4-074. ジルコVSクリスタ④
「よくも私にこんな真似を!!」
両目は赤く充血し。口からは吐血。
白い肌は擦り傷だらけで、両足は折れている。
そんな状態でありながら、クリスタは平然と腕を動かして魔法陣を描き始めた。
……ゾンビポーションの効果で、今の彼女は痛みを感じなくなっているのだ。
右手の人差し指にある宝飾付け爪。
左手に持つ宝飾杖。
クリスタはそのふたつによって、次々と魔法陣を描き始める。
ひとつ目の魔法陣が緑色に輝き、彼女の体がふわりと浮いた。
さらに二つ目、三つ目、四つ目の魔法陣が完成へと近づいていく。
「させるか!」
横並びになっている三つの魔法陣を狙いすませて、斬り撃ちで横に薙ぐ。
光線は魔法陣が邪魔をしてクリスタまで届かないものの、そのひと薙ぎですべての魔法陣は霧散した。
だが、その時になって俺は失態に気がついた。
「まさか……目くらまし!?」
クリスタの全身が、空中に霧散するエーテル光に隠されてしまったのだ。
しかも、周囲に飛び散ったエーテル光が地面の砂や灰に火をつけ、煙まで発生してしまう。
直後、エーテル光の向こうから空に飛び上がる影が見えた。
「今、空に逃げられたら打つ手がないっ」
俺はすぐに試作宝飾銃の宝石を入れ替え、空へと登っていく影を追って銃身を持ち上げた。
宝飾銃の射程距離は、どんな屑石でも最低300m。
今なら、空へ逃げたクリスタも十分に捉えられる!
「恨むなよ!」
俺が引き金を引いた瞬間、橙黄色の光線が空を昇る影に届いた。
ゾンビポーションを飲んだとはいえ、うまく肺を貫いてくれていれば呼吸困難に陥ってすぐに意識を失うはずだ。
「いいえ。恨むわ」
「はっ!?」
……馬鹿な。
クリスタの声が聞こえてきた、だと?
しかも俺の後ろから!?
背後に振り返って目にしたのは――
「死んで償って」
――魔法装束を脱ぎ捨て、裸体をさらすクリスタだった。
さっき空中に昇ったのは、脱ぎ捨てた魔法装束だけだったのか。
しかも、彼女はすでに魔法陣を描き終わっている。
「水刺冷域剣舞!!」
魔法陣が青い光を放った直後、空中に現れた水の雫が次々と剣を形作った。
無数の切っ先が一斉に俺へと向かって飛んでくる。
……とても躱しきれる数じゃない。
「くそっ」
なんとか利き腕だけは守ろうと、飛んでくる水の剣に左肩を突きだす。
最初の一本が肩に突き刺さった後、続く剣が腕、腹、腰、足へと容赦なく食い込んでいく。
「ぐあああぁぁぁっ!!」
地面に叩きつけられてすぐ、体に刺さった剣が水へと戻っていく。
途端に全身の傷口から血が流れ始め、俺は血の気が引いた。
「脆いわね。魔物の方がよっぽど歯応えがあるわ」
「人間相手に言う言葉かよっ」
……急に視界が狭まってきた。
この量の血液が流れるのは絶対にマズイ。
「情けない人。たったひとつの魔法でなんて無様」
クリスタは地面から数m上に浮遊したまま、ゆっくりと俺に近づいてくる。
魔法装束を脱ぎ捨てた今の彼女は、ほとんど裸同然だ。
色っぽい鎖骨をさらし、乳房も露に。
スラリとしたくびれには血が滴り、黒いショーツからブーツにかけて流れ落ちていく。
こんな状況でなければ、赤面して目を背けているところだ。
だが、今の俺には恐怖の対象でしかない。
「心だけでなく、体までこれほど傷つけられて。私の腸がどれだけ煮えくり返っているか、あなたにわかるかしら?」
「嫁入り前の娘が人前で無闇に肌をさらすなっ」
「どの口が!」
クリスタが指先で空中をなぞる。
宝飾付け爪で魔法陣を描き始めたのだ。
脚が使えなくても空を飛べる彼女と違って、今の俺は地面を這って逃げることくらいしかできない。
だけど、諦めて死を受け入れるくらいなら、這いつくばってでも足掻いた方がよっぽどいい。
「無様ね! まるで地を這う虫けらのよう!!」
「あまり見くびるなよ……!」
「這いつくばるだけの虫けらに、今さら何ができるのかしら?」
「付け入る隙を……衝く!」
右腕の力を振り絞って、試作宝飾銃の銃口をクリスタへと構えた。
ただ這いつくばっていたわけじゃない。
お前に再装填を気づかせないためでもあったんだ。
クリスタは描き途中の魔法陣を放棄して、すかさず俺から離れた。
銃を警戒したな。
……でも、警戒し足りないぜ。
「忘れっぽいな」
「え?」
俺はクリスタに向けた銃口を大きく逸らした。
銃口の向く先は、建物の庇に刺さっている鏡の短剣。
引き金を引いた直後、その刀身に当たった光線が跳ね返り、クリスタの手前に敷かれている脆い石畳を砕き割った。
「うっ!?」
今の位置関係だと、直接クリスタめがけて反射させることはできない。
しかし、俺と彼女の間に広く砂埃を舞わせることはできる。
今はそれで十分だ。
「小癪な真似を!」
砂埃の奥からエーテル光が見え始める。
あと数秒だけ時間をくれ……!
俺は地面を這いながら、路地の脇に見つけた側溝の蓋へと望みを託した。
蓋は重くてとても片手だけでは動かせない。
ならばと、銃身を隙間に差し込み、てこの要領で無理やり蓋を開いた。
「ジルコォーーーッ!!」
背中に強風が触れた時、俺の体は下水道へと真っ逆さまに落ちていった。
◇
俺は試作宝飾銃を杖代わりに、薄暗い下水道を進んでいた。
普段なら夜目が利いて薄暗い下水道くらいどうってこともないが、今は目の前が真っ暗で、マッチの火に頼らざるえない状況だ。
下水に落ちた直後、全身九ヶ所の傷口は光線で焼いて止血した。
血は止まったが、すでに血が流れ過ぎたせいですこぶる体調が悪い。
歩くたびに全身を襲う激痛がなければ、とっくに気を失っていただろう。
「はぁっ、はぁっ」
まるで夜通し走っていたかのように、全身が重くて喉が渇く。
指先の感覚もなくなり始めて、今はもう引き金を引くことすら困難。
一刻も早く目的の場所へたどり着かないと、せっかくクリスタの目を逃れて得たチャンスをふいにしてしまう。
「あった。ここだ……」
俺は地図を頼りに、ある場所に向かっていた。
今、真上に見えている蓋こそ、その場所の近くに設置されている側溝へと通じているはず。
マッチを消し、地図をリュックへ押し込むや、俺はハシゴに手をかけた。
……重い。
ハシゴを登る間、俺はホルスターに収めた試作宝飾銃の重量をずっしりと感じていた。
まるでズボンを下から引っ張られているようだ。
だが、試作宝飾銃を置いて地上に戻るわけにはいかない。
痛む体を押してなんとか側溝の蓋までたどり着くも、蓋が重くて持ち上がらない。
「もう帝都の人達に気を使ってる余裕なんてねぇっ」
背に腹はかえられない。
俺は試作宝飾銃の引き金を引いて、側溝の蓋をぶち抜いた。
外からは悲鳴が聞こえてきたが、それは俺の勘が正しかったことを証明した。
「うぐぐっ」
地上に這い出た瞬間。
目の前には、俺の姿を見て驚く市民の姿と……商人ギルドの看板が見えた。
ここが最初の目的地。
クリスタへの反撃のために、立ち寄らねばならない場所だ。
俺はふらつく体を引きずって、商人ギルドの扉を開いた。
「ど、どうしたんだっ!?」
「すごい怪我だぞ! 誰か医療院に連絡をっ」
突然、怪我人が押しかけてきたことで、ギルドは大騒ぎだ。
俺はリュックの中からあれを手に取り、そばに寄ってきた商人へと突き出した。
最初は不可解な顔をしていた商人だが、それが何なのか認識した途端、顔色を変えた。
「これはジニアス様の四角札! もしや、あなたが連絡にあったジルコ様ですか?」
……よかった。
俺のことが伝わっていなければ、ここで詰みだった。
ジニアスから聞いているのなら話は早い。
「すぐに、ポーションを、ありったけ……っ」
「し、しかし、医療院へ行った方が」
「頼む、から……っ」
「……承知しました」
商人は、そばにいた丁稚に倉庫からポーションを持ってくるように命じた。
ポーションが届く間、俺は商人達から応急処置を受けた。
痛みを和らげる薬用ハーブをもらい、焼けた傷口の消毒まで。
いくらジニアスからもらった四角札のおかげとはいえ、この状況で手厚く看護してくれる彼らには感謝の言葉もない。
ポーションが運ばれてくるや、蓋を開けて一気に飲み干した。
同時に、傷口にまで振りかける。
体内と体外からポーションを使うことで、無理やり体を活性化させて治癒を早める荒業だ。
必要以上に体力を消耗するので、下手をすれば死ぬことだってありうる。
しかし、今の俺には呑気に回復を待つことなんてできない。
「……ありがとう。悪いけど、今すぐ時計塔の正面広場まで連れて行ってほしい」
「時計塔ですか? いや、医療院へ――」
「頼む! ここもいつ、あいつに嗅ぎつけられるかわからない!!」
「……かしこまりました」
話のわかる商人で助かった。
彼は何も聞かず、俺を自分の馬車へと乗せてくれた。
程なくして時計塔へと向かった俺は、荷台に揺られながら試作宝飾銃の装填口にレッドダイヤモンドを押し込んだ。
今の俺が撃てる最大出力の一撃……これにすべてを賭けるしかない。
しばらく街路を走ると、時計塔の正面広場が見えてきた。
ここにクリスタが現れるのを待ち、最後の賭けを実行するのだ。
……そう思った矢先。
空高く、時計塔の前に浮かんでいる影があった。
「クリスタ!?」
彼女は浮遊しながら、空に顔を上げて目をつむっていた。
その目もとには、何やら黒い光がぼんやりと輝いているのが見える。
察するに、あれがハエを操る魔法なのだろう。
俺の耳元に途切れ途切れ羽音が聞こえてくる。
首を回して確認することもできないが、おそらくハエが馬車の近くを飛んでいる。
俺の位置はすでに彼女に把握されており、先回りされていたわけだ。
止めてくれ、と商人に声を掛けようとした瞬間。
クリスタが魔法陣を描き始めた。
「避けろっ!」
「なんですって!?」
……無理だよな。
そう思った瞬間、魔法陣から放たれた熱殺火槍が俺のいる荷台をぶち抜いた。
幸い、商人の座っている御者台まで吹っ飛ぶことはなかったが、俺はバラバラになった荷台もろとも広場へと放り出された。
「す、すぐに帝国兵を呼びますっ」
「待て、その必要は――」
俺が言い終える間もなく、商人はガタガタになった馬車を走らせて通りを走り去ってしまった。
これから俺が行うことを帝国兵に見られたら、確実に処刑されるな。
「やっと見つけたと思ったら――」
広場に尻もちをついている俺の前方へとクリスタが降りてきた。
それに驚いたのは広場にいた人々だ。
突如、裸の女が舞い降りてきて、彼らは女神が舞い降りてきただのと騒ぎ始めた。
……そんなありがたい存在じゃないぞ。
「――情けない人! 逃げるつもりだったの」
彼女が俺を見る目は、これ以上ないくらい侮蔑に満ちていた。
「……」
「負け惜しみのひとつも言えないの!?」
「……」
「やはりあの未来は間違いだった。あなたごときが、この私を殺せるはずがない!!」
クリスタが付け爪と杖で、左右に巨大な魔法陣を描き始めた。
描き出されていく魔法陣の規模から察するに、大魔法クラスだ。
あれが発動すれば確実に俺は死ぬだろう。
だが、俺にとっては好都合。
魔法陣を目にした広場の人々は、我先にと退散していく。
すぐに広場には人っ子一人いなくなる。
俺とお前を除いてな……!
「お終いよジルコ! 骨ひとつ残さずに燃やし尽くしてあげる!!」
「違うね。終わるのはお前だ!」
俺は浮遊するクリスタに向かって試作宝飾銃を構えた。
銃身を上げる腕は激しく痛み、指先にはかろうじて力が入る程度。
加えて銃口は標的のクリスタからやや傾いていたが、これで問題はない。
「死ねっ!!」
魔法陣が光り輝くのと同時に、クリスタが叫ぶ。
俺が引き金を引いたのも、それと同じだ。
「う、おおおおっ――」
俺は引き金を引いたまま、銃身を横に振り抜いた。
銃口からは赤く美しい光が、まばゆい煌めきと共にクリスタの真下を走る。
「――斬り撃ち・火平線っ!!」
狙いは、彼女の背後にある時計塔――その足元。
赤い光線に斬り裂かれた土台は、塔の重量に耐えられずに崩れ落ち、尖塔を傾かせていく。
周囲に瓦礫を撒き散らしながら倒壊を始めた時計塔は、うまい具合に俺とクリスタの方へと倒れてきた。
「なんですってぇぇっ!?」
クリスタは高いところにいる分、地上の俺よりも多くの瓦礫が周囲を舞う。
飛んで逃げるどころか、完成間近だった二つの魔法陣も乱れ飛ぶ瓦礫を受けて霧散していく。
俺も逃げられないが――
「お互いの視た未来以外に決着があるとしたら……」
――お前も、もう逃げられない。
「……この未来かもな」
降り注ぐ瓦礫に迫りくる石の壁。
俺とクリスタは、共に時計塔の崩壊に巻き込まれた。