5-019. 敵は東にあり!
俺が目を覚ました時には、ネフラが率先して鏡面通信でペンティと情報共有を進めてくれていた。
窓の外――というか、壁の穴の外はまだ暗い。
俺がフローラに殴られて気を失ってから、たいして時間は経っていないようだ。
「あら。ようやく起きましたの」
「こらジルコ! こんな時に呑気に寝てんじゃねぇぞ!?」
フローラの辛辣なお言葉。
デュプーリクの軽薄な発言。
どちらも寝覚めの直後に聞くには腹立たしい限りだ。
「ネフラすまない。今どんな状況だ?」
「ペンティから色々教えてもらったのだけれど――」
ネフラから通信内容を聞いて、俺は大きく溜め息をついた。
ペンティによれば、ドラゴグ領内にいる〈グレイプヴァイン〉の仲間達とは一切連絡が取れなくなったのだという。
危険を察知して身を隠したか、すでに〈バロック〉の刺客に殺されたか。
どちらにせよペンティは孤立無援の状態らしい。
さらに言うなら、連絡がつかないのはエル・ロワ側の仲間も同じだそうで……。
「ゴブリン仮面の安否について知りたい、だって」
鏡面に浮かび上がった文章を読み上げるネフラ。
その顔は眉をひそめて悲しげだが、彼女の気持ちは俺にもわかる。
およそ生きているとは思えないゴブリン仮面の安否を、ペンティに伝えるのは心苦しい。
「……ペンティには、あいつの安否を連絡するって約束をしていたしな。嘘をついたところで事態は好転しない」
「それじゃ、事実を事実のままに伝える?」
「ああ。頼む」
俺の返答を受けて、ネフラは鏡に指を走らせる。
「ジルコくんから聞いた通りのことを返信した」
「悪いな」
「ゴブリン仮面、生きてるのかな」
「あいつは……簡単に死ぬような奴じゃない。きっと大丈夫だよ」
ネフラの沈痛な面持ちを見て、俺はつい心にもないことを言ってしまった。
嘘をついたところで事態は好転しないなんて言っておきながら、彼女のこんな顔を見るとその場しのぎの嘘であっても言わずにはいられない。
「返事が来た」
早くも鏡面に新しい文章が浮かび上がった。
そこにはたった一言――わかりました、とだけ書かれている。
ペンティとゴブリン仮面の関係は知る由もないが、以前に彼と話した時には親しげな印象を受けた。
そんな相手が安否不明ともなれば、内心穏やかじゃないだろう。
「ゴブリン仮面って何のことですの?」
「いやぁ、さすがフローラさん。俺もそう思ってたところなんすよ!」
フローラとデュプーリクが会話に入り込んできた。
しかもデュプーリクのやつ、フローラに二度も昏倒させられたからか、ごまをするようにして彼女にへつらっている。
女好きのデュプーリクらしからぬ態度だ。
どうやらフローラのヤバさを身をもって理解したようだな。
「王都の有力な情報屋だよ。〈バロック〉に殺られてしまったかもしれない」
「その〈バロック〉とやら、我らがジエル教の国家で好き放題してくれていますのね。リッソコーラ様への所業もありますし、生かしてはおけませんわ!」
フローラが拳を握り締めて怒りを露わにしている。
やる気になってくれたのは結構だが、こちらとしては暴走して勝手な行動をしないか不安で仕方ない。
俺が〈火竜の手綱〉という二つ名を思い出すのは、いつもこんな時だ。
「ジルコォ! こりゃあ何の騒ぎじゃあ?」
「……ゾイサイト。ようやく起きたか」
再び庭と繋がった壁の穴から、ゾイサイトが無理やり入ってくる。
すぐ隣に入り口があるんだからそっちから入って来いよ!
……とは言えない。
「わしがうたた寝している間に〈ハイエナ〉の連中がやってきたか?」
「そういうわけじゃないんだけど……」
俺はチラリとフローラを見やると――
「ジルコ! そんなことより通信相手から次の情報を聞き出すのですわ!!」
――怖い顔で睨みつけられたので、壁の穴の真相は伏せることにした。
くそっ。教皇庁に損害賠償を請求してやろうか。
「ふん。まぁどうでもよいわ」
いいのかよ。だったら聞くなよ!
そんな苛立ちを覚えた矢先、鏡にまた新しい文章が浮かび上がった。
「……近頃、海峡都市では歪んだ真珠の首飾りをつけた怪しい人間の目撃が増えているので、侯爵に探りを入れるなら気をつけて、だって」
「歪んだ真珠の首飾り、か。それが〈バロック〉メンバーの証ってとこなんだろうな」
「それと、自分も狙われてる身なので帝都から脱出して身を隠すって」
「それがいい。でも、ペンティが帝都から無事に出られるか心配だな」
大層な奇跡を使えるからといっても、ペンティはまだ子供だ。
帝都に潜む〈バロック〉の刺客から無事に逃げ延びられるかは怪しい。
俺としてもあの子を手助けしてやりたいが、さすがに帝都までひょいっと駆け付けることはできない。
ならば、どうするか――
「あっ」
――その時、俺はある女性の顔を思い出した。
「ヴェニンカーサ伯爵夫人。彼女を頼るようにペンティに伝えてくれ」
「え。彼女を……?」
「あの人ならペンティの力になってくれる」
「でも伯爵夫人とはいえ、彼女に〈バロック〉からペンティを守る力なんて」
「案外そうでもないぜ」
ネフラがキョトンとしている。
この状況でペンティに伯爵夫人を頼らせる意図がわからず、納得いかない様子だな。
彼女の真の姿を知らないネフラならそう思うのも無理はないが、俺としてもあの人の正体を軽々に口にするわけにはいかない。
「俺を信じて、ペンティに紹介してやってくれ」
「……うん」
ネフラはまだ疑問に思っているようだが、素直に鏡にその旨を書いてくれた。
やっぱり素直でいい子だなぁ――
「ちょっと! ヴェニンカーサって誰ですの!?」
「おいおい! 〈バロック〉の件に伯爵夫人を巻き込む気かよ!?」
――周りでやかましいフローラとデュプーリクに比べると、本当に天使だ。
「伯爵夫人はかの猛将伯の奥さんだぞ。〈バロック〉だってそう簡単に手を出せる人じゃない」
「そうかぁ……?」
デュプーリクが訝しげな目を向けてくるが、知ったこっちゃない。
あの人の正体を知れば、そんなこと言っていられなくなるぞ。
「まぁ、ドラゴグの人間はどうせ竜信仰の信徒でしょうし、どうなろうがどうでもいいですわ」
「あそう」
伯爵夫人の信仰を知ったら、フローラは烈火の如く怒るだろうなぁ。
興味を抱いてくれない方が都合がいい。
「ジルコくん、ペンティから返事が。これって……」
ネフラに促されて鏡を覗いてみると、少々気にかかる返信が来ていた。
「ありがとう。夫人を頼ってみます。でも、こちらにも心強い味方がいるので、心配しないで……か。味方って誰のことだろう」
「もしかしたら、鏡面通信を使える人が傍にいるのかも」
「ペンティが送ってきているんじゃないのか?」
「彼の奇跡はとても優れているけれど、さすがに魔法までは使えないと思う。それに鏡面通信はかなり高難易度の魔法だし、腕の立つ魔導士と一緒なんじゃないかな」
「……そうなのか。身辺警護でも雇ったのかな?」
奇跡に加えて魔法まで使えるのは天才クロードくらいのものだ。
ともかく、ペンティが逃げることしかできない状態ではないことがわかって、少しだけ安心した。
「ちょっとちょっと! そのペンティというのは何者ですの!? 情報屋なのにどうして奇跡を使えるのか説明してくださらない!?」
フローラがまた騒ぎ始めた。
ペンティが奇跡を使える理由なんて、俺だって知らないっての。
どうやってこの女の追及を逃れるかを考えていると、ゾイサイトが大きな図体を俺とフローラの間に割り込ませてきた。
「そんなことよりもジルコよ。今回の件、どう落とし前をつけるつもりだ?」
「えっ」
「話を聞いていたが、要は〈ハイエナ〉も〈バロック〉とやらの組織も、海峡都市の侯爵と繋がりがあるのだろう」
「あ、ああ……。その可能性は高いと思う」
「ならば、いつまでもここでくっちゃべっている理由などあるまい?」
「というと?」
「当然、早急に侯爵のもとへ殴り込みよ!!」
ニイィ、とゾイサイトが不気味な笑みを浮かべた。
侯爵邸に殴り込みって……こいつマジでそんなこと考えてるのか!?
「ちょちょちょ! ゾイサイトの旦那、いくらなんでもそれはまずいですって!」
「なぜだ!? そもそもなんだ貴様は」
「お、俺のことは後で説明するとして……。相手は五英傑の一人なんすよ!? 並みの貴族が相手じゃないんですって!」
「知ったことか。〈ジンカイト〉に攻撃したということは、わしに攻撃したも同然。借りはしっかりと返す!!」
「じ、ジルコォ~」
デュプーリクが俺に助けを求める視線を送ってきた。
ここはやはり俺がなんとかするしかないか……。
「聞け、ゾイサイト。プラチナム侯爵はまだ完全なクロじゃない。まずは海峡都市に向かい、裏を取ってから――」
「そんな悠長なことをしている暇があるのかっ!?」
「どういうことだよ」
「貴様の目は節穴か? 周りをよく見ろっ!!」
ゾイサイトが両手を広げた。
どうやら彼はギルドの惨状をよく見ろと言っているようだ。
……今の壁の穴は全部フローラのせいなのだが、あえて言うまい。
「奴らが手段を選ばぬことはわかっただろう! なれば、ギルドの次に狙われるのはどこだ? 誰だ!?」
「……!!」
ゾイサイトに言われて、俺は今更ながら気が付いた。
今回、〈ハイエナ〉は直接的にギルドを狙って動いていたが、今後も俺達を狙ってくるとは限らない。
むしろアンが巻き込まれたように、ギルドと関りのあった人達が一方的に狙われることになるかもしれないのだ。
「アンや客人達が無事だったのは幸いだが、次もそう上手くいくとは限らん! ならば、やられる前にやるしかなかろうがっ!!」
「……お前の言う通りだ、ゾイサイト」
「ならばもっとシャンとせんか! 貴様それでも次期ギルドマスターか!!」
……まさかこいつにそんなことまで言われるとは。
やっぱり俺は真のギルドマスターには程遠いな。
「このまま手をこまねいていれば被害が広がるだけだ。今度ばかりはこちらから仕掛けよう――」
俺は改めてその場にいる人間を見渡した。
「――ゾイサイト。フローラ。それにデュプーリク。協力してくれ!」
俺の言葉に、ゾイサイトは満足そうに頷いている。
フローラは不満げに、デュプーリクは困った表情を浮かべながら、ひとまずは同意してくれたようだ。
「ジルコくん。もちろん私も一緒に行く」
「ああ。頼りにしているぜ、相棒!」
笑いかけてくれるネフラを見て、俺は心の迷いが吹っ飛んだ。
この子を守るためにも、敵が仕掛けてくる前にこちらから打って出る。
この際、相手がクロかシロかを洗っている暇なんてない。
ルール無用の地下組織を相手にするからにはそのくらいの覚悟が必要だ。
「……ねぇ。鏡にまた新しい文字が浮かび上がっていますわよ?」
「ん。ネフラ、読んでもらえるか」
俺が鏡を指さした瞬間、ギルドの建物をとてつもない衝撃が襲った。
「な、なんだぁ!?」
見上げると、いくつもの炎の塊が天井を突き破って落ちてくる。
それは魔法の槍――熱殺火槍だった。
炎の槍は次々と天井を破り、床へ突き刺さって炎を上げた。
しかも、その猛攻は一向に止む気配がない。
鏡面通信が届いていた鏡は割れ、天井は二階が見えるどころか屋根まで穴が開いて夜空が見える始末だ。
「くそぉ! ギルドをめちゃくちゃにしやがってぇぇぇ!!」
俺達は、またも敵に先手を取られた。
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