2-008. 決闘のあと
決着の合図がかかってすぐ、俺は膝をついているネフラへと駆け寄った。
「大丈夫かネフラ!?」
「う……うん。なんとか」
ネフラは首筋を撫でながら答えた。
一瞬意識が飛んだだけで、首を痛めるといった怪我はないようだ。
「あっ!」
「どうした!? どこか痛いのか!」
「ダイヤモンドが……ない」
「な、なにぃ!?」
ジャスファのやつ、なんて抜け目のない。
逃げ去る時にネフラからダイヤモンドをかすめ取っていたのか……。
転んでもただでは起きないってことかよ!
「ジャスファを追う。動けるか?」
「……ジルコくん」
ネフラが俺の後ろを指さしているので振り向くと、屈辱に顔を歪めたウェイストが俺を睨んでいる。
すぐにでもジャスファを追いかけたいのに、まだ何か用があるのか?
「卑怯だ! あんな真似をされては剣を引くのは当然じゃないかっ」
ウェイストが吠える。
決闘の決着が気に入らないからって喚きたてるなよ。子供かお前は!
「閣下! 私と彼との再戦を要求します!!」
「却下する」
「な、なぜっ!?」
ウェイストの要求を一蹴したコイーズ侯爵は、とうとうと話し始める。
「決闘は互いの誇りを懸けた真剣勝負だ。ましてや貴族にとって誇りとは命にも等しい。きみは対等の条件で敗れ、あまつさえ温情によって見逃されたのだ。これ以上何を望むのかね?」
ウェイストはコイーズ侯爵の言葉に押し黙り、次第に怒りを霧散させていった。
「……失言でした。私の、負けです」
ウェイストの三度目の我儘に付き合わずに済んで良かった。
結果的にコイーズ侯爵に助けられた形だが、貴族でありながら平民の肩を持つなんて珍しい人だ。
俺が〈ジンカイト〉の冒険者だからだろうか?
「ブレドウィナーくん。不得手な剣を創意工夫で補い、その上で勝利を我が物とするとは見事だった」
「えっ」
「だが、己を顧みぬ向こう見ずな蛮勇はいつか必ず不幸を招くぞ」
蛮勇、ね……。
あんな無茶、魔王とその眷属との戦いでは当たり前のものだった。
そうでもしなけりゃ、俺は仲間達と共に戦うことなんてできなかったんだ。
「かの五英傑に名を連ねる閣下のお褒めに預かるとは、恐縮の極みです」
「後半は褒めてはいないよ」
体裁を整えるため、俺は無難な謝辞を述べた。
最後はそっけなく返されてしまったが、皮肉にでも聞こえたか。
「ジルコくん」
コイーズ侯爵が去るのと入れ替わりに、ネフラが俺に話しかけてくる。
気づけばウェイストも姿を消し、決闘を観戦していた貴族達も元通り談笑に戻っていた。
「……ジャスファの隠れ家を当たってみるか」
「休まなくていいの?」
「傷ひとつないからな」
俺はネフラを連れて、侯爵邸を後にすることにした。
フローラは……顔を合わせるとガミガミ言われそうなので、会わずに帰ることにしよう。悪いな。
◇
庭園を抜けて門扉に差し掛かった時、俺達に話しかけてくる者がいた。
「もし、ジルコさんでは?」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこに居たのは家政婦の装いをしたピドナ婆さんだった。
「ピドナ婆さん! どうしてここに!?」
「まぁ。やっぱりジルコさん! それにネフラちゃんも」
ピドナ婆さんは〈ジンカイト〉で料理人兼給仕として働いていた女性だ。
ギルドの設立当初から厨房と酒場を切り盛りしてくれて、間違いなく〈ジンカイト〉の躍進を支えてくれた古株の一人と言える。
肉料理を頼めば、並みのレストランよりも美味いものを出してくれたものだ。
「ピドナさん、おひさしぶりです」
「ネフラちゃん、綺麗よ。ドレスなんて着ているものだから、気づかなかったわ」
ネフラがピドナ婆さんに抱き着く。
再会できたのがよほど嬉しかったのだろう。
両親も兄弟もいないネフラにとっては、家族みたいな人だったからなぁ。
「もしかして、今は侯爵のところで?」
「ええ。息子が侯爵邸で庭師の仕事をしていてね。私をコイーズ侯爵に紹介してくれたのよ」
「そうなんだ。よかった」
ネフラが安堵した表情を見せる。
ピドナ婆さんが健在でいてくれて、俺も安心した。
とは言え、俺は立場上ちょっと顔を合わせにくい……。
「ジルコさん、次期ギルドマスターに任命されたんですってね」
「そのこと知っているのかい?」
「ジェットさんが教えてくださってね。ギルドの未来にはあなたが必要だとおっしゃっていたわ」
「ギルドマスターが……」
ネフラの頭を撫でながら、ピドナ婆さんが懐かしそうな顔を見せる。
「不思議ね……。ギルドを辞めてまだ二週間ほどしか経っていないのに、もうあの空間が懐かしいと思うようになってしまう」
ピドナ婆さんの言葉が心に刺さる。
俺が直接解雇通告したわけじゃないが、それでも胸に来るものがある。
「ピドナ婆さん、俺は――」
「あなたが気にすることは何もありませんよ。〈ジンカイト〉のためになるのなら、私はなんだって協力しますから」
まるで心でも読んだかのように、ピドナ婆さんは俺の言ってほしいことを言ってくれた。
いくらなんでも人が好すぎるよ……。
「若い子達は裁判所に行くとは言っていたけれど、少し頭を冷やせば〈ジンカイト〉のために潔く身を引いてくれるでしょうし」
うん。しっかり裁判されてるよ。
「新しい時代も始まって、私達の再出発には良かったのかもしれない」
「……そういうもんかな」
「そういうものよ。あなたの仕事の調子はどうなのかしら?」
「まぁ、順調……かな」
「その顔だと、上手くいっていないようねぇ」
……バレバレだったか。
ピドナ婆さんには嘘が絶対に通じないのだ。
七年ほどの付き合いで、すっかり俺の性格やら癖やらを把握されてしまっているらしい。
「たしかに〈ジンカイト〉は大事だけれど、あなたが倒れてしまっては元も子もないわ。実家の家族のためにも、ご自愛なさいね」
「ああ。わかってるよ」
実家の家族か……。
そうだ。そのためにも、俺が金を作らなければならないんだ。
ギルドは――〈ジンカイト〉は絶対に解散させはしない。
「ピドナ婆さん、会えてよかった。行くぞネフラ」
俺はピドナ婆さんに笑いかけると、すぐに背を向けて歩き出した。
いつまでもこの人と話してると、目頭が熱くなっちまう。
「……それじゃ、また」
「ええ。またねネフラちゃん」
俺はネフラが追いつくのを待って、街路を歩き始めた。
ゴールドヴィアを出るまで徒歩だとどれ程かかることやら……。
「どうかしたの? ジルコくん」
「なぁネフラ――」
ふと、思い立ったことをネフラに尋ねてみた。
「――もしも俺が解雇した冒険者が身を持ち崩したり、裏社会に身を投じたら、それは俺の責任なのかな?」
「それは違う」
「なんでそう言い切れるんだ」
「ジルコくんはギルドを守るために役目を果たしているだけ。その後のことはまた別の話」
「そう簡単には割り切れないって」
「割り切る努力をする。それがギルドマスターの仕事」
気づくと、隣を歩くネフラが俺を見上げていた。
眼鏡を通して、彼女の碧眼が俺の心を見透かしているように感じる。
この目を見ていると心が安らぐのはなぜだろう。
「ネフラは頼れる相棒だよ」
そう言って、いつも通りネフラの頭を撫でる。
彼女は気恥ずかしそうに顔を伏せ、俺の手から逃げるように走り出した。
「子供じゃないからっ」
駆けていく彼女の後ろ姿を見ながら、俺は思う。
ネフラの名前もいつか名簿から消さざるをえないことを考えると、改めて嫌な仕事をしていると実感してしまう。
でも、やるしかない。
それがサブマスターとしての俺の仕事なのだ。
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