4-050. 接近、遭遇!
クリスタの来訪によってヴェニンカーサ伯爵邸には激震が走った。
中庭にいたメイド達は凍りつき、駆けつけた警備兵もクリスタのひと睨みで委縮してしまう。
「お、落ち着けってクリスタ!」
「なんですって?」
「……リオス!」
「名前を呼び違えるなんて、本当に失礼な男ね!」
クリスタが杖を突きつけながら俺へと迫ってくる。
先端の宝石がエーテル光を放っているので、俺はいつ魔法を撃ち込まれるか気が気ではなかった。
中庭に出てきたデュプーリクは怯えるメイド達を避難させるだけで、俺を助ける気はないようだ。
キャッタンとネフラに到っては、屋敷のホールから顔だけ覗かせている始末。
俺一人で怒り心頭のクリスタをなだめなければならないのか……。
マジでしんどいぞ、これは。
「銃が届いたら駅逓館に言伝を残すという約束だったわよね?」
「あ、ああ……」
「なぜ約束を破ったのかしら?」
クリスタの冷めた眼差しが痛い。
忘れていたと答えようものなら殺されかねないのだが、正直に言うべきか?
「いやぁ、それは……その……」
「忘れていたのね?」
……バレてる。
言い逃れをしたところで彼女の怒りを買うだけだな。
「ごめん」
「ごめん、ですって?」
「すまなかった」
「あれから三日。毎日、午前と午後は駅逓館を覗いたわ。もちろん今朝、ここにくる途中もね」
「申し訳ない……」
「この私が貴重な時間を割いたというのに、忘れていたですって?」
「返す言葉もない……」
「万死に値するわ!!」
クリスタが俺の目の前で魔法陣を描こうとしたので――
「ちょちょちょ、ちょっと待てって!」
――思わず杖を持つ手を掴んでしまった。
途中でエーテル光が消え、空中に描画された魔法陣の線が掻き消えていく。
だが、彼女の行動はそれでは治まらず――
「気安く触らないでっ」
――俺は股間を蹴り上げられた。
「……っ!!」
予想だにしない不意打ちを受けて、俺は股座を押さえながらその場に倒れ込んだ。
……いくらなんでも金的狙いはあんまりだ。
「あら、健気ね。頭を地面に突っ込むほど詫びたいと言うわけ?」
「ぐぐぐっ……」
そんなわけあるかっ!
こんな姿勢、好き好んでするわけないだろうが……!!
「その無様な姿を見せられて、少しは溜飲も下がるというものだわ」
悶絶している俺の頭を、クリスタが足の裏でグリグリと踏んでくる。
しかも、ヒールが後頭部に刺さってめちゃくちゃ痛い。
このサディストめ……。
「ついでだからドゲザでもしてみせなさい。そのポーズは絶対的な反省の形なのでしょう?」
「お、ま、え、な……っ」
下腹部の痛みでまともに声が出せない。
さっきから誰も助けてくれないし、ここはクリスタの気の済むようにした方が無難そうだ。
「ごめんなさい」
俺は先日のデュプーリクを真似て、完璧なドゲザをクリスタに捧げた。
ネフラ達にだけでなく、他の連中にも見られながらのドゲザは地獄だな……。
◇
その後、ヴェニンカーサ伯爵夫人が中庭へと現れ、俺とクリスタの間を取り持ってくれた。
クリスタは伯爵夫人を前にした途端、猫をかぶったように笑顔を取り繕い、自分も〈ジンカイト〉の一員であることを告げた。
俺の不安をよそに、最強の魔導士の予期せぬ来訪を喜んだ伯爵夫人は、彼女を応接室へと案内してしまった。
そして、今。
俺は応接室でクリスタの横に座らされ、伯爵夫人と向かい合っている。
ネフラとキャッタンは部屋の隅でそわそわ。
デュプーリクは命知らずにもクリスタの脚線美をにやつきながら眺めている。
「クリスタリオス様とお会いできるなんて感激ですわ。世界最強の魔導士と聞き及び、ずっと憧れていましたのよ」
「光栄です。イシュタ様のお名前も以前より聞こえておりました。公私ともに、かの猛将伯を支えてこられた才媛だと」
「あらまぁ、お上手ですこと!」
伯爵夫人が嬉しそうに笑う。
クリスタのやつ、貴族に取り入るのが上手いな……。
「それにつけてもジルコ様。女性との約束を反故にするなんて褒められたことではありませんわね」
「そ、それは……その通りです……」
伯爵夫人からも冷たい目を向けられる。
全面的に俺が悪いので申し開きのしようもない。
「時に、クリスタリオス様は東の魔物の討伐依頼を受けていらっしゃるのよね?」
「はい。その件でこの男に協力を要請したのですが、ご覧の有り様で」
「あらあら。魔物討伐のお約束だったの?」
「他のギルドと協力して東の魔物は概ね片付いたのですが、少々厄介な魔物が残っておりまして。彼の宝飾銃は魔物にとっての天敵となり得るので、ぜひとも力添えしてもらいたかったのですけれど――」
途中、クリスタがチラリと俺を横目に見てくる。
「――どうやら彼には、魔物よりも重要なお相手がいるようで」
〈ハイエナ〉も重要な相手だよ!
あの連中だって捨て置くことはできない厄介な連中なんだぞ!?
「ジルコ様。〈ハイエナ〉の件はいったん忘れていただいて、クリスタリオス様のお手伝いをしてきてくださいな」
「えっ。し、しかし」
「屋敷の警備は増強しておりますし、先遣隊もいらっしゃいます。こちらの心配はいりませんわ」
「はぁ……」
そうは言うけど、一応この先遣隊のリーダーはデュプーリクだ。
あいつの了承を得ないといけないところだが――
「ここは俺達に任せて、お前は魔物退治に行ってきな! 困った女性を助けるのは男の甲斐性だぜ」
――あっさりと許可が下りてしまった。
「話のわかる殿方がいて助かるわ」
クリスタがニコリとほほ笑みかけるや、デュプーリクは胸に手を当てて礼儀正しい挨拶で返した。
……このいいかっこしいめ!
「デュプーリク・サントリナと申します。あなたのご高名はかねがね聞いておりますよ、クリスタリオス嬢。お会いできて光栄です」
「うふふ。どこかのアンポンタンと比べて、女性の扱いがお得意のようですわね、ミスター・デュプーリク」
「ええ、その通りです。ジルコは女性の扱いが下手で、見ていて腹立たしい限りです。同じ男として情けない」
「わかるわ。この男は昔からこうなのよ」
デュプーリクのやつ、クリスタと一緒に俺をディスり始めたぞ。
これ以上は俺の心が折れるので、会話に割り込んで話を進めることにしよう。
「伯爵夫人のご厚意に甘えさせてもらいます。いったん行動を別にしますが、魔物を倒したらすぐに戻って参ります」
「ええ、約束ですよ。必ず守ってくださいね」
「もちろんです」
必ず生きて帰ってこいってことか。
こんな風に言われて送り出されるのは、ずいぶん久しぶりだな。
「……で、クリスタリオス。出発はいつだ?」
「今すぐよ」
「えっ」
「すでに東門に馬車を要請してあるわ」
「ちょ、俺にも準備が……!」
「見た限り準備は万全のようだけれど?」
クリスタが俺の右足のホルスターへと視線を落として言ってのける。
そりゃまぁそうなんだけど……。
「わかったよ……。すぐに発とう」
「竜足跡の軍道を使えるから、標的の魔物が潜んでいる地域までは二日ほどで着くわ」
「遠いな……」
「私とあなたの二人がかりなら、戦闘自体はすぐに済むわよ」
ずいぶん簡単に言ってくれるぜ。
相手は世界最強の魔導士ですら音を上げた化け物だろう。
クリスタが他人の手を借りるくらいの強敵が魔王群でも最下級の魔物とは思えないんだけどな……。
俺がクリスタと共に席を立つと、ネフラがトコトコと近づいてきた。
その顔は暗い。
「ジルコくん」
「ネフラ。少しの間、留守を頼む」
「無事に帰ってきてね」
「当たり前だろう。まだ任務も途中なんだ、魔物なんかにやられて終わるかよ」
「……うん」
ネフラが顔をうつむかせてしまったので、俺は彼女の頭を撫でてやった。
すると、固く結んでいた口元を緩ませてくれた。
やっぱりネフラは笑っている方が可愛いな!
……とは恥ずかしくて言えない。
「さぁ、行きましょう!」
俺がネフラの笑顔を見て和んでいると、突然クリスタが腕に手を回してきた。
しかも、これみよがしに豊満な胸を押しつけてくる。
「お、おい!?」
「留守番は任せたわ。ネフラ」
クリスタがムッとしているネフラの頬をつつく。
その後すぐ、俺は彼女に押されるようにして応接室から出された。
廊下に出て早々、俺はクリスタの腕を振りほどいた。
「何の真似だよ!?」
「私に寄り添われて嬉しくないとでも?」
そりゃ心地よい柔らかさだったけど!
……いやいや、ちょっと待て。
突っ込むところはそこじゃなかった。
「ネフラをからかうような真似はよせよ」
「あの子がああいう顔をするのは全部あなたのせいじゃないの」
「うっ」
「まぁ、私には都合のよいことですけれど」
「何? なんだって?」
「……なんでもないわ。馬車を待たせているの。急ぎましょう」
なんだ今のは?
どうも最近のクリスタは引っかかることばかり言うな……。
俺の考えすぎなのか?
廊下を先に歩いていくクリスタを追いかけながら、俺は何とも言えないモヤモヤした気持ちになった。
◇
俺達は帝都の東門から馬車に乗って、まずは第一副都を目指した。
クリスタは帝国軍から軍道を使う許可を得ているらしく、馬車も軍馬の引く装甲車だった。
そのパワフルな走りはジャイアントモアすら霞むほどだ。
「大した待遇だな。俺達とは大違いだよ」
「盗賊ごときとは危険度のレベルが違う相手ですもの。足くらいは良い物を用意してくれなければね」
クリスタは煙管を吹かしながら、時折、俺に煙を吹きかけてくる。
俺が咳き込むたびに楽しそうな笑みを浮かべるものだから、緊張をほぐしてくれているのかと思ったら――
「煙管の煙くらいで咳き込むなんて、だらしない人ね」
――どうやら勘違いのようだ。
「ねぇジルコ。あなたは、運命とはあらかじめ決まっているものだと思う?」
「なんだよ突然」
「時間潰しの雑談よ。あなたの意見を聞かせてちょうだい」
「決まっているなんて認めたくないな。運命は自分で切り開くものだと思いたい」
「そう。そうね。そう思う人もいるわよね」
クリスタはそう言ったきり、口を開くことはなかった。
窓の外で移り変わる景色を眺めながら、物思いにふけっているように見える。
おかげで俺は精神的にへこまされずに済んで助かったが、時折、彼女がわざとらしく足を組み変えるせいで別の意味で困らされた。
◇
帝都を出発して一日半。
俺はクリスタの挑発行為を耐えながら、なんとか無事に第一副都までたどり着くことができた。
副都の宿で一泊した後、俺達はさらに東へと進む。
「副都の帝国兵はずいぶんピリピリしていたな」
「都のすぐ間近に帝国軍にはどうしようもない魔物が野放しになっているのだから当然だわ」
「軍は大半の戦力を第四と第五副都に派遣、か。第一の市民は気が気じゃないだろうな」
「第一副都より東側の町々には、防衛のために冒険者ギルドが送り込まれているわ。時間稼ぎにはなるでしょう」
「時間稼ぎって……何の?」
「私が件の魔物を倒すまでの、よ」
「あそう……」
相変わらず自信たっぷりだなぁ。
俺は前衛がいないことが不安要素だと思っているのに、彼女はそんなこと気にも留めていないようだ。
果たして計算通りにいくのか、誤算となるのか……。
「クリスタリオス殿! 前方300m先より、魔物らしき影がふたつ接近してきます!!」
御者台に座っていた帝国兵からの呼びかけ。
彼は軍馬を操りながら、器用にも双眼鏡を覗いている。
それを確かめるために俺も窓を開いて前方へと目を凝らした。
すると、街道の先から黒い影がふたつ、確かに馬車へ近づいてくるのが見えた。
「ジルコ、見える?」
「ああ。しっかりと見えるよ」
双眼鏡がなくても、このくらいの距離なら俺にはハッキリと見える。
四つ足で併走して走ってくるそれらは――
顔はおぞましい形相に歪み。
眼光は赤く怪しい輝きを放ち。
全身に黒い炎のようなものを沸き立たせ。
背中からは触手のような細長い突起物を何本も空へと伸ばし、土中をミミズが這い回るような不愉快な動きを見せている。
――思いのほか小さいが、魔物の特徴そのものだった。
「間違いない。標的確認!」
もう二度とあるまいと思っていた、魔物との戦い。
それが復興の時代になってまた訪れようとは……。
「運命ってのは、わからないもんだな」
俺は誰に言うでもなくつぶやくと、ホルスターに収めてある試作宝飾銃へと手を伸ばした。




