5-030. パーティー開宴
今日は侯爵邸でのパーティー当日。
パーティーが始まるのは夕方からだが、本邸警備の衛兵は早朝から打ち合わせのために一階の大会議室へと集まっていた。
俺達以外にもいくつかの班が集まり、衛兵の数は総勢五十名を超えた。
一堂に介するとこれほど多いのかと思ったが、その後に本邸一階を間取り確認のために歩き回った際、確かにこのくらいの人数は必要だと思った。
何せこの屋敷、デカすぎる。
庭から本邸を見ていて想像はしていたが、内部をメイドに案内されてみると俺の予想を超える広さにうんざりしてしまうほどだった。
本邸は、玄関口やパーティー会場に使われる舞踏場のある中央棟、さらに西棟と東棟に分かれている。
各棟は二階から廊下橋で繋がっている他、一階にも来客や使用人のための渡り廊下が設置されている。
来客用の遊戯室や宿泊部屋などは東棟、使用人が使う厨房や作業場は西棟にある。
中央棟と西棟にはそれぞれ地下への階段もあるが、ワイン貯蔵庫や氷室に繋がっているとのこと。
二階から上は、より侯爵の信頼の厚い古株の衛兵だけが警備を任されている。
俺は間取りの確認を装い、廊下を歩きながらモルダバとムアッカと今後の方針を練っていた。
「俺達の担当区画は、東棟一階の喫煙室前付近か――」
この区画は、渡り廊下を挟んですぐ近くに舞踏場がある。
喫煙室での会話は男性貴族にとって交流の一環だから、大勢の客が出入りすることになるだろう。
パーティーの最中に他の場所を調べたい俺達にとっては、非常に厄介な区画を割り当てられたと言える。
「――幸先悪いな。どうする?」
俺が意見をあおぐと、モルダバとムアッカも困った様子で顔を見合わせている。
どこの警備を命じられるかは運頼りなので仕方のないことと言えるが、パーティー中の行動制限はなんとかしなければならない。
「俺達の中で不運を抱えてる奴がいるなぁ」
「んだな」
二人がジトリと俺を睨んでくる。
……俺のせいでこんな外れくじを引いたって言いたいのか、こいつら。
「まぁ、ここに決まっちまったもんは仕方ねぇな」
「ってこた、今日は大人しくして明日以降にまた探り入れるってこっか?」
「それもありだが、一階の注意を少しの間どこかに集められれば……」
「そっだらこと言っても、そんな都合よく何か起こるか?」
「……火、つけるか」
モルダバがとんでもないことを言い出した。
「おい、本気で言っているのかよ!?」
「本気だよ。もちろん屋敷を全焼させようってわけじゃねぇ。小火騒ぎを起こして、そっちに注意を引く。近くの衛兵は、火を消すために急遽呼び集められるかもしれない」
「その機に邸内を散策すると?」
「せいぜい時間を稼げるのも30分ってところだろうけどな」
「とても絵を探す時間なんてなくないか?」
「そうでもねぇさ。すでに玄関口を始めとした一階の廊下は一通り見て回ったし、喫煙室にも目的の肖像画はなかった。あとは、準備中で入れなかったパーティー会場と隣接する応接間くらいだ」
「確かにな……」
モルダバの言うことはもっともだと思う。
彼らが探す肖像画は伝説の画家の最後の作品だ。
相当の価値が見込まれる作品であるならば、来客の目に触れやすい場所に飾るというのが貴族の性質というもの。
ならば、件の絵が飾られている可能性がもっとも高いのは舞踏場、次に応接間といったところだろう。
どちらにも衛兵が見張りに立つが、それ以上に多いのは執事やメイドだ。
小火くらい起こさなければ、周囲を見て回る隙もない。
「でも、そんなことを警備中に怪しまれずにできるのか?」
「壁掛けランプにちょっとした細工をする」
「細工?」
「時間差でランプが床に落ちるような細工だ。氷と丈夫な生地があれば簡単に作れるぜ」
「氷なんてどこに――あっ。氷室か」
「さすが金持ちの家は何でも揃ってるよなぁ」
……呆れた奴。
具体的にどんな仕掛けを作るのかは知らないが、モルダバはきっとこんなことを以前から繰り返しやってきたのだろう。
「小火がすぐに消し止められたり、俺達に応援要請がなければ、今夜の探索は中止だ。怪しまれないことが最優先だからな」
「そだな。了解」
「……」
モルダバやムアッカにはまだいくらでもチャンスがあるのだから、それでもいいだろう。
だが、俺にはきっと大した時間は残されていない。
王都の監獄から俺たちが消えたことは、遠からず発覚するだろうからだ。
侯爵がその事実を知れば、俺を本物のジルコと疑う可能性だってある。
敵陣の真っ只中にいる以上、いつ背中から刺されてもおかしくないのだ。
できれば今夜のうちに侯爵が裏社会と通じている証拠を押さえたいが、小火騒ぎが成功したとしても、わずかな時間で二階を探索できるかどうか……。
「おっ」
「おおっ!」
考え込む俺とは裏腹に、モルダバとムアッカが嬉しそうな声を上げた。
何かと思って顔を上げてみると、三人のメイドが歩いてくるのが見えた。
「後ろの二人は昨日入った新人だぜ」
「うはぁ~。やっぱ、べっぴんさんだなぁ」
先輩のメイドらしき女性を先頭に、その後ろに並んで歩いているのはネフラとフローラだった。
ネフラは真っ黒なウィッグで、エメラルドグリーンの髪ととんがり耳を上手く隠している。
一方のフローラは亜麻色の長い髪のウィッグをつけ、さらに化粧によって思いのほか別人に見えるように化けている。
ネフラは当然として、フローラも綺麗だと思わざるを得ない。
「あんな上玉が会場にいたら、貴族の殿方がこぞってハエみてぇに群がりそう」
「んだな。貴族の女子達がぶー垂れ顔になってそうだ」
ネフラを道端の糞みたいな言い方するなよな。
貴族の男どもが不埒なことをしないか心配になってくるじゃないか。
「ご苦労様です」
「「ご苦労様です」」
すれ違い様、先輩メイドにならってネフラたちが頭を下げてくる。
衛兵側は使用人と不要な会話を避けるよう言われているので、彼女達を一瞥するだけで通り過ぎた。
「いい匂いしたな!」
「いい匂いしたなぁ~」
……確かに。
って、お前らの目当ては肖像画だろうが!
メイドにうつつを抜かしてどうする!?
「万が一ここに肖像画がなかったら、あの二人のどっちかを盗んでいくか?」
「モルダバ。さすがに女子を盗むのはどっかと思うぞ」
モルダバが言うと冗談に聞こえないな。
……とは言え、最悪の事態になったら俺はネフラとフローラを抱えてでも侯爵邸から逃げ出さなければならない。
その光景を何も知らない奴が見たら、まさに女性を盗む人さらいに映るな。
できることなら、屋敷での立ち回りをネフラ達とも相談したかった。
それができない以上、個々の判断で上手くやってもらうしかない。
衛兵よりはメイドの方が二階に上がっても疑われにくいだろうから、いざとなれば二人に探索を託すしかないな。
◇
俺達が持ち場について数時間もした頃、廊下の大時計が七時を示す時報音を鳴らした。
廊下のガラス窓から遠目に見える海峡都市の街並みは、すでに夜の帳が下り始めている。
そんな中、侯爵邸前の通りにはランプを灯した豪勢な馬車が並び始めた。
馬車から降りてくる貴賓は、上級貴族や大成した商人などの長男長女ばかり。
誰しもが例外なく、由緒ある貴族の装いに身を包んでいる。
さらに、男性ならば宝飾された剣を、女性ならば煌びやかな宝石を携えて。
彼らの見栄の張り合いは、庶民から見れば滑稽の極みだ。
「モルダバ。例の細工は済んでいるのか?」
「当然。夕飯で持ち場を離れた班の目を盗んで、細工したランプをすり替えてきた。たぶん一時間もしないうちに火がつくぜ」
「場所は?」
「この廊下の先、宿泊部屋付近だ」
「それなら小火が出た時、俺達の班に真っ先に声が掛かるな」
「その時は、小火を消す手伝いをするどさくさに紛れて散るぞ。俺は舞踏場、ムアッカは応接間、ソーダは二階だ。しくじるなよ」
モルダバの見積もりでは、火が消えて状況が落ち着くまで長くても30分程度。
状況次第では客を庭に出すことになって、一層邸内は混乱するだろう。
そうなってくれれば俺にはありがたい。
……その時。
ガラス窓一枚挟んだ庭先を、プラチナム侯爵と数名の付き人――その中にはセバスの姿も――が歩いてくることに気が付いた。
侯爵は手元の書類を見ながら付き人と話をしていて、屋敷内を気にも留めない。
「――だ。しかし、こんな施策で税金を上げるとなると――」
ガラス越しに、わずかに侯爵の声が聞こえてくる。
彼らが前を通り過ぎる際、俺達は敬礼の姿勢を保ったまま見送った。
何事もなく侯爵達が通り過ぎていってくれたので、俺は安堵の溜め息をついた。
「税金がどうとか言ってたな。パーティーを直前に控えてんのに、仕事熱心なお方だねぇ」
「さっすが海峡都市を発展させたお大尽。プラチナム侯爵はそこらの貴族よりもずっとしっかり仕事してっからな」
「そんな尊敬する人を相手に仕事ができんのか、ムアッカ?」
「それとこれとは話は別だ」
ふと侯爵の背中を目で追った時――
「うっ」
――俺は思わず息を飲んだ。
一瞬だが、付き人のセバスが俺に視線を向けていたのだ。
彼はすぐに前を向いてしまったが、俺を食い入るように見るあの視線はどういった意図からなんだ?
たまたま目についた衛兵がサボっていないかの確認か。
他人の空似を気にしてのことか。
あるいは……疑い……?
「どうした?」
「いや、なんでもない」
「やっぱ飼い犬が主人の手を噛むなんて無理じゃねぇのか?」
「……そんなことはない。噛んでやるさ、しっかりとな」
大丈夫だ。
まだ俺の正体がバレたわけじゃない。
仮にセバスが俺を本物のジルコだと疑っていたとしても、あくまで疑いに過ぎない。
彼が行動を起こさない事実がその証左だ。
……このまま事が起こるまで、一衛兵のふりをしていればいい。
数分後、舞踏場から大勢の拍手が聞こえてきた。
パーティーが始まった。
◇
パーティーの開宴から一時間近く経つ。
廊下を往来する執事やメイドの数も増えてきた。
喫煙室にもすでに貴族達が出入りを繰り返している。
……そろそろモルダバの仕掛けた小火が起こるはずだが、一向に何も起こる気配がない。
「そろそろか?」
「……たぶん」
「たぶんって何だよ。お前が仕掛けたんだろう」
「そんなこと言われても、宿泊部屋の方は静かなもんだし……」
「宿泊部屋の衛兵に細工を見破られたんじゃないのか?」
「手に取って確認しなけりゃわからないはずなんだが……」
時間差の仕掛けを期待していたのに、急に頼りなくなってきたな。
このまま何事も起きずに、パーティー閉宴まで立ちっぱなしなんてのは勘弁してくれよ。
◇
……さらに時が経っても何事も起こらない。
「ムアッカ、ソーダ。今日は頃合いが良くないらしい」
「冗談だろう?」
「ここでうかつに持ち場を離れれば、せっかくの屋敷警備を外されちまう。次の機会を待つしかねぇよ」
「……くっ」
次の機会っていつだよ?
それより早く俺の正体が知られてしまうんじゃないかと思うと、気が気ではいられない。
……どうする?
俺だけ持ち場を離れて二階へ……ダメだ、この二人に邪魔されそうだ。
ネフラとフローラに上手くやってもらうしかないか……。
「すみません。衛兵の方」
「えっ」
「ちょっと彼女の体調が優れないので、休憩室に連れて行きたいのですが」
「……!」
不意に俺に話しかけてきたのは――
「場所を教えてくれませんかね?」
――煌びやかな礼装に身を包んだジニアスだった。
ここにきて助け船を出してくれるとはありがたい!
だが、ちょっと待て。
なぜジニアスの隣に、彼にもたれかかってぐったりしている女性がいるんだ!?
「あうぅぅ。ジニアフ様ぁ、お慕い申ひ上げておりまふぅぅ」
うわ言のようにつぶやく彼女は、すでに意識朦朧としている様子。
顔が紅潮していて、呂律も回っていない。
酩酊状態のようだけど、伴侶を探す目的に参加したパーティーでここまで酔うなんてことありえるか?
「どうやらこの方、お酒に強くないのに緊張をほぐそうと飲み過ぎてしまったようですね」
ジニアスの笑顔になんとなく邪悪なものを感じる。
……こいつ、何か盛ったな!?
「承知しました。お――私が休憩室にご案内いたしますっ!」
この機を生かすか殺すかは俺次第。
なんとか二階に上がるための状況を作り出さなければ。




