5-005. ハイエナの罠
扉を蹴破って乗り込んできた三人のうちから聞こえた女の声。
今の声は……まさか。
「キャスリーン、か?」
俺がその名を口にするや、声の主は仮面を外して床へと叩きつけた。
そして、深く被っていたフードを脱ぐや、露になったその素顔は――
「やっぱり。本当に脱獄していたのか」
――キャスリーンに間違いなかった。
しかし、帝都で最後に見た彼女の顔とはいささか様子が異なる。
「そうだよ。あのクソみたいな場所から、命からがら出てきたのよ!」
「……」
「あんたへの復讐だけを考えて戻ってきたのよっ!!」
「……キャスリーン」
彼女の顔には、見るも無残な傷痕が残っていた。
顔の半分を焼かれ、見ることもはばかるような酷い火傷の痕。
額から左頬にまで伸びた長い刀傷。
視力はあるようだが、その影響からか左目は赤く充血している。
……おそらくは帝都の監獄での拷問の結果だろう。
「たったの数日で、女としてのあたしの人生は終わりよ! こんな顔じゃ外だって歩けない。歩けないのよぉっ!!」
キャスリーンは叫ぶうちに右目に大粒の涙を浮かべた。
俺はそんな彼女を前に言葉が出ない。
俺達が捕らえたことで、彼女は顔に二度と消えない傷を負ったのだ。
帝都を騒がせた盗賊なのだから自業自得……ではあるのだが、取り乱した彼女を見るにそんなことはとても口にできない。
「殺してやる! 殺してやる! 絶対にあんたを殺してやるっ!!」
キャスリーンから放たれる怨嗟の言葉。
まさに女難の相の表れだな。
「落ち着けよキャス。ブレドウィナーは俺が確実に殺す」
「ふざけないでよウッド。あんただけにやらせるもんか!」
隣に立っている仮面の男がキャスリーンを諫めた。
その声、両手にそれぞれ握る武器――回転式拳銃からして、銃士のウッドか。
そして、さらにその隣に立つ奇異な見た目のマスクを被った人物。
忘れるわけがない。
〈ハイエナ〉のリーダー、クチバシ男だ。
……危惧していたことが実現したか。
脱獄した〈ハイエナ〉が揃って俺への報復に現れたわけだ。
「冷静になれ二人とも。何のためにお前達を脱獄させたと思っている」
「わかってますよ」「わかってるよ」
クチバシ男に言われるや、キャスもウッドも黙り込んだ。
二人とも得物を身構え、臨戦態勢は整っている。
俺は左右に視線を動かし、窓から飛び込んできた二人の様子もうかがった。
片や小柄なヨーヨー使い――ユージーン。
片や名前は知らないが槍術士の男。
どちらも臨戦態勢で、いつでも攻撃に移れる気配だ。
「やれやれ。この場に〈ハイエナ〉が揃い踏みってわけか――」
……待てよ。
そう言えば一人足りないぞ。
「――あの大男はどうしたんだ?」
言った直後、キャスリーンが再び顔を強張らせた。
「あいつが一番重症なのよ!」
「そうか。あの男も拷問で……」
「違う! 帝都であのクソババアにやられてから、ずっと意識が戻ってないのよっ!!」
「……あそう」
そうだった。
あの大男――名前はクライヴだったか?――は、コロムバ侯爵邸でヴェニンカーサ伯爵夫人の熱殺火槍を顔面に受けて、昏倒していたんだっけ。
さすがにただじゃ済まなかったわけか……。
「あたしの仲間を痛めつけてくれたあんたは、あたしが直々にぶっ殺すっ!!」
「ちょっと待てよ。〈ハイエナ〉のメンバーを倒したのは何も俺だけじゃないだろう!」
「あたしもウッドもユージーンもデズモンドも、全員あんたにやられてんのよっ」
「そ、そう言えばそうか」
今の会話でひとつだけ収穫があったな。
あの槍術士の名前はデズモンド、ということ。
「しゃべり過ぎだぞ」
「す、すみません……」
クチバシ男に凄まれてキャスが押し黙った。
この男とも海峡都市で一戦交えているが、〈ハイエナ〉の中でもっとも厄介なのは間違いなくこいつだ。
クロードと互角かそれ以上の精霊奏者。
親方のメンテナンスも終えて万全のミスリル銃をもってしても、こいつを撃ち抜くには一筋縄ではいかない。
だが、今の俺は精霊奏者対策をすでに用意してあるのだ。
前回のようにはいかないぜ。
「目的は俺の命だろう? 〈バロック〉の使い走りども」
「……すでに知られていたか」
「こっちはお前達の襲撃を見越して準備を進めてきたんだ。ヴィジョンホールの時のようにいくと思うなよ」
「ふっ。その割には楽しそうな宴会の最中だったようだが」
「う……」
確かに不測の事態で、こんな状況の中に攻め入られてしまったが、あながち客人の存在が弱点になるというわけでもない。
なぜなら、リッソコーラ卿もザナイト教授も戦えないわけじゃないからだ。
それに三組の護衛だっている。
ジニアスだけは非戦闘員だが、人数で言えば圧倒的にこちらが有利。
〈ハイエナ〉は不意打ちをかけてきたつもりだろうが、実は飛んで火に入る夏の虫だったってわけだ。
「〈ハイエナ〉。この場で完全に決着をつけてやる!」
俺が右足のホルスターへと手を伸ばしたその時――
「うかつだなジルコ。この数ヵ月でお前はすっかり鈍ってしまったようだ」
――後ろからタイガが小声で話しかけてきた。
こいつ、今ここで言うセリフか?
そもそも一体何を根拠にそんなことを言うんだ。
「はっ」
……待てよ。おかしくないか。
賊の乱入があったのに、酒場が嫌に静かなのはなぜだ?
ジニアスは。ザナイト教授は。リッソコーラ卿はなぜ黙っている?
〈ハイエナ〉と因縁ある彼らなら会話に割り込んでこないはずがない。
不可解に思い周囲を探ってみると、俺はとんでもない事態になっていることに気がついた。
「なんだとぉ!?」
ジニアスも。ザナイト教授も。リッソコーラ卿も。
さらには彼らの護衛を務める七人も。
全員揃ってテーブルに突っ伏しているじゃないか。
「これは……どうなってんだ!?」
「高名なギルドも高級酒には目がないと見える。しかし、きみが起きていることは想定外ではあったよ、ジルコ・ブレドウィナー。遅効性だが、強力な睡眠薬を混ぜておいたのだがね」
クチバシ男の言葉で俺は察した。
昼に北方産白糖リンゴと一緒に届けられたヴェルフェゴールは、奴らの罠だったのだ。
思えば、あの酒の入った木箱はジニアスも把握していなかった。
彼が王都の商人ギルドが気を利かせたのだろうと言っていたから、すっかりそれを信じ込んでしまっていた。
……失態だ。なんてことだ!
「無防備な客人がいては、こちらから仕掛けられない。人質を取られたようなものだぞ」
俺の背中に、不満がありありと感じられるタイガの声が突き刺さる。
弁解の余地もない……。
しかも、ネフラとゾイサイトまでカウンター席に突っ伏して、寝息を立てている始末。
さしもの酒豪ゾイサイトも睡眠薬には敵わなかったのか。
「じ、じ、ジルコさぁん……」
アンの声が聞こえた。
その声をたどると、厨房の入り口から彼女が不安げな顔を覗かせている。
この場で意識を保っているのは、俺とタイガとアンだけか……。
「アン。危ないから厨房に隠れていろ!」
「は、はい~~っ」
アンは慌てて厨房の奥へと引っ込んでいった。
あの子の機転なら、厨房から廊下に出て窓から逃げてくれるだろう。
それを期待して、あえてぼかした言い方にしたのだが――
「デズモンド、あの娘を逃がすな。分不相応に高価な宝石を身につけている……ぜひ持ち帰りたい」
クチバシ男は、めざとくアンのレッドダイヤに目をつけていた。
指先で指示された槍術士は、こくりと頷いて厨房へと入って行ってしまう。
しばらくしてアンの騒ぐ声が聞こえてくる。
「くっ……」
「心配するな。〈ジンカイト〉の冒険者以外は生かして返す。ただし、ひとしきり金をいただいてからになるだろうがね」
クチバシ男の視線がチラリとジニアス達へと向いたのを、俺は見逃さなかった。
この三人を人質に、関係各所へ身代金でも要求するつもりか。
そんなことを許したら〈ジンカイト〉の信頼が地に落ちるのは明白。
何が何でも彼らの身を守らなければ……!
「リーダー! 早くジルコを殺そう!!」
「逸るなよキャスリーン。せっかくおとなしくなってもらったというのに、自暴自棄になられたら困る」
「あたしは! ジルコさえ殺せれば後はもうどうでもいいよっ!!」
「そうだな。予定がつかえているし……殺るか」
くそっ。
ここで抵抗すれば、奴らは間違いなくジニアス達を狙う。
この場に残る四人の〈ハイエナ〉を相手に、俺とタイガだけで無防備な彼らを守り切るのは不可能だ。
誰かが都合よく助けに来てくれない限り、俺にはこの危機を脱する術はない。
……もうどうしようもないのか!?
「あたしっ! あたしがやるっ!!」
キャスリーンがたいそう興奮しながら手を挙げている。
ぴょんぴょん飛び跳ねてまでアピールするとは、そんなに俺を殺したいのかよ……。
「許可しよう。ただし燃やすのは腰から上だ。ミスリル銃は持ち帰る」
「了解! 了解ぃぃ~~っ!!」
キャスリーンの顔が狂気を帯びていく。
以前、帝都の公園で話した時は普通の女の子と変わらなかったのに、あの一件が彼女をここまで変えてしまったのか……。
「アッハハハ! 焼き殺してやる! 苦しませて殺してやるぅぅ~~っ!!」
キャスリーンが宝飾杖を掲げて、宙に魔法陣を描き始めた。
くそっ。ダメだ。妙案が浮かばないっ!
ミスリル銃のグリップに指先が触れるか触れないかのところで俺が葛藤していた時――
「ぎゃっ!」
――突然、俺の横顔に風が吹きつけたと思ったら、キャスリーンが弓を引くように身を反らして倒れ込んだ。
口からは血を撒き散らし、顎を押さえてもがいている。
……何が起こった!?
「こ、この虎野郎っ! ぶっ殺してやるっ!!」
キャスリーンが倒れた傍から、激昂したウッドが回転式拳銃の引き金に指先を掛けた。
直後、さっきと同じく俺の横を風が吹き抜け、何かがウッドの顎を砕いた。
「殺されてまで相手の要求に従う理由はない」
「タイガッ!?」
背後から野太い声が聞こえた矢先、タイガが俺を押し退けてきた。
彼の手元を見て、俺はようやく何が起こったのか飲み込めた。
二人の顎めがけて流星錘を投げたのだ。
タイガの異名は〈武芸百般武王〉。
主な武装は柳葉刀や苦無だが、彼は全身くまなく様々な暗器を仕込んでいる。
流星錘はその数ある武器のひとつに過ぎず、一瞬でも隙を見せればキャスやウッドのように顔面を撃ち抜かれること必至。
それほどの使い手。武器術を極めしトラ族の武人なのだ。
「なかなか大胆な御仁だ。客人はどうなってもよいと?」
「戦わずして死を受け入れる流儀ではないのでな」
仲間が二人倒されてなお、クチバシ男は動じる様子もない。
マスクに空いた二つの穴から、距離を詰めていくタイガの姿をじっと見据えているばかり。
「よせタイガ! ジニアス達を巻き込む気か!?」
「聞けジルコ。ルリがこの場にいないからようやく言うことができるが――」
タイガは流星錘を手放し、腰の柳葉刀を抜いた。
「――俺はお前のような底の浅い男を絶対に認めない」
追いすがる俺を無視して、タイガはクチバシ男へと斬りかかった。
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