5-009. 追撃戦、開始!
全力疾走する馬車の揺れが凄まじい。
荷台の積み荷は次々と街路に散らばり、俺も四つん這いとなって体を支えることで、かろうじて振り落とされずに済んでいるという有り様だ。
しかし、その一方でゾイサイトはまったく動じず、二本の足だけで立っている。
……足に吸盤でもついているのか、こいつは。
「王都東門、確認!」
御者台のタイガが叫んだ。
その声に正面へと向き直ると、前方に大きな壁――王都外郭の東門が見えてきた。
門へ近づくにつれて、薄暗かった街路が一転して明るみを帯びていく。
門付近は街灯の数も多い。
そのため夜間でもこの辺りは昼のように明るいのだ。
王国兵の姿もちらほらみられ、街路を高速で駆ける俺達を見て驚いているな。
「ジルコ! 兵どもと交渉している暇はない。この速度で門を突破する!!」
「わかってる! 言い訳は考えておくから、このまま突っ切ってくれ!!」
タイガは俺の返答を聞くや、馬に鞭を打ってさらに加速した。
東門までは障害物なしの直線だとはいえ、この速度で街路を走るのはなかなかにスリリングだ。
ましてや、王国兵が戦闘用馬車で立ち塞がりでもしたら衝突は免れない。
もしそんなことになれば――
「!?」
――と考えがよぎったところで、俺の視界には異様な光景が映った。
「な、なんだあれは!?」
「……どうやら〈ハイエナ〉が派手に門を開けてくれたようだ」
なんと落とし格子の門を中心に外郭壁が10m以上に渡って倒壊しており、門の先の東アーク平原が露になっている。
しかも、その破壊痕が尋常じゃない。
まるで洪水に押し流されたかのように壁が根元から崩れ落ちてしまっている。
門番を務めていたであろう王国兵の多くは瓦礫の下敷きになっており、駆けつけた兵達が仲間達の救出に努めている。
あちこちから警笛が鳴り響き、兵達はかなり混乱しているようだ。
「クチバシ男の仕業か!」
分厚い外郭壁を崩して文字通り突破口を作り出すなんて、とても人間業じゃない。
おそらくクチバシ男の精霊魔法によるものだろうが、これが奴の全力かと思うとぞっとする。
闇の時代も終わったのに、こんな怪物と対峙しなければならないとは。
しかも、相手は魔物ではなく人間だ。
本当に嫌になる。
「揺れるぞ、捕まれ!」
タイガが手綱を操り、巧みに馬をコントロールしていく。
荷台が横転するかと思うほどの揺れだったが、タイガはことごとく瓦礫や王国兵を避けて馬車を走らせていた。
おかげで車体を傷つけることなく、すんなりと東門を突破することができた。
だが、まだ安心はできない。
街道へと乗り出したはよいものの、早々に三つの分かれ道へとぶつかる。
〈ハイエナ〉の行き先はこの三方向のいずれかになるはずだが、轍が多すぎて奴らがどの道を行ったのか俺には判別がつかない。
「ヴァーチュ方面、真新しい轍が二つ!」
俺が思案するまでもなく、タイガが的確な答えを見つけてくれた。
彼は馬車の速度を落とすこともなくヴァーチュ方面へと進路を取り、俺もゾイサイトもその判断を疑うことなく前方へと目を向ける。
一瞬で〈ハイエナ〉の通った道を割り出すなんて、さすが武芸百般。
やはり〈ジンカイト〉の冒険者はつくづく有能だ。
これでもっと取っ付きやすい性格だったらと思うと、残念でならない。
◇
平原は月明かりに照らされて、見通しも良かった。
俺ほど夜目の利かないタイガやゾイサイトでも、この状況ならば不自由なく周囲を警戒することができるだろう。
荷台にはひとつだけランプが残っていたが、とりあえず必要はなさそうだ。
「……見えてきた! 当たりだタイガ!!」
目を凝らした先に、砂煙を巻き上げながら街道を走る馬車を見つけた。
しかも二両。
馬車の形もギルドの前に停まっていたものに違いない。
見つけたぞ〈ハイエナ〉!!
「このまま全力で飛ばすのはいいが、馬の体力にも限界はある。追いつくチャンスは一度きりと思え!」
「もちろん。その一度で奴らの馬車の動きを止めてやるさ!」
この場に魔導士がいれば奴らの足を止めるのも楽だが、そうもいかない。
だが、俺の斬り撃ちならば一度に馬車二両の車輪を破壊することなど造作もない。
すでにミスリル銃の準備は整っている。
その気になれば、すぐにでも有言実行可能なのだが――
「もっと近づいてくれ! この距離だと車体のブレが大きい。斬り損ねれば〈ハイエナ〉もろともアン達を吹っ飛ばしてしまう!」
――うかつに車体を斬れば、眠っている人質の三人が危険だ。
うまい具合に後方の車輪だけ脱輪させられれば馬車の動きを止められる。
そのためにはまだ距離が遠い。
頼むぜ、タイガ……!
揺れる荷台に捕まりながら、俺は前方を走る馬車二両へとミスリル銃の照準を定める。
砂煙が厄介だが、おおよそ馬車の形は覚えている。
俺なら必ずできる。
そう自分を鼓舞した矢先、前方から炎の槍が飛んできた。
「くっ!」
タイガがとっさに手綱を引いてくれたおかげで、馬車へと炎が直撃することは避けられた。
あわや荷台から振り落とされそうになったが、文句は言うまい。
「魔法攻撃――熱殺火槍だ! 奴ら、仕掛けてきやがった!!」
「ネフラ嬢を連れてこなかったのは失策だったな、ジルコ!」
タイガは皮肉を言いながらも、飛んでくる熱殺火槍を巧みな操作で躱し続けた。
「撃て、ジルコ! これでは馬の体力が底を尽いてしまうぞ!!」
「ダメだ! まだ正確に狙いを定められない。なんとか炎を掻い潜って距離を詰めてくれ!!」
「無茶を言うっ」
無茶は承知の上。
馬車の上ではお前に頼るしか術がないんだ。
頼んだぜ、タイガ!
「ふん。避けるだけではつまらん!」
唐突にゾイサイトが動き出した。
何をするのかと思えば、俺の前に転がるランプを無造作に取り上げた。
「そんなもんどうするんだ!?」
「こんなものでも、わしが使えば今の貴様より役に立つ」
ゾイサイトが言った直後、前方から熱殺火槍が飛んでくる。
このまま直進すればまともにぶつかる!
「タイガ、躱し――」
「いらん! このまま進めぃっ!!」
俺の言葉を遮ってゾイサイトが吠えた。
しかも、ランプを握りつぶして投擲の姿勢を取る。
まさかそれを熱殺火槍にぶつける気か!?
「ふん、ぬぅぅっ!!」
気合の入った声を吐き出し、ゾイサイトがランプの塊を投げ飛ばした。
それは風を切るように飛んでいき――
ドォォォンッ!!
――という爆発音を正面に轟かせた。
ゾイサイトの投擲したランプが熱殺火槍と衝突し、空中で爆ぜたのだ。
「あ、熱っ!」
パラパラと熱のこもった破片が馬車へと降りかかる。
それを顔に浴びた俺は、思わず仰け反って馬車から放り出されるところだった。
「相変わらず無茶をする男だ!」
「ガハハハッ! 闇の時代を思い出すようではないか、タイガ!?」
タイガも呆れるほどの破天荒な男。
ゾイサイトとはそういう男だと思い出した。
「ほれ、もっと投げる物をよこせジルコッ」
ゾイサイトが大きな手を俺の眼前に突き出してくる。
そんなこと言われたって、荷台に残っているのは木箱に積み込まれた野菜の類だけだ。
こんな脆いものでも同じことができるのだろうか?
「わかったよ!」
俺が目の前のじゃがいもを掴むのと同時に、街道に妙な影が現れた。
「敵影……空だ!!」
タイガが空を見上げて言った。
釣られて顎を上げた俺の目に入ったのは、上空をはばたく鳥。
否。ワイバーンの姿だった。
「ワイバーン!? どうしてこんな場所に……しかも単独で!」
「ジルコォ! 貴様の目は節穴かっ。あれの背に何かおるのが見えんのか!!」
「なんだって……!?」
目を凝らしてみると、確かにワイバーンの背に何かの影が動くのが見えた。
あれは人間……か?
「ワイバーンを人が駆るとは……まるで竜騎兵だな」
タイガの言葉に、俺は幼少時に憧れたクラスを思い出した。
竜騎兵――それはかつて闇の時代よりさらに昔に存在したとされる幻のクラス。
竜の類を手懐けて騎乗し、自由に空を舞ったという戦士達のことだ。
……そんなおとぎ話の存在が、よりによって今この時に現れた理由はなんだ?
その時、先を走る〈ハイエナ〉の馬車から空へと炎が打ち上がった。
熱殺火槍の炎に違いないが、場違いな方向へと放たれた魔法を見て俺は困惑した。
「!? どうして空に……」
その答えはすぐにわかった。
空へと炎が打ち上げられるや、上空を滑空していたワイバーンが急に速度を落としたのだ。
「どうやら〈ハイエナ〉の応援のようだな」
「まさか……あいつも〈バロック〉の一味か!?」
〈バロック〉の戦力はいまだ想像もつかないが、竜騎兵――否。ワイバーン使いまで傘下に収めているとは。
俺達から〈ハイエナ〉を逃がすためにやってきたってわけか。
だが、ワイバーンといえど離れたところから攻撃できるわけじゃない。
近づいてきてさえくれれば撃ち落とすことは可能だ。
問題は前方からの魔法攻撃を回避しつつ、いかにワイバーンを迎撃するかだが……。
「タイガ、避けいっ!!」
突然ゾイサイトの大声が車上に響いた。
直後、転倒したかと思うほどに馬車の車体が揺れた。
「うおっ!?」
車体から放り出された俺の体――その頭をゾイサイトが鷲掴む。
まさに間一髪。
空を蹴る足の感覚に俺は冷やりとした。
「馬鹿が! 気を緩めるなっ!!」
ゾイサイトに力任せに引っ張られて、俺は再び荷台の上へと戻された。
「す、すまないゾイサイト」
「礼を言っている場合ではないようだぞ」
無理に首を引っ張られたせいか、ジンジンとうなじが痛む。
首をさすりながら空へ視線を戻すと、いきなり耳をつんざくような轟音が聞こえてきた。
「なんだこの音!?」
空からはワイバーンが俺達へ向かって急降下してきた。
しかも、その背中には無数の赤い光がチカチカと灯っている。
否。それはいくつもの雷管式ライフル銃から散る火花の光だった。
「ヒャッハハハァァーーッ!! 死にさらせゴミどもぉぉぉーー!!」
空から聞こえる異様にテンションの高い声。
俺達の頭上に、何十発もの鉛玉が雨あられのように降り注いできた。