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4-060. 赤い月の夜に

 コロムバ侯爵邸を出ると、ちょうど帝国兵の増援がやってきたところだった。

 賊と勘違いされて銃剣(ソードガン)を突きつけられた時には肝が冷えたが、侯爵夫人が事情を説明してくれたおかげで事なきを得た。

 ……とんだ誤解だ、まったく。


 それからしばらくして、屋敷の火は消し止められた。

 コロムバ侯爵夫人のサロンに呼ばれていた貴族夫人達も、邸内の部屋に隠れていたところを兵士達によって順次保護されていった。

 〈ハイエナ〉の三名も、帝国兵によって装甲馬車へと連行されていく。

 キャスもウッドも後ろ手に縛られ、今はもう素顔をさらされている。

 タンカで運ばれている大男も同じだ。

 そのさなか――


「ジルコ、このクズ野郎! お前だけは絶対に許さない。いつか報復してやるからな、覚えてろっ!!」


 ――キャスは相変わらず俺を罵倒する言葉を叫んでいた。


「自分の悪事は棚に上げて、大した言いようだな。キャスリーン」

「馴れ馴れしく呼ぶな!」


 ……余計なことを言っちまったかな。

 キャスがジタバタと暴れ始めてしまった。

 どうも俺は敵対した女性とは最悪の関係になってしまうらしい。

 ジャスファしかり、ジェミニ妹しかり、いつか本当に復讐にこられたらたまったものじゃないな。


「落ちつけよ。帝国兵から心象が悪くなるぞ」

「これ以上どう悪くなるって言うんだよ!? この――」


 キャスが言い終える前に、突然その顔がはたかれた。

 頬の皮が剥けて血が飛び散る。


「お黙りなさい。社会のダニの分際で、これ以上手間をかけさせるんじゃありません!」


 キャスの頬をはたいたのはヴェニンカーサ伯爵夫人だった。

 その手には小ぶりの鞭が握られている。


「ってぇ~! なにすんだ、このクソババア!!」

「呆れますわ。それが貴族に対する口の利き方ですか。学がない娘はこれだから始末に負えない」


 伯爵夫人は何度もキャスの顔面を鞭ではたいた。

 彼女の顔が血だらけになる中、帝国兵が誰も止めないものだから、俺は耐えかねて伯爵夫人の手を掴んでしまった。


「ジルコ様」

「体に触れる非礼をお許しください。ただ、女性の顔をいたずらに傷つけるのはちょっと」

「お優しいのねジルコ様。……皮肉ではなくてよ」

「わかっています。もう、よろしいでしょう?」

「そうですわね」


 落ち着きを取り戻した伯爵夫人が鞭を下ろしたので、俺も彼女の手を離した。

 これで一件落着……と思いきや、そうではなかった。

 ぐったりしたキャスを帝国兵が運んでいく際、彼女の血まみれの顔を見た剣闘士(グラディエーター)の大男が暴れ始めたのだ。


「キャスッ! キャスッ! ダレガ、キズ、カオッ!!」


 ただでさえ正視するのもはばかられる素顔の大男は、怒りでさらにおぞましい形相へと変貌していた。

 この男に限っては念を押して鎖で拘束されていた。

 それを凄まじい怪力で引き千切ってしまうものだから、帝国兵達は騒然とした。


「キャス、ハナセ!!」


 大男は自分を押さえつける帝国兵を次々と薙ぎ倒していく。

 キャッタンの魔法を食らった上に、二階から突き落とされて全身打撲の大怪我を負っていたはずなのに、まだこんな力があったとは……。


「お、押さえつけろ! 殺しても構わんっ」


 角の生えたフルフェイス兜の兵士――おそらく隊長――が叫んだのを合図として、兵士達が一斉に大男を取り囲む。

 自分に突きつけられる銃剣(ソードガン)などお構いなしに、大男はますます狂暴になった。


「落ち着けクライヴ! これ以上抵抗してもうまくねぇぞ!?」


 ウッドは慌てた様子で大男の説得を試みている。

 だが、奴の耳には一切届いていない様子。


「キャス! キャスゥ!!」


 大男はキャスの名を叫びながら彼女を連行する兵士達を追いかけ始めた。

 帝国兵はその猛攻にビビってしまって、取り押さえようと動く者は誰もいない。


「ったく、仕方ないな! ヘリオ、手を貸してくれ」

「わかりました」


 俺は試作宝飾銃(リヒトカリヴァー)を構えて、ヘリオと共に大男を追いかける。

 すると突然、大男の顔面が爆発した。

 否。誰かが熱殺火槍(ファイア・ランス)を撃ち放ったのだ。


「カ……ハ……」


 顔面に火魔法の直撃を受けた大男は、地面へと崩れ落ちた。

 その顔は見るも無残。真っ黒に焼けただれている。


「キャッタンか!?」

「わ、私じゃありませんっ」


 俺が問い詰めると彼女は首を横に振って否定した。


「……まったく。なぜ犯罪者という(やから)は立場をわきまえないのかしら」


 不意に、ヴェニンカーサ伯爵夫人が不機嫌そうにつぶやいた。

 彼女はいつの間にか手袋を外していて、その指先からにわかにエーテル光が煌めいている。


「それ、付け爪ですね。宝飾された付け爪なんて初めて見ました」


 ネフラがそう言ったのを聞いて、俺は伯爵夫人が付け爪をつけていることに気がついた。

 エル・ロワにもドラゴグにも、付け爪の文化はない。

 確か西方で発祥した文化のはずだ。

 ましてや、宝飾付け爪(ジュエルネイル)など俺も初めてお目にかかる。


「護身用に身に着けていましたのよ」

「伯爵夫人は魔法の心得がおありなのですね」

「わたくし、若い頃に少々魔法の指導を受けましたの。でも、その才能は褒められたものではありませんでしたわ」


 指先の付け爪を眺めながら、うっとりした面持ちで伯爵夫人が言った。


 それにしても、顔面めがけて熱殺火槍(ファイア・ランス)とは……。

 あの大男でなければ首から上が吹っ飛んでいただろう。

 ……怖っ!


「イシュタ。今夜はこんなことになってしまったけど、また別の機会にサロンを楽しみましょう」

「もちろんです。その時には、侯爵夫人のお好きなダージェリンの紅茶をお持ちしますわ」

「まぁ、嬉しいわ。楽しみにしていますね」


 伯爵夫人と話し終えたコロムバ侯爵夫人は、次に俺の元へと歩み寄ってきた。


「改めてお礼を言わせていただきたいわ。あなた達が来てくれなければ、私もイシュタもどうなっていたか」

「礼には及びません。それに、俺達も屋敷を少々痛めてしまいましたし……」


 キャッタンに目を向けると、彼女は引きつった顔で目を泳がせていた。

 責任を追及されたら容赦なく名前を出すからな。


「屋敷のことは気になさらないで。悪事を働く(やから)を捕まえることが最優先ですものね」

「恐縮です」


 侯爵夫人はニコリと笑うや、(きびす)を返した。

 中庭の中央で足を止めた彼女は周りの帝国兵達に謝辞を述べ始める。


「ご苦労様です。あなた方のおかげで、私もこの通り無事に済みました。屋敷の火も消え、賊も捕まりました。皆さんの活躍に心よりお礼申し上げます」


 帝国兵達から歓声が上がる。

 兵隊への気遣いと賛辞を忘れないとは、さすがは帝国侯爵のご夫人。

 人心掌握の術に優れているようだ。


「加えて今回、エル・ロワ王国より勇敢なる戦士達が応援に駆けつけてくださいました。国境を越えて手を差し伸べてくれた彼らに、私は感謝の意を申し上げたいと思います」


 侯爵夫人がそんなことを言うものだから、俺達は何十人もの帝国兵から一斉に視線を集めてしまった。

 ……正直、居心地が悪い。


先遣隊(あなた方)のご要望通り、残りの賊の居場所が判明したなら連絡させましょう」

「ありがとうございます。コロムバ侯爵夫人」


 ……帝国兵の視線が急に刺々しいものに変わった気がする。


 それからしばらく、侯爵夫人の演説のような謝辞は続いた。

 その時に気づいたことがある。

 今宵、夜空に浮かぶ月が嫌に赤く光っていたことに。





 ◇





 その後、俺達は侯爵夫人の好意で別邸に招かれた。

 彼女は急遽、俺達への感謝の印として宴会を開いてくれたのだ。


 デュプーリクは英雄扱いを受けて浮かれてしまっている。

 キャッタンはそんな彼に呆れながら、本隊への状況報告のために駅逓館(えきていかん)へと向かった。

 ヘリオも教皇庁への連絡のため、キャッタンに同行する。

 ネフラは侯爵夫人に別邸の蔵書へと連れて行かれたきり戻ってこない。

 俺はと言うと、一日の疲労が一気に襲ってきて非常に(まぶた)が重くなっていた。


「眠い……帰ろう……」


 俺は侯爵夫人に挨拶を告げて、一足先に伯爵邸へと戻ることにした。

 馬車で送ると言われたが、眠気覚ましに歩いて帰るつもりだった俺はその申し出を固辞した。

 赤い月夜に照らされながら、俺が伯爵邸へとたどり着いた時――


「……?」


 ――なぜか、屋敷からは一切の明かりが消えていた。


 中庭にあれだけいた警備兵も、屋敷の中のメイドも、忽然(こつぜん)と姿を消している。

 一体これはどうしたことだろう。

 俺は不気味な静けさのおかげで眠気が覚めてしまった。


「なんだか気味が悪いな」


 屋敷に入っても誰の出迎えもなく、ホールは真っ暗なまま。

 夜目が利く俺には窓から差す月明かりさえあれば移動に支障はないのだが、あまりにも雰囲気が違うことに少々身構えてしまう。

 ひとまず俺は自分の部屋へ戻ることにした。


「……ん?」


 廊下を歩いていると、どこからか声が聞こえてきた。

 まるで大勢が歌でもうたっているような……。

 その声をたどっていくと、廊下の突き当りに地下室への入り口を発見した。

 好奇心に駆られてその階段を下りていくと――


「また扉だ」


 ――開きかけの扉が目に入った。

 声は間違いなくその扉の先から聞こえてきている。


 扉をくぐった先には、やはり真っ暗な廊下が続いていた。

 注意を払いながら進んでいくと、ランプを持ったメイドが歩いてきたので、俺はとっさに身を隠してしまった。

 ……泥棒でもあるまいし、何をやっているんだ俺は。


 メイドが階段を上がって行くのを見送った後、さらに廊下の奥へと進む。

 そして、突き当たりにあるもうひとつの扉を開けると――


「……なんだこりゃ」


 ――俺は自分の目を疑った。

 薄暗い部屋の中で、ひざまずいた裸の男女が熱心に呪文のような言葉を唱えているのだ。

 彼らは数十本の蝋燭(ろうそく)に照らしだされ、その光景はさながら悪魔教の夜宴(サバト)のようだった。

 おそらく女は屋敷のメイド達、男は屋敷を警備していた兵士達だろう。

 彼らが一丸となって唱えているのは、どうやら大陸共通言語(アムアータング)ではない。


 彼らの視線は、奥にある背の低い祭壇へと向けられていた。

 祭壇には、全裸の上に黒いマントだけを羽織っている女性の姿が……。

 彼女は顔をうつむかせ、周りの連中と同じように呪文を唱えている。

 しばらくして声が止むと、女達が祭壇へと大きな(かめ)を運んできた。

 直後、マントの女性が壺の中へと両手を突っ込み、液体をすくい上げる。

 それを自らの顔へと運ぶや、大量に口へと流し込んでいった。

 ……それは血液だった。

 口から漏れた血は、彼女の異様に白い肌を赤く染めていく。

 祭壇の前でその様子を見守っていた男女は、感嘆とした声を上げた。


「今宵は赤き月の夜。あなた達のおかげで、此度(こたび)の喉の渇きを癒すことができました。心より感謝いたします」


 男女に語りかける祭壇の女性。

 その声は――


「赤き血は、わたくしの霊力の根源。この身を癒す生命の源泉。そして、あなた達はわたくしの愛すべき眷属。日々の献身、感激至極でございます」


 ――ヴェニンカーサ伯爵夫人のものだった。


 俺は背筋が寒くなった。

 明らかに、見てはいけないものを見てしまった。


「……っ」


 俺は息を殺したままゆっくりと後ずさり、忍び足で地下を出た。

 それから一目散に自分の部屋へ戻ると、ベッドに倒れ込む。


 ……今日の俺は疲れているらしい。

 考えてみれば、東で三匹の魔物と交戦した直後、空を飛んで帝都へと直帰し、まともに休む間もなく侯爵邸へ赴いて〈ハイエナ〉と戦ったのだ。

 疲労が蓄積していた俺は、白昼夢を見てもおかしくはない。


 ……。


 …………。


 …………ってなことには、ならないよなぁ!


「あれは紛れもない現実だ。ヤバいものを見ちまった……」


 いまだに背筋が寒い。

 なぜヴェニンカーサ伯爵夫人はあんなおぞましいことを?

 そもそも、あの(かめ)いっぱいの血液をどうやって手に入れたんだ?

 ……疑問が尽きない。


 その時、部屋のドアがノックされた。


「だ、誰だ……?」


 ホルスターに収めた試作宝飾銃(リヒトカリヴァー)へと手を伸ばしながら、俺はドアの向こうにいる何者かへと問いただした。

 しばらく沈黙が続いた後、返答があった。


「ジルコ様。いつ、お戻りに?」


 ヴェニンカーサ伯爵夫人の声だった。

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