4-055. ジルコ&クリスタVS双頭の魔物④
クリスタの正面には赤い魔法陣がいくつも煌めいている。
「熱殺火槍!!」
彼女の声と共に赤炎の矢が飛び交い、迫りくる二匹の魔物を直撃。
集中的に足元を攻撃されたことで、二匹とも足が焼き切れ、自重を支えられずに転倒した。
「そろそろ勝負を賭けましょう」
クリスタは大振りの挙動で、目を見張るほど大きな魔法陣を描き始めた。
それは半径1mほどの極大級魔法の魔法陣。
「罪深き闇の仔羊よ! 我が標にて来る聖なる流れに身を任せ、汝が穢したる大地ともども深淵の底へと還るがいい!!」
魔物が二匹揃って起き上がった時、魔法陣は完成した。
「聖炎にして混濁たる咆哮!!」
クリスタが魔名を唱えたのを契機として、赤い魔法陣が閃光のように煌めく。
間もなくして、魔法陣からドロリと粘着性のある白い炎が生じた。
その炎は荒れ狂う波のように溢れ出すや、地面を焼きながら魔物へと直進していく。
白い炎の濁流へと飲み込まれた二匹の魔物は、たった数秒で300mほども押し流されてしまった。
さらに数瞬後、魔物達を起点として大爆発が起こった。
「うっ」
「危ないっ!」
まるで暴風雨のような勢いの爆風。
衝撃波に吹き飛ばされたクリスタをとっさに抱き止め、耐えること数秒。
ようやく辺りに静けさが戻ったので、目を開いてみると――
「……うっそだろう」
――俺の眼前には、円環状に地面が陥没した地形が広がっていた。
爆心地からは、上空へとキノコの形をした噴煙が舞い上がっている。
「凄まじい威力だな」
「まだよ」
驚く俺をよそに、クリスタが静かにつぶやいた。
彼女は今の大魔法で疲弊したのか、力なく俺にもたれかかったまま、杖で粗雑な魔法陣を描いた。
それはコンマ数秒で緑色の魔法陣として顕現し――
「暴風の如き息吹」
――突風が吹き荒れて、舞い上がっていた噴煙を一瞬にして吹き飛ばした。
噴煙がはけた後、俺の目に映ったのは超高温で焼き尽くされた大地と、その真ん中で黒焦げになっている二匹の魔物だった。
全身が炭のようになって崩れているように見えるが、体からはわずかに黒い炎が燃え立っているのが見える。
……あの魔法をまともに食らって生きているとは本当に化け物だな。
「出番よジルコ。最後の一撃を任せるわ」
クリスタは俺の腕を押し退けると、地面へと両膝をついた。
彼女は肩を上下させ、うなじには汗が滴っている。
海藻のように肌に張りつく長い髪の毛が妙に艶っぽく見えた。
「大丈夫か?」
「大量のエーテルを消費した反動で、一時的に疲労しているだけ。私の心配はいいから、奴らにトドメを刺して!」
「ああ。わかっている」
引き金に指を触れようとした瞬間。
魔物の一匹が急に起き上がり、もげかけた鼻(尻尾?)で地面を叩いた。
地面に亀裂が生じると共に、大量の砂煙が舞い上がる。
「目くらましか!」
俺の照準はすでにお前達を捉えているんだ。
目くらまし程度で防げると思うな!
俺は銃身をブラさず、ただ真っすぐに抱えたまま引き金を引いた。
銃口から金色の光線が射出され、立ち込めた砂煙を吹き飛ばしながら射線上の二匹を貫いていく。
手前の魔物は、胴体を支える三本の足を残して爆発四散。
その後ろに隠れていた片割れは、胴体に大きな穴があいて、真っ二つに千切れて倒れた。
どちらからも黒い炎が消え去り、炭となった体がボロボロと崩れていく。
「やったぞ、クリスタ!」
「クリスタと……呼ばないで……」
「そんな憎まれ口をたたけるなら大丈夫そうだな」
「当たり前、よ……っ」
クリスタは地面に尻までつけて、完全に体を休めている。
ずいぶん辛そうだが、少しずつ息は整い始めているみたいだ。
魔導士は魔法陣を描く際、周囲のエーテルを操るのに精神的負担が伴う。
魔法陣が大きく、複雑なものになるほど、それは顕著になる。
今回のように、短時間のうちに強力な魔法を使い続ければ、フラフラになって立てなくなるほど精神を疲弊させてしまうのだ。
とは言え、ここまで疲労したクリスタは闇の時代にも見たことがない。
「これでひとまずドラゴグの混乱も治まるな。きみの功績だ」
俺はクリスタの隣に座り、彼女にささやかな誉め言葉を贈った。
「そんな当たり前のことを言わないで」
「そう言うと思った」
「……あなたのこと、少しは見直してあげるわ。ジルコ」
「そりゃ嬉しいね」
クリスタは乱れた髪をかき上げながら、彼女らしくない優しげな笑みを向けてくる。
それを見た瞬間、俺はドキリとしてしまった。
「報酬は山分けにしてあげる」
「それも……嬉しいね」
「でも、その前に17万グロウを返してもらうから」
「え?」
「あなたに渡したイエローダイヤモンドの購入額よ」
「はぁっ!? あれって譲ってくれたんじゃ……!?」
「あんな質の良いダイヤ、タダで譲るわけないでしょう」
「じゅ……17万……」
試作宝飾銃の装填口をそっと開けると、中から粉々になったイエローダイヤモンドの残骸が落ちてくる。
たった一撃で使い潰した宝石が、17万グロウとは。
……そんな大金、どうやって払えばいいんだ?
そんなことを考えていると、爆心地に突如として大きな亀裂が走った。
その亀裂は魔物の死骸の真下から発生している。
様子をうかがっていた俺は、亀裂の下から現れたものを見て度肝を抜かれた。
「なっ!?」
現れたのは、三匹目の魔物。
〈双頭〉の魔物とまったく同じ姿かたちをしているそれは、倒れている同類へと触手を突き刺した。
すると、触手を伝って黒い炎が二匹へと燃え移っていく。
黒い炎に包まれた二匹は、見る見るうちに崩れ落ちた部位を再生させ始め、すぐに元通りの姿で復活してしまった。
「な、なんで!?」
「まさか三匹目がいたなんて、ね……」
クリスタが、らしくなくうなだれている。
「くそっ。だったらもう一発!」
俺が宝石袋に手を突っ込むのと同時に、三匹の魔物が横一列に並んだ。
完全に俺の射撃を警戒している。
「ぐっ……!」
これじゃ一匹ずつしか撃ち殺せない。
斬り撃ちで横薙ぎにしても、まとめて殺しきるには威力が足りないだろう。
「あいつら本当は三匹いたのに、一匹はずっと地中に隠れていやがったのか!」
「ずる賢いだけじゃない。慎重で臆病で、この上なく意地の悪い奴らね」
「クリスタ、もう一度――」
俺がクリスタを見ると、彼女の表情はひどく弱々しいものになっていた。
もはや勝利を諦めてしまったかのような、そんな顔。
「私としたことが、とんだ計算違いだったわ」
俺の耳に大きな足音が聞こえてきた。
振り向くと、魔物が三匹揃って俺達の方へ向かってくるのが見える。
「ヤバい、逃げろクリスタ!」
この状況でもクリスタは両膝と尻をついたまま微動だにしない。
ヤキモキした俺がその手を取り上げても、彼女は抵抗する素振りすら見せなかった。
「動け、ないわ……。まだ、体が、重いの」
「なんだって!?」
「まさか、こんな結末もあり得るとは、ね……」
「らしくないこと言うな!」
「私を置いて行きなさい、ジルコ」
「ふざけるな!」
クリスタはもっと図々しく生にこだわる人間だと思っていた。
なのに、こんなにもあっさり生を諦めるのか!?
仮にも〈ジンカイト〉の冒険者でありながら、諦めるのが早すぎる!!
「置いて行けるか、馬鹿野郎っ」
「!? 何をするの!」
俺はへたり込んでいるクリスタを無理やり担ぎ上げた。
そして、ジタバタする彼女を無視して、迫る魔物達に背を向けて走りだす。
「俺が! 仲間を! 見捨てると思うか!?」
「死ぬわよ!? このままじゃ二人とも確実に死ぬっ」
「死んでたまるかぁっ!!」
片方の手には試作宝飾銃。
もう片方の手には成人女性。
剣や斧を振り回す戦士系クラスでもない俺には、この二つを抱えながら全速力で走り続けるのはなかなかにキツイ。
「どこ触ってるのっ」
突然、クリスタの肘打ちが俺の後頭部に炸裂した。
彼女の体を肩に担ぐため、尻に触れているのが気に障ったらしい。
「大人しくしてろっ」
「私を連れて逃げるつもりなら、もっと速く走りなさいっ」
「無茶言うなっ!」
「追いつかれるわよ!?」
「わかってるっ!!」
これでも全力疾走しているんだ。
しかも、人の足で逃げきれる相手じゃないことはわかりきっている。
こんなだだっ広い牧草地なら尚更だ。
「クリスタァッ! 飛翔戯遊は使えないのか!?」
「この辺りのエーテルはすでに枯渇しているわ! あと200m先まで走りなさい!」
「さすがにそれは無理だっ!!」
後ろからは魔物どもの足音が近づいてきているのがわかる。
互いの距離はすでに100mもなさそうだ。
「ジルコ」
「何だ!?」
「私と一緒に死ねることを光栄に思いなさい」
「冗談じゃない!」
本気で言っているのか、この女!?
俺にはまだやることが残っている。
それに、帰りを待っている奴だっているんだ!
こんなところで魔物の餌食になって終われるか!!
「……はっ」
その時、俺は胸元で激しく揺れる冒険者タグを見て妙案を思いついた。
「クリスタ! 聖職者の要領で、宝石を用いた魔法は使えないのか!?」
「魔導士の属性魔法は、空気中に循環するエーテルを行使して陣を結ぶ技術体系なの。宝石に内包されたエーテルは管轄外よ!」
「でも、宝石の内側にはエーテルが閉じ込められているだろう!?」
「それがどうしたと言うの!?」
「だったら!」
俺は試作宝飾銃を脇に挟んで、コートの内ポケットへと手を突っ込んだ。
その時――
「どさくさに紛れて! 殺すわよ!?」
――再びクリスタの肘打ちを後頭部に受けた。
どうやらポケットに手を突っ込んだ拍子に、彼女の太ももを触ってしまったらしい。
「違う、誤解だ誤解っ」
「うるさいっ! 死ねっ!!」
ガシガシと後頭部に打ち込まれる肘を我慢しながら、俺は手に取った宝石袋を前方へと放り投げた。
そして、袋が地面に落ちるのに合わせて、足の裏で踏み潰す。
パキパキと宝石が砕ける音が聞こえた瞬間――
「受け取れ、クリスタッ!!」
――暴れていたクリスタの動きがピタリと止まった。
「あなた、やるじゃない」
クリスタの小さな誉め言葉が、確かに俺の耳に届いた。
その直後――
「うっ!?」
――突然、俺の足から地面を踏む感触がなくなった。
「うおおぉっ!?」
全身を襲う浮遊感と共に、俺は自分の体が地面から離れていくのを目にした。
すぐ後ろまで迫っていた三匹の魔物も。
その魔物が伸ばしてくる無数の触手も。
大魔法で広く陥没した地形も。
崩壊した町も。
牧草地を走る街道も。
すべてが俺の視界に小さく収まっていく。
「お、俺は今……浮いている、のか!?」
「私の体を絶対に離してはダメよ、ジルコ」
「クリスタッ!?」
「私の肌ではなく、衣服にしがみつきなさい。風の精霊の魔法と違って、飛翔戯遊は無機物にしか浮力を与えられないの!」
「や、やっぱり浮いてるのかぁぁっ!!」
足元に地面がないことの違和感ったらない。
あまりにも不安なので、情けないことに俺はクリスタの体を抱きしめていた。
小さくてか細い彼女の体が、空中では異様に頼もしい。
「今だけは私の体に触れることを許してあげるわ」
クリスタの声はすっかり落ち着きを取り戻している。
俺とクリスタの体は空中に滞空しているようだった。
しかも、どうやら俺は逆さまになったまま空中に浮いているらしい。
天地が逆転していて、顎を上げることで地上が見える。
「魔物が……あんなに小さい」
広大な牧草地に、ポツンと黒コショウの粒のような魔物が三匹。
俺の視力でもその程度にしか見えないということは、今は地上数百mの高さに滞空しているのだろう。
「もう少し浮上するわよ。しっかり捕まっていて!」
クリスタが言うや、さらに高度が上がっていく。
街道をたどった先には、ドラゴグの帝都が。
そのさらに遠方には、太陽に照らされて輝くグランソルト海が。
さらに向こう側には、水平線にわずかに影となって見えている海峡都市が。
「す、凄いっ!」
「ちょっと、ジルコ!? どこ触っているのよっ」
クリスタには悪いが、今は周りの景色にしか関心が向かない。
俺は彼女の細い体に顔を這わせながら、眼前に広がる光景を眺め続けた。
「これがいつもお前が見ている景色なのか、クリスタッ!?」
「クリスタと呼ばないでと……。こらっ、胸に顔を押しつけないで!」
目の前に広がる光景のなんと美しいこと。
こんな光景は今まで見たこともなければ、想像したこともなかった。
羊皮紙に描かれた飾り気のない記号の集まりだった地図が、まさかこんな美しい世界を描いていたものだなんて信じられない。
「これが……これが世界!!」
世界を目の当たりにして、俺は天にも昇る心地だった。