4-071. ジルコVSクリスタ①
「聞こえなかったわ。もう一度、言ってもらえる?」
「何度でも言ってやる。そんな申し出は断るっ!!」
クリスタの冷たい視線がますます鋭くなって俺を貫く。
ここで臆してなるものか。
「この私に……恥をかかせるつもり?」
「なんでもお前の思い通りに事が運ぶと思うなよ。〈身儘の魔女〉!」
俺がそこまで言った時点で、クリスタはうなだれてしまった。
「……信じられない。この私を拒絶するなんて」
クリスタらしい言い草だ。
そのあまりに常人離れした才能と美貌が、クリスタの絶対的な自信に結びついている。
それが真っ向から否定されたものだから驚いているのだろう。
「ふっ……ふふっ」
……クリスタが突然笑い出した。
顔をうつむかせたまま、肩を上下させている。
「く、クリスタ?」
「ふふふっ。強くなったわねジルコ。力だけでなく、心までも」
そう言うと、クリスタは顔を上げた。
その時の彼女の表情は――
「でも、気に入らないわ」
――笑顔を取り繕っているものの、明らかに目は笑っていない。
俺は座ったまま右足のホルスターへと手を伸ばした。
テーブルに隠れて彼女からその動作は見えない。
警戒さえ続けていれば、もしもの時の反撃は可能だ。
「私、そんなに魅力がないかしら?」
「は?
「見た目には気を使っているから、そこそこ美貌だという自負もあるの」
……謙遜にも程がある。
否。この女が言うと嫌味にすら聞こえるな。
「功績だってそう。現実に世界最強の魔導士という評価もあるし、今まで達成し損ねた依頼はないわ。ドラゴグ帝国ですら、竜帝自ら私宛ての親書を送ってくるほどに私の力は認められている」
「知っているよ」
「なのに、なぜ私を拒絶するのか理解できない」
「きみは……魅力的だよ。でも、俺の好みには合わないだけだ」
「好みに合わない? それは、誰と比較しているの?」
カツカツと音が聞こえてきた。
クリスタがテーブルの上に置いている手――その指先の爪で、ひっきりなしに卓上を叩いているのだ。
ずいぶんと苛立っていることがわかる。
「誰って……別に誰ってこともない」
「嘘ね。まだ彼女のことを引きずっているの?」
「だ、だ、誰のこと言っているんだよ!?」
「情けない人。いなくなった女のことなんて、いいかげんに忘れたらどうなの」
唐突にクリスタが図星をついてきたので、思わず取り乱してしまった。
俺の脳裏に、あいつの顔が思い浮かんでくる。
苛烈にして可憐。
情熱的にして冷徹。
一度やると決めたなら、決して曲げない強すぎる信念。
その背中には、俺達〈ジンカイト〉だけじゃない。
世界中の冒険者が、兵士が、商人が、貴族が、人々が希望を託した。
俺が心の底から愛した女。
〈冷熱の勇者〉アルマス・トランスパレンシィ。
でも、今はもういない……。
「あいつのことを持ち出すな」
「ネフラが可哀そうね」
……なぜ、そこでネフラが出てくる?
「勇者の幻影に邪魔され続けて、あの子がヤキモキするのもわかるわ」
「そ、それは……」
「でも、私はあの子ほど気が長いわけでもないし、人がいいわけでもないの」
クリスタがテーブルを叩く指を止めた。
「がっかりだわ」
直後、テーブルの天板に赤い魔法陣が現れ――
「なっ!?」
――天板を焼き焦がしながら、熱傷吹き矢が俺の顔めがけて飛んできた。
完璧な不意打ちだ。
あらかじめ知っていなければ、絶対に避けることができないタイミング。
だが、火の矢が飛ぶよりもわずかに早く椅子から転がることで、俺は熱傷吹き矢の火を躱すことができた。
さらに、ホルスターから抜いた試作宝飾銃をクリスタに向けるまで、滞りなく体が動いた。
すでに装填口には宝石をセットしてある。
いつでも撃てる。
「……!」
クリスタは目を丸くしながら俺を見つめている。
必中必殺のタイミングだった不意打ちの魔法を躱されたのだ。
そんな顔をするのも無理はない。
「驚いたわ。まるでわかっていたみたい」
「わかっていたさ」
今の不意打ちは、前に一度視ているからな。
「酷い言い草だこと。それじゃまるで私が――」
「俺を殺す気だったな?」
「……ええ。そうよ」
この女……!
銃口を向けられているにもかかわらず、よくもぬけぬけと……。
「仲間にする行為じゃない!」
「あら。それを言うなら、一方的に仲間を解雇しようとしたあなたはどうなの?」
「う……」
それを言われると返す言葉がない。
ギルド救済という大義名分があれど、命懸けで共に戦ってきた仲間達への解雇通告は正直辛い。
だが、一度やると決めた以上、全霊を尽くしてやり遂げる。
〈ジンカイト〉を潰すわけにはいかないんだ……!
「まぁ、あなたが〈ジンカイト〉を大事に思うのもわかるわ。創立時のメンバーですものね。ましてや先代から名指しで次期ギルドマスターを指名されて、その期待にも応えなければならないでしょうし」
「……」
「それに、実家の借金を返し終わる前にギルドが潰れてしまっては、ねぇ?」
「……そのことも知ってるのかよ」
「何かに縛られて生きる人生なんて、私ならまっぴらだけれど」
クリスタは飲みかけのコーフィーカップを手に取り、呑気に飲み始めた。
……何を考えているんだ、この女。
現状、すでに勝負はついている。
彼女がどんなに素早く魔法陣を描こうとも、俺はそれより早く引き金を引ける。
この距離なら確実に致命傷を与えられるだろう。
それなのに、クリスタのこの落ち着きようは何だ?
カップから口を離した彼女は、そっとテーブルの上にそれを戻した。
そして開口一番、言い放った言葉は……。
「銃を下ろしてと言えば、下ろしてくれるの?」
「よくもまぁ、ぬけぬけとそんなことが言えるもんだな」
「あら。だって銃口を向けられたままでは気が気ではないもの」
お前がそんな繊細な女かよ。
今だって余裕しゃくしゃくと、銃口と睨めっこしているくせに。
「お前に敵意がないことを証明できればな」
「わかったわ――」
クリスタは右手の人差し指につけていた宝飾付け爪を外して、テーブルへと置いた。
さらに、首にかけている冒険者タグも同様に。
……他の指に付け爪はない。
指輪もイヤリングも、宝石の類はもう所持していないようだ。
だが、銃を下ろすことを俺の本能が拒否している。
「さぁ、これでいいでしょう。銃を下ろしてくれないかしら」
「本当にそれで全部か?」
「……傷つくわ。そんなに私が信用できない?」
「不意打ちしておいて、よく言えるな!」
「なら、裸にでもなりましょうか」
「……こ、こんな場所でそれはさすがに」
「紳士ね。ネフラが惹かれたのはそういうところなのかしら?」
またネフラの名前を出しやがって。
行方知れずの彼女のことを思い出すと、現状に集中できなくなる。
今はそのことは置いておかないと……。
「今、ネフラは関係ないだろう」
「……何かあったの?」
「べ、別に……」
クリスタが俺の様子をうかがってくる。
元はと言えば、この女が浴場であんな真似さえしなければ、ネフラが俺の傍からいなくなることもなかったんだ。
そう考えると、引き金を引きたい気持ちにもなってくる。
「関係ないことはないのよ」
「え?」
「あの子、今どこにるのかしらね?」
悪戯っぽい笑みを浮かべたクリスタを見て、俺はハッとした。
まさかクリスタのやつ、ネフラに何かしたのか?
「ネフラに何をした……?」
「……」
クリスタは答えない。
それどころか、平然とコーフィーカップを手に取り、再び口へと運び始める。
「答えろ! ネフラをどこに隠したっ!?」
一瞬、頭に血がのぼって俺は怒鳴り声を上げてしまった。
……それがいけなかった。
直後、クリスタが手首をしならせて――
「うわっ」
――カップの中身を俺へと振りかけてきた。
とっさに横に飛んだことでコーフィーが全身にかかるのは免れたが、銃口はクリスタから外れてしまった。
「本当、砂糖のように甘い人」
俺が顔を上げた時、クリスタはテーブルの上に置かれていた冒険者タグに指先を触れていた。
一瞬にして半径15cmほどの赤い魔法陣が出来上がり、俺に向かって炎の槍を立て続けに吐き出してくる。
「熱殺火槍・連舞」
とっさに身をひねったことで炎の槍の直撃は避けられた。
だが、その炎の軌跡は俺の肩と脇腹を焼きながら、背後の茂みを吹き飛ばす。
「あちっ、あちちっ」
コートを焼く炎を払い落としていると、新たな魔法陣の輝きが視界に入った。
……失態だ。
戦闘中に相手から目を離すなんて、なんて間抜けなんだ俺は。
「あなたの相手は誰? 私を、見なさい」
クリスタに視線を戻した時、俺は彼女が指先で宙をなぞるように魔法陣を描いているのを見た。
すでに指先には宝飾付け爪をつけ直している。
それを認識した時には、赤い魔法陣は完成し、火を吹いていた。
「炎蛇の鞭舌」
魔法陣から、細長い炎が鞭をしならせるようにして飛び出してくる。
とっさに両腕で十字を組んでその一打を受けたものの――
「うわあぁっ!」
――踏みとどまることができず、俺は後方へと吹っ飛ばされた。
先ほどの熱殺火槍の炎で燃えている茂みを突き破り、半ば火だるまになりながら街路へと転げ出る。
「うぐああああっ」
熱い! 両腕が焼ける!
地面を転げ回り、なんとかコートの袖についた火をかき消すことができた。
……危うく銃が持てなくなるほど腕を焼かれるところだった。
「な、何事かね?」
急に背後から話しかけられて、俺は思わず叫びそうになった。
振り向くと、シルクハットをかぶった紳士風の男性が、妻らしき女性と並んで俺を見下ろしていた。
否。彼らだけじゃない。
街路を往来していた人々が足を止めて、一様に俺を見入っている。
「街中での戦闘はあまり好ましくないけれど――」
クリスタの声が、燃え上がる茂みの奥――コーフィーハウスのテラスから近づいてくる。
「――すぐに終わらせればいいわよね?」
見る見るうちに茂みは焼け落ち、コーフィーハウスのテラスが露に。
テラスの芝生も派手に延焼しており、草木の焼け焦げた臭いが一気に街路まで広がってきた。
その炎の中、クリスタは顔色ひとつ変えずに街路まで歩いてくる。
……熱くないのか?
彼女のドレスやブーツには、耐火処理でも施してあるのだろうか。
火に触れても火傷ひとつ負わないとは、まさに魔女だな。
「街中だぞ……!?」
「だから? 私がどこで何をしようとも、私の自由よ」
街路で向かい合ったクリスタからは、おぞましい殺意が感じられる。
彼女はすでに冒険者タグを首から下げ、さらにその手には宝飾杖を握っている。
先端には赤い宝石が備えつけられていることから、先日破損したものとは違う。
この数日で、新しい杖を用意したらしい。
すでに戦闘準備万全じゃないか!
「本気で俺を殺す気なのかクリスタ!?」
「私に屈しないなら、いらないわ」
……なんて言い草だ。
ギルドの解雇がどうとか、この女に俺を責める資格はない。
なぜならこの女――
「死になさい」
――一切の躊躇いなく、仲間を殺しにかかってくるのだ。
クリスタが宙に赤い魔法陣を描いていく。
一呼吸する間に魔法陣は完成し、再び熱殺火槍が俺に向かって飛んできた。
「バッカヤロッ」
間一髪で炎の槍を躱した。
しかし、俺が避けた炎は街路の床を砕き、近くに停まっていた荷馬車へと火をつけてしまう。
荷馬車には幸い誰も乗っていなかったが、持ち主には災難だな。
「な、何事だっ!?」
「冒険者同士の喧嘩だーっ!」
「誰か兵士を呼んでこい!」
「街の中で何を考えてるんだ!!」
人々が悲鳴を上げながら離れていく。
これはドラゴグ兵がやってくるのも時間の問題だぞ……。
「少々やかましくなってしまったわね」
「誰のせいだ!」
「あなたのせいよ」
クリスタは、杖を持つ手で宙に大きく弧を描いた。
目算で半径40cmほどの巨大な魔法陣が、細かな模様と共に描き出されていく。
しかも、黒い魔法陣なんて初めて見る代物だ。
どんな魔法か想像もつかないが、ひとつだけわかることがある。
あの大きさの魔法陣から発動する魔法の被害は、俺だけでは済まないということ。
「待て、クリスタ!」
「あなたを殺すために創った魔法よ。謹んで賜りなさい――」
黒い魔法陣から暗く妖しい煌めきが周囲を照らしだした。
その漆黒の輝きときたら、ただただ不気味。
それは、かつて見た魔王の黒い炎にも似る凶兆そのもの。
「――光無き黒蝕宝珠!!」
……そして、その場が暗闇に包まれた。