2-010. 狙われたジルコ①
執務室にある置き時計が正午を指すと、外から時計塔の鐘の音が聞こえてきた。
「ネフラ遅いな……」
俺は執務机に積まれた裁判関連の書類に悪戦苦闘しながら、ネフラの身を案じ始めていた。
今朝のジャスファの件があったため、なかなかギルドに顔を出さないネフラに何かあったのではと勘ぐってしまう。
「さすがに過保護すぎるか」
そう考えた矢先、執務室のドアが開いた。
入ってきたのは、ほくほく笑顔のネフラだった。
「嬉しそうだな。何かいいことでもあったのか?」
「コックローチの新しい著書を見つけたの。写本だけど買っちゃった」
ネフラは執務机の上にドン、とミスリルカバーの本を置いた後、リュックから件の本を取り出して見せてきた。
普段主張しないネフラが推してくるとは、よほど夢中になった本なのだろう。
まぁ、俺は本の類は読まないのだが。
「ネフラはコックローチ好きだな。そんなに面白い作家か?」
「面白い。貴族社会から奴隷社会まで、様々な時代や人種の風俗を描いているから非常に勉強になる。読む度に目から鱗」
コックローチって、不快で不愉快な描写と展開ばかりの小説書く人だろ。
世間的にはゲテモノ作家扱いされていると聞いたぞ。
……とは言えない。
ネフラは近くの椅子に腰掛けて、本を読み始めてしまった。
おーい。仕事を手伝ってはくれないのか?
「あまり本ばかり読んでると目が悪くなるぞ」
「それに勝るものがある」
ネフラがくいっと眼鏡の縁を押し上げながら言った。
……仕方ないな。
今日は裁判の準備を終えたらジャスファの行方を捜すつもりだったのに。
もう少ししたら、ネフラに書類に目を通してもらうとするか。
その時、ドアの向こうから大きな声が聞こえてきた。
「ジルコの馬鹿野郎はどこですのっ!?」
げぇっ! フローラだ。
しかも、かなりご機嫌斜めな様子。
昨日、コイーズ侯爵邸から勝手に帰ったことを怒ってるに違いない。
ダダダダッと、階下の廊下を走る音が聞こえてくる。
ヤバい。執務室へ来る気だ!
「ネフラ、ちょっと出てくる!」
「え? ちょっとジルコくん――」
ネフラが言い終える前に、俺は執務室のドアを開いて正面にある窓から外へと飛び降りた。
間一髪、フローラの怒気をはらんだ声が俺の背中に届くかというところで、路地裏へと逃げ込むことができた。
◇
日はすでに傾き、夕焼けに照らされた空が赤く染まっている。
……無駄な時間を過ごしてしまった。
「そろそろ戻るか」
さすがにフローラも退散している頃だろう。
そう願いながら、俺は時間潰しに訪れていた蚤の市を後にする。
人気の少なくなってきた裏通りを歩きながら、俺はアンへの誕生日プレゼントについて考えていた。
アンはあれでけっこう我儘だから、変なものを渡したら怒るだろうなぁ。
アンの前でうっかり相槌を打ったばかりに、余計なことに時間を割かなければならないとは……。
その時、俺は背後から突き刺すような気配を感じた。
何者かから敵意を向けられているのだ。
「一人や二人じゃないな」
後ろから、いくつも衣擦れの音が聞こえてくる。
さらに前方からも同じ気配を感じる。
俺は右足のホルスターに手をかけ、通りの真ん中で足を止めた。
それを合図としたかのように、そいつらは通り沿いの路地からぞろぞろと姿を現した。
「なんだお前達?」
十名ほどの男が、俺の前後の道をそれぞれ5mほど先で塞いだ。
全員が収穫祭で使われる精霊の仮面をかぶっている。
「まだ四月も半ばだぞ。その仮面をつけるには早いんじゃないか」
言った傍から、仮面の男達が襲いかかってきた。
その場で身をひるがえしながら男達の得物を確認した俺は、ホルスターからミスリル銃を抜いて壁に背をつけた。
右から、剣、剣、槍、短剣、短剣、剣、双剣、手甲、剣、剣――
剣士五人。
密偵二人。
双剣士一人。
拳闘士一人。
槍術士一人。
――計十人、全員が戦士系クラスか。
俺はミスリル銃を構え、まずは右側から向かってくる五人へと銃口を向けた。
それに怯んだ五人が一瞬だけ動きを止める。
その隙に引き金を引いて、銃口から橙黄色の光線を射出する。
光線は一瞬にして外側にいる剣士の軸足を貫いた。
剣士は悲鳴をあげる間もなく地面に顔を打ちつけ、隣に並ぶ四人はギョッとして硬直した。
この程度で取り乱すとは、素人め。
俺はその四人の足にも同じように光線を撃ちこんだ。
「ぎゃっ」「ぐえっ」「痛ぇっ!」「うぼぁっ」
四人が順々に地面へと倒れていく。
俺は倒れた男達を踏み越えて、道が開かれた通りを走った。
「あっ! 待ちやがれっ」
後ろから残りの五人が追いかけてくる。
追手に銃士や魔法使いのクラスがいれば真っすぐ走るのは愚の骨頂だ。
だが、こいつらなら問題ない。
俺はある程度の距離を走ると、振り返ってミスリル銃を構える。
「うわっ」「やべぇ!」
もう遅い!
俺は自分に近い位置にいる奴から順々にミスリル銃の引き金を引いていった。
五人とも足に光線を受け、その場に倒れて唸り始める。
「出力の弱い宝石にしておいた。穴は小さいから教会にご寄付でもして癒してもらいな」
倒れた際にしたたかに顔を打ちつけた何人かは、仮面が割れてその下の素顔が露になっている。
その中に三人ほど、俺の見知った男がいた。
「おい」
「うぇっ!?」
「お前達、何やってんだ?」
俺は、鼻血を出して地べたに這いつくばっている三人へと銃口を向けた。
その三人は、以前アンに絡んでいたゴロツキだった。
「な、何もしゃべらねぇぞ……!」
鼻血を押さえながらゴロツキの一人が反抗的な目を向ける。
「おいおいおい。てめぇなんぞにゲロすると思うかよ!?」
「口は割らねぇ! 口は割らねぇ!」
残りの二人も同じ意見のようだ。
ならば仕方がない。
「しゃべらなくていい。ただし、約束通り右眼球を撃ち抜かせてもらう」
そう言って、怯えている拳闘士の顔にミスリル銃を突きつけた。
「ただ、あの時と違って今回は少々特殊な銃でな。脳みそまで飛び散るかもしれないが、悪く思うな」
「ひいいやああぁぁっっ! やめてくれぇっ!!」
「おっと。引き金に指が――」
「言うっ! 言うっ! 全部言うっ!!」
ふん、と鼻を鳴らした俺は、銃をホルスターに収めて拳闘士の前に屈んだ。
「さっさと言え。誰に頼まれてこんな真似をした?」
「き、貴族だよぉっ! レイピアを持った細身で長身の野郎……。な、名前は知らねぇっ!!」
……レイピアを持った細身で長身の男。
それに加えて、俺にこんな真似をする貴族と言えば一人しか思い浮かばない。
「ご苦労さん。行っていいぞ」
男達はいそいそと起き上がり、足を引きずりながら我先にと逃げていった。
「お、覚えてやがれぇっ!」
「おいおいおい。話が違ぇじゃねぇかよぉー!?」
「痛ぇよぉー! 痛ぇよぉー!」
あの三人だけ負け惜しみを叫んでいったが、この流れはゴロツキの様式美みたいなものだな。
それにしても、まさかウェイストの差し金とは。
あるいはジャスファがウェイストを焚きつけたか……。
どちらにせよ、直接狙われた以上は気を引き締めないと足をすくわれかねない。
「……! まさかネフラにも!?」
嫌な予感がする。
俺は裏通りを全速で駆け、ギルドへと急いだ。