5-023. 報復の誓い
ゾイサイトとデュプーリクに合流した後、俺はいったんギルドへ戻った。
フローラとは一時間後に南門で合流し、通常とは異なる迂回ルートで海峡都市まで向かう手はずになっている。
俺がギルドに戻った理由は、執務室の隠し金庫から宝石とある品物を回収するためだった。
「……あった。よかった、無事だったな」
執務室には天井と床に大きな穴がいくつも開いていたが、幸いなことに隠し金庫は無事だった。
金庫の扉を開いて早々、俺は布に包まれた小さなガラス瓶を取り出した。
中身は紫色の液体――ゾンビポーションだ。
「これが最後の一本。あまり頼りすぎるのは良くないとわかっているが――」
ゾンビポーションは一時的に痛覚を無くし、強靭なタフさを得られる。
その一方で、人間としての感情まで失いかねないという副作用があるらしい。
今まで何本か飲んだが、特にそういった傾向はなかったので気にも留めていなかった。
しかし、今後も何もないという保証はない。
「――今後〈バロック〉と戦う時にきっと必要になるからな」
一抹の不安を払うように、俺はそう独り言ちた後でゾンビポーションを懐に入れた。
それと、もうひとつの目的である宝石類も忘れずに回収する。
これらの宝石はミスリル銃の弾としてではなく、売却してギルドの修繕費を作るためのものだ。
これでボロボロになったギルドの建物を修繕することくらいはできるだろう。
もしもの時の金策用にギルドマスターが残していってくれたものだが、これに手を付けるようになるとはいよいよヤバいな……。
まったく、何をするにしても金が掛かる嫌な世の中だ。
◇
執務室を出て二階の窓枠に足を掛けると、庭先で待機していたネフラ、ゾイサイト、デュプーリクの三人が揃って俺の方に顔を向けた。
俺はすぐに庭へ飛び降り、三人の元へと駆け寄る。
「待たせたな」
「ジルコくん。リュック見せて」
最初に話しかけてきたのはネフラだった。
ジト目で俺を見上げてくる彼女に圧倒されて、俺は返答する前にリュックを奪われてしまった。
彼女は中身をひとしきり確認した後、今度は俺の羽織る防刃コートのポケットにまで手を突っ込んできた。
「……」
「気は済んだか?」
「……うん」
ネフラは納得いかない様子だったが、俺にリュックを返してくれた。
どうやらゾンビポーションを俺が持ち出していないか確認したかったらしい。
こんな時に備えて、ゾンビポーションはコートの背中側の裏地に縫い付けた隠しポケットに入れておいたのだ。
「今のは何の確認だったわけ? ネフラちゃん」
「部外者には秘密。それに私をちゃん付けしないで」
「固いこと言うなよ~。なぁ、ジルコォ?」
俺はデュプーリクに一瞥だけして、すぐに門扉をくぐった。
こいつの相手をしている時間がもったいない。
俺にはもう一ヵ所、どうしても立ち寄らなければならない場所があるのだ。
「アンのところへ行くの?」
「ああ。今度はいつ帰れるかわからないからな。顔を……見ておきたい」
「そうだね。私も……同じ気持ち」
ネフラが不意に見せた寂しげな笑みに、俺は何ともやるせない気持ちになった。
◇
親方は家族と共に、ゴールドヴィア七番地の自宅から六番地にある小工房へと居を移していた。
この小工房は親方が冒険者を引退した直後に開いた小さな工房で、〈ジンカイト〉のギルドが改築されて専用工房を設けるまではここが彼の仕事場だった。
長らく無人だったが、今回の騒動で隠れ家として急遽利用されることになったのだ。
本来ならば弟子のメテウスに譲るつもりで土地権利を残していたらしいが、そのメテウスも今はもうこの世にいない……。
「親方! いるかい?」
俺が小工房の扉を開くと、かびくさい臭いが鼻を衝いた。
店内は埃まみれで、隅には蜘蛛の巣が張られている有り様だ。
何年も使われていなかった場所なので仕方ないが、こんな不衛生な場所に連れてこられたアンの容態が心配になる。
「ジルコ様、でございますね」
俺達が店内に入ってすぐ、カウンターテーブルの奥から見たことのない人物が俺の名を呼んだ。
それはジエル教の助祭服を着た亜麻色の髪の女性。
きっとリッソコーラ卿がよこした教皇庁の看護師だろう。
「初めまして〈ジンカイト〉の皆様。わたくし、リッソコーラ様の命でアン様のお世話に参りましたアファタと申します」
「きみがアンの看護師?」
「はい。ただいまアン様はお休みになられていますので、お静かに願います」
アファタはカウンター奥の廊下へ俺達を招くようなしぐさを見せる。
「辛気臭いのは性に合わん。わしは外で待っておるぞ」
「俺もそうするよ。アンちゃんともぜひ会ってみたかったけど、ちょっとタイミングが悪いや」
そう言うや、ゾイサイトとデュプーリクが外へ出て行ってしまった。
彼らなりにアンを気遣ってのことなのだろう。
その後、俺とネフラはアファタに案内されて居室へと向かった。
工房も作業室も閉じられたままだったが、居住区画だけは解放されているようで、居室に入るとかび臭さもしなくなった。
居室は家具がほとんど置かれていない殺風景な状態であったものの、綺麗に清掃されている様子。
「奥の部屋がご家族の寝室となっています。現在アン様はそちらで――」
アファタの説明を遮って、寝室のドアが開いた。
中から現れたのは親方だった。
「おう。お前達、来たのか」
「親方、アンの容態は……?」
「心配するな。今は落ち着いて眠ってる。そちらさんのおかげでな」
親方はアファタを一瞥した後、まだ埃の残るソファーへと腰を下ろした。
彼はおくびにも出さないが、背を丸めて座り込んでいる様子から、かなり疲弊していることがわかる。
俺は居た堪れなくなって、親方に頭を下げた。
「親方、アンのことは俺の落ち度だ。本当に申し訳ない!」
「ジル坊。済んだことをいつまでも気に病むな」
「でも――」
「アンが今一番元気になるのは、お前さんが例の組織の悪党どもをひっ捕らえる武勇伝を聞くことだ。あの子はジルコ・ブレドウィナーの熱烈なファンだからな」
「……そうだね」
親方は俺に気を遣って冗談めかした言い方をしている。
だが、平静を装っている彼の心中は察するに余りある。
大事な一人娘があんなことになっては、気を緩められるわけもない。
「〈バロック〉を追うのか?」
「ああ。もうこんな被害を出さないためにも決着をつけてくる」
「そうか。……せめて顔だけでも見ていってやってくれ」
「ありがとう」
俺が寝室のドアをノックすると、中から声が聞こえた。
「どうぞ」
ドアを開くと、ベッドに横になっているアンと、彼女を見守るように傍の椅子に座っている親方の奥さんの姿があった。
ドワーフの女性は気さくで朗らか、話していて気持ちよくなる人が多い。
奥さんもそんなドワーフ女性の一人だった。
それなのに――
「……お久しぶりです奥さん」
「ええ。半年ぶりかしらね、ジルコさん。それとネフラちゃん」
――その顔は俺の知る奥さんのものとはまったく違う。
目の下には隈ができていて、親方以上に酷く疲弊している様子が見て取れる。
こんな姿を見てしまっては、俺もますます罪悪感を掻き立てられて、胸がざわめいて収まらない。
「しばらく王都を離れるのでアンに挨拶に来ました」
「そうなの。なるべく早く帰ってきてあげてね。この子はあなたの冒険話を聞くのが何より好きだったから」
「もちろんです」
俺はベッドに横たわるアンへと視線を移した。
アンは普段の彼女と変わらぬ様子で静かに寝息を立てている。
しかし、ひとたび目を覚ませば不安に駆られて取り乱し、酷い時には親方や奥さんからも逃げようとするらしい。
アファタから簡単に説明されたアンの症状はそんな感じだ。
「アン。お前にとっての不安の種は俺が責任もって排除してくる。だから安心して待っていてくれ」
「ん……んんっ!」
俺がアンの顔を覗き込んですぐ、彼女は急にうなされ始めた。
何か怖い夢でも見ているのか。
それとも、俺の声で恐怖を思い出したのか。
……どちらにしても、俺は胸を締め付けられる思いだ。
「ジルコ様、お離れ下さい。アン様はあなたを怖がっているのかもしれません」
「なんだとっ!?」
「ジルコくん、場所をわきまえて」
アファタの不愉快な言葉に苛立った俺を、ネフラが諫めてきた。
……まったく情けないな。
俺は奥さんに一礼して踵を返した。
最後、寝室を出る時――
「アン。一緒に降臨祭に行く約束、必ず果たすよ」
――それだけ言い残して。
◇
「――というわけで、ギルドの修繕費をなんとか工面してくれないかな」
「わかった。……やれやれ、ジェットが知ったらどれだけ嘆くことか」
「違いない」
俺は皮袋に収めた宝石類を親方に渡し、ギルドを託した。
「死ぬなよジル坊。必ず無事に帰ってこい」
「ああ」
「お前さんが死んじまったら〈ジンカイト〉は終わりだ。何よりアンが悲しむ」
「わかっているさ。しっかりケジメをつけて戻ってくる。二言はない」
親方はにこりと笑うと、俺の肩を叩いた。
「行ってこい!」
親方の言葉が、俺の胸の内側にあった不安を跡形もなく消し飛ばしてくれた。
アンのためにも。
親方のためにも。
俺は必ず〈バロック〉を叩き潰してギルドに戻ってくる。
そう誓った。
「ジルコくん。私も一緒に戦う」
隣に立つネフラの言葉が頼もしい。
何より、彼女も同じ気持ちであることが嬉しくもある。
「ああ、やるぞネフラ。〈バロック〉をぶっ潰す!」
◇
小工房を出て、退屈そうにしている男どもと合流。
フローラとの約束の時間も近づいてきたので、俺達は南門への足を確保するためにまずは停留所へと向かった。
アファタはフローラとは比較にならないほど礼儀正しい女性で、わざわざ停留所までの見送りと称して俺達に同行していた。
彼女はフローラと同じくリッソコーラ卿の直弟子だそうで、普段は助祭として王都の教会に詰めているという。
特務冒険者として派遣されたのがフローラではなくアファタだったら、とこの短い間に何度思ったことか……。
停留所が見えてきて、ネフラが馬車の列に向かって走り出す。
俺はそれを見送る傍ら、ずっと気にかかっていたことをアファタに尋ねてみることにした。
「アファタ。アンのことなんだけど」
「なんでございましょう」
「乱暴されたなんてことは……」
「ご安心ください。初めにお体を看させていただきましたが、アン様にそのような痕跡はございませんでした」
「そうか。よかったぁ」
それを聞いて少しホッとした自分がいる。
もしもそんなことがあったら、女性としては一生モノのトラウマだ。
でも、何もなかったからといってアンの回復が早まるわけでもなく……。
「アン様はよほどの恐怖を体験されたご様子。どうやらその記憶を心の奥底に封じ込めてしまったようです」
「そんなことが……?」
「体に刻まれた傷はいつしか癒えます。しかし、心の傷はそうは参りません」
「……」
「できる限りわたくしも手を尽くします。ですが、本当に必要な時にはジルコ様がアン様の隣に必要です」
「……わかってる」
「どうか無事にお戻りを」
俺は〈バロック〉を許さない。
ギルドをめちゃくちゃにした以上に、俺の親しい友人をここまで傷つけた連中に怒りが煮えたぎって収まらない。
特にクチバシ男。
状況的に奴がアンにその恐怖を植え付けたことは間違いない。
絶対に許さない。
胸の内側でざわめくどす黒い感情――怒り、憎しみ、恨み。
そのすべてが俺の感情を掻き立てる。
「必ず償わせてやる。どんな手段を使っても、必ずだ」
俺は生まれて初めて、特定の人間に対して殺意を露わにしている。
それを自覚して最初に抱いたのは、意外にも安堵感だった。
俺にとって躊躇なく殺意を向けられる相手は魔物だけに限られていた。
でも、今はもう違う。
人間が相手でも殺す前提で戦っていいのだと理解した今、俺の心は思いがけないほど穏やかに落ち着いた。
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