4-068. パーティー解散、それから
俺がヴェニンカーサ伯爵邸へ戻った時には正午を過ぎていた。
服は新品同様に修繕され。
石鹸で洗われた全身は生まれ変わった心地。
ドラゴグでの長い旅の垢を落とせたようで〈竜の宿〉は最高だった。
……ただひとつ、ネフラがいなくなったことを除いては。
彼女は俺が浴場から出た時には〈竜の宿〉から姿を消してしまっていた。
伯爵邸に戻ってから彼女の部屋を訪ねたが、荷物も置きっぱなしで戻った形跡はない。
あんなことがあった直後だけに、気が気ではない。
そんなことを考えながら、庭先で空を見上げていると――
「ジルコ様」
――伯爵夫人が話しかけてきた。
「キャッタン様から聞きました。すぐにお発ちになるのですよね?」
「〈ハイエナ〉の件も片付きましたから。短い間でしたが、伯爵夫人にはお世話になりました」
「寂しくなりますわ。夫はまだしばらく帰ってきませんから」
「そういえば、ドゥーム伯爵はどちらに?」
「夫は今、サンクトエイビスへ遠征中ですの」
サンクトエイビス……。
かつて東アムアシア屈指の強国だったが、八十年ほど前に魔物に滅ぼされてしまった騎士国家だ。
ドラゴグの東に現れた魔物の群れは、サンクトエイビスの地から北上してきた可能性もあると思っていたが、すでに帝国は調査を進めていたんだな。
それにサンクトエイビスを南へ下ると最初の魔王が発生したとされる滅びの沼がある。
もしかして……。
「伯爵は滅びの沼の調査に?」
「察しが良いですわね」
伯爵夫人は俺の隣に立つと、青い空を見上げた。
そして、興味深いことを話し始める。
「東に魔物が大量発生した際、竜帝はいち早く魔王の再出現を警戒されました。そこで私の夫を、東より先の地――すなわちサンクトエイビス、そして滅びの沼の調査へと向かわせたのです」
「半年前にも滅びの沼は調査隊が派遣されたはず。その時には異常なかったと聞いていますが」
「でも今はどうなっているか……。現に、魔物が群れをなすほどの侵蝕が起きているのですから」
思えば、俺とクリスタが戦った三匹の魔物の正体も知れない。
サンクトエイビスの方で何かが起こっているのだろうか……?
伯爵夫人にならって、俺も空を見上げた。
すると、ちょうど白い鳩が真上を突っ切って行った。
「先週までは、二日おきに夫から報告書が届いておりましたの」
「伝書鳩ですか」
「ええ。でも、今週に入ってからは一通も報告書が届いておりません。軍は遠征隊に何かあったのではと考えているのですが……」
「さすがにサンクトエイビスへと援軍を派遣する余裕はない、と」
「その通りです。昨晩から、ようやく東へ向かった兵達の帰還が始まっております。すぐに遠征隊の安否確認へ、というわけにも参りません」
「……心配でしょう。伯爵のこと」
大切な人が無事かどうかすらわからない。
伯爵夫人は顔にこそ出していないが、その心中は穏やかではないだろう。
「わたくしは夫の無事を信じています。ですから――」
伯爵夫人は俺に向き直るや、そっと俺の頬を撫でた。
「――あなたも心配なさらないで。ネフラ様はきっと無事に戻りますわ」
……俺の方はバレバレだったか。
「ありがとうございます。伯爵夫人」
「結婚は良いです。あなた達も時がきたら、ぜひ……ね?」
突然そんなことを言われたものだから、俺は顔が熱くなってしまった。
それを見た彼女は、笑いながら踵を返す。
「ああ。そうですわ――」
屋敷へ向かう途中、彼女は足を止めて俺へと振り返った。
「――競売品を取り戻していただいた時のお約束がありましたわね。わたくしが落札した宝石は、すべてあなたにお渡しするようエル・ロワからいらした兵士長様にお伝えしておきました」
そう言われて、伯爵夫人から宝石を譲ってもらう約束をしたことを思い出した。
若返りの秘薬を取り戻したことで、宝石のことはすっかり忘れていた。
「……そうでしたね。ありがたくいただきます」
「また帝都にいらした時は、ぜひ訪ねてくださいな。歓迎いたします」
彼女は朗らかな笑みを残し、屋敷へと入っていった。
ヴァンパイア――イシュタ・ヴェニンカーサ伯爵夫人。
稀有な存在である彼女が愛した男、ドゥーム・ヴェニンカーサ猛将伯とはどういう男なのだろう。
縁があれば、ぜひとも一度会って見たいものだ。
「ジルコさ~ん」
次に声をかけてきたのは、慌てた様子で走ってくるキャッタンだった。
「どうした?」
「兵士長との約束の時間が近いですから、そろそろ屯所へ行きましょう!」
「ああ。そうしようか」
「伯爵夫人とのご挨拶は済ませました?」
「今さっき」
「……ネフラさんは?」
「まだ戻っていないよ」
「そ、そうですか」
キャッタンが耳を寝かせて顔を曇らせてしまった。
浴場での件を彼女なりに心配してくれているのだろう。
「心配ないよ。ネフラはきっと戻ってくる」
「だといいんですけどねぇ……」
「それより、デュプーリクの様子はどうだ?」
「あー……。あの人、まだ一人で歩けないような状態です」
「兵士長がなんて言うか見ものだな」
「きっと私が怒られますよ……」
◇
伯爵邸から、最寄りの帝国兵屯所へ。
俺達が到着した時には、すでに玄関先のホールには兵士長が腕を組んで待ち構えていた。
彼とは海峡都市の王国兵駐屯所で会って以来、半月ぶりだ。
「久しぶりだな。ジルコ、ヘリオ、デュプーリク、キャッタン。任務全うご苦労だった」
兵士長からの第一声は、俺達への労いの言葉だった。
「一人足りないようだが?」
「ネフラは、わけあってこの場には来れません」
「そうか」
兵士長は少し戸惑った様子だったが、気を取り直して話を続けた。
「競売品奪還までの経緯は、キャッタンから定期的に届いた伝書鳩の報告で把握している。結果から見ても、お前達の決断は正しかった。今回の件は上層部も評価している」
「やったぁ!」「やったぜっ」
「ところで――」
兵士長が、ヘリオに肩を借りているデュプーリクをギロリと睨む。
「――お前から酒の匂いが漂ってくるのは、どういうことだ? デュプーリク」
「ギクッ」
まぁ、そりゃバレるわな。
俺やヘリオ、キャッタンも〈竜の宿〉では酒を飲んだが、デュプーリクは午後の予定があるのを知りながらベロンベロンに酔っぱらっていたのだ。
任務が完了したとは言え、言い訳の余地はない。
「貴様、国家の威信を懸けた重大な使命だと念を押して言ってやったのに、なんたる醜態だ!」
「ちょ、待ってくださいよ兵士長! もう任務完了したんだから――」
「馬鹿者がっ! 他国で無様をさらすとは何事かっ!!」
ガツンと一発、強烈なゲンコツがデュプーリクの頭に炸裂。
彼はたまらずその場にひざまずいた。
それまで肩を貸していたヘリオも、まさかの制裁に閉口している。
「デュプーリク、キャッタン! 貴様らの次の任務はすでに始まっている。気を抜くような真似は許さんぞ!!」
「なんで私までぇ~」
「何か文句が!?」
「なな、なんでもありませんっ!」
キャッタンは兵士長に怒鳴られて、背筋も耳もピンと伸びた。
彼女はデュプーリクのお目付け役みたいなものだし、一緒に怒られるのは仕方がないな。
「〈ハイエナ〉のリーダー捜索は、王国軍と帝国軍の合同で行うことが決定した! 貴様ら二名はただちに西門へ向かい、捜索隊と合流せよ!!」
「「りょ、了解しましたっ」」
デュプーリクとキャッタンは、すぐに屯所を飛び出した。
しかし、ふらふらのデュプーリクはまともに走ることすらできない。
キャッタンが呆れた顔で彼を支えながら、二人して街路を走っていく。
……やれやれ。ちゃんと別れの挨拶もできなかったな。
「まったく。エル・ロワの恥だ!」
二人の後ろ姿を見送りながら、兵士長が毒づく。
「あいつらとの旅も悪くありませんでしたよ。それに、なんだかんだ競売品の奪還に貢献したわけですし」
「……そうか。ならばよい」
俺からできるフォローはこれくらいだ。
リーダー捜索の方は任せたぞ、デュプーリク、キャッタン。
兵士長はせき込んだ後、俺に麻袋を差し出してきた。
受け取ってみて、軽い石のようなものが入っていることがわかった。
「……これ、宝石ですか」
「そうだ。競売品のうち、ヴェニンカーサ伯爵夫人が落札したすべての宝石をその中に選り分けてある。彼女からのご厚意だ」
約束通り、伯爵夫人は競売で落札した宝石を譲ってくれたようだ。
だが、さすがにこれ全部というわけにはいかない。
俺は本来必要な宝石――タンザナイト、マスグラバイト、アレキサンドライト――だけを受け取り、残りは麻袋ごと兵士長へと突き返した。
「それだけでいいのか」
「ええ。この三つだけで十分です」
「私は宝石には疎いからわからんが……お前がそう言うのなら、残りは私が責任もって伯爵夫人にお返ししておこう」
「頼みます」
……なんとか手に入れることができたか。
タンザナイト、マスグラバイト、アレキサンドライトの三つの宝石。
これでサルファー伯爵の依頼も無事終了だ。
「あっと。そうそう、一番肝心なものをもらってなかった」
「わかっている。これのことだろう」
兵士長が、商人ギルドの紋章が彫られた木彫りの箱を差し出してきた。
俺はそれを受け取るや、緊張しながら箱を開けてみると――
「ははっ。これも約束通りだ!」
――ついに、念願の若返りの秘薬を手に入れたぞ!!
「確かに渡したぞ」
「わざわざありがとう、兵士長」
「それと、帝都の商人ギルドの責任者がお前達と顔合わせしたいそうだ」
「帝都の商人ギルドの人が? どうして?」
「知らんよ。お前達がジニアス・ゴールドマンと繋がりがあるからじゃないか。彼は商人ギルド本部の次期幹部だろう?」
「なるほど。次期幹部と繋がりのある俺に、今のうちから恩を売っておきたいわけだ」
「報告は以上! 達者でな」
兵士長は俺とヘリオに敬礼するや、忙しない様子で屯所の奥へと入って行ってしまった。
その場に残された俺達は、互いに顔を見合わせた後、屯所を出た。
◇
屯所の外では、遠くから人々の歓声が聞こえてきた。
そこから見える東市街の大通りでは、ちょうど兵士達の凱旋パレードが行われている。
「東から帰った兵士達かな」
「おそらく。馬車も装備もボロボロですから」
「兵士達の何割が戻ってこれたんだろう」
「……あまり知りたくはないですね」
冒険者ギルドの力すら借りる状況だったのだ。
きっと未帰還者数の方が多いに違いない。
「先ほど兵士長さんに聞いたのですが、海峡都市へと競売品を運搬する商人ギルドのキャラバンが出るそうです」
「ギルドの連中が運ぶのか? 不安だな」
「捜索隊から一部の人員をそちらの護衛に回すそうです。僕も志願しました」
「そうか……」
ヘリオともお別れか。
デュプーリクもキャッタンもいなくなって、今度はヘリオ。
わかっていたことだが、物寂しい気持ちになるもんだな。
「ジルコさんはネフラさんを捜されてから帰るのですよね?」
「もちろんだ。あの子を見つけていかないと、とんでもない忘れ物をすることになるからな」
「ふふっ。そうですね」
ヘリオが俺に向き直って右手を差し出した。
俺もまた右手を差し出し、彼との間に別れの握手を結んだ。
「ジルコさん。あなたと共に戦えてよかった」
「俺もだよ、ヘリオ。いろいろ助けてくれてありがとう」
「お達者で」
「教皇様やリッソコーラ卿によろしくと伝えてくれ」
「はい。それでは、また!」
俺に手を振って去っていく教皇庁の頼れる友人は、大通りの雑踏に紛れて姿を消してしまった。
独りとなった俺の周りには、少々肌寒い風が巻いている。
ネフラを捜すのは昼飯を食べてからにしようか。
……そう考えた時、俺の背中を強い風が叩いた。
「!?」
驚いて振り向いた先には――
「時が来たわね、ジルコ」
――〈身儘の魔女〉の姿があった。
さっきまで人気のなかった場所に突然現れるとは……。
この女、また空を飛んできたのか?
「クリスタ。時が来たって、なんのことだ?」
「運命の日のお誘いよ」
「運命の日?」
……またクリスタが妙なことを言う。
「午後三時、時計塔近くのコーフィーハウスであなたを待つわ」
「コーフィーハウス?」
「私に話があるのでしょう」
「!」
そう言われた瞬間、俺は背筋に悪寒が走った。
かつて視た光景が俺の脳裏に呼び起こされたからだ。
「……そうだな。確かに話があるんだった」
「私も同じよ」
今の俺には不思議と確信があった。
自分史の館で視たあの時間に、俺はついに追いついたのだ。




