4-079. 三人目
馬で駆けること八日。
青空の下、街道を走る俺の目にようやく海峡都市ブリッジが見えてきた。
ここまで来る間、〈バロック〉の刺客に襲われることはなかった。
奴らは完全に俺達を見失った。
……と思いたいところだが、海峡都市を押さえていないわけがない。
「〈バロック〉の刺客が待ち構えている可能性は否定できないね」
「ああ。ここに来て騒ぎは起こしたくないな」
「旅の行商に頼んで、一団に加えてもらうのはどう?」
「そう都合よく行商なんているかね」
ネフラが街道の正面を指さした。
その先に視線を向けると――
「……いたな」
――行商の幌馬車が街道に停まっていた。
◇
俺は行商のリーダーに話しかけ、海峡都市の東方領域を通り抜けるまで同行させてほしいと頼んだ。
だが、リーダーの返答は思いがけないものだった。
「海峡都市へ入るのを拒否されてしまって困ってるんですよ」
「拒否? 積み荷に問題でもあったのか」
「いや、実は――」
彼の話を要約すると――
現在ドラゴグ領内の国境では、軍による厳しい検問が行われている。
海峡都市も例外ではなく、しばらくは一部の例外を除いてドラゴグの出入国は許可されない。
どうやら帝都の軍施設が攻撃されたことが原因らしい。
――ということだ。
「……足止めか。仕方ない、最寄りの町で対策を考えよう」
「待って。一部の例外は通れるって」
「軍部と繋がりのある上流階級の人間じゃないか」
「ジルコくんは、その上流階級の人と繋がりがあるじゃない」
「あ」
俺はリュックの中をまさぐり、ジニアスから受け取った四角札を取り出した。
「こいつがあったか!」
リュックを回収しておいてくれたペンティさまさまだ。
◇
商人ギルドのブランド効果は凄まじかった。
あっさりと検問を通る許可が下り、俺とネフラは行商の一団と共に海峡都市へと入ることができた。
そのまま海峡門も越え、俺達は再び湖上横断橋を通過するに至る。
「エル・ロワを発ってから三週間ちょっと。ようやく帰ってきたね」
「ああ。無事に帰ってこれてよかった」
潮の風を受けながら湖上横断橋を渡りきった俺達は、とうとう西方領域に足を踏み入れた。
ドラゴグでの冒険はまさに命懸けの戦いの連続だったが、それを乗り越えてエル・ロワに戻ってこれたことには喜びしかない。
とんとん拍子に西方領域までやってこれて、行商のリーダーも嬉しそうだ。
「いやぁ、本当に助かりましたよ。ウェイストさん!」
「困った時はお互い様さ。俺達も行商の列に混ざることで国境を越えられたわけだし」
「旅は道連れ世は情け、と言いますからな。しかし、商人ギルドの次期幹部とお知り合いとは驚きましたよ」
「複雑な事情があってね」
エル・ロワ領に入りさえすればこっちのもの。
あとは寄り道をせず、まっすぐ王都へ戻るだけだ。
「それじゃ、俺達はここで」
「もう行かれるので。せっかくですし、王都までご一緒しませんか?」
「悪いけど急いでいるんだ。達者でな!」
俺は早急に話を切り上げて馬を走らせた。
このまま話を続けて素性を疑われでもしたら厄介だ。
後々王都にやってくる連中に、貴族令息として親しくなるのは少々問題がある。
「その偽名、エル・ロワではあまり名乗らない方がいいよ」
「貴族の名を騙るのは重罪だから、だろ? 緊急時だけさ!」
西方領域では食事だけ済ませて、すぐに街を発つことにした。
ゴールドマンやプラチナム侯爵に挨拶してからでもよかったのだが、ペンティの忠告を思い出すと躊躇ってしまう。
王国軍――俺の所属していた先遣隊にすら間者がいたのだ。
商人ギルドや侯爵家の使用人にいないとも限らない。
「人を疑うのって嫌なことだよね」
そのネフラの言葉、しばらく忘れられそうにない。
◇
海峡都市を発って七日目の夕刻。
俺達はついに王都へと帰ってきた。
たったひと月半ほど離れていただけなのに、見慣れた通りも感慨深い。
「……疲れたぁ」
「まったくだ。さっさとギルドに戻ってアン達に報告を済ませよう」
「〈ハイエナ〉の襲撃に遭っていたりしないよね?」
「まさか。……大丈夫だろう」
拭いきれない一抹の不安。
手綱を握る手が汗で滲むのを感じた。
◇
ギルドの門扉をくぐったところで、俺はようやく緊張を解くことができた。
見た限り、庭にも建物にも襲撃の痕跡はない。
俺達が出発する前のギルドそのままだ。
厩舎に馬を置いて、俺とネフラはギルドの扉を開けた。
ホールには、驚くアンと親方の顔があると思いきや――
「遅かったのう」
――ゾイサイトが腕を組んで立っていた。
「久方ぶりのドラゴグは楽しめたか?」
ゾイサイトからただならぬ気配を感じる。
俺に対して、明らかな敵意を向けているのだ。
……まさか。
「ゾイサイト。ずいぶん不機嫌そうじゃないか」
「貴様の知ったことではない!」
ゾイサイトの怒号がギルドの建物を揺さぶる。
体もでかいが、声もでかい。
今のでネフラは怯えて、俺の背中に隠れてしまった。
「ジルコくん。まさか……?」
「どうやら俺の認識が甘かったらしい」
ゾイサイト・ピズリィ。
裏表のない愚直な男だと思っていたが、まさか〈バロック〉側の人間だったか。
信じられないが、事実ならば受け止めるしかない。
奴の冒険者としての等級は、ジェット、クロード、クリスタと並んでS。
純粋な戦闘力は、その三人を凌駕すると俺は評価している。
戦えば100%勝ち目のない相手だ。
しかも、今の俺には虎の子の宝飾銃もない。
どう足掻いても最悪の結末しか考えられないが、せめて俺の大切なものだけは守り抜く!
「逃げろネフラ!」
「そんなのダメッ」
ネフラが俺の背中に寄りすがってくる。
「何やってんだ! さっさと行けっ!!」
「いくら何でも無茶! 今度ばかりはどうやったって死んじゃう!!」
「心配するな。必ずお前だけは逃がして――」
その時、ドンッという轟音と共に建物が震えた。
「何をゴチャゴチャ話しておるかぁっ!!」
……ゾイサイトの震脚だ。
奴の足下の床が深々と陥没している。
ギルドはかなり丈夫な建材を使っているはずだが、ただの震脚でこれとは。
「〈ジンカイト〉のギルドマスターとして、お前の好きにはさせない!!」
「上等じゃあジルコォォッ!!」
ゾイサイトの怒髪がまさに天を衝いた。
魔物も素手で千切り殺す〈蓋世の闘神〉が、俺へと襲いかかろうとしている。
とっさにホルスターからコルク銃を抜こうとした時。
「何騒いでるのよ!?」
いきなり背後から怒鳴られて、思わず飛び跳ねそうになった。
入り口に振り返ると、いつの間にかアンが立っている。
「アン?」
彼女はジトリと俺を睨みつけるや――
「どいてっ」
――俺と、俺に寄りすがっていたネフラの間をわざわざ通り抜け、ゾイサイトの方へ歩いて行った。
「待て、アン!」
俺が止めるのも聞かずに、アンはゾイサイトの前に立ちはだかった。
彼女は持っていた袋を闘神の眼前へと掲げる。
「これで文句ないわよね、ゾイサイト!?」
「うむ。文句はない」
ゾイサイトが袋を受け取ると、怒気が急速に静まっていった。
……どういうこと?
「ルスから戻ってきてこっち、毎日毎日毎日毎日お酒ばっかり頼んで! 出せるお酒がもうないわよっ」
「そう怒るな。無くなったらよそから買って来ればよいだけのこと」
「買ってくるのあたしなんですけど!?」
「次は箱買いしておけ。これだけではすぐ足りんくなるわ」
「あのねぇ~~~!」
……。
事態がうまく呑み込めないのだが、これはどういうことだ?
もしかして、ゾイサイトが〈バロック〉の一味で、俺達を殺そうと待ち構えていた、というのは俺の誤解だったのか?
「ネフラ。どう思う?」
「どうって……」
「ゾイサイトは敵だと思うか?」
「いつも通り、不遜で理不尽な彼のままだと思うけど……」
「だよな」
「なんで怒っていたのかな」
「酒が……無くなっていたみたいだな」
ゾイサイトは袋から取り出した酒をあおりながら、近くの椅子に腰かけた。
ものの数秒でひと瓶飲み干すと、奴は俺に向き直る。
「おう、ジルコ! さっきは何怒っていたんじゃ!?」
……俺とネフラは、力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
「紛らわしいんだよっ」
「死ぬかと思ったぁ……」
ダメだ。
もう当分動けそうにない。
「ところで、どうして床がこうなっているのかしら!?」
「わしが踏み抜いた」
「見ればわかるわよ! どうしてそんな真似したのっ!?」
「わめくな小娘。しわができるぞ」
「こ、ん、のぉぉ~~っ!」
いつの間にか距離が近づいているな、この二人。
つい最近までアンはゾイサイトにびびりまくりだと思っていたのに。
「……アン。ただいま」
俺が頑張って絞り出した声に、アンはギロリと睨むことで応えてくれた。
なんで俺にまで怒りの視線を向けるんだ?
……あ。そうか。
俺はアンに怒られる理由がしっかりあるんだった。
「ずいぶん長い二人旅でしたねぇ~? ヴァーチュ、ブリッジ、挙句にドラゴグ! それはそれは楽しい旅だったんじゃないのねぇねぇねぇ~~~!?」
アンが顔を引きつらせながら、俺の胸倉を掴み上げてくる。
彼女のお怒りはもっともだ。
「プレゼントくれるって約束までしてたのに、あたしの誕生日をぶっちして! ネフラとばっかりぃぃ~~!!」
「ま、待ってくれ。誕生日を忘れてたのは事実だけど、こっちも仕事で」
「はぁっ!? やっぱり忘れてたんじゃないの、この薄情者っ!!」
「違う、誤解――」
「ジルコさんの馬鹿ぁ~~~!!」
言い訳をする余地もない。
彼女はギャーギャーわめきながら、俺をポカポカ叩いてくる。
……う~ん。
帰ってきた気がするなぁ。
「ふんっ。元気な娘じゃのう。……おい、酒が切れたぞ」
「自分で買ってきなさいよっ!」
よかった。
怒りの矛先がゾイサイトに戻ってくれた。
口論する二人――と言っても、アンが一方的にまくしたてているだけだが――を見守りながら、俺はとうとう力尽きて、ネフラにもたれかかってしまった。
彼女は胸で俺の頭を受け止めるや、優しく抱きしめてくれた。
「帰る場所があるって、いいことだね」
「ああ。いいことさ」
ネフラの顔を見上げながら、こそばゆい気持ちになった頃。
「ああああっ! またイチャイチャイチャイチャ~~!!」
俺はいきなりアンに突き飛ばされた。
おかげで鼻先を床に叩きつけるはめに……。
「あたしの心を弄んだこと、訴えてやるんだからぁ~~っ」
「ご、誤解だって!」
起き上がる際、ポケットの中から何かが落ちた。
それは床の上を跳ねて、アンの足下へと転がっていき――
「? 何これ」
――不意に彼女が拾い上げた。
「ああっ! それは……レッドダイヤモンド!」
クリスタの宝飾杖の破片についていた宝石だ。
折れた杖を拾ってポケットに入れていたこと、すっかり忘れていた。
倒れた拍子に先端の宝石が取れて、床に転がってしまったらしい。
「ダイヤ? もしかして、あたしへのプレゼント!?」
「えっ」
「嘘。信じられない」
「いや、あの」
「まさかこんな高価な宝石を贈ってくれるなんて」
「えぇと、その」
「……嬉しい」
さっきまでの怒りはどこへやら。
アンは頬を真っ赤に染めて、とろんとした瞳で俺を見つめている。
「ジルコさん。男が女に宝石を贈る――その行為が意味するところは?」
「意味? もしかして……」
「はい。結婚っ!」
アンはレッドダイヤモンドを掲げながら、嬉しそうにギルドを跳ね回る。
完全に俺からの贈り物だと勘違いされてしまった。
この喜びよう、とても違うとは言えない。
……まぁ、いいか。
「誕生日おめでとう、アン」
「ありがとう~~っ!!」
祝いの言葉を口にすると、アンが抱き着いてきた。
直後、俺のすぐ後ろから凄まじい怒気が……。
「ちょっとアン。少し馴れ馴れしくない!?」
「あたしとジルコさんはたった今、婚約した仲なのよ。当然でしょ!」
「違うから! ジルコくんから離れてっ」
「ネフラこそ! 一ヵ月以上も独り占めしてたんだから、次はあたしっ」
「そういう旅じゃなかったんだから!!」
「だったら尚更よ!!」
ネフラに引っ張られ。
アンに引っ張られ。
二人とも、疲れ果てた俺の体に鞭打つのはやめてくれ……。
「アンッ!」
「ネフラァ~!!」
……二人の喧嘩は取っ組み合いにまで発展してしまう。
ゾイサイトは我関せずと、未練がましく酒瓶を逆さまに振っている有り様だ。
これ全部、お前のせいだからな!
「もう勝手にしてくれ」
俺は両手を広げて床に転がった。
このままもう眠ってしまおうか、と思った時。
庭から俺を見つめている視線に気がついた。
「猫?」
それは真っ黒な野良猫だった。
その姿を見て、俺は不意に思い出す。
大昔、魔法使いは猫を使い魔にして使役していたという伝承があることを。
猫はぴょんと飛び跳ねるや、門扉を潜り抜けて走り去ってしまった。
今のはまさか?
「……そんなわけないか」
脳裏によぎる〈身儘の魔女〉の顔。
彼女は最後の最後、どうして俺を助けてくれたのか。
ただの気まぐれだったのか。
それとも……。
◇
その夜。
俺はギルドの名簿から新たに一名を削除した。
クリスタリオス・ルーナリア・パープルオーブ。
……苛烈で、妖美で、そして孤高の女だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回で第四章は完結となります。
次章より物語も後半戦へ。
主人公と地下組織との戦いが展開していきます。
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