5-003. リンゴと酒
ゾイサイトが客人に無礼を働かないか、俺は気が気ではなかった。
過去にサルファー伯爵との一件もあるし、もしもゾイサイトの態度にリッソコーラ卿やザナイト教授が難色を示したら、せっかく得た彼らからの評価も地に落ちることに……。
「私も何人かクマ族は見たことあるが、きみは別格だよゾイサイトくん!」
「ふはははは! そうだろうそうだろう。わしはクマ族きっての勇猛。闘神とも呼ばれた男だからな!!」
「聞きしに勝るお姿ですなゾイサイト殿。その剛腕なら、確かに魔物を引き千切ることも可能なようだ」
「当然よ! 魔物なぞわしにとって蟻も同然。戦って面白味があるのは魔人くらいなもの!!」
……思いのほか和気あいあいとしているじゃないか。
二人とも年の功からか、ゾイサイトに合わせてくれているようだ。
これなら俺が謝罪する事態は避けられそうだな。
ホッとしたのも束の間。
ギルドの扉を乱暴に叩く音が聞こえて、俺はとっさにホルスターに収まっているミスリル銃へと手を伸ばした。
「おや。来たみたいですね」
「え? ちょっ……」
ジニアスが何の警戒もなく扉へと近づいて行くものだから、俺は慌てて彼の後を追いかけた。
彼が開いた扉の先には――
「ど、どうもぉ~。駅逓館の者っす!」
――重そうに木箱を抱えた小柄な少年(?)の姿があった。
持っている木箱で上半身が隠れてしまっていて顔は見えない。
加えて、箱に足が生えているように見える絵面が少々笑いを誘う。
彼は駅逓館から荷物を届けに来た飛脚みたいだ。
「ギルド〈ジンカイト〉さん宛てに商人ギルド様からのお届け物っす!」
「ご苦労様。食べ物が入っているから、丁寧に運んでおくれよ」
「は、はいぃ~」
ジニアスに言われた傍から、少年はフラフラと危なっかしい足取りでギルドの中に入ってくる。
彼はそれからゆっくりと床に木箱を置いて、汗だくの顔で大きく息をついた。
「こ、これがあと六箱も外の荷馬車に積んであるんですけど……」
「俺が手伝うよ」
次は転びそうだと思ったので仕方なく手伝うことにした。
客人の前で、せっかくの贈り物をぶちまけるわけにはいかない。
「あっ。あなた、前も会いましたね。確かサブマスターの……」
「ジルコだ。俺もきみの顔に見覚えがあるな」
飛脚の少年は、黒髪から白くて長い耳を生やし、手足はもこもこした体毛に覆われた姿――セリアンのウサギ族だった。
以前、俺に裁判所からの手紙を届けてくれた少年だ。
「ジニアス。中身は何なんだ?」
「エル・ロワでは手に入りにくい北方産白糖リンゴです。けっこうな数を手配したので、ギルドの皆さんで分けていただければと」
「そんな高価なリンゴをいいのか?」
「商人ギルドからのささやかなお礼です」
そうは言うが、ウチの氷室にはとても収まりそうにない数だぞ。
しかもギルドは開店休業状態だし、冒険者や従業員の多くは戻ってこない。
夏も近づいてきた今、厄介な物を差し入れてくれたもんだ。
……とは言えない。
◇
「では、確かにお届けしましたんでっ!」
「ああ。ご苦労さん」
「それでは、またのご利用お待ちしてまっす!」
そう言うと、少年飛脚はぴょんと飛び跳ね、ギルドの門扉まで瞬く間に走り去っていった。
その後、馬車の駆ける音がギルドから遠ざかっていくのが聞こえる。
「……」
「……」
「……ちょっと多すぎやしないか?」
「そ、そうですね」
俺とジニアスの前に積まれた木箱は全部で六箱。
それぞれ箱の表面には商人ギルドの焼き印がつけられており、すべて先方からの荷物であることに間違いはないようだ。
しかし、このすべてに北方産白糖リンゴが入っているとは……。
俺は冒険者から果物商に鞍替えしたつもりはないぞ。
「んん!? この匂いっ」
突然、ゾイサイトがのそのそと迫ってきた。
俺を押し退けて――否。突き飛ばして――積まれた木箱の前で身を屈ませると、奴はいきなり蓋をこじ開けた。
「……いてて。おいゾイサイト! 客人の前で無礼だぞっ」
「黙れぃジルコォ! ずいぶん上等なリンゴが届けられたようだが、この匂いはそれだけではないっ!!」
ゾイサイトが丸太のような腕を木箱へと突っ込み、取り出したのは――
「やはりヴェルフェゴールかっ!」
――奴の言う通りの品物だった。
「ジニアス。リンゴだけでなく、あんな高級な葡萄酒まで送ってくれたのか?」
「どうやら王都の担当が気を利かせてくれたようですね」
気を利かせて高級酒もつけてくれるなんて、すごい影響力だな。
だが、酒さえあればアンを買い物に行かせる必要もないし、ゾイサイトも大人しくしていてくれる。
それにザナイト教授が提案した宴会も行えるから一石三鳥か。
「ジルコくん、何の騒ぎ?」
廊下からネフラがアンと一緒に酒場を覗いていた。
これから二人で買い物に出るところだったか。
「ちょうどよかった。二人とも手間が省けたぞ」
「お酒? ……にリンゴの匂い。どこからか届け物?」
「ああ。商人ギルドからのささやかなお礼だってさ」
俺が目配せすると、ジニアスはにっこりと笑った。
ネフラはすぐに事態を察してか、彼にペコリと頭を下げた。
「こんな贈り物をありがとうございます。ジニアスさん」
「お久しぶりですネフラさん。相変わらずお美しい」
ジニアスがネフラを誉めそやすのを見て、隣に居たアンがムッとした顔をしている。
「せっかくの贈り物だし、ダメにする前にちゃんと使い切らないと。晩餐にはリンゴ料理を振舞うことにするから、ネフラ手伝ってっ」
「えっ。私、そんな特別な料理は作ったこと――」
「レシピ教えてあげるわよっ」
アンがネフラの手を取って、強引に厨房へと連れ込んでいく。
「ゾイサイト! リンゴを厨房に持ってきてっ」
「たわけ! リンゴ料理など血肉にならんわっ!!」
「あなたには肉料理を出してあげるからっ」
「む。ならよい!」
ゾイサイトはリンゴの入った箱を三つ重ねて片手で持ち上げ、さらにヴェルフェゴールのボトルをラッパ飲みしながら厨房へと向かって行った。
「相変わらずの馬鹿力だ」
厨房へ入っていく大男を見送りながら、俺は独り言ちた。
しかし、ゾイサイトが素直にアンの言うことに従うとは意外だ。
もしやあいつを体よく動かすには、肉と酒が肝要なのか!?
「ネフラ。リンゴを11人分切っておいて」
「そんなに?」
「ジルコさんとお客様の分。私は肉をこれから焼かないとだから」
「刃物の扱いはちょっと」
「あたし一人で宴会の準備をしろっての? 本の虫なら料理の本くらい読んだことあるでしょ!」
「本の虫って言わないで!」
厨房からネフラとアンの言い争う声が聞こえてくる。
ネフラが厨房に立つ姿なんて今まで見たことないのだが、無事に料理が出来上がるのかちょっと不安になってきたぞ。
「ネフラ殿とアンモーラ嬢は仲がよろしいですな」
厨房の喧嘩を見守っている俺に、リッソコーラ卿が話しかけてきた。
「ええ。喧嘩するほど何とやらって言いますし、あの二人は付き合いも長いですから」
「時にジルコ殿。アンモーラ嬢の首飾りにあつらわれているダイヤはかなりの品だとお見受けしますが、あれほどの品をどこで?」
「ドラゴグで縁あって手に入れた物です。魔物討伐の報酬でした」
「ほう。あれほどのダイヤが報酬とは、討伐対象の魔物はよほどの脅威だったのでしょうな」
「それはもう」
ジエル教の聖職者だけあって、レッドダイヤの価値に気づいたか。
料理が出てくるまでに時間も掛かるし、俺はリッソコーラ卿にドラゴグで戦った魔物の特徴と顛末について話すことにした。
「……そのようなおぞましい魔物がこの時代に現れようとは。ドラゴグの領地で、というのがきな臭いですな」
「リッソコーラ卿もそう思いますか」
「あの国は各地から名だたる錬金術師を集めていたと聞きます。魔物に関する研究を行っていたとするなら、あるいは……」
「そこまでは何とも。ただ、金に糸目をつけず新たな技術を貪欲に求めるのが、かの国の特徴ではありますね」
そこにジニアスがワインボトルを差し出してきた。
俺がボトルを受け取ると、彼が口を開く。
「ドラゴグの竜帝陛下には先見の明があります。そんな方が魔物の研究などという恐ろしいことをするでしょうか?」
「お得意様をかばいたい気持ちはわかるが、あの男ならやりかねないな」
「その言い方、ジルコさんは竜帝とお会いしたことが?」
「……まぁね」
俺は直に竜帝と会ったことがある。
できれば思い出したくない苦い記憶だが、あの時のことは忘れられない。
なぜなら、そこにはあいつの姿もあったからだ。
忘れたくない記憶、と言った方が正しいのだろう。
「おやぁ~? ジルコくん、お顔に女難の相が出ているよ」
言いながら、ザナイト教授が俺の頬をつついてきた。
見れば、彼女の手には栓の抜かれたヴェルフェゴールのボトルが握られている。
顔もほんのり紅潮しているし、すでにほろ酔いのようだ。
「ネフラくんとアンくん――両手に花では足りないんだね。今きみが考えを巡らせている女性はどんな子なのかな? さ。お姉さんに話してみなっ」
……エルフ族の権威も、酔うと場末のお節介女と変わらないらしい。




