵入者の正体を伝えたのだろう。
火竜とは、明らかに俺の素性を指しての符牒だからな。
幸いなことに、侯爵は舞踏場の入り口方向に確認できた。
俺の落下地点は舞踏場のほぼ中央。
ここから侯爵まで7m程度の距離。
その間には、腰を抜かして騒いでいる貴族達や唖然としているメイド達がいるが、衛兵の姿はない。
この混乱の中、状況を把握して即座に動ける衛兵などいまい。
侯爵を抱えて屋敷を脱出することは十分に可能だ。
「うおおっ」
俺は砕けた床を蹴って悲鳴を上げている貴族達を飛び越えた。
何人かは落下した瓦礫にぶつかって怪我をしているが、致命傷を負った者は見られない。
彼らには申し訳ないが、この場は一切無視させてもらう。
進路を塞ぐ彼らを押し退けて、侯爵まであと3mほどに迫った時――
「歓迎しろ!」
――侯爵が右手を掲げて指を鳴らした。
てっきり逃げるものとばかり思っていたのに、どういうことだ?
「がっ」
側面からの突然の衝撃。
それは、俺の脇腹に突き刺さる細腕の掌打だった。
「囲んで!」
「捕らえるのよ!」
足を止めた俺の周りを、何人もの影が取り囲んでいく。
鎧のこすれ合う音がしないので衛兵じゃない。
一体どんな伏兵が?
……その答えは一目でわかった。
「な……っ」
俺を取り囲んでいるのはメイド服を着た女達だった。
しかも、各々が暗器を手にしている。
「賊は死すべし!」
「場をわきまえぬ不届き者!!」
暗器はスカートの下にでも仕込んでいたのか……。
まさか彼女達まで戦闘員だったとは。
メイド達が四方から押し寄せてくるのを見て、俺はまるで悪夢を見ているかのような最悪の気分にさせられた。
「後悔なさい!」
俺に掌打を見舞ってきたメイドが、豪快な回し蹴りを繰り出してきた。
スカートがめくれて中身が丸見えになるのも厭わず、本気で俺を倒しにかかってきている。
しかも厄介なことに、丈の長いスカートは俺の視界を塞ぐには十分。
蹴りを躱した直後、そのスカート生地を破いて銀色に光る刃物が俺の顔めがけて飛び出してきた。
「うわっ」
それは手甲鉤を装備したメイドによる追撃だった。
三本の鉤に頬の肉を切り裂かれ、その衝撃で俺はテーブルへと突っ込んだ。
さらに続くメイド達の連携攻撃。
首を狙って鉈を振り下ろすメイドの攻撃を横転して躱し、折りたたみ式の小槍を持つメイドの突きを後転で躱し、短剣を振るうメイドにとうとう背中を斬られた。
「押さえて!」
「ちょ、待っ――」
背中の熱に堪えかねて片膝をついた瞬間、メイドが二人がかりで俺に抱き着いてきた。
もちろんスキンシップなんかじゃない。
俺を拘束するための戦術的行動だ。
「くそっ。どけっ!!」
「もう逃げられません。諦めなさい!」
メイド達は、二人して俺の顔を挟むように胸を押し付けてくる。
普通なら男として嬉しい状況なのだろうが、命に関わる現状でこんなことをされてもまったく嬉しくない。
「あなたお終いです」
「痛い目を見ないうちに大人しくなさい」
耳元で囁かれるメイド達の言葉は、死の宣告にも等しい。
すぐにでも二人を引き剥がしたいが、俺の体を床へと張り付けるように体重を乗せてくる彼女達を押し退けるのは困難。
こうなったら……!
「どけぇぇっ!!」
「きゃあぁっ!」
「ちょ、どこ触って――」
とっさに俺の取った手段は通常ならば恥知らずな行為。
だが、この状況で恥や外聞なんて気にしていられるか。
俺は左右の手のひらでメイド達の胸を揉みしだき、二人が怯んだ瞬間に首筋に手刀を当てて昏倒させた。
そうなれば彼女達を引き剥がすのは簡単――
「なんて破廉恥な!」
「この痴漢!」
「女の敵っ!!」
――なのだが、俺はすでにメイド達に囲まれていた。
しかも物凄く耳が痛い!
「この馬鹿ぁぁぁっっ!!」
その時、明らかに俺に対する罵声と共に、テーブルの天板が飛んできてメイド達をまとめて吹き飛ばした。
天板が飛んできた方を見やると、フローラが俺を睨んでいる。
「フロー……」
「さっさと逃げますわよっ、この馬鹿っ!」
彼女はさらにテーブルを蹴り倒し、俺に近づこうとするメイド達をけん制してくれている。
まさかフローラに助けられるとは……。
「す、すまないっ」
「早く!」
起き上がりざま入り口を視界に入れるが、侯爵の姿はない。
すでに逃げられてしまったのか!?
「侯爵はどこだ!?」
「何してるの!? 早くなさいってば!」
フローラの催促もわかるが、侯爵を連れ出すことができなければこれまでの頑張りがすべて水泡に帰す。
なんとしても彼を連れて戻りたいが――
「……!」
――どうやら無理なようだ。
パーティー会場を見渡して、おおよその状況は把握した。
会場で慌てふためく貴族。
彼らを守るように傍についている衛兵。
さらには起き上がって俺達を追いかけてくる武装メイド。
そして、俺からしばらく離れた場所に立つ侯爵と、彼の前にたたずむセバス。
……この状況で侯爵に接近するのは不可能だ。
「あの子はどうした!?」
「先に外に出ていますわよっ」
ネフラの無事は確認できた。
後ろ髪を引かれる思いだが、この場でできることはもうない。
逃げるしかない!
俺はフローラの背中を追って舞踏場を走った。
足の速い彼女は俺よりも先に舞踏場を出て玄関口へと向かってしまったが、俺も数秒後には追いつく。
……と思ったのに!
「逃がさねぇよ!」
「ぐあっ」
舞踏場の入り口をくぐろうという時に、廊下から突き出された槍を足に受けてしまった。
「お、お前……モルダバ!」
「悪いが逃がせねぇよ」
モルダバの不意打ちによって、俺は左足を負傷してしまった。
この傷ではまともに走るのは無理だ。
「なんでこんなことを!?」
「決まってるだろが」
「ムアッカ……!」
背後からはムアッカの声と共に、火薬の臭いが鼻まで届いてくる。
振り向かずとも、奴が俺の頭に銃口を向けていることがわかる。
「通してくれそうもないな……」
二人が俺を攻撃してきた理由は考えるまでもない。
俺が生きて捕まれば、一時的にでも同盟を結んだ彼らの企みまで露見する可能性がある。
ならば、衛兵としての役目を全うしようというわけだ。
俺の口封じを兼ねて……。
「宝石でも盗みに入ったか小悪党ぉ!!」
「ぐっ!」
モルダバが目にも止まらぬ速さで槍を突いてくる。
躱せない速度じゃないが、足の負傷のせいで動きが悪い。
最初の一突きを躱したあと、俺はモルダバの連続突きを一方的に浴びることになった。
「うわあぁっ!」
見事に急所ばかり狙ってくるモルダバの精密な突きは、防御しようにも壊れかけの軽鎧ではまったく役に立たない。
両手のガントレットを盾代わりにして首と顔だけは守り抜いたものの、連続突きが止む頃には胸と腹にいくつも穴を開けられてしまっていた。
許容量を超えるダメージだ……。
俺は足に力が入らず、その場に崩れ落ちてしまった。
「ぐふっ……」
「悪く思うなよ」
俺に聞こえる程度の小声でつぶやくと、モルダバが槍を構えた。
その刃先は明らかに俺の首筋を狙っている。
……まずい。
血を出し過ぎたせいで、思うように体が動かない。
自力で奴の攻撃を躱すのは無理だ。
フローラはどうした……?
もう屋敷の外に出ちまったのか……?
まさか俺は……ここまでなのか?
「うぅ……?」
床に触れている手がカタカタと揺れ始めた。
傷のせいで震えているのかと思ったが、どうやら違う。
すぐ傍にある破片までもが小刻みに揺れているのだ。
しかも、その揺れは次第に大きくなっている。
「な、なんだぁ!?」
それはすぐにモルダバも感じ取れるほどの大きな振動となった。
地震?
否。この規則的な振動は――
「――――!!」
「な、なんだよこの声は!?」
――あいつの足音だ!
「――――ッ!!」
「おいおい。これって笑い声……か?」
壁の向こうから、足音と共に確かに近づいてくる笑い声。
俺が聞き違えるはずがない。
これはあいつが戦場に出る際、喜びのあまりに感情が高ぶって生じる高笑いだ。
「――ゥハハハハハァァッ!!」
直後、舞踏場の壁をぶち破り、俺の鼓膜を破らんほどの大声が会場に響き渡った。
砂煙が巻き起こる中、パーティー会場の壁に開いた穴の奥から巨大なシルエットが現れる。
煙が晴れてその姿が露わになった時、騒がしかった会場が急に静まり返った。
「ウワハハハハハハッ!! 祭りじゃ祭りじゃああぁぁ!!」
身の丈2mをゆうに越える大男。
それが収穫祭で使われる精霊の仮面を被り、体にはムチムチで今にも張り裂けそうなテールコートを着こんでいる。
その滑稽過ぎる格好を見て、俺は思わず笑ってしまいそうになった。
素顔を隠しているものの、そこにいるのは間違いなくクマ族最強の拳闘士ゾイサイトだ。
「わしは通りすがりの酒好きよ! ここで祭りがあると聞き、美味い酒をもらいに参った次第!!」
「旦那。こんな派手な登場しといて、酒好きってのはちょっと……」
猛々しく宣戦布告したゾイサイトの隣には、彼に比べると小柄で細いテールコート姿の男がいた。
彼もまたゾイサイト同様に仮面で素顔を隠しており、そわそわした様子で雷管式ライフル銃を構えている。
……今日ばかりは頼もしいよ、デュプーリク。
「か、囲め囲めぇっ!!」
「この無礼者! 貴様ここをどこと心得る!?」
「こいつセリアンか!? 一体何が目的だ!」
衛兵達の意識が一斉にゾイサイトの方へと集まっていく。
それは侯爵を守るセバスも、俺に槍の刃先を向けるモルダバも同様だ。
……今なら逃げられる。
「目的だとぉ!? すでに宣言したであろうが――」
ゾイサイトが拳を作って早々、指を鳴らし始めた。
「――酒を出すか、我が拳の露と消えるか。この場の各々が決めるがよいっ!!」
立派な絨毯を踏み破り、闘神が動き出した。
彼はこの数日溜めこんだストレスを発散するかのように、すくみ上がって棒立ちしている衛兵達を次々と薙ぎ払っていく。
衛兵が千人――否。万人集まったところで、形勢は変わらないだろう。
この場にいる衛兵達は、背を向けて逃げ出す者と薙ぎ払われて空を舞う者のふたつに分かれた。
「グハハハハッ! ……むっ!?」
暴力に酔いしれるゾイサイトを止めたのは一筋の剣閃。
それはセバスが放ったもので、頑強なゾイサイトの腕の皮を斬り裂いていた。
二人は距離を置き、互いに睨み合う形となった。
「煌びやかな都で、このような野獣と相まみえようとは」
「貴様……できるな」
「お相手仕る。我が名は、セバスチャン・ゲオルギオス」
「わしは名もなき拳闘士よ。ゲオルギオスとやら、楽しませてもらうぞ!!」
伝説の男〈音速のゲオルグ〉と〈蓋世の闘神〉ゾイサイト。
どちらが強いのか……俺にも想像がつかない。
……って、ちょっと待てよ。
セバスがあそこに居るってことは、誰が侯爵を守っているんだ?
俺が侯爵の様子をうかがうと――
「……チャンスじゃないか」
――今、彼を守っている者は誰もいなかった。




