4-078. 最後の我儘
暗闇の中。
階段を登りきった先で重い扉を蹴り破ると、草木の臭いが鼻を衝いた。
出口を覆い隠すように上から垂れ落ちるツタ。
それをくぐった先には、ぼうぼうに生え渡る茂み。
その茂みを掻き分けて、ようやく自分の居る場所がわかった。
俺達が出たのは、貧民街の一角だった。
過去に放棄されたであろう建物が並んでおり、周囲に人の気配はない。
少し離れたところに、西門の門楼が見える。
ペンティの勘がずばり当たったというわけだ。
「急いで足を調達しよう。この際、泥棒もやむなしだ」
「不本意だけど仕方ないね」
貧民街を出て西門へと歩く途中で、俺達は魔道具店の前に停まっている馬を見つけた。
アムアシアン・ブルー・ホースだ。
こいつがいれば海峡都市までの足には困らない。
持ち主には悪いが、拝借することにしよう。
俺は馬の積み荷を降ろして、ネフラと共に馬上へと飛び乗った。
クリスタは俺とネフラの間に挟んでいるから、振り落とされる心配もない。
「行くぞ、捕まれっ」
俺は手綱を握り、馬を走らせた。
「どうやって西門を通るの!? 兵士がいるはずだけど」
「押し通るまで!」
俺は西門へ向かって、街路を一気に駆け抜ける。
……つもりだった。
「ジルコさ~ん!」
西門近くの十字路に差しかかった時、俺は聞き覚えのある声に呼ばれて馬の足を止めた。
声のした方に顔を向けると――
「よかった。まだ帝都にいらしたんですね」
――思ってもみなかった再会。
キャッタンが馬に乗って、俺達の前に現れたのだ。
「大変なんです! 監獄が襲撃されて、囚人が脱走して――」
「その話は聞いているよ。それより、お前はデュプーリクと〈ハイエナ〉のリーダー捜索に出たんじゃなかったか?」
「帝都がこんな騒ぎじゃ、そんなの後回しですよっ」
確かに監獄や屯所が襲われた今、捜索どころじゃないか。
……時計塔の倒壊もあるしな。
「俺を捜していたのか?」
「はい。この騒ぎで兵士長があなた方に応援を要請したんです。クリスタリオスさんの治療もしてあげられますから、私についてきてくださいっ」
「……そう、だな」
……?
なんだろう、言いようのない違和感がある。
非常事態ともなれば、役目を終えた俺達を再度引っ張り出す理由もわかる。
でも、今のキャッタンの言葉には何か引っかかるのだ。
キャッタンは馬をターンさせて歩かせ始めた。
いつの間にか、街路には語らい合う市民の列ができていて、走って通り抜けることもままならなかった。
俺は気がかりを残しながらも、彼女に続いて馬を歩かせる。
「う~ん……」
「どうした、ネフラ?」
「どうして彼女、クリスタだとわかったのかな。頭からローブを被っていて、顔なんて見えないのに」
ネフラが指摘したのを聞いて、俺はざわりとした。
俺はそれに引っかかっていたのだ。
『〈バロック〉の間者には特に注意してください。それは知った顔かもしれません』
……ペンティの忠告を思い出す。
信じたくない。
今まで一緒に戦ってきた仲間が間者だなんて、思いたくない。
だが、疑いが生じた以上は確認しなければならない。
「キャッタン」
「はい?」
俺の呼びかけに、キャッタンがキョトンとした顔で振り向いた。
その表情は冒険を共にしていた彼女のものに間違いない。
「脱獄した〈ハイエナ〉は〈バロック〉に合流すると思うか?」
「どうでしょう。今さら〈ハイエナ〉を保護して何の得があるのか――」
「……お前、なんで〈ハイエナ〉と〈バロック〉の繋がりを知っているんだ?」
「はっ」
「俺もネフラも、先遣隊の前では〈バロック〉の話題を出したことはないぜ」
「……」
……残念だが、確定だな。
キャッタンは無表情のまま俺に背中を向けた。
そして。
「殺せ」
彼女が冷たく言い放つと、周囲を歩いていた市民達が服の下から雷管式ライフル銃を取り出し、一斉に銃口を向けてきた。
「ネフラ捕まれっ」
言うが早いか、俺は馬の腹を踵で蹴って走り出した。
間一髪、無数の銃弾が俺達の後ろをかすめていく。
「どけぇっ!!」
立ち塞がる市民――に扮した刺客を吹っ飛ばし、俺は馬を西門へと向かわせた。
後ろからはキャッタンの馬が追いかけてくる。
「西門から出る気だ! 逃がすなっ」
聞こえてくるキャッタンの言葉は、明確に敵であることを示していた。
……なんてやるせない。
もしやデュプーリクも一味だったのか?
何にせよ、どうやら奴らは俺達を仕留める準備をしていたらしい。
帝都から出ても、すんなり逃げられそうもないな。
「どうするのジルコくん!?」
「やることは変わらない! 西門を突っ切って、奴らをぶっちぎるっ!!」
幸いなことに、西門は別の馬車が通った直後で門が完全に閉じられていない。
危険は多いが突撃だ!
「停まれ! なんだ貴様らはっ」
許可なく門に迫る俺達に、門番の兵が銃を構えて警告してくる。
こちらに停まる意思がないことを察すると、即座に銃撃へと切り替えてきた。
正面から鳴り響く銃声。
だが、俺は馬を止めることなく、むしろ速度を上げた。
俺達と西門の距離は瞬く間に縮まっていき――
「失礼っ!!」
――兵達がバリケードを作る前に、門をくぐり抜けて門楼を突破した。
しかし、あくまで外郭の外へ出ただけ。
まだ帝都の庭先である以上、油断はできない。
「ちょっと無茶しすぎじゃないジルコくんっ!?」
「帝都が混乱しているうちにできるだけ離れる! 飛ばすぞ捕まれっ!!」
あとのことは考えていられない。
〈バロック〉の刺客に追われているとわかった以上、今は一刻も早く帝都から離れることが先決だ。
激しく揺れる馬上でクリスタには申し訳ないが、我慢してもらうほかない。
その時、俺の背後から赤い光が飛んでくるのがわかった。
熱殺火槍だ!
「事象抑留!!」
俺の背後でネフラの声が聞こえる。
直後、俺の後方で赤い光が消え去った。
ネフラの事象抑留によって、本へと抑留されたのだろう。
「キャッタンか!」
「そう。馬に乗って追いかけてきてる!」
「あいつ一人か!?」
「ううん。他にもドラゴグの兵士が何人か」
混乱極まる軍の中で、滞りなく俺達を追撃できる兵士がいるなんて準備が良すぎる。
きっとそいつらも〈バロック〉の一味だな。
兵士に扮装しているのか、あるいは軍内部の間者か……。
どちらにしろ早急に対策を練らないと。
今の俺は使える武器がなく、クリスタも気絶中。
こっちには反撃する術がないのだ。
「ネフラ! 敵の数と装備は!?」
「魔導士が1! 銃士が3! 非武装のクラス不明が1!」
追手は五人か……。
そのうち一人がクラス不明なのが気にかかるな。
だが、とりあえずそいつ以外の攻撃は恐るるに足らず、だ。
馬上からの銃撃は、よほどの腕がないと当たらない。
魔導士の攻撃なら、すべてネフラが無力化してくれる。
「……後ろもまずいが、もっと厄介なのが見えてきたな」
俺は馬を走らせながら、前方に見えてきたライノサウルスの群れにゲンナリした。
数十頭の大柄な四足獣――ライノサウルスの群生地。
帝都に来る時も通ったが、追手がいる分、慎重に走ってはいられない。
このスピードであの群れに突っ込むのは寒気がするな。
「だが、後ろの奴らも条件は同じっ!」
俺は速度を落とすことなく、群れの中へと飛び込んだ。
街道に我が物顔で座り込む四足獣を躱しながら、馬を走らせていく。
「ネフラ、後ろは!?」
「群れの手前で五人とも立ち止まって追ってこない!」
「よしっ! 今のうちに突破だ!」
追手を振りきることができそうで、わずかばかり安堵したその時。
俺の耳に、笛の音のような甲高い音が聞こえてきた。
「ジルコくん。さっきのクラス不明が角笛のようなものを吹いているけど……あれってもしかして」
角笛……!
俺は最悪の想像をしてしまった。
非戦闘クラスに、獣を操る獣使いというものがある。
彼らは自分に懐かせた獣を自由に操ることができるのだが、その方法の多くは笛だ。
刺客の獣使いが操るのが、空を飛ぶワイバーンならまだいい。
もしも奴の操る対象がライノサウルスだったら……。
「「「ギャオオオオオオッ」」」
突然、ライノサウルスの群れが一斉に咆哮を上げた。
そして、俺達を狙って次から次へと突進してくる。
「最悪じゃねぇかっ!!」
安堵から一転、最悪の事態に突入した。
馬術を駆使してかろうじて突進を躱し続けているものの、これでは馬の方が先に潰れかねない。
「くそっ……! 仕方ないな」
「ジルコくん?」
「ネフラ、手綱を受け取れ! 俺が降りて囮になる!!」
「ダメッ!!」
ネフラの腕が、クリスタ越しに俺を強く抱き締める。
……俺だってそんな役回りはごめんだが、このままでは確実に全員やられる。
でも、俺が犠牲になってネフラが助かる可能性があるのなら……。
「ニャハハハハッ! 素直に諦めて死んじゃいなぁ~~!!」
後ろからキャッタンの嘲笑う声が聞こえてきた。
あの女、ライノサウルスの群れの中を平然と馬で追いかけてきやがる。
どうやら周りの四足獣どもは、完全に獣使いの支配下にあるらしい。
「絶対にダメだからっ!」
「このままじゃ三人ともやられるぞ!」
「それでも、そんな別れ方は嫌っ」
「ネフラッ!!」
「嫌ぁっ!!」
俺が声を荒げてもネフラは決して腕の力を緩めない。
……この子と一緒に、分の悪い勝負をしなけりゃならないのか。
「くそぉっ! こうなったら玉砕覚悟だっ!!」
無茶は承知の上で、俺は馬の腹を蹴った。
俺の気持ちが伝わったのか、馬も闘志をみなぎらせるように前傾姿勢となり、さらに速度を増した。
「自暴自棄になるなんて、次期ギルドマスターの名折れよ」
「えっ!?」
突然、耳元に聞こえたクリスタの声。
次の瞬間、ずっと背中に当たっていた柔らかい感触が消えたので、とっさに振り返ると――
「クリスタ……」
――ネフラが唖然として空を見上げていた。
彼女の視線を追っていくと、なんとクリスタの体が空中で馬と並走していた。
「こんなに揺れたら、おちおち寝られやしないわ」
彼女は口元を緩めながら俺に笑いかけている。
「何してんだ! まだ怪我は完治してないんだから、無理に魔法を使うな!!」
魔法を使うには、宝石と円陣構築模様があればいいわけじゃない。
魔法の発動時には、術者の精神力にも負担が強いられるのだ。
万全とは程遠い今のクリスタに、まともに魔法が扱えるとは思えない。
現に、彼女は苦悶の表情を浮かべている。
「私を殺さなかったこと、いずれ後悔させてあげる」
「言っている場合か!」
俺は手綱から片手を離し、宙にいるクリスタを掴み寄せようとした。
だが、彼女は俺の手を取って、唐突に手の甲に口づけをする。
「この私を倒したこと、誇りに思いなさい。ジルコ」
「こんな時に何を!?」
クリスタは右手の人差し指から宝飾付け爪を外すと、俺の手に握らせてきた。
俺はその行動を見て、彼女が何をしようとしているのか察した。
「おい、やめろクリスタ」
「私は誰の命令も受けないわ。それが例えギルドマスターであろうとも」
クリスタはチラリとネフラに視線を移すと――
「妬けるわ」
――そう言って、俺の手を離した。
「クリスターーッ!!」
クリスタは空高くへと飛翔した。
その周囲には、赤く輝く魔法陣がいくつも展開されていく。
彼女はその手に冒険者タグの宝石を握っていた。
虹色のダイヤモンド――魔法の媒介としては、最高級の代物だ。
「撃てっ! 撃ち落とせぇーーーっ!!」
キャッタンの声が聞こえると共に、飛翔するクリスタに向かって火魔法の炸裂音と、銃声が同時に聞こえてくる。
奴ら、危険を感じて標的をクリスタへ移したな。
直後、クリスタの周囲の魔法陣が赤く煌めき、熱殺火槍が雨のように地上へと降り注いだ。
それは、俺達に迫るライノサウルスの群れは当然として、追ってくるキャッタンや他の刺客達の馬をことごとく撃ち抜いていく。
「ぎゃっ!」
キャッタン達は馬から投げ落とされ、地べたへと叩きつけられた。
一方、空から降り注ぐ炎は途切れる様子がない。
「ぐっぞぉぉぉ! 逃げるなぁジルゴォ~~!!」
顔を上げたキャッタンは、鼻が潰れて顔面血まみれ。
それでも彼女は諦めることなく、俺達に向かって魔法陣を描き始める。
しかし、彼女は陣を描ききることなく――
「わっ……わあああぁぁ~~っ!!」
――倒れてきたライノサウルスの下敷きとなった。
「キャッタン……」
ライノサウルスの群れは次々と炎に貫かれ、倒れていく。
群れの最後の一匹をすり抜けた俺達の前には、もう邪魔をするものはなかった。
脅威から脱し、空を見上げると……。
クリスタの細い体が、地面へ向かって真っ逆さまに落下していくのが見えた。
燃え上がるライノサウルス達の死骸からは、空に向かって煙が立ち昇っている。
その煙に遮られ、俺はクリスタを見失ってしまった。
……俺達はクリスタに救われたのだ。
本当に気まぐれで、なんて身儘な女だろう。
「……飛ばすぞ、ネフラ!」
「うん」
俺は正面へ向き直るや、馬の腹を蹴って街道を駆け抜けた。




