5-015. 傷痕
「アン……無事だったのか!?」
「あっ。ジルコさん、お帰りなさい!」
さらわれたのが夢だったかのように、いつも通りのアンがそこにいた。
「どこも何ともないか? 変なことされなかったか!?」
「ちょ、ジルコさん。大丈夫ですってばっ」
思わず詰め寄ってしまい、アンをびっくりさせてしまった。
見たところどこにも傷はないし、衣服の乱れもない。
どうやら〈ハイエナ〉に何かされたということはなさそうだ。
「アン。ジルコくんに事情を説明してあげて」
「そうね」
エプロン姿に箒を持ったネフラがアンを促した。
……ネフラのエプロン姿、可愛いな。
いやいや。そんなことを考えている場合じゃないだろう、俺!
「実はね――」
アンの話を要約するとこうだ。
ギルドの厨房で気絶させられてから、次にアンが目覚めたのは王都の東門近くの路地裏だった。
すでに馬車から下ろされていて、自分の他には男が一人しかいなかった。
しかも、その男は黒いローブの人物との話に夢中で、アンへの注意を怠っていた。
アンは猿轡をされて後ろ手に縛られていたものの、足は自由だったのでそのままこっそり逃げだしてきたという。
「――間抜けな話でしょ?」
「そうだな。なんというか……クチバシ男らしくないな」
「クチバシ男って?」
「お前と一緒にいた男だよ。おかしなマスクをしていただろう?」
「んん? どうだったかな、覚えてない」
そういえばクチバシ男のやつ、ゾイサイトの一撃を顔面に受けてマスクを砕かれていたっけ。
もしもアンが奴の素顔を見ていたのなら、似顔絵を描いてもらえば素性の特定に繋がるかもしれない。
……でも、アンにはしばらく静養してもらった方がいいな。
「ネフラ。アンを親方の家に送って行ってやってくれ」
「今から?」
「ああ。ギルドの状況もこんなだし、しばらくはギルドを閉じる」
「そうだね。それがいいかも」
ネフラは納得した様子で、にこりと微笑んでくれた。
……自己嫌悪に陥っている今の俺には癒される笑顔だ。
「ジルコさん、あたし別に休みなんていらない! あなたの役に立ちたいのっ!!」
「そう言われてもなぁ」
「お願い! 解雇通告にだって協力してきたじゃない!」
「しぃーっ! しぃーっ!!」
いきなりアンが口を滑らせたので、俺は焦った。
恐る恐る後ろを振り向くと、俺の背後にいるゾイサイトは――
「お前達には危機感が足りんわっ! 主を放置して居眠りとはなぁっ!!」
――酒瓶を片手に、ジニアスとリッソコーラ卿の護衛に説教していた。
聞かれていないな……助かった。
「アン!」
「ご、ごめんなさい」
アンが舌を出してウインクした。
解雇通告のことが冒険者に知られたら、俺は吊るし上げられかねないんだぞ。
頼むからその件は慎重に扱ってくれ……。
「ジルコくん。そういえばタイガはどうしたの?」
「あいつならギルドに戻る途中で別れたよ。捕まえた〈ハイエナ〉の三人を王国軍の駐屯所へ引き渡しに行ってもらった」
「そう。みんな無事だったのね、よかった」
「俺は無事じゃないけどな。落ち着いたら教会に行くよ」
「怪我してるの?」
「実は右腕が死ぬほど痛い」
「えっ!」
大げさに言ってみたら、ネフラが心配した顔で寄り添ってくれた。
実際に右腕は痛みが酷いのだが、少しの間なら我慢はできる。
でも、ネフラが寄り添ってくれるとそんな痛みも吹っ飛んでしまうような不思議な気持ちになる。
「それじゃ、あたしがジルコさんを教会に連れてってあげる」
「何言ってるの。あなたは家に帰るの」
「だったら誰がジルコさんを教会に連れて行くのよ」
「……私……かな?」
「むっ!」
「むむっ!」
アンとネフラの口喧嘩がまた始まった。
喧嘩するほど仲が良いとは、まさにこの二人のためにあるような言葉だな。
「子供じゃないんだ、一人で行けるよ。ついでに〈ハイエナ〉の件で軍に出頭してくるから俺一人の方が都合がいい」
「えー」
「えー、じゃない。そんなことより親方の機嫌を取っておいてくれよ?」
「はいはい。わかりましたっ」
アンが頬を膨らませながら俺を小突いた。
「ネフラ。頼んだ」
「はい」
ネフラが連れ出そうとするや、アンは彼女を躱して俺に寄ってきた。
そして――
「チュッ」
――突然、俺の頬にキスをした。
「どうしたんだよ、急に?」
「ふふっ。これはお礼!」
「助けたお礼ってことか。自力で逃げ出してきたんだし、俺は何も――」
「そうだけど、あたしが逃げられない状態でも助けにきてくれたでしょ?」
「それはまぁ……当然助けたさ」
「その嬉しい気持ちへのお礼」
アンが頬を染めながら可愛いことを言ってくれる。
俺はほっこりした気持ちになって、彼女の小さな頭を撫でてやった。
「今度の降臨祭で続きをしようね!」
「降臨祭? ……ああ、もう七月か」
降臨祭はジエル教の祭りのひとつで、エル・ロワでは毎年夏に催されている。
解雇通告の任を受けたのが四月。
それからもう三ヵ月も経つと思うと、感慨深い。
否。まだ三ヵ月しか経っていないと考えるべきか……。
「あたしの誕生日を祝ってくれなかったお詫びとして、降臨祭ではデートしてもらいますからねっ」
「えぇっ!? デート!?」
「二人っきりで!」
「でも――」
「今度はあたしがジルコさんを独り占めする番!」
アンは胸を張って言うや、ネフラを得意そうに見つめた。
一方、ネフラは明らかに不機嫌そうな様子でアンを見つめ返している。
「誕生日プレゼントあげたじゃないか」
「それとこれとは別ですぅー」
「……わかったよ」
言った傍から、ネフラがジト目で俺を睨んできた。
「ね、ネフラ。そろそろ送ってってやってくれ」
「……」
ネフラは無言で頷いた後、アンの手を取ってギルドの外へと引っ張っていく。
道すがらまた喧嘩しそうだなこの二人……。
そう思ってすぐ、俺はアンに渡すべき物があることを思い出した。
あの子がさらわれた時に落としていったレッドダイヤモンドのネックレスを、俺はずっと懐に入れていたのだ。
「ちょっと待った! アンに渡しそびれていた物があるんだ」
「え?」
俺は足を止めたアンに駆け寄り、ネックレスを渡そうとした。
だが、彼女に宝石を差し出した途端――
「ひあっ」
――アンは小さく悲鳴を上げて、俺の手を払った。
「!? どうしたんだ?」
「あ……。ごめん、なさい」
見る見るうちにアンの顔色が悪くなっていく。
呼吸は荒くなり、あわや倒れそうなところをネフラが支えることでかろうじて立っている状態だ。
あまりに突然のことに俺は驚きを隠せない。
一体どうしたんだアン!?
「ジルコくん。もしかしたらこの子、その宝石を見てさらわれた時の恐怖を思い出したのかも」
「そ、そうか……。そういうこともあるか」
俺はしまったと思った。
アンは〈ジンカイト〉に所属こそしているものの、冒険者ではなく一介の事務員だ。
犯罪者にさらわれて、まったく平気なわけがなかったのだ。
「ごめんアン。これは落ち着いてから改めて返すことにするよ」
「は、はい。こちらこそごめんなさい……」
アンは俺に向き直るや、あからさまな作り笑いを浮かべている。
俺を心配させないように努めてのことだろう。
なんて健気な子だ。
ネフラに寄り添われてギルドを出ていくアンを見送りながら、俺は何もできない自分に歯がゆさを感じた。
「アン……」
「う~ん。あれはきっと心的外傷後のストレス障害ってやつだね」
「ストレス障害?」
「事件や事故に遭った人に発症する心の病さ。何かをきっかけに心の傷の原因となる記憶を思い出してしまうんだ――」
いつの間にか俺の隣にザナイト教授が立っていた。
インテリらしくアンの病気(?)のことを説明してくれているが、それによって俺のアンに対する罪悪感はますます募っていった。
元はと言えば、あの子が〈ハイエナ〉に襲われたのは俺が原因なのだ。
そのせいで彼女が心に傷を負ったのであれば、俺はどうやって償えばいいのだろう。
「――難儀なものだよ。心の傷は教会の奇跡にも癒せないからね」
「ザナイト教授。その傷を癒す方法はないんですか?」
「確立した治療法じゃないけど……傷を癒す薬を与えてあげる、とか」
「薬なんてあるんですか?」
「恋人と過ごす甘い時間、という名の薬ね。心癒えると思わない?」
「……俺に言われても」
別に俺はアンと恋人同士ってわけじゃないからなぁ。
あの子は俺にとって妹みたいなもので、彼女を大事に思う気持ちは異性の恋愛といった感情じゃないんだ。
……きっとそれをアンは望まないんだろうけども。
「そうそう。実は私もきみに渡しそびれていた物があったんだ」
「渡しそびれた物?」
「ほら、これを見てくれ。こいつをどう思う?」
そう言いながら、ザナイト教授が俺の眼前に宝石を突き出してきた。
どこかで見た覚えのある宝石だ。
……これ、彼女が護衛に抜魂人形操とかいう魔法を使った時の宝石じゃないか。
「昨日、護衛への悪戯に使っていた宝石ですよね?」
「あはは。あれは悪戯じゃないよぅ」
ケラケラと笑う教授から宝石を受け取る。
改めて見ると、それは橙色に輝くダイヤモンドで、3カラット以上ある大物だ。
この質量でこの輝きを放つダイヤモンドなんて滅多にお目にかかれる代物じゃない。
「海峡都市を発つ前に、ターレント坊やに頼んで500万グロウ相当のレアな宝石に換えてもらったんだ。この色合いのものはファンシービビッドオレンジっていうんだって?」
「そうです。とんでもなく高価なダイヤですよ。確かに500万は下らない」
「で、こいつをきみにプレゼントしちゃう!」
「えっ。マジですか!?」
「マジです! だってそう約束したもんね」
「約束……」
何の約束かと思ったが、すぐに思い当たった。
海峡都市のヴィジョンホールで、確かにティアラを取り返したら500万グロウを報酬にもらう約束をしていた。
「きみが〈ハイエナ〉から競売品を取り戻してくれたおかげで、湖の乙女の聖冠が戻ってきた。リヒトハイムの人間としては喜ばしきことさ!」
「でも、あれらの所有権は商人ギルドにあるんじゃ」
「ターレント坊やが快く譲ってくれたよ。元々はエルフの国の宝だし、あの坊やには私に大きな借りがいくつもあるからね」
商人ギルドの幹部を従わせる借りって何だよ……と思ったが、あえて聞くまい。
「ありがたく……いただきます」
「おや? もしかしてあんまり嬉しくない?」
「いやいや! 嬉しいですありがとうっ!!」
実のところ現金で500万グロウの方が良かった。
宝石は宝石で嬉しいし役にも立つのだが、直接500万グロウをもらえたならギルドの借金返済に充てられたのに……。
高価すぎる宝石は換金してくれるところがなかなか見つからないのだ。
「やっぱり嬉しくなさそうだね?」
「いえいえ! 本当に嬉しいですからっ」
「もしや気を利かせて宝石に換えちゃったのはまずかった?」
「そんなことは……」
……あります。
とは言えない。
「これだけ凄い宝石があればかなりの戦力アップです! クチバシ男との決着も先延ばしになったし、この宝石さえあればあの野郎もちょちょいのちょいですよ」
「そう。喜んでくれて私も嬉しいよ!」
ザナイト教授は機嫌を良くしたようで、鼻歌を歌いながら護衛のエルフ達の元へ戻っていった。
マイペースというか何というか、色々な意味で凄い人だな……。
「マイペースというか何というか、色々な意味で凄い人ですね。ザナイト教授は」
「……ああ」
ジニアスが俺とまったく同じ感想をぼやきながら、隣に寄り添ってきた。
……距離が近い!
「父はよほどの弱みを握られているんでしょうね」
「やっぱりそう思うか」
「でなければ競売品を譲ったり、ましてや急遽500万グロウの取引なんてしませんよ」
「だよなぁ」
商人ギルド幹部のゴールドマンや、リッソコーラ卿。
そして遡れば錬金術師学会のクランクまで。
ザナイト教授はいろんな方面の大物と知り合いで、しかも彼らの弱みを握っているらしい。
もしかしたら俺は凄い人物を目の前にしているのかもしれないな。
そんなことを考えていると、今度はリッソコーラ卿が話しかけてきた。
「ジルコ殿。先ほど教皇領から連絡があったそうなのだが」
「教皇領から?」
「フローラが応援に来るそうだ。ぜひとも〈ハイエナ〉残党狩りのパーティーに自分も加えてほしいと」
……それを聞いて、俺は辟易した。
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