5-007. VSハイエナ 野獣無双
「かかれ」
クチバシ男の命令を受けて〈ハイエナ〉の三人が一斉に動き出した。
キャスリーンが宝飾杖で魔法陣を描き始め、ウッドが回転式拳銃の引き金を引いてけん制し、クライヴが棍棒で殴りかかってくる。
幸い銃弾は逸れたものの、すぐに反撃とはいかない。
一呼吸つく暇もなく大男の棍棒が俺に向かって振り下ろされてきたのだ。
とっさに背後へと飛び退いて事なきを得たが、奴の棍棒は容赦なく床を粉砕した。
さっきぶち抜かれた壁も合わせて、修理代にいくらかかると思ってんだ!
「この野郎っ」
床に刺さった棍棒を引き抜こうとするクライヴへと銃口を向ける。
しかし、引き金を引こうとした時、突然俺の手元からミスリル銃が離れてしまった。
ふわりと銃身だけが空中に浮き上がったのだ。
「何っ!?」
銃身の向こう側では、クチバシ男が指揮棒を振るように指先を上下させている。
風の精霊を操り、俺からミスリル銃を取り上げたわけか。
だが、それの対処法だってすでに心得ている。
「させるか!」
俺はすぐさま右腕を後ろに引いた。
右手に装着した手袋の手首部分からは細いワイヤーが伸びており、それはミスリル銃のグリップへと結びつけてある。
風の精霊の悪戯によって浮遊する銃は、ワイヤーに引き寄せられて俺の手元へと戻った。
「ちっ。用意周到なことだ」
「横着するなよ!」
クチバシ男が舌打ちするのは気分がいいが、まずは目の前の邪魔者をなんとかしないと。
「ウゥオオォォ~~~ッ!!」
クライヴが声を荒げながら棍棒を振り回してきた。
豪快な素振りが周囲に置かれているテーブルや椅子を叩き壊していく。
奴の攻撃は威力こそあれど見切れない速さじゃない。
俺は身を屈めて、棍棒が空を切った隙をついて懐へと入り込んだ。
そして、間髪入れずに軸足へとミスリル銃の光線を撃ちこむ。
「グワッ」
クライヴがバランスを失ってよろめいた。
もう片方の足も撃ち抜こうとした時、視界に赤い光が差し込んできた。
全身の毛が逆立ち、俺はとっさに床を転がる。
熱殺火槍の炎が俺のコートをかすめたのは、その直後だった。
「避けんじゃないわよ、ジルコォォ!!」
俺が身を起こすと同時に、キャスリーンがヒステリックな声を上げた。
彼女の魔法攻撃を躱したのはいいが、熱殺火槍は背後の床を見事に焼いてしまっている。
これ以上屋内で戦いを続ければ、ギルドを徹底的に破壊されかねない。
被害が拡大する前になんとかしないと……!
「建物を気にしている場合か?」
クチバシ男の声が聞こえた瞬間、突如として発生した突風が俺の体を打った。
まるで地面に激突したかのような衝撃が顔と胸に走り、俺の体はカウンター席にまで吹き飛ばされてしまった。
「ぐっ。いってぇ……!」
見えない壁をぶつけられた痛みも大概だが、カウンター席に背中を打ちつけた激痛もなかなかのもの。
このまま三人の攻撃を躱しつつ、クチバシ男の精霊魔法まで対処するのは無理だ。
なんとか敵の数を減らさないと――
「あっ」
――そう思ったところで、俺の思考は途切れた。
「……ジルコォ。これはどういうわけじゃ?」
いつの間に目を覚ましたのか、カウンター席に突っ伏して眠っていたはずのゾイサイトが顔を上げている。
否。こいつは今まさに起こされたのだ。
なぜなら、ゾイサイトの後頭部に木片が張り付いているから。
さっきの突風で椅子が頭に直撃したのだろう。
睡眠薬で寝込んでいたこいつには、いい気付けだな。
この際、ひと暴れしてもらおうじゃないか!
「ゾイサイト。お前を叩き起こした奴なら、すぐ後ろにいるぞ」
「ほぉ」
髪を逆立てたゾイサイトが席を立つ。
その際、俺は戦鬼のような彼の形相に息を呑んだ。
かなりお冠のようだ。
「このガキども……わしの眠りを妨げるとはいい度胸じゃあ!!」
激昂するゾイサイトは、震脚によって足元を陥没させてしまった。
自分のギルドをぶっ壊してどうするんだよ!
その一方、クチバシ男は警戒した様子でゾイサイトと向き合っている。
「ゾイサイト・ピズリィ。〈蓋世の闘神〉と呼ばれている等級Sの冒険者か」
「わしを知っておるのか小僧」
「知らぬ者はいないだろう。だからこそ、あまり相手にしたくはないな」
「それは無理じゃなぁ。貴様はわしの眠りを妨げた。身をもって後悔――」
口上の途中でゾイサイトの顔面が爆発した。
「ははっ。バァーカ、油断し過ぎなのよオッサン!」
キャスリーンが不意打ちで火属性魔法を撃ち込んだのだ。
しかも無防備なところに顔面への直撃。
これはいくらゾイサイトでも――
「小娘……貴様、喧嘩を売るなら相手を選ばぬかっ!!」
――なんて心配は無用だった。
「え、待って。なんで顔に魔法ぶち込まれて平気なのよ!?」
ゾイサイトが平然としている姿を目にして、キャスリーンが戦慄している。
正直、俺も同じ気持ちではある。
「下がれキャス! こいつは俺が始末してやるっ」
キャスリーンの前に出たウッドが、左右の手にある二丁の回転式拳銃をゾイサイトへと連射する。
銃弾はことごとくゾイサイトに命中している。
しかし彼は怯むどころか、まったく意に介さずに距離を詰め始めた。
「おい! なんでまともに銃弾食らって平気なんだこいつはぁっ!?」
ウッドも驚愕している。
回転式拳銃の銃撃を生身で受けて平気な人間は、この世でゾイサイトくらいのものだろう。
室内に何度となく銃声が響き渡り、最後には空打ちの音が聞こえてきた。
十発以上の弾丸を浴びて、ゾイサイトはまったくの無傷だった。
「この亜人、化け物かよ!」
「わしを亜人呼ばわりとは。貴様、さてはセリアン差別主義者だな!?」
「近づくな化け物ぉぉ!!」
両手が塞がっていては弾を詰め直す暇もあるまい。
ズカズカと迫りくるゾイサイトに、ウッドは後ずさるのみだ。
「ガアアアァァッ!!」
ウッドと入れ違いに、今度はクライヴが前に出た。
クライヴは助走をつけて飛び上がり、ゾイサイトの頭へと棍棒を振り下ろす。
だが、頭を直撃する前にゾイサイトが棍棒を鷲掴んでしまった。
クライヴが両腕に青筋を立てるほどに力を込めているにもかかわらず、ゾイサイトが掴んだ棍棒は微動だにしない。
この膂力に握力、もはや人間の範疇じゃないな……。
「ヌググ……ッ」
「どうした小僧。こんな非力では、せっかくでかい体に産んでくれた親に申し訳が立つまいに!」
あのクライヴを指して非力と言うか。
この男、近接戦闘においては本当に規格外だな。
「グゥオオオッ!!」
「貴様に恨みはないが、邪魔立てするなら少々荒っぽくいくぞ!」
そう言うなり、ゾイサイトは空いている手でクライヴの頭を掴んだ。
そして力任せに引き倒すと、顔面を床へと叩きつける。
もちろんギルドには新しい穴が開くことになった。
「……っ」
「しばらくそこで寝ていろ。のぅ?」
頭を床板に突っ込んだまま、クライヴは動かなくなった。
あれだけタフだった大男がたったの一撃でこの様とは……。
「この化け物、よくもクライヴを!」
「やめておけ」
「……!!」
宝飾杖で魔法陣を描こうとしたキャスリーンだったが、ゾイサイトに睨みつけられてピタリと動きを止めた。
まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。
「女子を打つ趣味は持ち合わせておらん。だが、わしに仕掛けるのであれば、それなりの覚悟が伴うぞ?」
「あ、あぅ……」
ゾイサイトの眼力に気圧されたのか、キャスリーンは青い顔をしてその場にへたり込んでしまった。
彼女のスカートの下――太ももの間からは……あえて触れまい。
「く、くそがぁっ!」
何を思ったか、ウッドが回転式拳銃の銃床をゾイサイトへと振り下ろした。
だが、それが彼に届くはずもなく。
ウッドは貫手を喉元に打ち込まれ、白目を剥いて昏倒した。
男には容赦ないのな……。
「闘神の異名に相応しい男だな。その強さには感服する」
「ならばわしに許しを乞うか?」
「まさか。そんな粗相はしないさ」
「その意気や良し! ならば存分に打つとしよう!!」
ゾイサイトが大股を開いて一気にクチバシ男へと詰め寄る。
クチバシ男が両手で見えない壁を押すようなしぐさを見せる中、ゾイサイトもまた握り込んだ右拳を繰り出した。
乾いた衝撃音が室内に轟く。
見れば、ゾイサイトの拳がクチバシ男の眼前で静止している。
否。その拳は、少しずつ奥へ奥へと押し込まれているように見える。
「ぬぅ。貴様、精霊奏者か」
「……聞くと見るのでは違うな。噂以上の怪物だ、ゾイサイト・ピズリィ」
「褒めても半殺しは免れぬぞ」
「今回、お前を仕留めるには準備が足りなかった。猛省しよう」
クチバシ男が言った直後、ゾイサイトの拳がぐんと前に伸びる。
まるで見えない壁を突き破るかのように、その拳はクチバシ男のマスク――顔面へと叩きこまれた。
奇妙な造形のマスクは粉々に弾け飛び、奴は後方に吹き飛ばされた後、ギルドの扉を突き破って庭へと転がり出ていく。
今度こそ勝負ありだ。
……またもや俺の出番がなかったことは、この際置いておこう。
「ふむ。あの小僧、やりおるわ」
「やったんじゃないのか?」
「否。あやつの風に邪魔されて、芯まで届かなかったようだ」
「……てことは」
庭に倒れていたクチバシ男が、ゆっくりと身を起こし始めた。
ゾイサイトの一撃を顔面に受けて意識があるとは、非戦士系クラスのくせになんてタフな奴だ。
だが、そのダメージは甚大な様子。
それを物語るかのように、顔からは凄まじい量の鼻血が垂れ落ちている。
「拘束しろ、ゾイサイト!」
「ふん。つまらんことに手を貸すつもりはない」
「あのなぁ!」
こいつ、俺がギルドマスター代理ってこと忘れているんじゃないのか!?
……仕方ない。俺が縄で奴を縛り上げるとするか。
携帯リュックをまさぐろうとした時、不意に室内を動き回る人の気配を感じた。
周囲を見回すと、倒れていたはずのユージーンとウッド、そしてクライヴが起き上がっている。
「こいつら意識があったのか!」
しかも、ユージーンはジニアスを。
ウッドはリッソコーラ卿を。
クライヴはザナイト教授とキャスリーンを抱きかかえていた。
「さ、最低限のノルマは達成した。長居は……無用」
庭先からクチバシ男の声が聞こえてくる。
ユージーン達は、それぞれ客人を連れたまま崩れた壁や窓へと向かい始めた。
こいつら、ジニアス達をさらってこの場を逃げる気か!
「ゾイサイト! 奴らを捕まえ――」
その時、体が鉛のように重くなり、立っていられる状態ではなくなった。
……これは風の精霊魔法による重力波だ。
しかも一段と強烈で、全身を床に押さえつけられてとても動けない。
「ぐっ。しまった……!」
ゾイサイトは俺のように地面に伏しているわけではないが、彼でさえ片膝をついてその場から動けないようだ。
庭に視線を戻すと、クチバシ男がふらつきながら門扉へと向かっている。
ここまでやられて逃がしてたまるかよ!