5-028. 潜入、プラチナム侯爵邸②
ソーダとして外の巡回を終えた俺は、名も知らぬ二人の同僚と共に侯爵邸の敷地へと入った。
すると嫌でも目につくのが豪勢かつ巨大な屋敷だ。
以前来訪した時にも見た景色だが、改めて住む世界が違うと感じる。
「お前、本邸に用でもあんの?」
「いや……」
「せっかく後任と交代したんだ。さっさと駐在所に戻ろうぜ」
「ああ」
屋敷を目の前にして何も調べられないのは残念だが、ここで疑われてすべてをご破算にするわけにはいかない。
俺は同僚の後について屋敷に背を向けて歩き出した。
「ところでソーダ――」
彼らに追いついた時、唐突に槍男に話しかけられた。
しかも、彼はじぃっと俺の右手へと視線を送っている。
「――お前、手袋なんてしていたっけか?」
俺は右手に黒い手袋をはめていた。
これは少し前にワイバーン女――雷震子との戦いでボロボロになってしまった仕掛け手袋と同じ物で、商人ギルドを出る前にジニアスの好意で提供された物だ。
特に気にもせず身に着けてきてしまったが、まずかったか……?
「最初からつけていたぞ」
「……そうだっけ?」
「……そうだ」
「……」
「……」
「……そうだな。おぼろげだけど見覚えがある!」
「だろう」
……ごまかせてよかった。
侯爵邸の敷地を踏んで早々、正体がバレて追い出されるなんて間抜け過ぎるからな。
この男、のらりくらりとしているようで案外目ざとい奴だ。
侯爵に雇われるだけあって、ただの怠け者でも無能でもないらしい。
「今日はもう上がりだし、また飲み明かすとするかぁ?」
「飲むって……。こんな時間から飲んだら明日の警備に支障をきたすぞ」
「俺達の班はまた外周警備だからな。少しくらい酔いが残っていても問題ねぇさ」
「そういう問題じゃ」
「真面目過ぎるのは毒だぜ? ってかお前、今日はずいぶん口数が多いな。いつもは無言でうんうん頷くばかりだってのに」
……いかん。
このまま話していたらボロが出そうだ。
多少強引でも、さっさと話を切り上げた方がいいな。
「すまないが今日は体調が悪い。早めに休ませてもらう」
「なぁんだよ。つれねぇ奴~」
槍男は不満げな顔を見せつつ、俺と銃男を残して歩き始めた。
「いつものこっだし、気にすんなやソーダ。気が向いだら来りゃあいい」
銃男は俺を気遣うセリフを残し、槍男の後を追いかけて行った。
同僚に気を遣われるなんてソーダが羨まし――じゃなくて、よっぽど人付き合いが悪かったんだな。
しかし同僚達と距離があるのなら、俺にとっては好都合だ。
彼らについていくと、広い敷地の隅にある建物へ向かっているのがわかった。
きっとあれが衛兵達の駐在所なのだろう。
王都にある三ツ星の宿よりも立派な建物で驚いてしまう。
これだけ大きな建物なら、衛兵達は個室を与えられているんじゃないか?
「そうだ、知ってるかソーダ?」
駐在所を目前にした頃、槍男がまたもや唐突に話しかけてきた。
「何をだ」
「ここ数日、屋敷で急遽メイドの募集を再開したこと」
「それは……初耳だ」
不意にネフラやフローラのことを思い出した。
彼女達がメイドの面談で屋敷を訪れるとしたら明日のことになるだろう。
今頃は面談に備えて準備を進めているに違いない。
……って、何でそんな話を俺に振ってくるんだ?
「明後日のパーティーで、あわよくば貴族の殿方のお眼鏡に! と考える子が多いんだよ。貴族平民問わず、見目麗しい子が連日面談を受けに来てるらしいぜ」
「そうなのか」
「臨時雇いとはいえ、雇用されるのは美人ばっかだろうから楽しみだな!」
「なぜ?」
「そりゃお前、あわよくば俺達も結婚相手の物色だよ! メイド達からなっ」
やけにはしゃいでいると思ったら、それが理由か。
侯爵邸で働くメイドをそういう目で見るなんて、なかなかに豪胆な奴。
「ま、故郷に許嫁がいるお前に俺の気持ちはわからねぇだろうなぁ~」
「そうだな」
ソーダに許嫁なんているのか。
本人の情報もろくに知らない俺は何がきっかけで身バレするかわからないから、違和感のない程度に素っ気なく受け応えをした方がよさそうだ。
「お前も嫁探しするなら、この機を逃すなよ!」
「オラは故郷に心に決めた娘がいっから、必要ねぇよ」
「なんだよこの裏切り者っ」
槍男が自分よりもずっと大柄な銃男の足に蹴りを見舞った。
銃男はその行為にまるで動じる様子もない。
これがいつもの光景なのか……仲のいい奴らだな。
「ムアッカ。厨房にはまだコックが残ってるだろうから、酒の肴を分けてもらいに行こうぜ」
「まぁたそっだらこと……。警備隊長にバレたら減俸確実だぞ?」
槍男はランプの火を消すや、銃男――ムアッカという名前らしい――を連れてさっさと建物へ入って行ってしまった。
「疲れた……」
素性をごまかして人と話すのはやたらと神経を削る。
こんなことなら、同じ班員の名前くらいソーダに聞いておくべきだった。
あとで調べておかないとな。
……ところで。
俺の部屋ってどこなんだ?
◇
翌日、俺は鎧窓から注ぐ太陽の光で目が覚めた。
ベッドから起きて早々、鎧戸を開いて外の空気を吸い込む。
綺麗な庭園が傍にあるからか、花の香りが混じった緑の匂いが鼻先をかすめる。
「いい朝だ」
あれからソーダの部屋へは問題なくたどり着くことができた。
駐在所の一階エントランスには、衛兵の名札と一緒に誰がどの階のどの部屋に滞在しているのか一目でわかるように張り出されていたのだ。
その時に同僚の名前も判明した。
銃を持っている大柄な方がムアッカ・ヒック。
槍を持っている小柄な方がジョン・ドゥ。
これで班員とのコミュニケーションが少しは楽になるというものだ。
「ふわぁ……眠い」
目を覚ましたばかりなのに、あくびが止まない。
この眠気は、深夜から朝方までずっと起きていたせいだろうな。
なんとか本邸に忍び込めないかと駐在所のあらゆる場所から様子をうかがってみたものの、敷地内の巡回が朝方まで抜け目なく行われていたため、とてもそんな余地はなかった。
「今日は午前は外周、午後は敷地内の外郭警備。このまま侯爵の屋敷に近寄れないんじゃ、潜入した意味が……」
窓から本邸を眺めていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「ソーダ。もう起きてっか?」
この訛り具合……ムアッカの声だ。
外周警備の交代時間までまだあるはずだが、どうかしたのだろうか。
「交代の時間には早くないか?」
施錠を外してドアノブを掴んだところ――
「?」
――ドアノブが回らない。
ムアッカが廊下側からドアノブを握ったままでいるらしい。
「ムアッカ、どうした?」
不審に思いながらもドアノブに力を込めてみるが、やはり回らない。
ムアッカは意味のない悪戯をするような奴ではなさそうだが、ならば何のためにこんな真似をしているのか想像がつかない。
もしや飲み過ぎて酔っぱらっているのではと思ったが――
「それはこっちが聞きてぇなぁ」
――部屋の中から別人の声が聞こえて、俺は全身硬直した。
昨夜、駐在所に入った時点で剣は武器庫番に預けていて今は丸腰。
俺はドアノブから手を離すや、振り向きざま傍に置かれていた椅子の背もたれを掴んで振りかぶった。
しかし、それを投げつけるよりも早く――
「寝ぼけてんのかソーダァ? 判断が遅すぎるぜ」
――喉元にロングスピアを突きつけられて、俺は動けなくなった。
ギリギリで俺の喉元に寸止めされた槍は、窓辺に腰かけて部屋の中へと足を投げ出している人物が繰り出したものだった。
「……ジョン。何のつもりだ」
俺の目には、不敵な笑みを浮かべたジョン・ドゥが映っている。
小柄ながら長大な槍を片手で軽々と扱うことから、かなり腕の立つ槍術士だとわかる。
「何か誤解があったのなら話し合いたい」
口ではそう言ってみたものの、同じ班員の同僚がなぜこんな真似をするのか、すでに答えは出ていた。
俺が偽物だとバレたからだ。
「ジョン。ジョンねぇ~? 誰だっけそりゃ」
「何を言って……っ!」
言い終えるまでに、俺はジョン――否。彼の言葉の真意を察した。
「昨日お前がエントランスに入る直前、俺は他人と名札を入れ替えておいたんだぜ。まんまと引っ掛かりやがって……誰がジョンだよ!」
……やられた。
班員の名札が入れ替えられていたなんて、まったく疑わなかった。
「どうしてくれようか。この侵入者さんはよぉ~」
槍の刃先を突きつけられ、俺はドアの前から壁際へと追い詰められた。
その間に、ムアッカがドアを開けて部屋の中へと入ってくる。
しかも入室早々、雷管式ライフル銃の銃口を俺へと向けて。
……これはもうお手上げだな。
「どうしてわかった?」
俺は白旗を振るのと同時に、自分が偽物であることを白状するに等しい言葉を吐き出した。
「ソーダに許嫁なんていねぇよ」
「あの唐突な振りは俺の正体を確認するためか……」
「まぁな。それに本物のソーダにしちゃ、しゃべり過ぎだったしなぁ」
「バレバレか」
「真っ当な交流はねぇけどよ。これでもソーダとは半年以上トリオを組んでんだ。班員として別人だなんてすぐにわかるぜ」
「……そうだよな」
どうやら俺は衛兵の仕事を舐めていたらしい。
いざとなれば命を懸けて賊と戦う立場の人間なのだ。
同僚との関係を重んじるのは、衛兵のプロ意識として当然だった。
「てめぇ、ソーダをどうした?」
「……」
「あいつは最初から俺達と距離を置いていた。もしや最初からすり替わる前提で侯爵邸に潜り込んできたのか?」
「……」
「しかしグルだったにしても、見た目そっくりな奴とすり替わった理由がわからねぇ。てめぇら何を考えてる?」
「……」
「夜間ずっと本邸を監視していたみてぇだが、目的はなんだ?」
「……」
「答えないなら穂先が喉を貫くぜ。それとも脳天に鉛玉がいいかい?」
……殺せはしない。
俺に向けられた敵意溢れる表情に比べて、彼らの発する殺気は弱い。
俺を賊だと認識したにせよ、彼らにしてみれば情報を引き出す前に俺を殺したいとは思わないはずだ。
なんとか言葉巧みに武器を下ろさせられないだろうか。
「ちっ。だんまりかよ」
「モルダバ。警備隊長に突き出して、聖職者に尋問させりゃいいんでねぇのか?」
「そうだな。騒ぎが大きくなる前にそうするか」
……まずいな。
聖職者の看破の奇跡に掛かれば、どんな言い訳も通じない。
このままだと商人ギルドの協力、さらには兵士長や看守長も関りがあることが露見してしまう。
ここは正直に目的を打ち明けて協力してもらうよう促すか……?
しかし、なんて言えば信用してもらえるか……。
「いや、待て!」
「どした?」
「どうせこいつは俺達と同じ穴のムジナだろう。返って好都合かもしれねぇ」
「てこたぁ、この偽ソーダにも協力させんのか?」
……なんだ?
こいつら、何を言っているんだ?
「偽物さんに未来への選択肢を与えてやるよ――」
槍男――モルダバと呼ばれた男の顔つきが変わった。
さっきまでとは打って変わって、何かを企んでいるような悪い顔だ。
「――①俺達と一緒に侯爵の宝を奪って逃げる。②この場で賊として殺される。ちなみに①の場合、分け前は俺達が8でお前は2だ。文句は言わせねぇ」
……なるほどな。
同じ穴のムジナとは言ったもんだ。
「お前達も目的があって侯爵邸に潜り込んたクチか……!」
「ご明察。俺とムアッカは貴族専門の盗賊さ。格好つけて言うならば、義賊ってやつかな?」
「義賊、ね……」
〈バロック〉との繋がりはあるのか?
それともまったくの別口か?
今はまだ判断つかないが、相手の申し出は俺にとって僥倖だ。
「答えは①! 俺も仲間に入れてくれ」
目的を果たすためなら、盗賊の真似事だってやってやる。
この選択が、より良き未来を作ると信じて……!




