4-052. ジルコ&クリスタVS双頭の魔物①
俺とクリスタは、遠方に煌めく赤い光を目指して街道を進んでいた。
このまま街道に沿っていけばユービュラという町に着く。
あの赤い光は、その町で魔物と交戦している魔導士の冒険者が放っているものに違いない。
すぐにでも応援に駆けつけたいところだが――
「クリスタリオス! もう少し急げないか!?」
「急かされるのは嫌いよ」
――クリスタが一向に走ってくれないのだ。
一応、彼女なりに早足で歩いているようだが、気が急いている俺にはそれが歯がゆくて仕方がない。
「なぁ、急がないと町が――」
「こんな場所で走ったら、ヘルメスのヒールがダメになってしまうじゃない」
「ヘルメスゥ!?」
ヘルメスって、確か皮革製品の高級ブランドだったな。
クリスタの履いているヒールはそこの製品なのか。
「そんなこと気にしている場合かっ」
「気にするわ。今はもう存在しない幻獣バイコーン皮のヒールなのよ?」
幻獣の皮を使った品とはこれまた貴重だな。
と言うか、仮にも冒険者が屋外でヒールなんて履くなよな!
……とは言えない。
クリスタの機嫌を損ねずに彼女を急がせたいが、どうしたものか……。
「馬車を帰らせてしまったのは失策だったわね」
「うっ」
クリスタからジトリと睨まれた。
確かに俺の独断で馬車は帰してしまったけど、今さらそれを言うか?
「じゃあ俺がおんぶしてやる!」
「あなた馬鹿? この私が体をやすやすと預けると思う?」
「ならどうしろってんだ……っ」
ああ言えばこう言う!
苛立ちが募ってきたところ、不意に空を飛ぶ鳥の姿が視界に入った。
それを見て、俺は思いだした。
……クリスタは空を飛べるじゃないか!
いつぞや街道で鉢合わせした時、空を飛んで馬車に乗り込んできた。
その時の魔法を使ってもらえばいいのだ。
「空を飛べ! そうすれば高価なヒールをダメにする心配もないだろう!?」
「……そうね。そうするわ」
意外とあっさり納得してくれた彼女は、何やら周囲を見渡し始めた。
魔法陣を描かずに、何を探しているのかと思っていると――
「これがちょうど良さそうね」
――クリスタは街道に放置されている板を拾い上げた。
どうやら街道を囲う柵に使われていた板のようだが、なぜそんなものを?
「それをどうするんだ?」
「黙って見ていなさい」
クリスタが宙に杖で描き始めたのは緑色の魔法陣。
魔法陣は瞬く間に完成し、緑色のエーテル光がまばゆく輝き始める。
「飛翔戯遊!!」
クリスタが魔名を唱えた瞬間、彼女の周囲に風が巻き始めた。
間もなく、魔女の体がつま先からふわりと宙へ浮き上がって行く。
「う、浮いた……」
「そういう魔法なの。当然でしょう?」
あまりにも簡単に浮き上がるから感心していただけなのに、当の本人からは呆れた眼差しを向けられてしまった。
もう少し柔らかい態度で接してくれないものかね……。
「じゃあ行きましょうか」
クリスタは宙に浮いたまま、拾った板を尻に敷いた。
その板、椅子代わりにするために拾ったものだったんだな。
「言っておくけれど、あなたの席はないわよ?」
「見ればわかるよ!」
クリスタは宙に浮く板の上で足を組むや、その姿勢のまま滑るようにして飛んで行ってしまう。
……完全に俺は置き去りだ。
「おいっ!? ちょっと待ってくれ!」
俺は重量級の試作宝飾銃を担いで、全速力で彼女を追いかけるはめになった。
◇
街道を2kmほど走ると、ようやく前方に町の影が見えてきた。
クリスタは今も悠々と風を切りながら地面のすぐ上を飛行している。
一方、俺は息を切らせながら彼女と並走するのがやっとだ。
「モタモタしていたら間に合わないわよ?」
「わかってるよっ」
「少し速度を落としましょうか?」
「冗談っ!」
クリスタの慈悲深いご提案を突っぱねた時、俺は気づいたことがあった。
「……なぁ。ちょっと妙じゃないか!?」
「何が妙なの?」
「町が魔物に襲われているのに、街道を逃げてくる人間と一人もすれ違わないなんて、おかしくはないかっ!?」
冒険者ギルドが町を守っていたのなら、魔物の不意打ちを受けて住民が全滅するとは考えにくい。
最悪でも、女子供くらい逃がす時間はあるはずだ。
なのに町から避難してくる人の姿をまったく見ないということは……。
「あの町の連中、もしかして――」
「きっとドラゴグ人の悪い習性が出たのでしょうね」
……そうなのだ。
ドラゴグ人には、老若男女問わず戦いから逃げてはならぬという、言っちゃなんだが馬鹿げた掟がある。
それは帝国の主流である竜信仰の過激思想から来るもので、小さな町であればあるほど、その同調圧力は抗いがたいものに違いない。
「まさか……町の人間総出で、冒険者に加勢して魔物と戦っている!?」
「十分ありえるわね。この辺りはまだ帝都に近いし、竜信仰の影響力も強い」
「くっ。守る相手に勝手に戦われて死なれちまったら、命懸けで町を守るギルドがバカみたいじゃないか!」
「足手まといが戦場に出るのは迷惑だというのに、この国の連中は陳腐な信条でその道理も見えていないのよ。救いがたいわね」
クリスタがいつになく辛辣だ。
本来、単独で魔物の群れに無双できる彼女にしてみれば、足を引っ張る存在がどれだけ憎らしいかは理解できる。
とは言え、今はそんなことを言っていても仕方がない。
「クリスタリオス。依頼された以上、キッチリ仕事はこなさなきゃな!?」
「当然よ。それより見なさい――」
クリスタが前方を指さした。
それは俺達の向かうユービュラの町の方角だが、何を指しているんだ?
「――少し前からエーテル光が見えなくなったわ」
「え!?」
確かにその通りだ。
さっきまでチカチカと明滅していた赤い光が、今はもう見られない。
と言うことは……。
「決着が着いたか、抗っていた魔導士が死んだか。もしも後者なら、ギルドは壊滅状態でしょうね」
「……!」
やっぱりそういうことになるよな。
できれば前者であってほしいが……。
そう思いながら町を見据えていると、突如、街中に砂埃が舞い上がった。
その砂埃から天に伸びるように長大な触手(?)が現れ、まるで鞭を振り回すかのようにして周囲の民家を薙ぎ払っていく。
「……後者だったか」
もはやユービュラの町の生存者は絶望的。
俺はその現実を目の当たりにして、奥歯を噛んだ。
「あれが件の魔物か!?」
「間違いないわ、あれよ!!」
俺と並走するクリスタが、敵意を剥き出しにした表情へと変わった。
「あれは大物だな……!」
町を破壊する魔物の姿は、俺の目にはもうハッキリと見えている。
それだけに、その魔物の姿かたちに俺は面食らった。
破壊されていく町の真ん中に、黒い炎に包まれた巨大な魔物。
それは、二階建ての民家ほどもあろう巨躯を揺らしながら、三本の足で這うように街中を動き回っている。
胴体の下腹部――もしやこれが頭か?――には、眼球らしきものがふたつ、さらに耳らしき部位と口まで確認できる。
胴体には手足のようなものも見えるが、歩行に使うものではないらしい。
ゾウの鼻、あるいはネズミの尻尾のような突起物が頭頂部(尻?)から生えており、それが鞭のようにしなって周囲の民家をことごとく倒壊させていく。
……あんな気味の悪い造形の生き物は見たことがない。
まるで、ネズミが逆さまになって長い鼻先で歩いているような姿だ。
「ジルコ。あれの基の生物になっている生き物、見たことある?」
「俺もちょうどそれを考えていた! 見たこともないぞ!!」
俺は走りながら、試作宝飾銃の装填口を開いて宝石を押し込んだ。
見た限り、奴の鼻(尻尾?)から伸びる触手は100mは伸縮する。
必要以上に近づけば、薙ぎ払われた民家の二の舞になる。
そう思った矢先、俺は魔物の眼球がひっきりなしに動いていることが気にかかった。
……もしや、まだ生き残った冒険者が奴と戦っているのか?
砂埃が晴れると、瓦礫の隙間から転がり出てくる人影がいくつも見えた。
その人影は、剣を持ち、鎧で武装している。
「生き残った冒険者がいる!」
「あなた、そこまで細かい動きがよく視えるわね。ここからはまだ1kmは離れているでしょうに」
「あいつら、まだ諦めていない!」
「まさかあれと接近戦を?」
「ああ! 彼らの中に魔導士はいないみたいだ!」
「……呆れた。自殺行為ね」
視認できた冒険者は十名ほど。
全員が剣士のようで、魔導士の姿は見られない。
彼らは陣形を組んで魔物を取り囲み、眼球の死角から斬りつけている。
全員、宝飾剣を装備しているようだが、いくら斬りつけても魔物は堪えていない様子。
前情報通り、異常に再生能力が高いらしい。
しばらく冒険者達に手玉に取られていたものの、魔物の動きが変わった。
全身を痙攣させたかと思うと――
「あぁっ!!」
――胴体から四方八方に飛び出した触手が、槍のように冒険者達の体を貫いてしまった。
魔物を取り囲んでいたことが逆に仇となった形だ。
かろうじてその触手を躱した数名を残し、ほとんどの冒険者は黒い炎が燃え移って倒れた。
「どうなったの?」
「……ほぼ全滅だ。あの冒険者達に勝ち目はない」
倒れ伏している者達からは徐々に黒い炎が引いていく。
炎が消えた後に残ったのは、肌がドス黒く変色し、ミイラのように干からびてしまった死体だけだった。
幸いなことに、彼らはただ死ぬだけで済んだようだ。
「一匹だけ? もう一匹は見ていないの?」
「えっ」
……そうだった。
クリスタの話では件の魔物は二匹。
冒険者相手に暴れている奴以外にもう一匹いるはず。
だが、俺の視界には見当たらない。
「いないのなら、どこかに潜んでいるのでしょう。奴ら狡猾だもの」
「狡猾? 手強いとはいえ、最下級の魔物だぞ?」
「異常な再生能力と異様な狡猾さ。それらの組み合わせが、私が最下級ごときを殺しきれない理由よ」
「ま、まさか……」
「それより奴らの特性を伝えておくわ」
クリスタが飛行状態の体を傾かせて、俺の眼前に顔を突き出してきた。
プルンッと目の前で揺れるたわわなそれに思わず視線が行ってしまったが、すぐに彼女の顔を見上げる。
「あの魔物は常に二匹隣り合って行動するの。離れることはないから、必ずどこかにもう一匹潜んでいるわ」
「魔物のつがいってわけか」
「しかも片方殺しても、もう片方が生きている限り復活してしまう」
「復活!? そんな魔物、聞いたことが……」
「素敵な情報ならまだあるわよ。奴ら、自分達が即死するほどの魔法を受けた時には、片方が片方をかばって魔法の威力を相殺してしまうの」
「まさに魔導士の天敵だな……」
「そうね……そう。まるで誰かが意図して創造したかのような……」
聞き捨てならないことを言う。
あんな魔物を誰かが創りだしたって言うのか?
「まぁ、今はそんなことどうでもいいの。問題は、私達が奴らを殺さなければ、誰もあれを止められないということ」
「それには……同意する」
「奴らを滅せるシチュエーションはふたつ。わかるわよね?」
……もちろんわかるさ。
俺を相棒に選んだことと今まで得た情報から、件の魔物を殺しきる方法は想像がつく。
①クリスタが一匹を殺した直後、俺がもう一匹を殺す。
②クリスタが二匹を瀕死へと追い込んだ直後、俺が二匹同時にトドメをさす。
戦いが始まれば、どちらかの状況をクリスタが作ってくれるだろう。
でも、それは魔物が二匹姿を現している前提だ。
今はまだ行動に移すのは早い――そう思って俺が町へと向き直った時、魔物に追いつめられていく冒険者達の姿が見えた。
今のペースでは、とても彼らの救援には間に合わない。
「クリスタリオス、あいつらを助けてやってくれ!」
「それは命令? 次期ギルドマスターとしての」
「命令というか頼みというか……」
「ハッキリしない人は嫌いよ」
そう言うと、クリスタはぷいっとそっぽを向いてしまった。
……そうだよな。
命を賭けた戦いで、曖昧な言葉ほど迷惑なものはないよな。
「行け、クリスタ! 先制攻撃だっ!!」
俺が町の方向を指さして叫ぶと、クリスタが深い溜め息をついた。
そして――
「私をクリスタと呼ばないでっ!!」
――俺に噛みつくように言った直後、クリスタは凄まじい速さで上空へと舞い上がり、風を切りながら町へと向かっていった。
それはまるで、流れ星が空を駆けるような光景だった。