4-056. ジルコ&クリスタVS双頭の魔物⑤
大空を飛ぶのは心が躍る。
……にしても、女性に抱き着いていないと地上に真っ逆さまというのは、ゾッとしないな。
「これだけ上空に来れば、大魔法に十分なエーテルが満ちているわ」
「やれるのか!?」
「やるのよ。私とあなたの二人でね」
「またさっきのとんでもない大魔法を使うのか?」
「いいえ。ここは酸素が薄い。火属性体系の魔法では地上ほどの威力は見込めないし、何より標的を狙いにくいわ」
クリスタは思案を巡らせながら、周囲を見渡している。
一体何を見ているのか……。
こんな上空には鳥一匹飛んでいないってのに。
「雲が低いわね」
……雲?
顎を下げて下方――クリスタから見れば上方――を見ると、小さな綿雲が浮かんでいる。
こんな間近で雲を見るなんて、生まれて初めての体験だ。
「何をするつもりだ?」
「あなたは黙っていなさい。今度こそトリを務めさせてあげるから」
言いながら、クリスタは頭上に魔法陣を三つ描き始めた。
青、赤、緑――三色の魔法陣。
それぞれ半径40cm程度の大きさだが、三つ同時とは多重魔法でも仕掛けるつもりなのか?
「見ていなさいジルコ。森羅万象が神だけのものではないこと、この私が証明してあげるわ!」
最初に完成したのは青色の魔法陣だった。
まばゆい光を放ちながら、空に大量の水泡が撒き散らされていく。
続いて、赤色の魔法陣が輝き始める。
魔法陣からは空中を水平に炎の膜が走っていき、先ほど撒き散らされた水泡を受け止めるようにして拡がっていく。
炎の膜と触れた水泡は、端から蒸発していって大量の水蒸気が発生した。
最後に緑色の魔法陣が輝くと、俺達の周囲に風が巻き始めるのを感じた。
その風はどんどん勢いを増していき、上空へと突き抜けていく。
「……なんだ?」
突然、辺りが肌寒くなっていくのを感じる。
いつの間にか、空中に走っていた炎の膜は消えていた。
代わりに大量の水蒸気が上空へと昇っていく。
否。それはすでに蒸気ではなく――
「ま、まさかっ!?」
――黒い雲となって、内側からバチバチと明るい光を発生させていた。
信じられない。
水蒸気が見る見るうちに雲――否。雷雲へと成長していく。
「下準備は終わりよ」
クリスタが言うと、雷雲からバチッと雷光が光るのが見えた。
「雷を作り出したのか!」
「曰く、神は天候を操り、愚かな人間達の背徳の都を焼き払った。古の人々が天の火と恐れた神の力も、私の知識と技にかかれば再現など造作もないわ」
雷の魔法とはよく創作物の中で語られるらしい。
だが雷の魔法は本来存在しない。
しかし、まさか魔法で作り出した自然現象を重ね合わせることで、雷を実現させてしまうなんて……。
突然、雷光が弾けた。
その光は今にも俺達まで届きそうだ。
「このままじゃ俺達が打たれるぞ!?」
「そんなにビクビクするなんて、情けない人」
クリスタがサドっ気たっぷりの笑みで俺を見下ろしてくる。
……もういつものクリスタに戻ったみたいだ。
俺とクリスタの体が、すうっと空中を滑るように雷雲から離れていく。
その間も、雷雲は周囲の雲を巻き込んで大きく成長していた。
ゴロゴロと轟音を響かせながら、巨大な雷雲が今にもはち切れんばかりの稲光を内側へとため込んでいる。
クリスタが杖を大振りにして、新たな魔法陣を描き始めた。
その円陣構築模様は極めて複雑。
彼女がゆっくり時間をかけて描画していくのを見て、よほど大きな魔法なのだということがわかる。
「鍵は我にあり!」
魔法陣が白く輝きだしたと同時に、クリスタが叫んだ。
「雄大なりし天地を結ぶ雷公よ、彼方の門より来たれ――」
いつになく熱のこもった呪文詠唱。
それを聞きながら、俺は雷雲から金色に輝く雷が白い魔法陣へと吸い込まれていくのを目にした。
「――我願うは、地を這う盲目なる獣への雷霆の断罪! 降れ、天地割る威風なりし厳つ霊!!」
瞬間、雷光の煌めきと雷鳴の嘶きが起こった。
「至高天より裂き到る雷公鞭!!!!」
あまりにまぶしく、俺は思わず目を閉じてしまった。
なのに、その光は瞼の裏からでも明るさを感じ取れるほど。
まさに今、凄まじい雷撃が空から地上へと走ったのだ。
恐る恐る目を開けてみると、地上には呆れた光景が広がっていた。
俺達の真下から地平線の彼方まで続く、横幅数十mほどの裂け目。
その裂け目は深く、底が見えない。
一帯の牧草地は広範囲に及んで禿げ上がり、火の粉と共に焼け焦げた草花が風に流れている有り様。
……人が起こした事象とは、とても思えない。
唖然とする中、俺は裂け目からやや離れた場所で三つの黒煙が空に昇っているのを見た。
「あれは……!」
黒煙をたどった先には、三つの黒い塊が転がっていた。
それらはにわかに動いており、一部から黒い炎を燃え立たせている。
間違いなく三匹の魔物だ。
足や尻尾は焼け落ち、黒焦げの芋虫のような姿になってもなお、あの三匹は生きている。
「あいつら、まだ――」
その時、不意に浮遊感が消失した。
俺とクリスタの体が地面へ向かって落下を始めたのだ。
「エーテルが尽きたっ」
勢いよく落ちていくさなか、クリスタが杖を振った。
一瞬、ふわりとした浮遊感が戻るも、落下を止められたわけではなく……。
「……なんとか転落死は免れられそうね」
しばらくの間、俺はクリスタを抱きしめたまま、空中を緩やかに落ちていく状態となった。
ちょうど俺の頬に彼女の胸の弾力が感じられて……とても気まずい。
「どさくさに紛れてずいぶん好き勝手してくれたわね」
「不可抗力だ……っ」
なんとか無事に地上へと着地することができた俺達だったが、ここで一休みというわけにはいかない。
「約束通りトリを務めさせてあげる」
そう言うと、クリスタは地面に座り込んだ。
今の大魔法でかなり疲弊したのだろう。
彼女の胸元には、大量の汗で大きな湖ができているほどだ。
俺は手元の試作宝飾銃の装填口を開き、ポケットの中をまさぐりながらクリスタに尋ねる。
「あれも弱ったふりをしている可能性がある……と思うか?」
「さぁね。でも、近づくのは賢い者のすることではないわ」
およそ100m先に転がっている三つの塊。
俺もクリスタも、奴らが本当に虫の息なのか確証がない。
「撃つなら早くして。奴らに回復の隙を与えるつもり?」
「そんなヘマはしないさ」
その時、俺は足の裏に違和感を覚えた。
否。違和感と言うことすら心もとない、小さな不安を感じた。
……その正体は、かすかな振動。
「まさか、地下から!?」
確かな揺れを感じた直後。
クリスタの背後から、黒い触手が地面を突き破って現れた。
また別の触手が俺の後ろからも、左からも右からも現れ、俺達は完全に触手に取り囲まれてしまった。
「くそっ! まさか――」
俺は確かに三つの塊が転がっているのを見た。
しかも、それらからは黒い炎だって燃え立っていた。
だが、その塊が三匹のものだと証明する方法なんてない。
「――あれはフェイクか!」
銃を構えようとした時、さらなる振動が足元を襲う。
俺とクリスタの合間から地面を割って魔物が顔を出したのだ。
あっちに転がっているのは、二匹の死骸。
三つの塊は一匹が千切れて二つに分かれていた。
そのせいで俺達は三匹揃って虫の息だと錯覚してしまったのだ。
そして、まだ余力のある一匹が俺達のトドメを刺しに現れた。
「あの二匹を盾に、自分だけ地中に隠れたというわけ!」
「しぶと過ぎるだろうがっ!!」
もはや一秒の猶予もない。
俺はポケットから掴みだした宝石を何かも確認せずに装填口へと押し込んだ。
今すぐ引き金を引かなければ、俺もクリスタも殺される!
「私が憎いのね」
クリスタは地面に座り込んだまま魔物を見上げていた。
今の彼女には立って逃げる力すら残されていないのだろう。
魔物は俺に背中を向けていたが、大きな口が開くのは背後からでもわかった。
触手で触れればお終いなのに、あえて噛み殺すつもりか!
「クリスタ、寝ろっ!!」
「えっ!?」
俺は銃口を横に向けて引き金を引くや――
「うおおおおっ」
――軸足を支えに、光線の射出を続けたままぐるりと体を横回転させた。
回転式・斬り撃ち……とでも言うべきか。
銃身から伸びる赤い光線が、触手の群れを横薙ぎに両断する。
それはクリスタに襲いかからんとしていた魔物も例外ではなく、その胴体を真っ二つに斬り分けた。
クリスタは――
「あっ……はぁっ、はぁっ」
――寝転んでいてくれたおかげで、無事。
「そのまま寝ていろ!」
クリスタに言い放った直後、俺は装填口から砕けたルビーを投棄した。
再びポケットに突っ込んだ手が触れたのは、ダイヤモンド。
こいつでトドメを刺してやる!
と思った矢先――
「うわっ」
――俺に向かって何本もの触手が伸びてきた。
とっさに上体を反らせることで躱せたものの、それによって手元のダイヤモンドを取り落としてしまう。
「ちぃっ」
それを拾おうと手を伸ばす俺を、さらに触手が追い立ててくる。
触れれば即死……。
その恐怖に内心震えながらも、なんとか猛攻が止むまで凌ぎきった。
だが、その結果、俺とダイヤモンドの距離は致命的に離れてしまっていた。
「ジルコ、上よっ!」
万事休すかと思った時、クリスタの声が聞こえた。
声に従って上を見上げると、俺に向かってキラリと煌めく何かが落ちてくる。
「黒い……ダイヤ!?」
それは、クリスタが宝飾杖の先端に備えつけていたブラックダイヤに違いなかった。
彼女が杖からそれを引き千切り、俺へ投げてよこしたのだ。
宙に弧を描きながら、魔物の頭を越えてくるブラックダイヤ。
魔物はとっさにそれを打ち払うこともできたはず。
しかし、それをしなかった。
否。できなかった。
あまりに濃密なエーテルが内包されたクリスタのブラックダイヤは、触れることすらはばかられるほどの脅威を魔物に抱かせたのだ。
俺は試作宝飾銃の装填口を開いたまま、ブラックダイヤを受け止めた。
ダイヤが装填口に収まった瞬間に蓋を閉じ、銃口を魔物の胴体へと突き刺す。
魔物の体から、黒い炎が銃身へと燃え移ろうとたゆんだ瞬間――
「これで終わりだ!!」
――俺は引き金を引いた。
刹那、魔物の内側で白いエーテル光がまばゆく照りつけ、真っ白な光が体内から外へと漏れ出す。
魔物はまるで風船に水を入れたかのように膨れ上がり、そして風船が破裂するように弾けて爆散した。
周囲の触手達も火の粉を散らすようにして宙へと霧散していく。
試作宝飾銃の銃口を焦がしたのを最後に、黒い炎は完全に消え去った。
後に残ったのは、グズグズになって崩れ落ちる魔物の死骸だけ。
「……これで、終わったのか?」
離れた場所に転がっている黒い塊に目を向けるも、動きはない。
「終わりよ」
クリスタに視線を戻すと、彼女は地面に寝ころびながら空を見上げていた。
「この魔物の敗因は感情を持っていたことね」
「感情があった? ……魔物に?」
「そう。最後の最後、魔物は私を噛み殺そうとした。周囲には触手が無数に取り囲んでいて、わざわざ本体が動く必要もなかったのに」
「その行為が感情からくるものだったと?」
「確かに感じたの。あの瞬間、私はあいつの憎しみを」
「本能で行動するだけの魔物に感情なんて……」
「それが芽生えていたからこそ、ここまで強く恐ろしく……そして、哀れな最期を迎えることになったのよ」
知恵と感情を持つ魔物。
そんな人間のような魔物が存在するなんて、信じがたい。
……だが、今は考えるのはよしておこう。
俺は寝そべっているクリスタの横に膝をつき、彼女を抱き起こしてやった。
「またあなたに命を救われたわ」
「助け合ったのはお互いさまだし、気にするなよ」
「気にするわ。恩を返さないことには、私のプライドが許さない」
「恩なんて――」
言い終える前に、クリスタが俺の首へと手を回してきた。
そして……唇が重なり合った。
「!! !? ……!?」
あまりにも唐突な不意打ち。
それは、口の中が熱くなるほどに濃厚な……キス。
そっと唇を離したクリスタは――
「魔女の口づけには呪いがあるというけれど、今のキスはどうかしらね?」
――ゾクリとするような妖艶な笑みを浮かべて、俺を見つめていた。
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