4-076. 待ち伏せる脅威
クリスタが瓦礫の山へと落ちてくる。
意識を失ったのか、ダメージを負い過ぎて魔法の操作が困難になったのか。
どちらにしろ、下で受け止めてやらないと確実に死ぬ。
「くっ」
痛む足を押して、俺は走った。
ただでさえ足場の悪い道だ。
まっすぐ走るのも難しいが、クリスタを死なせるわけにもいかない。
「うおおおおっ」
クリスタの墜落地点に飛び込み、間一髪、彼女の体を受け止める。
よりによって尖った残骸が散乱している場所に落ちやがって……。
おかげで、また余計な傷を負っちまった。
「大丈夫、ジルコくんっ!?」
「あ、ああ……」
……いかん。
さすがに血を流し過ぎてクラクラしてきた。
傷の痛みは感じるから、まだ死ぬ寸前ではなさそうだが……。
油断すると意識が飛びそうだ。
「ネフラ。ポーション余っていないか?」
「あっ。ひとつだけ余ってる」
ネフラがリュックからポーションの小瓶を取り出した。
……一本か。
「クリスタは大丈夫?」
「いや、俺より危険な状態だな」
クリスタは意識を失ったままだ。
ブーツを履いている以外は素っ裸なのでよくわかるが、彼女は全身擦過傷だらけ、右腕と両足は確かめるまでもなく折れている。
しかも、両足の太ももには俺が試作宝飾銃で開けた穴もある。
どこからどう見ても瀕死の重症。
傷痕が残ったら恨まれるだろうなぁ……。
「ジルコくん、このままじゃクリスタが!」
「わかっているよ。仮にも仲間を見殺しにはできないよな」
俺はネフラから受け取ったポーションをクリスタの傷口へと振りかけた。
もっとも酷い傷である銃剣の銃創――まぁ俺がつけた傷なんだけど――へ特に念入りに。
「うっ」
クリスタがビクッと身を震わせた。
痛みで目が覚めたか。
「あ……ぅ。ジル……コ?」
「しゃべるなクリスタ。銃弾は肺を貫通しているんだ」
「私、負けたのね……」
「そう、お前の負けだ。すぐに医療院に連れてってやるから大人しくしていろ」
「どうして……? 今、私を殺しておかないと……後悔……するわよ」
「そういうのはもうやめよう。やったやられたを繰り返していたらきりがない」
「……そう、ね」
思いのほか素直だ。
さすがにこの状況では、クリスタも強がる余裕はないか。
「若返りの秘薬は迷惑料だ。それで貸し借りなしにしよう」
「……馬鹿、ね。あなたには……すでにたくさん……」
クリスタがガクリとうなだれた。
小さく息をしているから、意識を失っただけだろう。
「クリスタ、絶対助けるからね」
ネフラが銃創にタオルを当てながら彼女に呼びかけている。
殺されかけた相手なのに、優しいなこの子は。
俺はネフラの顔を見て、戦闘中にキスしたことを思い出してしまった。
あの場の勢いで……ってわけじゃないんだけど。
思いだすと少々気まずい、な。
「……ジルコくん」
「な、何!?」
ネフラがジト目で顔を覗き込んできたので、俺は驚いてしまった。
「何かクリスタに着せるものない?」
「あ」
そうだった。
今のクリスタは魔法装束を脱ぎ捨てていて、ほとんど素っ裸なのだ。
身に着けている衣類はショーツとブーツだけ。
今さらながら目のやりどころに困る。
その時、俺は気がついたことがあった。
「そう言えばこいつ、秘薬の容器を胸元に入れてたぞ!」
「胸元? ……ああ、小物を胸の谷間に押し込む癖のこと」
「服がこんな状態じゃ――」
俺が周囲を見回すと、一面瓦礫だらけ。
そこにあんな小さな容器が落ちたとなれば、探すのは至難の業だ。
「大丈夫みたい」
「え?」
ネフラがクリスタのブーツの隙間へと指を突っ込む。
何をしているのかと思えば、隙間に挟まっていた秘薬をつまみ出した。
……クリスタのやつ、魔法装束を脱ぎ捨てる時に秘薬をブーツに移し替えていたのか。
「一安心だね」
そう言って、ネフラは秘薬の容器をブーツの隙間へと押し込んだ。
若返りの秘薬の件は問題なし。
一方で、試作宝飾銃や俺のリュックはもう回収のしようがなさそうだ。
モタモタしていたら帝国兵が来てしまうし、諦めるしかないか……。
「で、何か着せてあげられるものはない?」
「……ない、な。俺のコートも燃え尽きちゃったし、チュニックも見ての通りボロボロだ」
「だね。こうなったら、私のストールを巻いてあげる」
ネフラが首に巻いていたストールを解き、クリスタの体にぐるぐると巻きつけていく。
あの綺麗だったストールの柄も彼女の血で真っ赤だ。
「いいのか。教皇様からもらったストールだぞ」
「女性を辱めないようにする方が大事」
「まぁ、そうだな」
本当に優しい。
女神だ、この子。
「俺達じゃこの傷は応急処置もできない。すぐに医療院へ連れて行こう。……実は俺も頭がクラクラしているんだ」
「わかった。時計塔から一番近い医療院は――」
ネフラが方角を確かめようとした時、背後から瓦礫の崩れる音がした。
「血痕があるぞ!」
「市民が巻き込まれた可能性あり! 周囲の探索に気を配れ!!」
……早くも帝国兵がやってきたようだ。
瓦礫の山のおかげで俺達の存在は気取られていないが、時間の問題だな。
「帝国兵のいない方向から広場を出よう」
「うん」
クリスタを抱え上げた時、俺はふと彼女の胸元に目が行った。
邪な気持ちからじゃない。
彼女が首から下げている冒険者タグには、ギルドの記章がついたままだ。
これもを剥ぎ取っておかないと。
「……何やってるの、ジルコくん?」
「記章を剥ぎ取ろうと……。なかなか手が届かなくて」
「そんなこと言ってクリスタの胸を触りたいだけじゃ!?」
「ち、違うっ!」
またネフラから疑いの目で見られてしまった。
お姫様抱っこしながら冒険者タグに触れようとしていたから、余計な誤解を生んだようだ。
横着はいけないな……。
その時、俺の足元からバキッという鈍い音が聞こえた。
何を踏んだんだ?
「それ、クリスタの杖……」
「げっ」
俺は血の気が引いた。
クリスタの使う宝飾杖は、名のある鍛冶師が作った高級品ばかりだったはず。
弁償しろなんて言われたら、俺の支払い能力では無理だぞ……。
しかも、杖の先端についているのはレッドダイヤモンドじゃないか。
魔物討伐時の報酬でもらったレッドダイヤの片割れ……やっぱりクリスタが受け取っていたんだな。
「わ、私知~らないっ」
「そりゃないだろ、ネフラ~!」
ネフラはささっと折れた杖を拾い上げると、宝石のついている方の破片を俺のズボンのポケットへと押し込んできた。
「あとで直して返してあげて」
「俺が折ったことは内緒だからな」
ネフラがこくりと頷いた時、帝国兵の気配が近づいてきた。
俺達は可能な限り音を出さないよう移動しながら、広場から抜け出した。
◇
大通りでは、帝国兵がまばらに周辺を監視していた。
奴らの監視網を突破するのは無理だと判断し、俺達は狭い路地裏から医療院のある通りへ出ることにした。
「この先を左折すれば、南市街の通りに出る。小さいけど医療院があるはず」
ネフラが地図を広げながら、テキパキと誘導してくれるので助かる。
今の俺は全身疲労と激痛で集中力も落ちているから、クリスタを抱えながら走るだけで精いっぱいだ。
……と、思った矢先。
「止まれネフラッ!」
俺達が通る路地の先に、三つの人影が現れた。
柳葉刀を構えた黒い奴が一人。
ダガーを構えた赤い奴が二人。
おいおいおい。
マジかよ、冗談じゃないぜ。
「くそっ。この光景、見覚えがあるぞ」
「あの時の殺し屋!?」
黒い奴が自称ゲイリー司祭。
赤い奴がそれぞれハクトウ、ハクオウだったな。
ゲイリーはいいとしても、どうして赤い奴が二人揃っているんだ?
あの二人は俺がオペラ会館で撃退して、帝国兵に監獄へと送られたはず。
数日で出てこれるような軽い罪でもあるまいし……。
俺が踵を返した瞬間、三人が走りだした。
……速い!
今の俺の足ではとても逃げきれない。
しかも、俺は武器なしの上に、クリスタを抱きかかえたままだ。
絶体絶命かよ……!!
「ネフラ、逃げるぞっ」
「は、はいっ」
ネフラと並んで、来た道を全速力で引き返す。
しかし、今の俺は体力、脚力ともに著しく損なわれていて、ネフラにすら引き離されていく始末。
それに、いよいよ視野まで狭くなってきた。
「うぐっ」
つまづきそうになって思わず足を止めてしまった。
その合間に、奴らは俺との距離を瞬く間に詰めてくる。
ダメだ……もう逃げられない。
「ジルコくんっ!」
「俺が引きつける! 今のうちに逃げろ、ネフラッ!!」
「嫌ぁっ!!」
……くそっ、なんてことだ。
ネフラが路地を引き返してくる。
このままじゃ二人とも奴らに八つ裂きにされちまう。
「戦るしかない!」
クリスタを抱きしめ、迫りくる三人の暗殺者に備える。
その時――
「うわっ!?」
――突然、俺の目の前から煙が吹き上がった。
「……っ!」
「「!?」」
ゲイリー達の仕業ではないようだ。
奴らも足を止めて、煙から離れようと後退している。
この煙は一体なんだ?
どうして突然こんな路地裏に発生した!?
「こっちです!」
真横から声が聞こえてきた。
今さっきまで俺達の周りには誰もいなかったのに、誰だ!?
「早くっ」
「あっ! お前は――」
「いいから急いでっ!」
壁側を向いた時、舞い上がる煙の合間から見えたのは浮浪児の少年だった。
過去に何度も俺を助けてくれた彼が、どうして今ここに?
彼は俺を手招きするや、路地から姿を消してしまった。
よくよく見ると、隅に敷かれた側溝の蓋がズラされている。
少年が消えたのは、下水道の入り口へ飛び込んだからだった。
「ネフラ、あの子について行くぞ!」
「はい!」
煙が晴れてきた。
俺は床を蹴り、足から側溝の内側へと飛び降りた。
そのすぐ後にネフラも続く。
「……っ!」
……ヤバイ。
側溝の穴から真下に真っ逆さまだ。
クリスタを抱えているから、壁際のハシゴを手に取る余力もない。
「せ、せめてクリスタだけでもっ」
落ちる体勢を変えようとした瞬間、背中から下水道の底へと叩きつけられた。
……かと思ったら、分厚いマットが敷かれていて助かった。
「た、助かっ――」
ホッとしたのも束の間。
俺の顔面に、ネフラのお尻が落ちてきた。
……俺は気を失った。
◇
俺が目を覚ました時。
すぐ目の前で、癒しの奇跡の光が煌めいていた。
「う……」
「気がつきましたか」
「き、きみは!?」
俺に向けて癒しの奇跡を起こしているのは、浮浪児の少年だった。
俺はもこもこした布の上に寝かされていて、傍にはクリスタも横たわっていた。
少年の後ろからは、ネフラが心配そうに俺の顔を覗きこんでいる。
「ジルコくん、無事でよかった」
ネフラが顔を真っ赤にして、申し訳なさそうに縮こまっている。
……まぁ、とんだヒップアタックだったからな。
「もう少しで動けるくらいには治癒できますので、ご辛抱を」
「あっ!? あれだけの傷が……ほとんど治っている!?」
俺は驚いた。
この少年の治癒力は、フローラに匹敵するかもしれない。
「痛みはなくなりますが、血が足りないのは変わりません。あまり興奮しないようにご注意を」
「ありがとう」
クリスタの傷も、見たところほとんど治癒されているようだ。
「そちらのお姉さんは、外傷だけなら概ね回復させました。でも、内臓の損傷と折れた骨までは僕の奇跡では治癒しきれません。すぐに医療設備のある場所へ運び込む必要があります」
「彼女も治療してくれたのか。きみは一体?」
「……お兄さん。だから、あまりここに長居しないでと言ったのに」
そう言われて俺はハッとした。
少年と二度目に会った時、同じことを言われた記憶がある。
「あいつらから助けだせて幸いでした」
「ゲイリーのことか? 何を知っているんだ」
少しずつ奇跡の光が小さくなっていく。
光が止むと、彼の手のひらに美しい宝石が乗っているのが見えた。
「ジルコさん、ネフラさん。あなた達は、すでにとんでもない事態に巻き込まれているのです」
「……説明してくれるな?」
「もちろんです。そして、あなた達〈ジンカイト〉にもぜひ協力してほしい――」
まだあどけない少年の顔が、急に引き締まった。
「――地下組織〈バロック〉の壊滅に」