4-070. プロポーズ
解雇通告した後、クリスタはほほ笑んでから一言も発さない。
それも今は無表情に変わってしまっている。
……やはり機嫌を損ねたか?
クリスタが何を考えているかわからないので、俺はじわじわと彼女に対する恐怖心で身を強張らせていった。
不意に、クリスタが胸元に指を突っ込んで煙管を取り出す。
彼女は煙管をくわえるや、指先で小さな魔法陣を描いて火皿に火を灯した。
それと同じくして、ウェイトレスが二人分のコーフィーをトレイに乗せてやってきた。
「お待たせいたしました」
ウェイトレスがテーブルの上にコーフィーカップを並べていく。
「御用がございましたら、こちらの呼び鈴を鳴らしてくださいませ」
彼女は最後に卓上ベルを置いて、店内へと戻って行った。
テラスは再び俺達だけになり、静寂が流れ始める。
クリスタは煙管を唇から離すと、ふぅと白い煙を吐いた。
「話の続きをどうぞ」
彼女は取り乱すこともなく、いつも通りの超然とした態度で俺を見つめている。
怒気も嫌悪も感じられないその双眸に、俺は背筋が凍る思いだった。
俺はリュックから布を取り出し、それを開きながら若返りの秘薬をテーブルの上に晒した。
すると、彼女の視線が俺から秘薬へと移った。
希少品の中の希少品だ。
クリスタの興味が惹かれないわけがない。
「もちろん一方的に追い出すつもりはない。きみには、迷惑料としてこの若返りの秘薬を進呈させてほしい」
その時、クリスタの口元が緩んだ。
「若返りの秘薬――少し前に、海峡都市の競売で出品されたと伝え聞いてはいたけれど」
「その実物だ」
「あなたが〈ハイエナ〉を追っていたのは、これを手に入れるためだったわけね」
「その通りだ」
「目的は? 私に解雇を受け入れさせるためかしら」
クリスタの視線が再び俺の顔へと戻った。
彼女は微笑をたたえていたが、何か不安をはらむ表情だった。
怒っているのか?
喜んでいるのか?
その心中は、俺にはまったく読めない。
「そ、そりゃあ……突然の解雇のお詫びだよ。俺からのせめてもの誠意さ」
俺の言葉を聞いて、クリスタはうんうんと頷いた。
どうやら彼女の逆鱗に触れることなく済みそうだ――
「私もずいぶん安く見られたものね」
――否。そんなことはなかった……?
「……なんてね。冗談よ」
「お、驚かすなよ」
クリスタはニコリと笑った。
こんな状況でなければ、見惚れてしまうほどの笑顔だっただろう。
「よく私が時を欲しているとわかったわね。てっきり希少な宝石で懐柔してくると思っていたのに、予想が外れたわ」
今の彼女は、自分史の館で視た未来と明らかに様子が違う。
どうやらあの最悪の未来――クリスタの怒りを買って殺されるという未来は、避けることができたようだ。
俺は緊張で強張った体が和らいでいくのを感じた。
「こんな貴重な物をいただけるなんて恐縮するわ。ありがたく納めさせていただくわね」
そう言うなり、クリスタは若返りの秘薬の瓶をつまんだ。
そして、胸の谷間へと押し込んでしまう。
そこに瓶がすっぽりと収まってしまったことに、今さら驚きはない。
「これで交渉成立……と思っていいよな?」
おっかなびっくり、クリスタに尋ねてみた。
彼女はくすくすと笑った後――
「成立としましょう。私は〈ジンカイト〉を離れることにするわ。今までお世話になったわね」
――あっさりと言い放った。
想像以上の成果に、俺は驚きを隠せない。
解雇通告など所属冒険者にとっては屈辱とも言える事態。
プライドの高いクリスタがそれすらも受け入れてしまうとは、若返りの秘薬にはそれほどの価値があると認めたということだ。
「記章を渡してもらえるか?」
「ええ。少々、名残惜しいけれど」
クリスタは冒険者タグから記章を取り外し、テーブルの上に置いて、それを指先で俺の手前まで滑らせてきた。
その際、彼女の大きな胸がどしりとテーブルに乗るのが目に入り、思わず息を呑んでしまう。
「……た、確かに」
俺は〈ジンカイト〉の記章を手に取り、ポケットへと収めた。
クリスタに視線を戻すと、彼女はニコニコと笑っている。
敵意や殺意といった負の感情は感じられない。
むしろ好意的な表情だ。
「これで私は、ただのクリスタね」
「クリスタリオス、じゃなくていいのか?」
「ふふ。あなたの前ではクリスタでいいのよ」
「そうか」
拍子抜けするくらい、あっさりと解雇を受け入れてくれたな。
もちろんそれが望ましいが、思いのほか簡単に話が終わってしまったことに戸惑いを感じているのも事実。
まだ解雇対象者は半分以上残っているが、もっとも厄介であろうクリスタの件が決着したことで、俺は早くも肩の荷が下りた気分だ。
「ここの勘定は俺にさせてくれ。そのくらいは――」
「今の私にとってギルドは二の次なの」
俺が言い終える前に、クリスタがかぶせてきた。
「二の次って?」
「私もあれからあなたのことを観察してきたのだけど……。若返りの秘薬を求めて動いていたなんて見落としていたわ」
「観察? 俺を? な、なんで……」
クリスタが突然、妙なことを言い始めた。
観察って俺を監視していたってことか?
なぜクリスタが俺を監視する必要があるんだ?
それに、あれからって……いつからだ?
発言の意図が読めず、俺は困惑した。
「ギルドマスターがあなたを後任にすると宣言したのは、4月1日のことだったわね。あれから三ヵ月と少し経ったわ」
「もうそんなに経つのか」
「この三ヵ月、私はずっとあなたを視てきた。ジャスファはいいとして、まさかクロードを退けるとは思いもしなかった」
「……どこまで知っているんだ?」
「クロードといえば、人造人間のことは残念だったわね。あれが生き延びていたら、きっと世界を変える存在になっていたでしょうに」
「ちょっと待て、待ってくれクリスタッ!!」
つい声を荒げてしまった。
クリスタは俺がクロードと戦ったことだけでなく、人造人間のルビィのことまで知っている。
前者はまだしも、後者はその存在自体、俺とネフラ以外は知らないはず。
なぜクリスタがそれを知っているんだ!?
「ジルコ、落ち着いてコーフィーでも飲みなさいな。冷めてしまうわよ?」
「答えてくれクリスタ!!」
「女を急かせる男は嫌われるわよ」
「答えをはぐらかす女も好かれるとは思えないな!」
「言うわねジルコ」
クリスタがおかしそうに笑う。
どこもおかしくないだろう!
おかしいのは、知らないはずのことを知っているお前だ!!
「そもそも、どうやって俺を監視していたんだ!?」
「重要なのは、どうやって観察していたのかより、なぜ観察していたのか……ではなくて?」
「……その通りだ。なんで俺を観察していたんだ?」
いつの間にか、話の主導権をクリスタに奪われてしまっている。
きっと俺の質問も彼女にとっては想定内のものなのだろう。
だが、俺は背中に感じ始めた悪寒を振り払うためにも、どうしてもそのことを聞かずにはいられなかった。
「あなたが私を殺したからよ」
「は?」
……今、私を殺したから、と言ったよな。
クリスタの奇妙な発言もここに極まった感じだ。
意味がわからない。
「あなたには私が何を言っているかわからないでしょうけど、確かにあなたは私を殺したの。ゾイサイトやクロードならまだしも、まさかあなたが私を殺せるほどの器だとは思わなかったわ」
「ちょちょちょ……ちょっと待てって。俺がきみを殺した?」
「そうよ。ここを銃で一撃――」
彼女は左胸の膨らみを持ち上げながら続ける。
「――あれは痛かったわ」
次いで、クリスタは煙管をテーブルの上に置いた。
空いた手には代わりにコーフィーカップを取り上げ、口へ運んでいく。
澄まし顔の彼女に対し、俺はテーブルに身を乗り出して当惑している状態だ。
我ながら情けないが、事態を飲み込めないのだから仕方がない。
「待て待て待て待て。意味がわからないって!」
「闇の時代、最後にあなたと一緒に戦ったのは忘れもしない――リヒトハイムでの魔王との決戦だったわね」
「……ああ」
「あれから九ヵ月……強くなったわね、ジルコ。それとも勇者の影に隠れていただけで、あの頃から今ほどの力があったのかしら?」
カップをテーブルに戻したクリスタは、頬杖をついて俺をじっと見つめる。
その表情はうっとりとしていて、眼差しはにわかに潤んでいる。
そんな目で見つめられた俺は一層困惑を深めた。
「俺はきみを殺した。だから、きみは俺を観察していた。そういうことか?」
「ええ」
「それじゃ、なんで今きみは生きているんだ。おかしいだろう!」
「このコーフィーハウスで起きるはずだった、もうひとつの可能性よ。でも、それはもう別の未来に置き換わったわ」
今の発言を受けて俺はハッとした。
クリスタが何を言っているのか、わかってしまったのだ。
……俺と同じだ。
彼女は俺と同じく未来を視たのだ。
エル・ロワ王都にある自分史の館――シリマのもとで、彼女もまた自分史の未来を視たに違いない。
「未来……」
「そう、未来。このコーフィーハウスでは、私とあなたが戦う可能性があったの」
「……」
「顔色が悪いわよ。コーフィーを飲んで一服したら?」
俺はクリスタに言われるまま、コーフィーを手に取って一気にあおった。
香りは良いが、甘みのない苦い味。
砂糖を頼めばよかったと今さらながら後悔した。
「……落ち着いた。詳しく教えてくれ」
平静を装いつつ、俺は改めてクリスタに説明を求めた。
「信じがたいでしょうけれど、私はある人物にこれから起こりうる未来を視せられたの。その時に視えたのが、ここで私とあなたが戦い、私があなたに殺される未来だった」
「お、俺がきみを……殺せた、のか?」
「あなたに有利な条件が揃っていたけれどね。でも、この私が殺されるなんてとても信じられなかった」
これはどういうことだ?
俺の視た未来と結末が違うじゃないか。
俺はコーフィーハウスでクリスタの怒りを買って殺された。
しかし、彼女は自分が俺に殺されたと言う。
俺と彼女の視た未来が重ならないのは、一体どういうわけだ!?
「信じられないな……」
「その未来を知った今だからこそ、私はあなたの評価を改めた。そして、それを確信に変えるためにあなたの観察を続けてきたの」
「……で、その結果は?」
「合格よっ!!」
クリスタが満面の笑みで告げた。
それは、ごく普通の町娘と変わらない屈託のない笑顔。
今まで見てきたクリスタの笑顔の中でも異質。
それでいて、格段に……可愛い。
「合格って、どういう意味だよ」
「至高深淵の領域には一世代での到達は困難。でも、子孫に引き継いでいけば、いつの日か私の目標が達成される。私は自らを研鑽すると共に、私の伴侶に相応しい男性を捜していたの!」
「は、はんりょぉ!?」
「ジルコ。私と婚姻を結び、子供を作りましょう! あなたにはその資格がある!!」
度肝を抜かれた。
婚姻、子作り……まさかそんな話をクリスタとすることになるなんて。
クリスタがテーブルに身を乗り出し、俺の手を握ってくる。
前傾姿勢となったことで、必然的に胸の谷間が強調され、思わず目が奪われそうになった。
だが、俺は彼女の顔から視線を動かすのを何とか耐え凌ぐ。
その一方、クリスタは頬を赤らめ、目を潤ませ、俺を見つめていた。
……どうやら本気らしい。
「ちょっと待ってくれ。頭の中を整理したい」
「その必要はないわ。今の話がすべて。あなたは承諾するだけでいい」
わお。
こんな告白をした後でも、身儘なのは変わらずか。
「あなたとの子供なら、きっと私を超える次世代の天才が生まれる。私が今生で目的を果たせなかったとしても、その子が、その子の子孫が、いずれ必ず私の夢を叶えてくれる。未来は明るいわ!」
未来は明るいだって?
それは、お前だけの未来じゃないか。
俺の意思を無視して、理想の未来を想像して悦に浸ってやがる。
クリスタらしい……身儘な人間の成せる業だ。
そんな一方的で押しつけがましい愛情など、受け入れられるか。
否。愛情であるかすら怪しい。
クリスタは伴侶だの子供だの言うが、どこまで行っても自分なのだ。
俺はそんな考え方の女を愛せない。
「断るっ!!」
俺はクリスタの手を払い除けて、真っ向から拒絶の言葉を返した。
刹那、彼女の顔は――
「は?」
――殺意を帯びた冷酷な表情へと変貌した。
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