4-077. グレイプヴァイン
少年の口から驚くべき名が飛び出した。
「〈バロック〉を知っているのか!」
「はい」
神妙な面持ちで応える少年に、俺は息を呑んだ。
まさか異国の地で〈バロック〉を倒そうなどと相談されるとは思わなかった。
〈バロック〉は裏社会で暗躍する地下組織だ。
表の仕事ができないような輩を集めて、各地の希少宝石を強奪するような無法者の集まり。
エル・ロワでも、ルリ達がその足取りを追っていた。
確か枢機卿の暗殺疑惑だったか……。
その時、俺は思い出した。
クリスタとの戦闘中に割り込んできた帝国兵も、地下組織がどうたらと言っていたことを。
俺は地下組織の構成員かと疑われていた。
あちこちでめちゃくちゃやりやがって、とか妙な言いがかりもつけられたな。
……でも、待てよ。
もしかして、あれも〈バロック〉のことだったのか?
「帝都で何か起こったのか? ……その、時計塔の倒壊以外で」
俺がおずおずと質問すると、少年はこくりと頷いた。
「監獄が襲撃された上に、ドラゴグ兵の屯所がいくつか全滅しました。凱旋パレードが始まってすぐ、帝都の警備がもっとも薄くなった瞬間を狙われたようです」
「なっ……監獄が!?」
「完全に陥落しました。囚人も多くが逃げ出し、帝国は大騒ぎです。今はパレードも打ち切られ、軍が総出で脱獄囚の捜索を行っています。今は市民に混乱は起きていませんが、直に知れ渡るでしょう」
……まさかの事態だ。
帝都監獄は、竜の胃袋の異名を持つ難攻不落の要塞。
攻略は不可能だと聞いていたが、陥落して囚人が逃げ出すなんて。
俺達を襲ってきた赤い暗殺者も、ハクトウとハクオウで間違いなさそうだな。
あの二人が脱獄したということは〈ハイエナ〉の連中も……。
「ジルコくん。もしも私達が捕まえた人達が脱獄していたとしたら……」
「ああ、モタモタしていられない。急いでエル・ロワに戻ろう」
ネフラも気づいたか。
〈ハイエナ〉には俺が〈ジンカイト〉の人間だと知られている。
リーダーは俺の宝飾銃を狙っていたし、奴らが報復として王都のギルドを襲ってくる可能性もあるのだ。
俺は少年に向かって、もうひとつ問いただした。
「〈ハイエナ〉も〈バロック〉の一味ってことでいいのか?」
「繋がりがあるのは間違いありません。でも、彼らも捨て石に過ぎないようです」
「どういうことだ?」
「監獄での調書を入手しましたが、彼らは肝心な部分だけ記憶が欠落していて、黒幕に繋がる情報は引き出せなかったようです。軍は情報漏洩防止の処置だと考えていますが……」
「記憶が欠落? なんだか前にも似たようなことが……あっ」
俺はハッとして、ネフラと顔を合わせた。
彼女も俺と同じことを考えたらしく、強張った顔で俺に頷く。
以前、俺達を襲撃してきた目的地なき放浪者がいた。
あの時はクロードがあっさり返り討ちにしてくれたが、その時の連中も記憶があやふやだった。
クロードが言うには、記憶をいじられているとのことだったが……。
「きみの言う通り、俺達もとっくに巻き込まれていたようだ」
「心当たりが?」
「まぁね」
今、帝都はまったく安全じゃない。
〈ハイエナ〉が狙ってくるかもしれないし、他の脱獄囚の件もある。
それに、このどさくさで帝都の門を封鎖されでもしたら、街に閉じ込められて暗殺の脅威から逃れられなくなる。
すぐにでも帝都から脱出しないと。
……だが、その前に確認しておかなければならないことがある。
「そろそろ教えてくれよ。きみが味方だってのはわかるが、何者なんだ?」
「情報屋の端くれです。ペンティと名乗っています」
「……本名じゃなさそうだな」
「素性が割れれば命も危うい仕事ですから」
「だろうな」
「僕は〈グレイプヴァイン〉という情報屋グループの一員で、帝都での情報収集を務めています」
「聞いたことのないグループだな」
「最近になって結成されたものですから」
「俺が知らない間に、裏ではいろいろあったわけだ」
「ええ。裏は裏で大変ですよ、今は特に」
そこまで言うと、ペンティは足元にある大きな鞄から見覚えのある物を取り出し、俺に渡してきた。
「これって……!」
それは俺が探すのを諦めたリュックだった。
中を開くと、メテウスの形見の鞘に加えて、鏡の短剣も入っていた。
しかも、鏡の短剣は二本とも揃っているじゃないか。
一本は建物の軒下に刺しっぱなしにしていたはずだが、どうして?
「まさか俺とクリスタとの戦いをずっと見ていたのか?」
「ええ。ですが、残念ながら宝飾銃の方は回収できませんでした。まさか時計塔が倒壊するとは思ってもいませんでしたから」
試作宝飾銃の回収は無理だったか……。
今さら地上に戻って瓦礫をひっくり返して回るわけにもいかないし、諦めるしかないな。
問題は、商人ギルド本部のゴールドマンとの取引だ。
あの人には試作宝飾銃を担保に大きな借りを作っているから、どう説明したものか……。
俺が頭を悩ませていると、ペンティがランタンを持って立ち上がった。
「そろそろ行きましょう。さっきの殺し屋が下水道に気づくといけない」
「……〈バロック〉壊滅に協力するのはやぶさかじゃない。だけど、俺達はエル・ロワに帰らせてもらう」
「構いません。今はホームに戻って、療養していただく方がいい」
「ギルドの仕事を優先したいから、すぐにドラゴグに戻ってくるのは無理だぞ」
「戻る必要はないですよ。おそらくですが、〈バロック〉の本拠はエル・ロワにありますから」
「マジか……」
俺とネフラが顔を見合わせていると、ペンティは下水道を歩いて行ってしまう。
俺はクリスタを背負い、彼の後に続いた。
◇
帝都の下水道は、まるで迷宮のように複雑な構造になっていた。
暗い上に、似たような通路が続くせいで、どこをどう曲がってきたのかもう俺にはわからない。
地図も使わずに、よく迷いなく歩けるものだとペンティには感心する。
薄暗い下水道を延々と歩く中。
俺はペンティから〈バロック〉についてわかっている情報を教えてもらった。
確認された〈バロック〉の活動は大きく分けてみっつ――
ひとつめは、節操なく宝飾品の類を掻き集めている件。
〈ハイエナ〉や各地に出没する宝石強盗グループを実行犯として動かしている。
しかも、組織に行き着かないように魔法で記憶操作を施した上で。
ふたつめは、自分達にとって邪魔になる人物の排除。
忽然と行方をくらます者、事故や自然死に見せかけて殺される者など、〈バロック〉に近づこうとした者を密かに暗殺している。
俺とネフラも、すっかり奴らの暗殺対象になってしまったわけだ。
みっつめは、エル・ロワとドラゴグ両国における冒険者ギルドの弱体化。
貴族に取り入って、英雄不要論を浸透させようとしているらしい。
ドラゴグでは盛り上がっていない思想だが、エル・ロワでは〈ジンカイト〉を始め、多くのギルドがその影響で解散危機に瀕している。
――話を聞いて、一ギルドで対応できる範疇を越えていると思った。
「王国軍や帝国軍に密告しないのか? 正直、その方が――」
「それはダメです。〈バロック〉は表の組織に間者を潜ませていることもわかっています。両軍は当然として、教皇庁や竜聖庁、他にも影響力の強い組織に奴らの仲間がいないとは限りません」
「おいおい。聖職者の組織にまでもか?」
「ジルコさんもエル・ロワに戻った後は気をつけてください。あなたもすでに〈バロック〉から狙われる身……近づいてくる人間はすべて敵だと思うべきです」
「無茶言うなよ!」
身近な組織の連中まで疑わなきゃならないとか、また胃が痛くなる。
ただでさえ仲間の解雇任務を進めているっていうのに……。
「そんなこと言い出したら、〈ジンカイト〉だって怪しくなるだろう」
「あなた達は大丈夫です」
「どんな根拠だよ……」
「つい先日のことです。〈ジンカイト〉の冒険者の協力で、エル・ロワにある奴らの隠れ家を壊滅させることができました」
「誰だ?」
「〈朱の鎌鼬〉の皆さんです」
「ルリ達か!」
前に会った時、ルリはパーズに行くと言っていた。
そこで〈バロック〉を追い詰めて、壊滅せしめたってわけか。
さすがルリ。狙った悪は逃がさない。
「以来、エル・ロワにいる〈グレイプヴァイン〉の同志達と連絡を取り合って、全面的に〈ジンカイト〉に協力を仰ごうということになったのです」
「それ、いつのことだ?」
「五月の半ば。もう一月近く前ですね」
「じゃあ、俺が帝都に来た初日からずっと監視していたわけだ」
「すみません。ゆっくり話ができる機会をうかがっていたのです。結局、こんなタイミングになってしまいましたが……」
話を聞く限り、彼らは仲間同士でずいぶん密に連絡を交わしているようだな。
この短期間にエル・ロワとドラゴグで情報の往復を行うなんて、なかなかできることじゃない。
専用の伝書鳩やワイバーンでも飼っているのだろうか。
「……もしかして、王都のゴブリン仮面も同志だったりする?」
「はい。僕がジルコさんのことを知ったのは、あの方から連絡があったからです」
「なるほどね」
「でも、その彼も……」
ペンティが肩を落として黙ってしまった。
横から覗き込んでみると、泣きそうな顔をしている。
「ゴブリン仮面に何かあったのか?」
「一昨日を最後に、定時連絡が無くなりました。おそらく――」
ペンティは表情を強張らせながら続ける。
「――〈バロック〉の刺客に殺されたのでしょう」
「……まだわからないだろう」
「定時連絡は生存確認も兼ねています。それがないということは、そういうことです」
苦悶の表情を浮かべるペンティを見て、俺は彼とゴブリン仮面の関係をおおよそ察することができた。
何かしらの恩人か、もしかしたら親子かもしれない。
ペンティは見たところ12、13歳ほどに見える。
親子……十分にありえることだ。
「エル・ロワに戻ったら、あいつの安否について手紙を書いてやるよ」
「……お願い……しますっ」
ペンティは顔を拭う。
この若さで裏社会で生きるなんて、辛いだろうに……。
◇
それからしばらく歩くと、行き止まりに突き当たった。
そこには大きな鉄の扉がある。
しかも、鎖で何重にも施錠されていて長らく使われていない様子だ。
「この扉、どこに通じているんだ?」
「僕の勘が当たっていれば、西市街の端の方に出るはずです」
「ありがたいな。西門が近ければ、すぐに帝都を出られる」
ペンティは懐から鍵を取り出して、錠前をひとつずつ開錠していく。
すべての錠前が床に落ちるや、俺はペンティを手伝って鉄の扉をこじ開けた。
……真っ暗な階段が伸びる遥か先。
わずかに太陽の光が漏れているのが見える。
「お気をつけて。ジルコさん、ネフラさん」
「ああ。ありがとう、ペンティ」
最後にペンティはローブを脱ぎ、俺が背負っているクリスタへと頭から被せた。
……紳士だな、少年。
「お三方は〈バロック〉と戦うために欠かせない貴重な戦力です。なにとぞ、ご無事にエル・ロワへ」
「手紙はどこ宛てに出せばいい?」
「駅逓館を使うのも危険ですから、もっと安全な方法でやり取りしましょう」
「どうやって?」
「それは秘密。無事にギルドへお帰りになれば、わかります」
なんで言わないのか気にはなるが、とっておきの連絡方法があるらしい。
まぁ、そこはペンティに任せるとするか。
「ペンティ、助けてくれてありがとう。気をつけて」
ネフラがペンティの頬に軽くキスをした。
少年は途端に真っ赤になってうつむいてしまう。
……初心だな。
「行こう、ジルコくん」
「ああ」
ネフラが俺の背中――というか、クリスタ――を押して、扉の中へと押し込む。
その時、またペンティが話しかけてきた。
「ジルコさん、改めてご忠告を――」
彼は口を動かしながら、鉄の扉を閉めていく。
「――〈バロック〉の間者には特に注意してください。それは知った顔かもしれません。くれぐれも隙を見せぬよう」
その言葉を最後に、扉は閉ざされた。