4-073. ジルコVSクリスタ③
下水道をしばらく歩くと、地上へ続くハシゴが見つかった。
ハシゴを登った先には側溝の重い石床が。
それをなんとか押し退けることで、ようやく青い空の下に戻ることができた。
「思った通りだ」
街路へ這い出してみれば、ドーム状の黒い霧が街の一角を包み込んでいた。
俺の位置からちょうど30mほど先が暗闇との境目になっており、その周りで帝都の市民達が困惑している。
始めはどうなることかと思ったが、暗闇から出てしまえばこっちのものだ。
「眺めのいい場所は――」
クリスタ相手に俺が勝機を見いだせる方法はひとつ。
それは狙撃だ。
意識の外――死角からの不意打ちしかない。
彼女は今、姿を消した俺を捜しているはず。
暗闇の内側から出てきた時こそ、あの女を撃ち抜く最大のチャンスだ。
「――あそこしかないか」
俺の目に留まったのは、90mの高さを誇る帝都の象徴――時計塔。
改めて思うが、なんて巨大な建造物だろうか。
教皇領の聖堂宮はもとより、王都の時計塔よりもずっと大きい。
時計塔に登れば、かなり広範囲を射程に収めることができる。
さっそく時計塔へ向かって走りだした時、不意に風切り音が聞こえた。
気になって周囲を見回してみると――
「あぁっ!?」
――なんと空から炎の塊が落ちてきた。
間一髪で躱したものの、地面に落ちた炎の衝撃波が俺の体を吹き飛ばした。
背中から石畳に落とされて、危うく胃の中のものを戻しそうになる。
「な、なんだよいきなり……」
落ちてきたのは火属性の魔法だ。
早くもクリスタに追いつかれたのか……?
しかし、周りには事態を把握できずに混乱している市民しかいない。
「どこから俺を狙ったんだ?」
今の攻撃は、間違いなくピンポイントで俺だけを狙ってきた。
術者本人がどこかで俺を視認しているはずだが、すでに身を隠してしまったのか、どこにも姿は見えない。
街中が騒がしくなってくる中、俺は警戒を続けた。
地上だけでなく空にも気を配っていると、黒い霧の内側から火柱が昇るのが見えた。
熱殺火槍の炎が空へと打ち上がったのだ。
それは尾を引きながら、空中に弧を描いて俺の方へと向かってくる。
「な、なんでこっちに来るんだ!?」
すぐさま熱殺火槍から逃れるために路地へと逃げ込む。
しかし、炎は地面にぶつかるどころか、俺を追いかけて路地にまで入ってきた。
「これも追跡型の魔法かよ!?」
さすがクリスタと言うべきか……。
対象を追跡してくる魔法なんて、めったにお目にかかれる技術じゃない。
しかも、標的が見えないのにその炎は的確に俺の背中を追ってくる。
狭い路地裏の角を何度曲がっても、一向に俺を見失わないのだ。
すれ違う市民がびっくりして尻もちをつくのを何度も見たが、炎は彼らには目もくれず、あくまで俺だけを狙ってきていた。
「くそっ」
この魔法相手に逃げ回っていても埒が明かない。
俺は人気のなくなった路地で足を止めると、試作宝飾銃で炎を撃ち抜いて爆散させた。
幸い、火の粉が散っても建物に火がつくことはなかった。
「ちっ。時計塔から離れ過ぎた。でも、網の目みたいな路地裏の方が安全か?」
と思った矢先、薄暗い路地に覗く青空から不審なものが見えた。
赤い蛇のようなものがいくつも空を泳いでいるのだ。
「ワイバーン? ……じゃないな」
それは翼もなく、細長い体をしていた。
翼竜であるワイバーンとは明らかに外見が異なる。
そもそも空を飛ぶ赤い蛇なんて聞いたことがない。
……待てよ。
あれは本当に蛇なのか?
「おいおい」
その赤い蛇は、次第に向きを変えて高度を下げてきた。
否。俺の方へ向かって落ちてきたのだ。
「あれは熱殺火槍じゃないか!」
空を飛んでいたのは赤い蛇ではなかった。
俺を狙って滞空していた炎の魔法だ。
しかも、その数は三つ。
のんびり空を見上げている場合じゃない。
俺は踵を返して路地を走った。
だが、三本の熱殺火槍は俺の背中を目指して、どんどん距離を詰めてくる。
「なんだってんだ!」
走りながら試作宝飾銃の宝石を入れ替え、振り向きざまに手前の熱殺火槍へと銃口を向ける。
すると、まるで意思を持ったかのように炎の軌道が変わった。
「何ぃっ!?」
炎は三つともジグザグに揺れ動きながら、俺を追いかけてくる。
追跡魔法といっても、一度放たれれば標的を機械的に追いかける程度のものだと思っていたが、この魔法は違う。
まるで生き物のように、俺に撃ち落とされまいとしている。
クリスタがどこかで俺を見て、直接操っているのか?
しかし、路地には彼女らしき人影はない。
「どうなってんだよ!」
こうなったら仕方がない。
俺は角を曲がった瞬間、建物の屋根を光線で薙ぎ払った。
後をついてくる三本の熱殺火槍は、降り注ぐ瓦礫にぶつかって爆散していく。
「はっ」
嫌な予感がして空を見上げると、新しい熱殺火槍が空中をうねりながら俺へと降り注いでくるところだった。
その数は七つ以上。
光線で相殺するにしても、とてもこの場で対処できる数じゃない。
「だ、ダメだ! 広い場所に出ないとっ」
しかし、大通りに出るより早くそれは降り注いだ。
十字路に差しかかるのと同時に、熱殺火槍が次々と地面へと着弾する。
七連発、際どいところですべて躱すことはできたが、振り返れば路地を炎が焼き尽くす酷い有り様だった。
「むちゃくちゃだ。むちゃくちゃだぞ、クリスタッ!!」
困惑する俺をよそに、空には新たな熱殺火槍が撃ち上がっていく。
それらは間もなく俺に狙いを定めて落下してくるだろう。
「視認もせずに、どうして俺を狙い撃てるんだ!?」
狭い路地を走りながら、手がかりもろくにない状況で考える。
いくら天才であるクリスタも、視界の外の相手を的確に追跡し続ける円陣構築模様を描くなんて不可能だろう。
ましてや、こんな短期間で連発するなんてありえない。
ならば俺の位置を探る方法があるはずだ。
「あいつ、俺のことを観察していたと言ってたな」
思えば、クリスタは知っているはずのない情報を、さも見ていたかのように口にすることがあった。
クロードが生きていること。
人造人間ルビィの存在。
他にも、細かいことならいくつもある。
いずれも観察眼では説明がつかない。
クリスタはどんな手段でそれらの情報を得たのか?
「考え事をしていたせいで、曲がる道を間違えたか……」
表通りに出ようとして、ますます路地の奥へと入ってしまった。
熱殺火槍も追跡が困難なのか、いつの間にか俺との距離が開いている。
「こんな調子じゃ狙撃もうまくいくかどうか――」
その時、背後から音がしたので驚いて飛び跳ねてしまった。
すぐに銃口を向けるも、そこには人の姿も、熱殺火槍の炎もない。
……気のせい?
否。確かに音が聞こえた。
「あ」
目を凝らしていると、その音の正体がわかった。
……ハエだ。
「こいつ、驚かせやがって」
遠ざかっていくハエを見送りながら、俺は踵を返した。
その瞬間、俺はある疑惑を思い至る。
「待てよ?」
……ハエ。
そうだ、ハエだ!
ジャスファとの戦いの時にも。
クロードとの戦いの時にも。
サルファー伯爵の屋敷にも。
俺がネフラの看病をしていた時もそう。
ハエがそばを飛んでいた。
そこまで考えて、俺は全身総毛だった。
「ハエを通して俺を監視していたのか!」
大昔、魔法使いは猫を使い魔にして使役していたという伝承がある。
しかし、猫どころか、まさかハエだなんて……。
「クリスタ。覗きをするにしても、悪趣味過ぎるぜ……!!」
暗がりから松明のような明かりが近づいてきた。
振りきったと思った熱殺火槍が追いついてきたのだ。
その時、炎に照らされた暗がりを米粒ほどに小さなものが横切る。
……ハエだ。
どんな魔法なのか想像もつかない。
だが、クリスタがハエを操り、その視覚や耳から俺の情報を得ていることは確実。
こんな場所にいくら隠れたところで、彼女からは逃れられないのだ。
「見~つけた」
「えっ」
空からクリスタの声が聞こえた。
顎を上げると、青い空に浮遊している彼女の姿が……。
風に煽られてめくり上がるスカートも気にせずに、高みから俺を見下ろしている。
「いつまでもかくれんぼをしているから、迎えに来たわ」
「クリスタ!」
「空ばかり見ていていいのかしら?」
「……はっ」
クリスタに気を取られて熱殺火槍の接近を許してしまった。
とっさに飛び退いて炎を躱したが、それでは解決にならない。
躱したそばから軌道を変えて、いくつもの炎が四方から俺へとぶつかってくる。
「ぐああぁっ!!」
金色の炎を浴びて、コートに火がつく。
風の魔法すら受けきる防刃コートも、数千度の炎が相手では役に立たない。
俺は裏地に縫い付けてあったふたつの鞘を引き千切り、コートを脱ぎ捨てた。
地面に落ちたコートは瞬く間に炭と化してしまう。
炎は消えたが、周囲の熱気のせいで息をするだけで喉が焼けるようだ。
「熱かったでしょう? 冥途の土産に氷の棺を用意してあげるわ!」
空中に浮遊したまま、クリスタが魔法陣を描き始める。
俺は慌てて試作宝飾銃を構えたが、位置が悪い。
今撃っても光線はクリスタには届かず、手前の魔法陣に当たって相殺されてしまう。
あの女のことだから、きっとそれすらも計算に入れているのだろう。
撃っても届かず、逃げれば殺られる。
もはや俺には打つ手なし、だ。
……と俺が思っていると、彼女は思っているだろう。
クリスタは俺に殺される未来を視ておきながら、その実、俺に負けるとは微塵も考えていない。
だからたった今、針ほどの隙が生じたのだ。
「荘厳なる氷の棺にて、愚鈍なる罪人を葬列へと加えよう――」
「……魔法の詠唱は余裕ぶった時のものだよな!」
手元に抱える鞘から、鏡の短剣を引き抜いて投擲の構えを取る。
それを見てなお、クリスタの顔色は変わらない。
この角度から投げても魔法陣の貫通は困難だと考えているのだろう。
その読みは当たっている。
だが、俺が投げる先はお前じゃない。
「くらえ――」
俺が鏡の短剣を投げつけた先。
それは、建物の軒下――いわゆる庇の部分だ。
あらぬ方向に突き刺さった短剣を見て、詠唱中のクリスタは訝しそうな表情を浮かべる。
だが、もう遅い。
軒下に刺さった鏡の短剣へと向かって、俺は試作宝飾銃の引き金を引いた。
「――鏡光反射撃!!」
刹那。
銃口から射出された橙黄色の光線が走り、短剣の刀身へと当たる。
光線は刀身からは40度ほど跳ね返り、魔法陣の裏側に浮かぶクリスタの脚を貫いた。
「なっ!?」
不意にクリスタが見せた、驚愕の顔。
魔法陣は完成直前に空中へ霧散し、彼女は浮力を失って地面へと真っ逆さまに墜落した。
……ぶっつけ本番にしては、うまくいった。
宝飾銃の特性は、宝石のエーテル光を凝縮して撃ち出すこと。
それはレンズを通した太陽光と似る。
つまり、鏡のように磨かれた刀身へ差し込んだ光は反射する。
さすがのクリスタも、路地裏でそんな事態に遭遇するとは思わなかっただろう。
機転を利かせた俺の勝ちだ!
「あっ……うぅっ」
試作宝飾銃の宝石を入れ替えながら近づいていくと、横たわるクリスタが苦しそうに寝返りを打った。
無防備な状態で7mの高さから落ちては、彼女もひとたまりもない。
吐血して、両足が嫌な曲がり方をしている。
もう戦える状態でないことは、ひと目でわかった。
「お前らしくない、あっけない決着だったな。クリスタ」
「ま、さか……あんな、奥の手、を……ごほっ」
「しゃべるな。医療院に連れて行ってやるから、大人しくするんだ」
クリスタに手を差し伸べると、彼女は俺の手を払った。
「私を、見下ろさない、でっ」
「クリスタ……」
この期に及んで、まだ強がるのか。
やっぱり俺に負けることは彼女にとって屈辱ということか?
「!」
一瞬、彼女の背中から魔法陣の輝きが見えた。
うかつだった。
クリスタは、俺の死角に宝飾付け爪で小さな魔法陣を描いていたのだ。
「何をし――」
俺がクリスタに掴みかかった時には、もう遅かった。
突如として発生した突風に煽られ、俺は数mほど地面を転がされてしまう。
「ぷわっ」
慌てて起き上がると、クリスタが空に手を掲げているのが見えた。
その手の中には、俺もよく知る物が握られている。
それは、俺がずっとリュックに入れっぱなしにしていた物。
持ち歩いていることすら、すっかり忘れていた俺の切り札。
「ゾンビポーション!?」
服用した者は、一時の間どんな激痛も感じなくなる悪魔の秘薬。
それをたった今、クリスタが栓を開けて飲み込んでいる。
「しまった!」
俺が足を踏み出すのと同時に、クリスタがゾンビポーションの空き瓶を地面へと叩きつけた。
顔を上げた彼女の表情は――
「殺してやる」
――まさに鬼神のそれだった。