表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
160/302

4-061. 血の洗礼

 いつの間にか部屋の空気が冷え込んだ気がする。

 部屋を照らしだすランプの火は、今にも途絶えそうに弱々しい。


「思ったよりも早くお帰りになるから驚きました」


 ドアの向こう側から聞こえるのは、ヴェニンカーサ伯爵夫人の声。

 いつも通り穏やかで澄んだ声だ。

 しかし、なぜか俺はその声を聞いて背筋が凍る。


「……ジルコ様?」


 俺が返事をしないので、伯爵夫人が再度呼びかけてくる。


「どうかいたしましたの?」


 どう返事したものか。

 彼女が部屋を訪ねてきたのは、俺が戻ったことに気づいたからなのか?

 それとも地下のアレ(・・・・・)を見られたからなのか?

 どちらにせよ、このまま居留守はできない。


「先ほど戻りました」

「……そうですか」


 伯爵夫人のわずかな沈黙が不気味だ。


「今日は疲れたのでこのまま休ませてもらいます」

「そうですか」

「他に何かご用が?」

「いいえ」

「おやすみなさい、伯爵夫人」

「……時にジルコ様。玄関からすぐにお部屋までいらしたのですか?」


 話を終わらそうと思ったら、核心をつくようなことを聞いてきた。

 ここで正直に答えようものなら何が起こるかわからない。

 伯爵夫人が何をしていようと、俺の任務には関わりないことだ。

 しかもここは帝国領土だし尚更のこと。

 この場は知らぬ存ぜぬを貫き通すのが無難だろう。


「はい。疲れていたので、すぐに部屋に戻りました」

「屋敷の明かりがすべて消えていて驚いたでしょう」

「え? まぁ……」

「先ほど新しい油と蝋燭(ろうそく)が届きましてね。お客様が戻られる前に、使用人全員で屋敷のランプを取り換えて回っていたのですよ」

「外に衛兵の姿もありませんでしたが」

「彼らにも手伝ってもらっていたのです。広い屋敷ですから」

「そうだったんですね」


 ……明らかに嘘だ。

 わざわざ屋敷の明かりを全部消す必要があるか?

 〈ハイエナ〉対策に増員した衛兵まで使うのも、おかしな話だ。


「俺はそろそろ寝ます。おやすみなさい」

「おやすみなさいジルコ様」


 挨拶を済ませると、ドアの向こうから伯爵夫人の気配が消えた。

 廊下を歩き去って行ったのだろう。

 俺は両足のホルスターを外して机に投げ置き、再びベッドに倒れ込んだ。


「……散々な一日だった」


 俺は天井を見上げながら、まどろみに身を任せようとした。

 ……ぜんぜん寝つけない。

 風もないのにランプの火がユラユラ揺れていて、嫌に気になるのだ。


「ん?」


 その時、俺は周囲の違和感に気がついた。

 壁が赤い――否。壁だけではなく、色鮮やかな絨毯(じゅうたん)の敷かれた床も赤一色。

 今さっきまで茶褐色だった天井まで真っ赤になっている。

 ……どういうことだ!?


 俺はそっと机の上のホルスターへと手を伸ばした。

 わけがわからないが、何か(・・)が起こっている。


「ウソツキ」


 耳元でか細い声が聞こえた。

 瞬く間に俺の全身を寒気が襲う。


 俺はホルスターから試作宝飾銃(リヒトカリヴァー)を抜き、即座にベッドから飛び退いたが――


「ニガサナイ」


 ――体に真っ赤な何か(・・)が絡みついてきて、そのまま壁へと叩きつけられた。


「がはっ!」


 俺の体は、対面の壁から突き出ている得体の知れない何か(・・)で拘束されているらしい。

 それは熱くも冷たくもない。

 粘着性に加えて弾力もあり、引き剥がそうとしても伸びるだけだ。


 鼻に香ってくる臭いでようやくその正体がわかった。

 ……血液だ。

 血液が形をもって俺の体を押さえつけている。


「くっ」


 銃を向けようにも、それを握る腕は無理やり壁に固定されてしまっている。

 引き金を引いたところで、この危機を脱せるかは怪しい。


「だ、誰だ!?」


 言ったそばから、我ながらなんて間抜けな言葉を吐いたのかと思った。

 伯爵夫人が訪ねてきた直後にこの状況だ。

 彼女が関係ないわけがない。


「見ましたね?」


 突然、俺の耳に届いた声。

 その声に誘われて深紅に染まった床を見下ろすと、見知った人物がずるずると浮かび上がってくる。

 まるで水面から人が顔を出すようにして。


「な……!?」


 それはヴェニンカーサ伯爵夫人だった。

 彼女は一糸まとわぬ姿で部屋の中央に立つと、ゆっくりと歩み寄ってきた。

 肌は雪のように白く、赤い血が全身を流れ落ちている。

 見開かれた両の瞳は金色(こんじき)に輝いており、明らかに普段の彼女のものとは違う。


「なんなんだ、あんたは……!?」


 俺が言うや、彼女はニコリとほほ笑んだ。

 そして、付け爪をつけた人差し指を俺の唇に当てる。


それ(・・)は誰にも秘密のこと。決して知られてはならないこと」

「地下のアレは一体なんだ!? 衛兵や使用人を使って何をしていた!?」

「知られたからには――」

「俺をどうする気だ!」

「――生かしてはおけない」


 伯爵夫人の目つきが変わった。

 ……凄まじい殺気!


「う、おおおおっ」


 俺は銃口を天井に向けたまま、引き金を引いた。

 橙黄色の光線が天井を撃ち抜く。

 その余波で、体を押さえつけていた血の拘束が弾け飛んでくれた。


 拘束が解かれて床に着地すると、足元には深い血だまりができていた。

 その血だまりに俺の足はくるぶしまで浸かっている。

 どろりとした生暖かい感触……薄気味悪いったらない。


「それが宝飾銃(ジュエルガン)の光。……怖いですわね」


 伯爵夫人は驚いた素振りも見せず、白々しく言ってのけた。


「これ以上続ける気なら、こちらも容赦しない!」

「今さら収める矛はありませんわ」


 少しでも反撃までの時間を稼がないと……。

 俺は口を動かしながら、試作宝飾銃(リヒトカリヴァー)の再装填を進めた。


「あれは何の儀式だ? あんた何者なんだ!?」

「あなたは見てはならないものを見た。それ以上、言うことはありません」


 彼女が手をかざすと、手前の血だまりが妖しく(うごめ)き始めた。

 直後、針のように尖った血の塊が俺めがけて伸びてくる。


「うわっ」


 間一髪、血だまりを転がってその攻撃を躱した。

 立ち上がろうとしたところで、俺は足が重くなっていることに気がつく。

 粘り気を持った血が足に絡みついて離れないのだ。


「ジルコ様。あなたをこの手にかけるのは残念ですわ」


 天井からひと際大きな血の塊が現れたと思うと、それは次第に巨大な斧の形を成していく。

 血で武器を造ることができるのか!


「くっ!」


 幸いにも、試作宝飾銃(リヒトカリヴァー)宝石()の再装填が間に合い、血の斧が振り下ろされる前にそれを撃ち抜くことができた。

 光線に貫かれた斧は破裂し、部屋中に血の雨が飛散していく。

 血を浴びながら、俺と伯爵夫人は互いに睨み合った。


「もう終わりにしましょう」


 彼女はゆっくりと後ずさっていく。

 その背が壁に触れた途端、伯爵夫人の全身は壁の中へ溶け込むようにして消えてしまった。


 その一方で、俺は全身の自由が利かないことに気がついた。

 さっき浴びた血が俺の体にまとわりついて、(かせ)のように手足を――全身を縛りつけている。

 血の拘束を振り解こうともがいていると、頭上から血が滴り落ちてきた。


「こ、今度は何だ!?」


 見上げると、大量の血液が滝のように流れ落ちてくるところだった。

 俺はブーツから足を引き抜き、脱いだコートを傘代わりにすることで、なんとか血の滝に押し潰される前にその場を逃れることができた。

 その後も間を置かずに降り注ぐ血を躱しながら、俺は伯爵夫人の姿を捜す。

 しかし、部屋の中に彼女の姿は見つからない。


「くそっ! 姿を現せ!!」


 体についた血が重い。

 まるで磁石のように床へと引っ張られている感じがする。

 どうやら伯爵夫人は、血を操る力を持っているらしい。

 しかも、彼女自身はその血の中に姿を隠せる。

 今、俺の部屋は彼女の血によって支配され、俺自身はその手の内だ。

 部屋から出るか。

 彼女を倒すか。

 俺が生き延びるには、そのどちらかしかないようだ。


「脱出は無理そうだな」


 四方の壁は滴る血で覆われ、もはやどこが部屋の入り口かもわからない。


「戦うしかないか」


 俺は壁に背をつきながら、部屋の隅々まで視界に収まるよう努めた。

 ……それが失敗だった。

 突如、背後から二本の腕が突き出てきたのだ。


「うわぁっ!?」


 その腕に抱きしめられるのを回避し、俺は慌てて部屋の中央へと戻った。

 振り返ると、真っ赤な壁から白い腕だけがニョキっと生えている。


「うふふ」


 妖艶(ようえん)な笑い声と共に、壁から白い顔が現れた。

 さらに胸、腰、足、そして全身が壁から出てきて、俺に歩み寄ってくる。


「近寄るな! それ以上近寄れば撃つ!」

「どうぞご随意(ずいい)に」


 正面から俺に迫ってくるなんて、どういうつもりなのか。

 察するに、宝飾銃(ジュエルガン)の光線など通用しないという自信の表れか。

 だとしたら……舐め過ぎだ!


 俺は引き金を引き、迫ってくる伯爵夫人の肩口へと光線を撃ち込んだ。

 だが、肩に穴があいたと思った瞬間、彼女の体が崩れてしまった。


「なんだ!? 偽物!?」


 血で分身でも作れるのか、それとも自分自身が血液そのものに変化できるのか。

 どちらにせよ、真っ向から勝負するには分が悪い。

 ランプの明かりを頼りに宝石を再装填しようとすると、突如、明かりが消えた。

 最後に見えたのは、ランプが血だまりへと沈んでいく様子だった。


「明かりが!」


 部屋は真っ暗闇に包まれた。


「楽に殺して差し上げます。どうか抵抗なさらないで」


 暗闇から聞こえてくる伯爵夫人の声。

 どこから、どんな方法で仕掛けてくるのか。


 鼻は血の臭いでとっくに鈍っている。

 周囲からはピチャリピチャリと血の滴る音が聞こえてきて、集中力をかき乱す。

 ……次の攻撃を躱すのは不可能に近い。


「さようならジルコ様」


 その声が聞こえた瞬間、俺は覚悟を決めた。

 銃口を上へと向け――


「そうそう思い通りにさせるかよ!」


 ――引き金を引いた。

 光線の輝きに照らされ、真横から伯爵夫人が近づいてくるのが見える。

 その手には、血で作ったであろう真っ赤な短剣を握って。


「落ちろぉーーっ!!」


 俺は叫びながら、天井に伸びた光線を四角の形(・・・・)に走らせた。

 必要十分な範囲(・・・・・・・)を撃ち終えた時、装填口から宝石の潰れる音が聞こえた。

 ギリギリだが、どうやら間に合った。


「何をなさる気!?」

「幕引きさ」


 間もなくして、天井が崩れ落ちてきた。

 上階の部屋の底が抜けて、家具ごとすべて俺の部屋(階下)へと落下し始めたのだ。


「な、なんてことをっ」


 伯爵夫人は部屋中の血を突っ張り棒のように変化させ、落ちてくる天井を支えようとした。

 しかし、さすがに天井の重さに耐えられる強度にはできなかったらしい。

 突っ張り棒は次々と破裂していき、天井の落下は止まらない。


「いくら血に紛れて姿を隠せても、この部屋の血をまるごと押し潰せばさすがのあんたも堪えるだろう」

「ジルコ様、あなた――」


 伯爵夫人は言い終える前に、崩れてきた天井に押し潰された。





 ◇





 上階の底が抜け落ちたことで、部屋には瓦礫が散乱している。

 俺は光線で天井を切り裂いた時、隅にわずかな凹凸を作っていた。

 天井が落下する寸前、その凹凸部分に飛び込んだことでかろうじて押し潰されることを免れていたのだ。


 部屋の四隅を覆っていた血も消え去り、割れたガラス窓から月明かりが覗く。

 真っ暗闇から解放されて、俺はホッとする思いだった。


「う……うぅ……」


 壁と瓦礫の隙間から白い腕が伸びてくる。

 俺はその腕を掴み、力いっぱい引っ張ってやった。

 すると、瓦礫の下から全身擦り傷だらけの伯爵夫人が這い出してきた。


「ジルコ様、お見事ですわ……」


 疲弊した様子で、彼女は俺を見上げていた。

 さっきまで金色(こんじき)に輝いていた両の瞳は元に戻っている。


 俺は試作宝飾銃(リヒトカリヴァー)の銃口を彼女へと向けた。


「わたくしの負けです。お好きに……なさって」


 彼女にはすでに抵抗する力も残っていないようだ。

 もう危険はないだろう。


「好きにさせてもらいますよ」


 俺は銃身を肩に担いで瓦礫の上へと腰を下ろした。

 決着のついた今、無駄な殺生をする理由はない。


「わたくしを殺さないの?」

「事情を聞かせてください。何か力になれるかもしれない」


 伯爵夫人は俺の言葉が意外だったのか、目を丸くした。


「なんて驚きのある一日なのかしら」


 ……まったくだ。

 散々な一日だったって意味ではな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ブックマーク、感想、評価など お待ちしております。



以下より「最強ギルドの解雇録」の設定資料を閲覧できます。

《キャラクター紹介》  《ワールドマップなど各種設定》


【小説家になろう 勝手にランキング】
cont_access.php?citi_cont_id=365597841&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ