5-012. 追撃戦 VSハイエナ①
「ガハハハハ! やきもきさせおって。上手くやりおったなジルコォ!!」
「……ほ、褒めてもらって嬉しいよ。そろそろ下ろしてくれ」
ゾイサイトの岩のように硬い腕に締め付けられて息ができない。
しかも体毛がチクチクするし、何より俺は男に抱きしめられて喜ぶ趣味はない。
「わしがルスでガルーダを屠った時には、とてもできなかった戦法よ! 貴様を少々見直したぞ!!」
「いいから離せってのっ」
ゾイサイトの腕が外れて、俺は尻から荷台へと落ちた。
ちょうど荷台が跳ねたこともあり、危うく転がり落ちそうになる。
……気を抜く暇もない。
「ほれ!」
「ぐわっ」
ゾイサイトが何かで俺の頭を叩いた。
なんて硬さだ。頭が割れるかと思った。
何で叩いたのかと思ったら、ミスリル銃だった。
「貴様と一緒に上から落ちてきたわ」
「あ、ありがとう」
ミスリル銃を受け取り、俺は身が引き締まる思いだった。
ワイバーンに結んでいた鏡の短剣の方は、さすがに回収できそうもないな。
せっかく親方に作ってもらったのに、失くしたことを悔やむばかりだ。
「わしも次に鳥類を狩る時には、身軽な奴を放り投げて空中で戦わせることにしよう!」
「……そいつが死ぬから止めといた方がいいぞ」
普通、空中へぶん投げられた奴が無事に地上に降りてこれるわけがない。
そもそも俺が無事に済んだのだって偶然に過ぎないのだ。
……否。偶然か?
「タイガ、もしかして――」
「お前を助けたせいで街道から大きく逸れるはめになった! 〈ハイエナ〉の馬車との距離を詰められるかわからんぞ!!」
御者台で手綱を握っているタイガが嫌味まじりに言った。
タイガは俺のことを嫌っていると思ったけど、ここぞという時にはちゃんと助けてくれるんだな。
俺がワイバーンとの戦闘中にも〈ハイエナ〉の馬車を追いかけてくれていたし、俺を信じて背中を預けてくれていたのかな。
「タイガ。お前の馬術なら追いつけると信じているよ」
「相変わらず無茶を言う!」
ここで〈ハイエナ〉に逃げられれば、さらわれた三人は取り戻せないだろう。
なんとしてでも追いついてもらわなければならない。
「奴らのケツが大きくなってきたな! 飛ばせぃ、タイガッ」
ゾイサイトの言う通り、前方を走る二両の馬車が大きくなってきた。
距離はおよそ300mほどか……。
ミスリル銃なら十分射程圏内だが、人質がいる馬車を不用意に撃ち抜くわけにはいかない。
車輪を破壊して馬車を停めるにも、もっと近づく必要がある。
俺が気を揉んでいると、馬車の片割れが赤く光った。
「!! 避けろタイガ、魔法攻撃だ!」
俺が叫ぶのと同時に、タイガは手綱を引いて馬の進路を変えた。
数秒後、荷台のすぐ傍を熱殺火槍が通り抜けていく。
「ちっ。この調子では馬を加速させられない。追いつけんぞ!」
「せっかくワイバーンを落としたってのに……! なんとかならないかタイガ!?」
「荷台を外して身軽になればあるいは、な」
「それは無理!」
荷台を捨てたら、俺とゾイサイトはどうすりゃいいんだ。
走って追いかけるわけにもいかないし……。
再度、熱殺火槍を躱すために馬車が大きく揺れ動く。
荷台もガタがきていて、正直なところいつまでもつかわからない。
こうなったらキャスリーンの乗る馬車だけでも撃ち抜くか?
しかし、どちらの馬車に何人の人質がいるかもわからない状態なのに、うかつに撃ってしまってよいものか。
かと言って、このままでは時期に追撃も不可能になってしまう。
「……ジルコ。俺ならば撃つ」
「ばっ……! そんなことできるわけないだろうっ」
「大事の中に小事なし、だ。ここで奴らに追いつけなければ俺達の敗北は決する。人質は三人とも戻らず、〈ジンカイト〉は責を負わされ信用も失墜する」
「そんなことはわかってるよ! だけど馬車を撃ち抜いて人質が――アンが大怪我でもしたらどうするつもりだ!」
「やむを得ない犠牲として受け入れるべきだ。そんな甘い考えが通じる連中か?」
「お前……ルリの前でも同じことを言えるのかっ!!」
思わずタイガの言葉に苛立ってしまった。
冷静にならなければいけないのに、仲間に怒鳴り散らしてどうするんだ俺は。
その時、前方から土色のエーテル光が見えた。
今度は土属性の魔法を放つつもりか。
「何をする気だ!?」
数秒後、敵の意図がわかった。
敵馬車の走り抜けた後から、針のような突起が次々と地面に現れていく。
以前にクロードが使っていた刺突磔刑か、それに類似する魔法のようだ。
あんなものを進路上に出されたら、最短距離を追いかけるのは不可能になる。
「くそっ。個々に粉砕するしかないか!」
近づいてくる針のむしろへとミスリル銃を向けた時、タイガが大きく溜め息をつくのが視界の端に映った。
「ゾイサイト。走れるか?」
「ん? いざとなればそのつもりだが」
「そのいざが今だ」
「そうか」
……なんだ?
タイガとゾイサイトが唐突に謎のやり取りを始めた。
「ジルコ。さっきの問いに答えてやろう――」
そう言うや、タイガは突然俺の胸倉を掴み上げた。
「――ルリが同じことを望んだ時は、俺ができ得る限りの無茶を引き受ける!」
「タイガ、何をぉぉぉっ!?」
荷台の揺れが足元から消えた。
否。俺の体がタイガによって持ち上げられたのだ。
直後、俺は前方へとぶん投げられた。
タイガの乱心に混乱する中、馬の背中へと落ちて我に返った。
「た、タイガッ!?」
荷台へと振り返ると、タイガが柳葉刀を振りかぶっているのが見えた。
次の瞬間、彼は御者台と馬を繋ぐベルト一式を手綱もろとも切り離した。
引き手を失った荷台は横転し、タイガは――
「……」
――無言で俺を見据えたまま、ひっくり返る荷台に巻き込まれてしまった。
「タイガァァァーッ!!」
砂煙が舞い上がったせいで、タイガ達の無事が確認できない。
まさか俺を馬に乗せた後、自ら荷台を捨てて重量を軽くするなんて……。
「ありがとう……タイガ。あとは俺に任せてくれ!」
俺は唇を嚙みながらも前方へと向き直った。
ネックとなっていた荷台がなくなれば、馬の走りにも余裕が戻る。
身軽になった今ならば迫りくる針のむしろの突破も容易だ。
俺は予備の手綱を掴み、馬の腹を蹴った。
「やってやる! なんとしても〈ハイエナ〉を一網打尽にしてやる!!」
「応よ!!」
……ん?
すぐ近くからゾイサイトの声が聞こえたような気がする。
いやいや。
まさかまさか。
そんなことがあるわけ――
「ジルコ、貴様何をのんびり走っておるか! 飛ばせいっ!!」
「へ……!?」
隣を見ると、ゾイサイトの姿があった。
タイガと一緒に荷台に残っていたはずのこいつがなぜ……?
「そろそろ追いかけっこも飽いた! わしが終わらせてくれるわっ!!」
「あ、ああ。そうだな……」
ゾイサイトの腰から下が見えない。
見えないというか、目で追えないほどに超高速で脚が動いている。
……そうか。
この男、馬と併走するほどのスピードで走っているのか。
足元から生じる砂煙の凄いこと凄いこと。
って、ちょっと待て!
馬と併走して走るとか、化け物かこいつは!!
「先に行くぞ! しっかり追ってこい!!」
「あっ!」
ゾイサイトがさらに速度を上げて、馬の先へとぐんぐん進んでいってしまう。
……しっかりしろ、俺!
今更あいつの化け物っぷりに驚いてなんていられるか。
「行くぞ、飛ばせっ!!」
針のむしろを躱し、飛び越え、極力速度を落とさないように馬を操る。
無事にすべての針を突破した時、前を走っていたゾイサイトと再び併走することになった。
その頃には、〈ハイエナ〉の馬車との距離もずいぶん縮まっていた。
「わしに追いつくとは、なかなか見込みのある馬よ!」
……普通は逆なんだろうけど、まぁいいや。
二両並んで走る馬車から、驚いた様子で俺達を見入る〈ハイエナ〉の顔が見える。
左の馬車からはユージーンが、右の馬車からはキャスリーンが、それぞれ客車の窓から覗いている。
他に誰が乗っているのかまではわからない。
人質は片方に押し込まれているのか?
それとも両方の馬車に分けられているのか?
やはり車輪を破壊して、強制的に走行を止めるほかないな。
「まずは右側の馬車を止める。客車がひっくり返らないように支えられるか!?」
「愚問よ!」
「よし、撃つぞっ!!」
なんとか後輪を狙い撃てる程度の距離まで近づいた。
馬の脇腹に両足を踏ん張り、俺はミスリル銃を前方に向けて構えた。
右腕がかなり痛いが、なんとか引き金は引ける。
「!?」
その時、〈ハイエナ〉達に動きがあった。
二両の馬車が二手に分かれたのだ。
ここはヴァーチュ方面へ続く街道がさらに分岐する地点だった。
ユージーンの乗る馬車は北東への街道を、キャスリーンの乗る馬車は南東への街道を、それぞれ走っていく。
「奴らバラけて逃げる気か!」
「つまらん真似を……。わしは左、貴様は右だ!」
「人質の無事を最優先に考えて行動してくれよ!?」
「生かして取り返すことだけは約束しよう!」
「あのなぁ……って、おいっ」
ゾイサイトはさっさと進路を変えて、北東へ逃げる馬車を追いかけて行ってしまった。
しかも、長距離をあの速度で走り続けていながら息ひとつ乱していない。
あいつに追いかけられる奴らは生きた心地がしないだろうな。
「俺だって負けていられるか! もうひと踏ん張り頼むぜ!!」
名も知らぬ馬の鬣を撫でながら、腹をもう一蹴りした。
◇
ややあって、街道は雑木林へと差し掛かった。
この先には川が流れている。
追いつく前に川を渡られてしまったら、橋を落とされかねない。
そうなる前に一気に追いつきたいところだが、一定間隔で熱殺火槍が飛んでくるため、なかなか思い通りにいかない。
「焦るな。必ず追いつける。それまでは回避に集中だ」
それから何度か魔法を躱した後、俺は馬車と併走するに至った。
飼い主でもない俺のためにここまで頑張ってくれるとは、なんて出来た馬なんだ。
「アン達の姿は――」
箱馬車の窓を覗いてみると、キャスリーンが誰かと口論しているのが見えた。
一方で、人質の姿は見えない。
「――とりあえず足を止めるか!」
俺は馬車へと銃口を向け、引き金を引いた。
斬り撃ちで車体の下――前輪と後輪を一気に斬り裂き、車輪を失った車体は腹を地面へとこすらせて著しく速度を落とした。
馬車馬の足が止まるのは、それから間もなくだった。
「どうどう。よくここまで頑張ってくれたな」
同じくして、俺の馬も足を止めた。
もう限界だったのだろう。
馬は大きく息を吐きながら首を下にうつむかせていた。
俺は馬から降りて早々、ミスリル銃を構えて注意深く馬車へと近づいていく。
客室からはまだ誰も出てこない。
静まり返っていて声ひとつ聞こえないが、何か企みがあってのことか?
「出てこいキャスリーン! 投降するなら手荒な真似はしない!!」
馬車との距離は5mほど。
足を止めて敵の様子を探っていると、客車のドアが開いて誰かが出てきた。
のそっと現れたのは巨漢の男――クライヴだ。
その肩にはジニアスを担いでおり、小さく握り込んだナイフを彼の喉元に向けている。
……まぁこうなるよな。




